つれづれに

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 今年も、一月あまりになった。
この年齢になると、何かあったことより、何も無かったことが
幸運に思える年齢ということ! 日々、是、好日である。
 
 


・・・・・・
2066, あたりまえなことばかり -17
2006年11月29日(水)
              (~Q~;) おはよう~~
                ファ~
そろそろ、死に支度モードに入らなくては、と思っていたが。
チョッと待てよ!死なないのだから、そんな準備などする必要はない。
が、しかし歳相応にギアを変える必要はある。
還暦を過ぎたのだから・・・
 
    両親の死に際に、二人とも同居していた。
    そして「老いる」姿と、肉体的終末を看取って、
    決して歳をとるのも悪くはないと実感した経験がある。
    
    さらに老いた色いろな人と人生を多く語り合った。
    だからこそ、老いることはまんざらでもないことを知っている。
    一つだけ「死は存在しない」ことを、彼らが知らなかったのを除けば。
    「死は観念でしかない」ことが、解るはずはないのは当然である。

 母親が、痴呆になっても学ぼうとする姿勢が見えた。
 これである、魂は永遠の学びをしていく。
 ただし、それなりの人生を活きてこそ、だが・・

ーーーーーーーーーー
老いは個人の生を超え
ーーーーーーーーーー

人は、老いるという存在の現象を、なかなか素直に認めることができない。
それを否定的に感じてしまうのは、若さという経験を先にしてしまうからだ。
やがて人は、例外なく順番に40,50歳と年齢を重ね、老いるという
現実を肉体の事実として知ることになる。
老いることは死と違って逃れようもない現実である。

    生きられてしまった事柄とは、端的にかこである。
    それは動かせない事実である。
    過去は動かせないと知るということは、自分の人生がそのようであったと、
    それ以外ではあり得なかった、このとき、人は人生の一回性の秘密に
    触れているのだが、多くの場合それは、それぞれの感情や感傷によって
    覆い隠されてしまう。記憶に苦痛の伴わない人は幸福である。
    過去は動かせない、しかし動かせる未来もない。
    なぜ自分の人生はこのようでしかあり得なかったという、存在への問いが、
    溜息に等しいような老いの時間は哀しい。

生きるということを、物理的肉体の生存と定義するなら、
老いていく過程として生きていくのは、肉体を失っていく過程である。
しかし、我われの直感は、決してそんなふうに感じてない。
老いていくことによって、得ているものはたしかにある。
何かが確実に増えていくと感じるもの、それは何か。
精神というより、むしろ魂である。成熟するのは魂である。
魂は成熟する。

   「ソウル・メイキング」と呼ばれるもの。
    現代風の言い回しも、ソクラテスふうには「魂の世話」となる。
    経験と時間を織り込みながら、魂であるところの人生を織り上げていくと、
    いった意味合いらしい。
    縦糸に時間を、横糸に経験を、織り込みことで織り込まれつつ、
    魂が自身を織り上げていく行程は、刻々老いてゆく肉体の老いとは
    反比例して豊かである。
    いや、肉体の老いとは、それ自体が新たな経験の他ならないのだから。
    それすらも、織り込みつつ色はその深さを増すのではなかろうか。

人生とは、生死の間に存在する時間である。
なるほど論理的には、人生には生と死、すなわち一とゼロしか存在しない。
したがって、時間もまた存在しない。
しかし、現実には、人生は一とゼロの間に存在するもの、すなわち無限である。
有と無の間で生成する質である。質は論理でない。
論理が指示する、論理自身の影である。

    論理的には存在しない死を、しかし現実には存在するとして生きているという、
    このこと自体が人生の不思議である。その存在しない死が近づいてくる老いの
    時間とは、いよいよ玄妙なものになっていくはずである。
    かって老いたことのないわれわれにとって、それは未だ知らない質である。
    老いるという未知の経験、未知の質を、味あうことなく拒むのは、
    死ぬのを待たずに既に生きることを拒んでいるようなものである。
    
 ーー               
  死か~
  まあ、麻薬をタップリ楽しんで、
  消えていくのも悪くないが・・・
  やはり、朝いつの間にか死んでいるほうがよい!
          
    魂の成熟か~
    無限の宇宙に浮かぶ未知の質か~
    人生は!
    
