つれづれに

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 古希、そして70歳は、大きな節目と実感する。
あまり、老いの実感はなかったが、ここで、70歳の峠が
せまってくると、やはり考えてしまう。 70歳など、私に
関係ない他人様のことと、思いきや、自分が、なろうとは!
 成るほど、その時々のことは、誰も初体験になる。

  


・・・・・・
2792.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・1
2008年11月26日(水)

    「ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ 」
                 スティー ブ・モリヤマ (著)
 この本はユダヤ民族に流れる哲学や思想が151の名言として紹介されている。
図書館で借りてきて何気なく読んでみたが、中味の濃い内容が次から次へと出てくる。
ユダヤ流「成功のヒミツ」は、ビジネスの成功者やノーベル賞受賞者は人口比でみても
多いのですが、ユダヤ人の成功哲学には、「金儲方法」の類はまったく見当たらない。
実践の結果として、財力や知性が身につく教えが多い。彼らに一貫しているのは、
「知識」ではなく、「知恵」に対すこだわり。 彼ら成功者たちは、先人や親からの
そうした教えを自分で消化し、実践している。
 ー以下は、この本の説明文と、9つの成功法則である。
  ~~~
この本ではユダヤ流・成功法則を以下の9項目に分け、各項目に関連するユダヤ
成功者たちの名言を付記している。各法則を一つ一つ文字でこと細かに説明するよりも
・この方がより効果的に行間に流れているユダヤ哲学を伝えられるのではユダヤ人は他人
と差別化することを重視しているため、多種多様の解釈がでてくるが・読者の置かれて
いる状況も多種多様である以上、そのほうが具体的事例に当てはめやすいかもしれない。
ユダヤ流・成功法則 1
 自分を大切にするものは、他人も大切にできる。.
ユダヤ流・成功法則 2
 なんでも鵜呑みにするな1人間は鵜ではない。
ユダヤ流・成功法則 3
 口はひとつ、耳はふたつ。
ユダヤ流・成功法則 4
 カネを追うな!お金には追われるようになれ。
ユダヤ流・成功法則 5
 「学ぶ」ことは「知る」こと。「知る」ことは「変わる」こと。
ユダヤ流・成功法則 6
 失敗を恐れるな。やろうともせずに逃してしまうチャンスこそ、恐れるに値する。
ユダヤ流・成功法則 7
 何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。
ユダヤ流・成功法則 8
 無から有を生み出す喜びを知れ!それには「質問力」が大切だ。
ユダヤ流・成功法則 9
 笑ってツキと若さを引き寄せろ!
~~
これらの内容は、著者が過去十余年にわたってヨーロッパで働きながら集めた
世界中のユダヤ人による名言の一部である。収集した約1万の名言の中から厳選
したというだけのことはある。

・・・・・・・・・
2007年11月26日(月) 2427, 自分自身に「なる」こと
        
人生を振り返ると、全てが自分自身に「なる」ためのプロセスのような気がする。
先日、小学校の同期会があったが、それぞれの生き方をしてきたとしても、突き
つめてみれば「自分らしく生きてきたかどうか」である。人生の質でも濃さでもない。
そんなことは生きてきた、生きていることからみれば、些細なことである。
死線を何回か乗り越えてきた人、北アフリカとフランスに十年住んでいた人など、
色いろな人生を背負った、それぞれの人生を垣間みて、「人生で何をしたかより、
その人らしい生き方をしたかどうか」こそ、振り返った時に問題になる。  
残るのは「本人らしさ」だけである。

以下は、『哲学の教科書』・中島義道ー の中の文章である。
 ---
 ここに、最高の自己表現、誰にでも適性があり、かつ人生の最高目標に
据えるにふさわしいことが一つ残されています。それこそ、はじめに触れました
(自分自身になる」というとです。 全ての人は個人なのだから、そのまま何も
しなくとも人生の最高目標をもう達成していると考えるなら、そんな甘いもの
ではない。マザー・テレサは、視線を絶えず苦しんでいる人達に向けながら、
このうえなく「自分自身になる」ことを実現している。
あるいは自分のよい個性を伸ばす事も「自分自身になる」である。
特別世間的には偉くなくとも、その人のそばにいるとホッとするような人や
安心するような人はどこにでもいるものです。

しかし「自分自身になる」ことは、必ずしも世のため人の為になることを含意
してはいません。この言葉には「よいこと・悪いこと」といった枠を越えたもっと
根本的な意味があります。それは、「生きること」そのことを目標にする
「生きること」そのことを問題にすると「死ぬこと」が影のようについてまわる。 
前に紹介した禅の坊さんたちの修行の目標は、例えば白隠
「いつかは生死を離るべき」のように、あるいは道元の、「生をあきらめ
死をあきらめるは仏家一大事の因縁なりのように、「生死の区別」そのものを
