つれづれに

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 今年も、あと二週間で終わる。 今年は、やはり ISの無差別テロが
世界中でおきて、戦争の様相をおびてきた。 今のところ、株価の大暴落は
なかったが、中国で、危ないところがあった。 それと、中国の爆買いが
目に付いた。 これは歴史に残る中国バブルの一現象。

 

・・・・・・
2810, 禁断の市場
2008年12月14日(日)

「禁断の市場 ーフラクタルでみるリスクとリターン」 
               ベノワ・B・マンデルブロ (著)
この本の「内容紹介」と『禁断の金融10ヵ条」が、簡潔に纏めてある概要である。
それぞれのページは、あまりに難しいので、この部分をジックリと理解することで
良しとした。 これもフラクタル理論の応用?
ー内容紹介ー
フラクタル」という言葉、あるいは本書の著者である「マンデルブロ」については、
どこかで聞き覚えがあると思います。フラクタルとは、全体を一定の割合で縮小すると
部分が再現できることを指します(部分と全体の自己相似)。1970年代にマンデルブロ
により命名され体系化された概念です(本書167頁)。自然現象との幅広い関わりが研究され、
統計物理学、宇宙論、気象学、水文学、地形学、解剖学、分類学、神経学、言語学
情報技術、コンピュータグラフィックスなどの分野にさまざまな影響を及ぼしています。 
インターネットで「フラクタル」あるいは「マンデルブロ集合」を検索していただければ、
どこかで見たような図を多数見ることができます。雲や山脈などの風景を描いた、
「写真」のような図もありますが、コンピュータが計算して描いたグラフィックスです
(本書196、324頁)。
マンデルブロ以前には、自然の世界において「雲は丸くないし、山は円錐ではないし、
海岸線は滑らかではない」ことを数学的に説明することは不可能でした。それを
明らかにしたのが、1982年に刊行された『フラクタル幾何学』(翻訳は1985年)です。
その功績は「私たちが自然を見る目を変えてくれた」と称えられ、1993年には物理学の
世界で権威あるウォルフ賞を受賞している。また2003年には日本国際賞を受賞しています。 
本書は、その考え方を金融市場に応用したものです。マンデルブロにとっては、1960年代
から続けてきた研究ですが、一般書の形で発表されるのは本書が初めてです。
マンデルブロの研究は、所得の分布と綿花価格の変位の分布、乱流状態にある流体
エネルギー散逸量の変動と金融市場におけるボラティリティの変動の類似性など、
グラフを見比べて「似ている」と感じた直感に基づいて研究が発展したそうです。
本書では、「自然現象のフラクタルと経済現象のフラクタル」は同一のものであり、
このフラクタル幾何学を金融市場に適用することによって「ランダムウォーク理論
からは予想できないバブルの発生と崩壊」が理解できるようになるという
マンデルブロの考え方が示されています。金融工学の基礎となっているのは、
コインを投げて、表が出たら相場が上がり、裏が出たら下がるという最も単純な
「マイルド型」のランダムさの変動をモデル化した概念です。実際の市場は
理不尽な動きをする「ワイルド型」のランダムさに基づいて動いている。
市場の動きを説明しモデル化できるのは「洪水」や「大気の乱流(タービュランス)」
などを説明できる「マルチフラクタル・モデル」であるとマンデルブロは主張します。 
2008年1月のダボス会議でライス国務長官は、サブプライムに揺れる世界経済について
「われわれは今、タービュランス(乱気流)のなかにいる」と発言し、話題になりました。
 ーーー
  それにしては、内容が難しい。そこで、一番の要点の12章の
「禁断の金融10ヶ条」から、「サブプラム・ローン入りの債権」で大損をした
無数の人を対象に、これを当てはめると、この意味が解るから面白いものである。
私も証券会社の人を近づけていたら、毒入り債権を買っていた可能性があるからだ。
「だろう」と、結果としての「~になった」は、違うのである。
 *禁断の金融10ヶ条     
? 市場価格とは乱高下するものである。 
?市場とは、きわめてリスクの高いものである
 ー既存の金融理論ではけっして起こるはずのないリスクが現実に起こる
?市場のタイミングはきわめて重要である。 巨額の利益と損失は短期間に
集中して起こる?価格はしばし不連続にジャンプする。そして、それがリスク
を高くする。?市場での時間は、人によって進み方が違う
?いつでもどこでも市場は同じように振る舞う
?市場は本来不確実であり、バブルは避けることがでぎない
?市場は人をだます
?脳の予想は無理と思え。しかし、ボラティリティなら予測可能だ(*価格変動率)
?市場における価値は限定された価値である
 ---
何か大損をしたと想定して、これを読むと、一言一言が実感として解る。
間違っても、証券会社の言いなりになってはならないということである。