    おい、おい
  
                   (+>∀<+)ノ  バイバイ
    
 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 
 2005年11月29日(火)
1701, ほめ芸王 ー2


以前、一度借りてきた「ほめ芸王」を、再び借りてきた。
 前に読んで、チャンスがあったら可能な限り褒めるように勤めようと
  思っていたが、これが難しい。
   家内を対象に褒めるように勤めているが、馬鹿馬鹿しい。
    というわけで、いま一度借りてきてジックリ読んでみた。
                          funn~(。_。)q

以前借りてきた時に印象的だったのは、
 ・褒めるのは芸・技であるから、自分流のノウハウを確立すべし、
  ・褒めれば、神の心になれるだった。
     褒められれば、舞い上がってしまうのに、 ♪~(=^ε^= )
      人に対しては気楽に褒めようとはしない。
      ー 必然性が無かったからだろうが。    
    ∥┓  ((  
   (_)  匚P 
    ━┻     ♪~♪~

だいたい酒席で、酒を注ぐときは自分が注いで欲しい時だ。
 自分が褒めて欲しい時に、人を褒める。
  お犬様の散歩の時の女性の、犬自慢がそうだと聞いたことがある。
   自分の犬を褒めて欲しいと、相手の犬を褒めるという。
    相手もそのことを周知していて、
     すかさず相手の犬を褒めるのが社交マナーとか。
ヽ(・ω・ゞヵゎィィ゚+
anata nohoga
.ヽ(*・ω・)ノ゚+. 超ヵヮィィ♪

人間は自分のことが「傍から如何みられているか」気になる動物だ。
 つねに自分に対しての評価は甘い。
  誰も評価してくれないなら、自分で数段上に評価するしかない。
   したがって微妙な2ランク位上に評価してやれば、本人も納得する。


カラオケは、褒めて欲しいから一生懸命練習し、そして熱唱する。
 子供の頃、小中学校時代に先生の褒められたことなど、
  現在も鮮明に憶えている。
   それだけ褒められることは記憶に残る。 !(∀`)iうほ♪
   
     
私のように殆ど褒めないと、たまに褒めると効果絶大という利点もあるが。
 軽々しく褒めちぎるのも納得しないが、
 『美点凝視』の心がけは絶対必要条件のはずだ・・・
  
   (◎゚ω゚)ノ^ジャ、マタ!!
  
  ・・・・・・・
  ・・・・・・・

2003/04/04
「ほめ芸王」-1
           ー読書日記

ー褒め上手は芸のうち
  営業を何年もやっているうちに身につける芸である。
   口先だけの営業手段として、ただで一番効果のある手段だ。
    十年以上営業になれば、
     営業術から営業芸にランクアップしてしまっている。
キーマンに会ったときの枕詞として、
 「さて今日は何の褒めネタでいくか?」と考える。
   それが営業の第一歩であり、まずは切り口となる。
    今日の芸はどの程度であったかを日記に克明につけたら
     プロであろうが。
「どっこいしょ」と持ちあげて、 
  次に相手を落とすのだ。
   「どっこいしょ日記」に、
     おだて上げと落としの日記を克明に書けば
      いかに人間は幼いものと解ってくるだろう。

   人間は誰も褒めて欲しいのだ!

ー「ほめ芸王」の内容の一部を抜粋する

・わたしはほめない、ほめちぎるのだ。
  ほめるのでは足りない、
   ほめちぎらなと、ほめたうちにならない。
  
・「ほめ下手の人は、ほめているものの、相手を見下げている。
     ほめるということは、見上げる事である」
     -これは言いえて妙である。
      「このことに関しては全然あなたの方が上ですね」
        という言い方にすれば、相手も受け入れる。

・「ほめることは簡単だ。しかしほめ続けることはむずかしい」という。
 
 ・「感嘆」に勝るほめ言葉はない。
  
  ・ほめるとは相手を語ることではない、自分を語ることである。
    自分のほめ方は自分にしかできない。
   
    ・相手をほめることで、自分自身の存在を確認する事ができるのだ。
      神様の心にならなくては、ほめることができない。
       ほめることで神様の心になれるのだ。
        怒った顔で、ほめる人はいない。
 ほめる時、人は誰でも、神様になれるのだ。
  ほめるとは、感動である。
   ほめるとは、感謝である。
    ほめるとは、感激である。
     ほめることで、二人の人が幸せになる。
 一人は相手。そしてもう一人は、あなた自身なのだ。

感想ー
 どうもほめる事は難しい。自信がないのだろか。
  やはり営業でそうせざるを得ない立場の人は身についている。
   私がほめると効果てき面だが、軽々しくほめたくはない。
    まずは顔色からほめるのもよいが。
     家内を実験台に少し始めてみるか!
      少なくとも貶すのはやめよう!

