つれづれに

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 毎日が日曜日、いや正月のような日々を過ごしているため、
正月という新たな気持ちになれないのは年齢のためだろうか?

 昨日は、家内が昼の間、外出をしていたこともあり、
アメリカと北欧の録りためをしていた刑事ものシリーズ
を見ていた。合計8本。これがどれもこれも面白い!
まあ、幸せなことである。

 
・・・・・・
2830, 新年に、つれづれなるまま! -2
2009年01月03日(土)
  * 自らの文化を大切し、誇りを持て!
 年末30日の産経新聞の一面の岡本行夫の「人界観望楼」の中の一文である。 
  そのテーマは ー歴史は「現在進行形」ー
《 今年の初め、私はある中学校を訪問して、二年生のクラスで質問をした。
 「君達、松尾芭蕉のことを知っていますか?」 生徒達は当たり前だという
顔で答えた。 「小学校で習ったから、みんな知っている」「えっ、みんな?」
クラス全員の手が挙がった。「知ってます」に驚いた。これはウクライナ
首都キエフの中学校のことだ。日本の中学校で同じ質問をしたら如何だろう
興味があることだ。 ウクライナの学習指導要領には「自然を描写して気持ち
を表す日本人の国民性を学ぶことにより、ウクライナとは違った文化を持つ
日本と日本人に対する尊敬の念を養う」とあると、前駐ウクライナ大使の
馬淵睦夫氏から聞いた。
・・馬淵氏は「ウクライナは自らの文化を大切し、誇りを持っているからこそ、
他国の文化に対して関心を持ち、 尊敬の念を持つことが出来るのである」と
書いている。日本人が胸を張って世界に輸出できるのは、「日本人」である。
 これほど善意で真面目で勤勉な国民はいない。例えば途上国での援助活動に
おいて日本人ほど愛情をもち、かつ大きな成果をあげている人はいない・・》 
▼ 以上だが、成るほど、今どきウクライナみたいな国もある。
「日本人の特質こそ誇るべき」である。誇るべきことがなければ、他者のそれも
理解できない。私の通勤途中で、ゴミが落ちているのを見ることは殆ど無い。
誰も捨てないし、あっても住民が掃除をしている。当たり前の普段の現象が
外国に行くと、そうでないのが理解できる。欧米文化に追いつけ、追い越せが
 果たして進歩なのだろうか。 哲学の世界では、欧米文化主導の価値観に
疑問を呈している。外を見る目で内を見つめないと!個人、企業、国家として。 
  * 今年になってしまったが・・・
 今年になってしまった。目先はオバマ次期大統領に注目が行くだろう。 
問題は、その熱が冷めた後である。昨年の10月の最初の二週間で、アメリカの
銀行は毎日4300億?以上をFRBから借りている。総額は二週間で5兆ドル。
それだけお金をつぎ込んでも問題が解決されていない。ビッグスリーだけを
見ても、今後も膨大な損失が予測される。恐らく、ブッシュ政権が隠していた
実態がオバマ政権に移転したと同時に次々に公表されるだろう。
その時に世界は真実を知ることになる。 いや、知らしめないか??
・・・・・・・・・・
2465, 居場所を見つけたときに人間は変わる -2   
2008年01月03日(木)
              ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 居場所は自分のアイディンティーと関係してくる。
もし、そのアイディンティーが、寄る当ての無いものなら、寄る当ての
あるように変えていかなくてはならない。まずはボタンのかけ違いを、
一番初めから、かけ直さなくてはならない。
居場所こそ、人間が持っていなくてはならない場所である。
 私の場合は、机と本棚である。そこに好きな愛読書とコーヒーカップ
有ればよい。そしてステレオかラジオかTVを置く。誰でもが、まず始める
ことだが!現在なら自分のパソコンと、その中のブログと携帯電話になる。
 ブログは、そういう意味で居場所の概念を変えてしまった。
携帯かパソコンが身近にあれば、それが自分の居場所になる。
だれもあるが、前回にも書いたが、やはり暖かい家庭こそベースになる。