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2007年12月14日(金)
2445, ルサンチマン
            (Оゝ∀・О)。+゜+。ォハョォ☆
初め、ルサンチンマンという言葉をニーチェを読んで知った時に、
その鋭い指摘に驚かされてしまった。弱者の怨念を宗教の巧妙な手口で利用
したのがキリスト教の基本か?と。昨年の9月の読書日記に一部書いたが、
更に掘り下げて考えてみる。

 *まずルサンチンマンを ーGoo辞書ーで調べてみた。
{ もともと恨みや憎しみが心の中にこもって鬱屈した状態をいう言葉だが,
ニーチェはこれを弱い者への思いやりや自己犠牲を説く平等主義的な道徳の
起源を説明するために用いた。彼によればキリスト教道徳や,そこから
生まれた近代市民社会ヒューマニズムや人権の思想は,弱者の強者に
対する恨みや復讐心を道徳として表した奴隷の道徳なのである。 
この延長上にある社会主義の思想も,このような奴隷道徳の一部に他なら
ないと考えられる。ニーチェはこれに対して強者の道徳,貴族的な誇りや
勇気を讃える戦士の道徳,君主の道徳を対置した(ニーチェ道徳の系譜』)。 
これは結局ファシズムによって利用される結果にもなった。}
 ーー 
あるブログの中では、
ニーチェは、人が「善悪」という言い方をする真の原因は現実世界の
力関係にあると言う。強大な民族が平和に暮らしていた弱小民族を襲い、征服
したとしよう。勝者は敗者の財宝や婦女を奪い去っていく。残された人々は、
相手に害も及ぼしていない自分たちを襲い、悲惨な目に会わせた相手を悪の
権化として呪うだろう。 それに比べ、罪なき自分たちは善である。
「善悪」はこうして、カでは相手にかなわない弱者がせめて「道徳的」には優位
に立って、相手を見下そうとする心理、「妬み(ルサンチマン)」から発生する。
同じことは「正義」「節制」「勤勉」「清貧」などあらゆる道徳的価値に言える。
肉食獣に襲われた草食獣が円陣を組んで抵抗するように、弱者が強者から身を
守ろうとする「蓄群本能」から生まれたのが、ローマ帝国の奴隷にまず普及
した「奴隷道徳」としてのキリスト教である。}とあった。
  ーーーーーーー
 以上を、更に噛み砕くと・・・
たとえば、善を高貴で富んだ者とすると、 悪は、その反対の、野卑で
貧困で弱い人になる。 しかし一方で、この価値判断に対立する考えがある。
「貧困で弱い者は善である」という考え方である。これをルサンチンマン=
怨念と考えた。 カントは、キリスト教の教義「神は貧しき者の味方なり」
「貧しき者は幸いなり」など、キリストの名を借りて、貧しいものが善で、
富める者は悪であるという概念をつくり上げた功罪を厳しく批判した。
弱者を正義に祭り上げようとした宗教は、もう必要はないと「神は死んだ」
と主張。 まだまだキリスト教の教義にガンジガラメの当時の社会を変革
しようとした。キリスト教も、ユダヤ教が対象としなかった女や病人などの
弱者の立場を擁護する教え。そこにニーチェは、弱者善人、強者悪人という
怨念の縛りを感じとったのである。大部分の弱者である一般の人にとって、
宗教は必要になる。 しかし、他の国や民族から、自国や民族を守るには
強者の支配も必要なこと。 その結果として、左手に聖書(正義)、
右手に剣が必要になる。       ヽ(゚∀゚)ノ バイバイ!
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2006年12月14日(木)
2081, あたりまえのことばかり -20
                     才八∋ウ_〆(∀`●)       
 ここでは哲学という視点で、心の問題を取り上げているが、感情について、
なかなか切れ味は鋭い。「激しい感情が、向こうからの訪れる」とは、なるほど!
である。 向こう側とは何処なのか? 学生時代に[情念の話術]という本を
読んで、実際に自分で試したことがあった。喜怒哀楽を前面に出して、自分を
押し出して、話しをする。車でいうと、感情というエンジンを前輪駆動にする。
これをやりだすと、それまでと全く違った自分を見出せる。
抑えている感情を逆に、エンジン代わりに言葉にのせて自分を奮い立たせる。
これは性格改造にもなるが半面、非常に危険である。一つ間違うと、周囲を
深く傷つけてしまう。これはヒットラーが大衆を煽動する手段として演説などに
使った。よほど計算を緻密にしておかないと、自分が見えなくなる。
しかし自分の感情を常に支配下に置くに、よい訓練になった。感情を道具に
するのだから。傷つくということは、感情に支配さえていることだから! 
ー傷を癒すには傷とは何か、傷つく感情とは何かを、考えてみなければなるまい。
虚構の自我に捕らわれている自分に気づいていない無知が、勝手に傷ついて
いるだけ。  要点を抜粋してみる。
ーーーーーーーーーーー
どうすれば癒されるのか -?
ーーーーーーーーーーー