「ほめ芸王」
中谷彰宏
パルコ出版
1500円ー税別
2001年06・20
長岡中央出版
2003年03・30日
☆☆

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2004年11月29日(月)
1336, 2000年前のポンペイー5

一昨日のNHKスペシャルで「ポンペイ」を特集していた。
落書きを切り口に番組みを構成していたのが、新鮮であった。
たまたまポンペイについて書いていたので、
その偶然の一致が奇妙な気分である。
2000年前の生々しい人間の心が、落書きの中に出ていた。
-
話は少し逸れるが、
エジプトのルクソール神殿の遺跡の壁にあったレリーフに,
兵隊の絵があった。
同じ絵が多く描かれていたが、現地の日本人の女ガイドの説明が面白い。
その兵隊うちの一人だけが、ところどころ逆向きに向いているのだ。
当時の多くの職人の一人が、命をかけて?わざっと逆向きに彫ったという。
いつの時代でも、そのような遊びがあった。
それよりも、数千年の時空を超えた男の生身の人間的なジョークを伝えているのがよい。


ーその番組みで紹介していためポンペイのメモには

・〔私と貴方が一緒に踊ったことを憶えていて、訪ねてきてくれてラブレターを
  置いていってくれた〕返事が壁に書かれていた。
・隣近所のお知らせー人々は回覧板かわりに壁を使ってコミュニケーションをしていた。
・現在の通りの商店看板と殆ど同じものが、当時のポンペイの街にもあった。
ポンペイの街には400軒の店があった。
 24時間営業の居酒屋があった。
 その居酒屋の奥の部屋でゲームと会話をしている絵が残されていた。
・食料品店の壁には、掛け売りのメモが書きこまれていた。
 家計簿的なメモもあった。
果物屋には桃が売られていたメモがあった。
  等々である。
メモから、当時の変化がうかがい知ることが出来るという。
当時のローマ帝国の政策の大きなものとして、
パンと、サーカス(街には必ず円形劇場がつくられていた)
を庶民に与えることであった。

AD・54に17歳で皇帝になったネロが、その政策を更にエスカレートさせていった。
そのためか、贅沢の限りをつくす考えが一般にまで浸透を始めていた。


その頃のメモに〔今を楽しめ〕というのがあった。
それがエスカレートしたのかタブーのメモもあった。
・下品の言葉を慎むように
・他人の妻には手を出さないこと
・食事をしていて、着物を汚さないように
 宴会場の壁には、酔っ払いの落書きに
〔とことん飲むぞ!〕というものもあった。


富める者と貧しいものとの格差が鮮明になり始めてきていた。
そして、貧しい者の荒んだ心がそのまま落書きになっていた。
「あの男に災いあれ!」


当時の円形闘技場の落書きの中に「闘技場の外で多くの人同士が剣を
もって争う姿」があった。試合を見ていた同士が喧嘩になって殺しあう
事件が起こったのだ。


普段の生活が、火山で時がそのまま密封され生々しい世界が
奇跡的に今に多くを語りかけている。
  
  -このポンペイのシリーズはまだまだ続くー
  
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2003年11月29日(土)
969, 幽霊店舗

 昨日、初めて聞いた言葉である。
それが「幽霊店舗」である。
一瞬何のことか解らなかったが、次の瞬間に直ぐに理解した。


 「経営者が夜逃げか破産をした店で、店舗のオーナーか銀行が、
既存の従業員にそのまま営業をさせて、間接管理をしている店」でないかと。
次の店が決まるまでの店舗の劣化を防ぐ為である。
実際のところ聞いてないので真偽は解らないが、間違いがないだろう。


 興味があったので、その幽霊店舗に行ってみたら、何事もないように
営業をしていた。たまたま知人が以前に勤めていた店であった。
「幽霊店舗」という言葉とその実体をみて、今の時代の典型的な事例に思えた。


 この店の直前に見た店は、数ヶ月前に夜逃げをした店であった。
30年近く前から郊外のポイントの立地に店を出して、評判の良い店だったという。
三店目が失敗、全国チェーン店の攻勢の追い討ちで倒産のパターンである。

 
 この二ヶ月間、真っ白な目で郊外型飲食店をみてまわって不思議であった。
車社会のなか不景気でも、信じられないほどの店舗が存在していることだった。
それが更にドンドン開店をしている、それも若い立地に。
どこかに必ず歪があるはずだと思っていた。
日進月歩、常に変り続けていける店以外は、淘汰されて当然である。


ところで、幽霊店舗があれば幽霊会社もあるのは当然である。
幽霊会社」とは、どういう会社をいえばよいのであろうか。
 銀行管理会社?
 債務超過の会社?
 実質社長業放棄の社長の会社?
   ドキッ!
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[242] ゼネコンー2
- 2001年11月29日(木)

同じ見積もりでも、3~4割の値段が違ってくる。
平気で目の前で2000万・3000万、いや数億の値引きをする。
普通の感覚の世界とはかなり違った世界である。
今の不況の原因をつくったのは、ゼネコンの存在が大きいといってよい。