*前回の続きです*
ー 芹沢
この話が告げているのは、悪いことをやる奴には「悪いことは悪い」
ときっちりと教えなくてはいけない、それを強い規律と指導と訓練で教え
込もうというような方策が、実は失敗への道でしかないということです。
いまアメリカがイラクに対してやろうとしていることは、それに近いですね。
でも、その女性がやったことはそうではない。盗みでもしなければやって
いられないような彼自身の、安心も安全も安定もないようなこれまでの
人生を、ーそれは過去からの歴史が作っているわけですけれども、
しっかり受け止めたのです。受け止められた中で、彼が変わっていくのです。
例えば、青年はものすごくケチで、自分のことにはお金を使うけれども、
人にプレゼントなんて一切しない人だった。そんな彼が、彼女にプレゼント
を初めてしたというのです。そんなふうに初めて安心、安全、安定できる
場所ができ、ここが自分の居場所なのだと初めて感じたとき、その居場所を
作る支えになった人が大切な存在として見えてくるということが起きている。 
すごいな、と思います。彼女は母の役割をしたのです。 
母というのは「存在の大地」につながるのだ、
とそのケース・カンファレンスを聞きながら実感しました。

 ー 二階堂
芹沢さんは、先に大地とは居場所だと言われましたね。言い換えれば、
どこに座っているか。仏教では、仏さんそのものより仏さんが座っている
蓮華の座をまず観て大事にするのです。どこに座っているかということで、
その人間がわかる。座る場所がなくなってしまうのが、いちばん苦しいわけ。
「拠りどころ」という言葉もありますね。
「人・地に寄るが故に倒れる・還りて地に依りて立つ」
(地に因りて倒るる者は、地に依りて立つ)
という言葉が仏典(『入大乗論』にあります。人はいろいろな苦難があって、
大地に倒れても、必ず同じ大地から立ち上がる。 良い言葉だなと思います。

 ---
心の拠りどころ、心が何処に座っているのか、それも大事である。
自分の夢と信条、好きなことを明確にして、それに従って生きること
こそ重要である。そして、物理的にも自分が座るべき場所を明確にして
おくことも! 父親の位牌とか、母親の形見とか、そういうものを常に
身近に置くことも居場所つくりに良いだろう。森の鎮守様など、それだろう。
                      ヽ(・д・`●)
・・・・・・・・
2007年01月03日(水)
2101, ウェブ人間論 -2

  b(^o^)dおっW(^O^)Wはようー♪  
    この1~2年でネットによって社会が劇的に変わりつつある。
    光ファイバが各家庭へ劇的に普及したことと、ブログと、
    携帯電話の進化のためで、この激変はとどまることはない。
    私の今年のテーマは現在のHPから「ブログ」への転進である。
    第一章から内容は深く核心をついた内容になっている。
    梅田のネット世界が窺い知れて面白い。

第一章 ウェブ世界で生きる  -? 
   *ネットの世界に住んでいる*
 --
 梅田:今の僕は、朝4時に起きてトータルで1日8~10時間位ネットに
つながっていて、「ネットの世界に住んでいる」という感覚である。
僕の仕事は、アメリカで考え事をして、ニケ月に一度日本に戻り、
日本企業の顧客と議論するというスタイルなので、東京にいる間は、
打ち合わせなどリアル世界で朝から晩まで忙しいから、ネットにすめない。
だから僕は「アメリカに帰る」と「ネットの世界に帰る」は同義で、
ネットの世界が僕にとって「リアル」なのです。・・・・