私が私であり、私の心が私の身体の中に存在するという錯誤の世界像を思い
込んでいる人だけが、各種のグッズやセラピーによって「癒される」。
癒されたと思い込むことができる。「本当」の傷を負った人々は、そのような
単純な主客二元の処方箋では治療できず、「本当か」の問いに直面するのでは
なかろうか。すなわち、傷ついている人は誰なのか。
「私の」意志を越えて立ち上がるこの感情の激しさとは何か。
「私の」運命はなぜこのようでなければならないか。私は私である、
すなわち私は自我であるとは明らかに虚構であり、しかも近代特有の虚構。
それなら、病理として現れるその崩壊現象こそ、ある意味では、
近代以前の本来的のありようを示しているといえるかもしれない。

古代の人々にとって、感情の自律性とは、それ自体で神々の訪れだったよう。
怒りの神が、嫉妬の神が、憎しみの神が、到来する、私の心に、このとき私の
心が私の所有であるとは意味を成さないだろう。感情それ自身が神々である。
あるいは魂が複数の人格から成るという世界観は、現代のわれわれの心的生活を、
少なからず解放する。ある強い感情に圧倒される時、これは「私の」感情では
ない。向こうからの訪れなのだと捉えることは、自己観察の距離を生む。
逆に、見慣れない感情、厄介な感情をもむかい入れ、親しむ余裕すら生じる
かもしれない。否定的な感情というのは厄介なものである。主客が分かれた
世界においては、黒々とそこにあるそれは、目を逸らすにも抑圧するにも明瞭
にすぎ、人は主観のうちに担い切れず、客観の側に犯人探しをして、
その責めを負わせることになる。現代社会の構造が、人の感情を否定的にして
いると思われがちだが、話は逆で、否定的感情の処理の仕方を知らない現代人が、
それを社会のせいにしている場合がおおいだろう。 主観と客観の狭間で、
処理することができずに膨張する一方の否定的感情に追い詰められて、自爆
寸前の現代人にとって「魂」という第三の存在の視点として所有することは、
それ自体で対立に風穴を開けることになる。それはあくまでも視点でしかない。

主観と客観の対立が虚構であるように、魂もまたひとつの虚構である。
しかし、それ自体が謎であるところの世界と存在の謎を見抜こうとする眼差し
にとって、一切が虚構として見抜かれるとして何の不都合があるのだろうか。
  虚構は虚構として自覚されることによって、視点として有効になる。
    