日本的特質がそのまま現代的に残っている。
この30年近くはゼネコンの付合いを欠かせたことがなかった。
社会勉強をその世界を知る事で,たっぷりさせてもらった。

悲劇、喜劇の渦巻く世界でもある。
しかし男の世界でもある。新しい創造に携わるからだ。
よしやるか!という決断から、彼等との付合いが始まる。

彼らのシステムに現場主任(現場代人)と言う責任者が、
殆どの権限を与えられる。その能力次第で完成のレベルが違ってくる。

システムを含め、やはり大手の会社はしっかりしている。
何年か経つとそれがわかってくる。またフォローの体制が大手ほどいい。

大手と準大手では総て含め、建築費に5~7パーセントの差があっても、
それだけの出来上がりの差がある。

その業界が現在大きい危機に瀕している。供給過剰なのである。
それは20年前から言われていた。しかし減ったというより、むしろ
その数は増えている。

ある売り上げの量が、役所のその格づけの大きい判断材料にされる。
その為原価割れでも、請け負う事がある。その反面その役所から
談合で元を取るのだ。

今でも公然である。そのつけは国民にきているのだが、誰も知って
知らぬふりだ。この体質の結果が今の危機になっている。

工事には「箱物」といはれるビルと土木がある。
それと民間と公共にわけられている。公共は今はどうか?解からないが、
100?談合?である。
民間の工事もかなりの確率で談合と云われている。

設計事務所も設備とか建材とかで、メーカー指定をしてそこからはねる?
こちらもそれを解かっているから、見積もりを出す時指定外でもよいと
いって渡す。そういう関係・因縁がびっちり詰まっている世界である。

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ある時間の断片
 
 11月29日 
    ー1968年  

10時前に起床。
12時に学校に向け出発。
川崎の約束を破ってしまった。
昼飯後、ゼミに出席。一回も口を開かなかった。
どうしても自信がもてなかった。
それか、傷をつきたくない為か。
17時に終了。
帰寮後、食事をする。
21時から一時間、本を読む。
その後佐藤のところで酒を飲む。
一年後輩の間中のブーちゃんと議論伯仲する。
かなりいい加減なことをいっていたようだ。
明方の3時過ぎに就寝。

ー「今日のゼミについて」で考えたことー
 
 ゼミで、個人主義集団主義について、各自の意見を出し合って議論をした。
ホワイトのいう集団主義は「個人」を決して働かせない。
それは個人の創造性と個性と本質を見失う可能性が高い。
グループ活動は個人の水準を引き下げる効果が大である。
大勢順応を強要し、個人を否定し、創造的活動を破滅させる。
一般的にいえば、人間活動を妨げる制約を持っている、という意見がある。
個人主義においても、集団という環境に合わせて目標に向かっていく条件は必ず
あるとしている。

 反面、集団主義は集団であるがゆえに不可能を可能にする側面を持っている。
言葉の捉え方のニュアンスの差があった。
集団で鍛えられたものと、そうでないものとの差は大きいのは事実である。
それは個人の能力の差もあるし、個人の分析能力や統合能力によるだろう。
私も人間関係主義?によって流されて、自分の本質を見失っていた部分が大だ。
しかし今やその段階はすぎたようだ?

 利己主義ー>集団主義ー>個人主義とである。
個人主義とは、帰属を決して集団に置かないことではないか。
個人に帰属を置くことである。自己の中に生きることである。
その時おきる集団との格闘により自己を獲得していくことだ。
そして集団に対しては協調をすることだ。
「友人に対しても、相対する相手」に対してもだ。
それは寂しく、辛いものである。
その葛藤の中でこそ個人は生長するものだ。
人間関係に捉われて自己の創造性や個性を否定することだけは、やってはダメだ。
その葛藤の中に本当の知識が現れてくるのだ。
  
  ーーーーーー
-2003年11月28日記ー
ーこの35年前の日記を読んでー
あくまでも「今の自分」と「過去の自分」の話しだが、
いま読んでいても、真っ当なことを考えていたこと?に驚いている。
いまの自分よりよほど筋が通っている。
ゼミと武澤先生の影響があったためだろうか。
多くの友人と口泡を飛ばして議論を毎晩していたせいだろうか。
それとも一生の分岐点に立っていたためであろうか。

この日記がなければ全ては忘却の彼方である。
「忘却の彼方にいる自分の姿」に驚いている。
現在の方が、体験と知識量が数十倍いや数百倍も多いはずなのに。
決して現在の自分に劣っていない当時の自分がそこにいるのに驚きである。
当時は、経験量に対してのコンプレックスは全くなかった。
それだけの自信を全員持っていた。
裏付けもあったのだ。

その後も挫折を数多く繰り返す中で、自己喪失感の強い体験を何度もした。
全くの無能感、それも痴呆症的な感覚の呆然感である。
その中で、遙か彼方の自分が、これだけの文章を書いていたことに驚いている。
他人からみれば馬鹿みたいかもしれないが。