 梅田:ネット上の僕の分身が僕のブログだから、まずそこに行きます。
家族が元気かどうか、家は家事になってないか心配する感覚で、
分身が異変を起こしていないかを、確かめに行きたいんですよね。
 梅田:少しまとまった時間があれば、いつもチェックしているブログを
見に行きますが、それだけでも英語のもの、日本語のものあわせて
300~400位あります。気になっている人300~400人の日常や、
いま考えていることを、シャワーのように浴びるっていう感覚でしょうか。
もちろんリアルの友人のブログもその中に含まれますが、それは全体
からみればわずかですね。
 平野:僕が2004年にパリに住んでいた頃に、ネットカフェがパーッと
増えたんです。当時のパリは、自宅のネット接続まだまだ遅くて、
やっとADSLが出てきたという調子であったからと思います。
パリのカフェは本当に人がお喋りをする場所で、いつ行っても
フランス人がダラダラ喋っている空間であったのが、
いまやインターネットカフェでは誰も口をきかず隣の人でなく、
数千キロ、数万キロ離れた人とやりとりをしている。これは何なんだ!
という雰囲気が、特にネットに関係ない人たちの間にありました。その時、
コミュニケーションの際の「時空」の把握の仕方が変わってきているなと、
感じました。
  *検索がすべての中心になる*
 --
 梅田:「ウェブ進化論」でも紹介した将棋の羽生善治さんの
「高速道路」論というのがあって、「ITとネットの進化によって将棋
の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなる高速道路が一気に敷かれた
ということです。でも高速道路を走り抜けた先には大停滞が起きています」
と、彼はいうわけです。僕はその大停滞を抜け出せるかどうかのカギの
一つは、構造化能力と思っています。
(以下字数の関係でカット)-2008年01月03日
   ーつづく
--
映像ブログが本格化してくると、また一味違った社会が出現するだろう。
 梅田のブログを、興味を持って見つづけるしかないか・・・
1975年生まれの人が、ウェブ人間の大きな境目になるというが、
息子の歳である。なるほど、見ていてそう思うが・・・ 
                   
・・・・・・・
2006年01月03日(火)
1736, 日本一短い手紙 「喜怒哀楽」 -2
           ヽ(*´∀`*)ノ.+゚おはよ~♪.+゚
このシリーシーズの「喜怒哀楽」は、
読めば読むほど良い。心は、喜怒哀楽と感激・感動・感謝が大きな
比重を占める。日常は、それが原動力で動いているといってよい。
感想文かわりに、絵文字で語ってみました。 

怖いのは、怒っているのに笑っている人。
偉いのは、哀しいのに笑っている人。  阿部智幸(山形県 43歳)
    
ようやく気づいたよ背伸びせず、卑下もせず 身の丈で生きる 
今の自分が好き        馬越直子(香川県 54歳)
~~■P o(´・∀・` ) coffee time☆
喜びには花を、怒りには水を、哀しみには陽を、楽しみには
時間を与えてください。      大澤 神世(静岡県 19歳)
                    
淋しすぎるから、今日は明るい色を着てみました。
 あなた、喪中なのにごめんなさい。 黒澤 典子(千葉県 48歳)    
好きと言われた。うわっどうしよう・・
         家に帰って大声で叫んだ『ヨッシャー!!』
                高梨 智子(大阪府 高校3年)
 字数の関係上、ここでカット、あとは過去歴で!
・・・・・・・・
2005年01月03日(月)
1371, 人生における成功者の定義と条件-1  -読書日記

大げさなタイトルだが、面白い内容である。
 作家の村上龍と各界の著名人との対談集。

「これまでの成功者のイメージを壊したいという気持ちがあるんです」
お金でも地位でも名声でもない“成功”の定義とは何か?
格差が顕著化し、価値観が多様化する日本において、
“成功者”とはいったい誰なのか?
仕事と人生について考え抜いた著者が5つの職業の第一人者と語り
つくしている。 終身雇用制度が終わろうといている現在、過去の
成功の定義はゆらいでいる。
 まえがきの最後に人生の成功者というのは、その人の人生における
目標を達成した人という言い方ができるかも知れない。
それでは人生のおける目標とは何かというと「生活費と充実感を保障
する仕事を持ち、かつ信頼できる小さな共同体を持っている人」と
言う仮説を立てて論じている。
 しかし、充実感と生活費のだけでは何か足りないような気がする。
現代では、平均以上に金を稼ぎ、出世する確実な方法はない。
つまり良い学校に行って、いい会社や権威のある役所に入っても成功者
になれるかどうかわからない。それが、今の子供たちに勉強の
モチベーションを失わせている。価値の多様化でも旧来の成功モデルが
機能しなくなっている今、あえて成功者の新しい定義と条件を示す事は
無意味ではないとあって本文が始まっている。