 ーーー
この本も、この辺で終わりにする。池田晶子の本を、さらに4冊も読んだ。
1、「14歳からの哲学」 2、「知ることより考えること」 
3、「人生のほんとう」  4、「41歳からの哲学」で、良かった順である。
それだけ、わかりやすく鋭い切り口で、気楽に哲学の世界に引き込んでくれる。
年内は、池田晶子ワールドにドップリ浸かるのもよいだろう!
            おわり  (*⌒ヮ⌒*)ゞ  バイ!
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2005年12月14日(水)
1716, 絵文字が面白い!ー2
  ー喜怒哀楽の絵文字

絵文字の世界を一部垣間見たが、不思議な世界である。
象形文字に似ている。文字の原始的かつ、初期的なものといってよい。
それも、デジタル世界の原点の表現ときている。特に、感情面と下ネタ系
が面白いほどリアルに表現できる。もちろん限界があるが。若い世代の人は、
これまでと全く違った携帯電話とパソコンという情報伝達手段を手にした。
そして、今までの文字とは違った記号を使いだした。この記号?の意味と
世界は思っていたより深い。世界は音をたてて変化している。
それにしても絵文字を知れば知るほど面白い!
 以前は、「嬉しい」としか表現できなかった人が、
以下のように、ストレートに自分の気持ちを表現できる。
  ーー
喜 
  (..)(^^)(^。^)(*^o^)(^O^)ウレシーーーー!!! 
  o(^^o) (o^^o) (o^^)o キャアキャア♪ (^Q^)/ ギャハハぎゃはは  
   ~(^◇^)/ぎゃはは **** Ψ( `▽´ )Ψケケケケ♪
  d(-。^)good!!    (=^m^)クスクス
怒 
  (`_') (`´) 凸(`_')   (゛Å゛#)   (▼▼)  )`ε´
  ( °▽°)=◯)`ν°)・;'.、( `´)=0))××)(ノ≧ロ)ノ
  (ノ-_-)ノ ~┻━┻ こんな飯食えるか  ふん !(●`ε´●)    

  (~_~;) (~Q~;)   (--;) (;-_-;) (-。-;) (-o-;) ( ̄ω ̄;)!!
  エルボ!o(”>_<)っ★(#’3’)痛!,Σ( ̄□ ̄;;;)!!   

 \(^o^)/  1∩11∩   (^_^) ノ111 ¥(^_^)¥   \=^o^=\
 (^o^)J
 / \   o(^-^)o o(^o^)o    o(^^)o (^o^)v(=∩_∩=)v   
驚き 
 \(◎o◎)/! w(0o0)w オオー!   キャーq(|`驚´;;*)  
 Σ(゚Д゚ノ)ノ おおぉぉぉぉ~  【゚Д゚】ハァ?!  ( ゚Д゚)y \_ ポロッ  
 Σ(O_O;)Shock!!  Σq|゚Д゚|p ワオォ ёё≡ Σ(ω|||) エェェェッ!   
 ウソ━━Σ(-`Д´-;)━━ン!!

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2004年12月14日(火)
1351, 全日本相撲選手権

この時期の日曜日、全日本選手権が行なわれている。全日本学生選手権か、
この選手権で優勝すると、多くが卒業をすると大相撲にいく。毎年、そのためか
多くのドラマがある。今年の見どころは既に学生選手権で優勝して大相撲の幕下
から角界に入る事になっている学生横綱と、スケールでは一回り大きい高校横綱
の優勝争いであった。 トーナメント戦と準準決勝で争い、高校横綱が連勝した。
これで高校横綱角界に入ると思われる。今年は、思わない伏兵が優勝をした。
過去ほとんど予選で敗退してきた29歳の小手投げでしか勝てない選手が、すべて
小手投げで勝って優勝をした。小手投げを相手も用心をするのだが、
それで勝つのだから面白い。小手投げは、捨て身の起死回生の技である。
それが得意技というのも、珍しい。今まで見てきた、この選手権では
一番面白い内容であった。この選手権の面白みは、一発勝負である。
去年も書いた内容をコピーしておきます。 毎日、面白いことがつづく。

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2003年12月14日(日)
984, 電波時計

 電波時計を買って2年近く経つが、昨日のチラシに電波時計のフェアが
載っていた。安いもので1980円のものもあった。 昨年買って使ってみた
感想を書いてみる。 今までは1~2分位の誤差があったが、電波時計は自動的
に時間の修正をする為に、時間合わせが無くなってしまった。時間に対する
信頼感というものは意外と気持ちが落ち着く。JRの時計は結構間違えている
ことがある。もし信頼感がなければ、自分の時計が間違っているのではと思うが、
今では自分の時計の方が正確と確信がもてるようになった。この絶対信頼感が
意外な盲点であったようだ。これにソーラー機能の付いたものや、薄型デジタル
などがチラシ広告に載っていた。15歳の時、父親に時計を買ってもらった。 
当時クラスで誰も持っていなかった。 隠すように腕にはめていた。
気持ちの中では凄く豊かな気持ちになったことを思い出した。
今や時計も、100円ショップで買える時代である。

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2002年12月14日(土)
610,ある時間の断片-24
  10月24日 木曜日

6時半起床。 7時半に三浦さんが上京の為に、車で駅までおくる。
ホステラーが帰った後、一人で過ごす。16時半に寮の高橋君と佐々木弟
を迎えに行く。寮の難波嬢もくる。そういえば彼女と一年前に2時間位
散歩をしたのを思い出す。ただそれだけだが。あいも変わらずキャキャ
やっている。去年ここでホステラーをしていた時に、夜の話の中で4人の
うち私だけが外国に行く予定がないのに疑問をもった。そして、その夜の
うちに旅行を決定した。 両親を口説いた。まず母を篭絡して、母と父の
篭絡の相談をした。母が「私が反対すると、あの人は賛成に回るから」
と言ってくれた。そしてその通りになり、その後その計画に父は気づいたが、
うれしそうな顔をしていた。19時の列車で寮に向かう。22時前に部屋に着く。
ボクシングで原田弟がノックアウトで勝ったところだ。その後駒村と米田と
語り、零時まで明日のゼミの予習をして就寝。追文ー軽井沢はスランプの
ためによかったが、気を取り戻して卒論をやらなくては。

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2001年12月14日(金)
269,再開発の愚

過去に書いた再開発の愚の文をコピーしておくが、懲りずまたもや
新潟駅前で始まった。それと万代橋の近くの再開発もである。 
理屈はわかるが、民間がやるべき事だ。どうしても権力を持つと自己
証明をつくりたくなる。そしてやり逃げをやる。逃げるところがあの世
だから、更に始末が悪い。再開発だけには関係するな!これが鉄則である。
 (字数の関係でカット08年12月14日)

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1968年
12月14日 土曜日  
 12時に、同級生の雨宮のフォーソングのライブを聞きに行く。
以前、長岡の自宅の遊びがてら泊まりにきたことがある友人だ。
ーその見返りに茅ヶ崎の旅館に泊まりに行った。知り合いでは彼と角田
などいる。想像をしていたより、ズット上手いのと生き生きしていた。
それと堂々といていたのも新しい発見である。しかし途中で飽きてしまった。
わざわざ池袋まで行ったのにと思ったが中座をして帰ってきた。
悪いことをした。 18時から寮の忘年会である。
全員が楽しそうであったが気持ちの奥で、何か白けている自分がいた。
何げなくその会場から出る。 先輩の文夫さんの言っていることは何だ!
先輩だろう、情けない!自分で考えることのできない人間だ。 何も
考えないできたのだろう、気の毒の一言である。 同僚のいや同寮の
水野君と新宿のクレージキャッツに行き、踊り狂う。汗ビッショリである。
しかし気分がすっきりとした。0時半に帰寮。毎日何をしているのだろうか。