 大きな時代の変化の中で、どうしたらよいのかの問いかけとしての
ヒントを与えてくれる内容である。むしろ、よい学校に行って、よい
職場に入って、人並みに良く生きて、定年をむかえた後に、自分の
人生とは何だった?と初めて気がつく人たちより良いのかもしれない。
ーーー
「人生における成功者の定義と条件」著者ー村上龍 
 ーーー
各界を代表する方と「成功」について語る対談集だが、
 合間にある「一般の人」の「成功者の定義と条件」も面白い。
  次回は、その内容を抜粋して、考えてみる。
                       -つづく
・・・・・・・・・・
2004年01月03日(土)
1004, 正月の過ごし方

 基本的には寝正月だ。元旦は、墓参りとTVと自宅に訪ねてくる
兄一家と酒を飲む。2日は家内の柏崎の実家に行って、お節を食べるのが
習慣になっている。近くの料理屋のものだが、絶品である。
?万もするとか。お節だけは恒例で贅沢をするという。
実家では子供の時から、「まるやま」という魚屋のお節をとる。
内容は家内の実家の方が、倍位は美味しい。
魚屋と料理屋の差は歴然としている、仕方がないが。
2日は家内が子供と実家に泊まる為、一人で帰ってきて何処かの
スナックで酒を飲む。今年は家内が日帰りの為に、家でおとなしく
していた。年末年始の挨拶は一切なし。図書館で読んだ月刊誌の中で、
正月に対して今の若い人は以前ほどの思いいれはないという。
むしろクリスマスの方に思い入れが強いとか。正月に対する若者の意識
の変化は家庭崩壊の一つの現象と、筆者が分析をしていたが、少し
オーバーに思えた。日本では年越しにマトメテ年をとる習慣があった
のも年越しの思い入れにあったのだろう。 田舎や実家に年二回帰る
習慣はやはり根強い
 これを書きながら、実家以外で正月をむかえた事の少ないことに
気が付いた。 初めて勤めた年に神戸で宿直をしたことと、7~8年前
タンザニアの年越し位である。 あとは全て両親か母親と供にいた。
実家は私が引き継いだ為に、いまも実家で正月を過ごしていることになる。
反面、タンザニアにしても、神戸の宿直は強烈な思い出がある。
  以下をコピーしておきます。  
  ーーーー
-H10・01  タンザニア・サファリ -
 アフリカは何と不思議なところであろうか。
行ってくるだけで魂がいやされる。ケニアの南に隣接したタンザニアは、
ケニアの首都・ナイロビより車で5時間のところに国境がある。
ケニアの国立公園は一歩、中に入ると世界中のサファリ観光の為、
百年以上の時間をかけて、整備がされてあった。 しかしタンザニア
それは全くの未整備、サファリという言葉がまさにぴったりであった。
ケニアよりさらに二日もかけてのサファリの為、ただ行って帰ってきた
感覚だったが、それでも強烈な印象はケニアのそれとは比較にならない程強い。
 あのどこまでも続くセレンゲッテ国立公園の大草原の地平線
(360度の視界がすべて地平線である。)ここを車で走っている
だけで魂がいやされる。もちろん生まれて初めてみる360度の地平線。
ンゴロ・ンゴロ国立公園はタテヨコ、16Km×19Kmのクレ-タ-に
とじこめられた野生動物達のロスト・ワ-ルドである。
 この中に東アフリカのほとんどの種類の動物がとじこめられている。
自然がつくりあげた自然動物園であった。
みそかの晩、特別に現地の運転手達に招待されたホテルの寄宿舎
近くのスナックのアフリカ式年越しパ-ティのさわぎが一番のハイライト
であった。ホテルから車で15分のところにある掘っ立て小屋風のスナック。
 街頭があるわけが無い真っ暗な中にあった。自分がドキュメンタリ-の
主役になったような別世界であった。20~30人が、そこで潰した
羊の肉で酒を飲んでいた。色っぽい現地のママがいた。その部分はどこの
世界も同じだ。外にも椅子が置いてありバーベキューをしていた。
4~5匹のハイエナが焼肉の臭いで近くでウロウロしてのが唸り声でわかった。
子供たちはハイエナに襲われないようにバケツを叩きながら遊んでいた。
そして全員で年越しのカウントダウンを数えて、その瞬間歓声をあげた。
 少し離れた寄宿舎からも歓声が聞こえてきた。少しすると、我々に
引き上げようという。これからは危険だという。喧嘩や暴行がおきる
可能性があるからだ。 そそくさと、面白くなりかけたところで帰ってきた。
日本人では、特別に招待された5人であった。これで4年連続のアフリカ
だが、いつも担えきれない何かを持って帰ってくる。そして1回ごとの
旅行のたびに、意識が拡大していく事が実感できる。
心の奥深く潜む神秘の領域までとどく体験でもある。神話の英雄が日常の
世界より、超自然的で不思議なものが住む世界に入り決定的な経験、
そして勝利を納める、まさにそれに近い世界を体験する。
ますますアフリカ病が重くなった。-1997年12月28日~1月4日
 ・・・・・・・・・ 
2003年01月03日(金)
630, クロスエンカウンター

仏教学者の紀野一義の講演会で
「ー縁ーの英訳で迷った訳者がキリストの十字架との出会いと人との
出会いを兼ねてクロスエンカウンターと訳した」という言葉が印象的。
先日読んだ野口悠起雄の本に
 大蔵省にいた時に先輩に「急に出先で講演を依頼された時などの
緊急の話題をつくらなければならなくなった時に、縦軸と横軸の
キーワードを探して話をまとめるとよい」という内容があった。
 一つの例として学校でのケースで考えてみると
先生を縦軸、生徒を横軸にすると面白い内容になる。即興で作ってみると
「生徒を縦軸、先生を横軸に考えてみると生徒と先生のそれぞれの立場
が明確になる。生徒の一生を縦軸とすると、先生やクラスは大きい
メルクマールであり、知識や性格形成にとっても大きい影響を与える。
逆に先生の立場を縦軸とすると、教師生活での担任は先生にとっても
メルクマールになる。その時々のクロスこそ教師にとっても生徒に
とっても真剣勝負でなくてはならない・・・」このことは時間が縦軸、
空間が横軸といえる。 商店主の会なら、店主とお客の関係を縦横に
して話の構成をすればよい。 取引先と店も縦横にできる。

 これをもう一歩進めて「考える中心軸」にすればよい。
  対象を縦か横にすえて自分との対比とか、
   対立する対象を縦横にして考える軸にすればよい。
   一生はクロスエンカウンターの繰り返しである。
    そしてその中心は自分だったり神様だったりする。
・・・・・・・・
2002年01月03日(木) 289,歓喜

歓喜ー>理智ー>意志ー>気ー>肉体」
私にある知人が転勤で引っ越していく時の挨拶の文書に書いて
あった文章の一文である。「生きてきて人生これだと思う」という内容。
 その時私がこの文章を解釈するために考えた「たとえ話」がある。
実を言うと私は「たとえ話」を自分の思考法に昔から使っている。
喩えの名人になってしまった?いや迷人か。
この時の喩えは、巨人の9連覇の選手である。
彼らの多くが監督、コーチになっている。
もちろんそれだけの才能があったからだが、多くの試合と優勝積み
重ねの中で、上記の内容を全身全霊に体験したからである。
勝ち癖ををつけろということは、こういうことである。
どんな奇麗事をいっても所詮「歓喜ー>理智ー>・・・」の経験に
かなわないのは、それは理智に留まっているからである。
 秘境ツアーにいそいそいくのは、自然・歴史の中の対象に感動し
歓喜するからである。  薬物とか、酒でそれを求めると「歓喜
のそれだけになってしまうから、不自然のカタチになってしまうからだ。
・・・・・・・・・・
ある時間の断片
1月3日  1969年
 10時に実家の店に手伝いに行く。17時まで働く。
あまり街には人出はない。家に帰って食事をする。22時から読書。
そういえば店にいたら中学校の同級生の山本に会う。
中学校以来だが、殆ど変わっていない。実直な大人しい男だ。
長崎屋に勤めているとか。同級の阿部さんと遠藤が結婚したという。
思いもよらない組み合わせで驚いてしまった。そういえば数年前に
同級会の2次会で二人が中座をした事を思い出した。それと姉の
正子さんに長靴を買ってもらう。 お返しに、持ってきたカーネギー
「人を動かす」を贈る。