幻と自覚するようなところにあるようです。最終的にはこうしたことに収斂する
ことは認めながらも、しかし多くの若い人々は必ずしもつねに,「生」、や「死」
そのものに悩んでいるのではなくー
すでに見たように一就職とか結婚、あるいは自分の肉体とか性格など
目前の具体的なことに悩んでいるのではないでしょうか。

そこで、次にこうした悩みについて考えてみます。私はいかなる(いわゆる)
些細な悩みであれ、本人がそれを悩むかぎりは、彼〔女)にとって悩む理由は
あると思っております。いやむしろ、(いわゆる)些細な悩みであればあるほど、
誰もそれを真剣に取り扱ってくれないゆえに、本人の内部でいつまでもくすぶり
続けるのです。 では、どうしたらよいか。ある欠点に悩む人はその欠点を
消去ないし改善するのではなく、それをー変な言い方ですがー「伸ばす」ことです。 
ーー
著者の事例が良い、「長谷川町子からサザエさんを、美空ひばりから演歌を取った
としても、本人が生きたことから見れば些細なことでしかない。」それを死期を
悟った時に、本人が一番気づいたはずである。 著者は、これまでの価値観を
根本的に揺らぐようなことを平気で述べる。それだけ生きるということ自体が
価値があるということだ。 少し考えれば、当たり前のことだが、
その当たり前のことに気づかない!だけである。  *´・ω・)ノ バイ!
・・・・・・・・
2006年11月26日(日)
2063, 親戚の交通事故

一昨日の夜20時過ぎに家内が柏崎の実家の近くに住む妹に電話をしたところ、
彼女の連れ添いが交通事故にあったという。「入院中の義母が、数日前から
具合が悪い」という連絡が数日前に義妹から入り、私と見舞いに行く打ち合わせの
電話をした時に、その知らせを聞いた。 「数時間前に亭主が交通事故にあい、
病院で手術中」という。昨日の朝さっそく病院に行き、集中治療室に入っていた
本人と話したが、身近の人の重傷の交通事故の人は初めてである。
顔は倍近く腫れあがり、脚は二箇所骨折、来週ふたたび手術という。 
首の骨も折れているという。たまたま、義妹と家族が買い物に出ていたが、
頭はしっかりしていて、見舞いのお礼をいっていたが、正視できない姿であった。

オートバイで直進していたところ、交差点で右折の軽自動車と激突。
意識不明のまま、救急車で運ばれたという。タバコも吸わず、酒ものまず、
「家業の自転車屋と、社会保険労務士と、貸家、貸し駐車場を経営、真面目を
絵に書いたような人。今まで事故も一切起こしたこともなく性格どおり平穏な
人生であった。人生何が起こるか解らない。来週の手術次第で、どうなるかは
今のところ解らないとか。私が同じ状況なら、誰もが、
「ヤツも、やっと罰が当たった!ざまをみろ」と、異口同音言われるだろうし、
それも肯けるが・・
交通事故は車を運転している限り、一生のうちに、平均すると重傷の人身事故
(軽傷から死亡事故までを均すと)に出合うという。車や、オートバイで人を
殺傷してしまったという話は、何度か聞いたことがあったが、本人が重傷の
ケースは初めてである。二十年ほど前に日光街道で‘ありがとう右折’で
止まってくれた車の後ろから直進してきたきたオートバイを撥ねたことがあった。
撥ねた瞬間、その場面がスローモーションのように展開したのが脳裏に鮮明に
残っている。ボンネットにライダーが宙返りをし、バッタと、かぶさった影像。
たまたま人身事故にはならず、オートバイの損害保険程度で済んだが・・・
一期一会は、決して感激・感動・感謝の場面だけではない。 家内がいった、
「事故の前に時間を引き戻したいでしょうね!」という言葉が、印象的である。

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2005年11月26日(土)
1698, 辺境へ -3

この本の内容とは、少し違うが私が行った辺境を印象深い順にあげてみる。
(辺境というよりむしろ、異境ー‘Σq|゜Д゜|p ワオォ ’という意味である。)

1、やはり一番は
 中国ウィグル地区のタクマカラン沙漠のインド側のホータン~カジュカル
 ~パキスタン国境のクンジュラフ峠~カラコルムハイウエー~フンザ
 ~アフガン国境のペシャワール~イスラマバード
2、アルゼンチンとチリーパタゴニア地方
3、南米のベネゼイラのギアナ高地
4、タンザニア
5、イスラエル
6、北インド
7、アイスランド
8、ケニアのヌーの河渡り
9、ネパール
10、シリア・レバノン・ヨルダン
11、エジプト
12、モロッコ
13、桂林
 (~O~)ふぁ
14、ペルー
15、ブラジルのカーニバルと、イグアスの滝
16、カナダのロッキー山
17、アラスカ
18、南アフリカ
19、スイス・アルプス
20、北スペイン
21、フィジー
22、西アフリカ
23、南スペインーアンダルシア地方
24、ベトナム
25、ニュージィランド
26、メキシコ
27、北欧4カ国 ーノルウェーデンマーク・スエーデン・ロシア
28、ノルウェーのトロムソ の順であろうか。 
 特に10辺りまでは、どこが一番と いいづらい。ツアーとはいえ、注ぎ
こんだエネルギーは膨大であった。生命の危機の場面は無かった?が、
一回の旅行に何らかのカタチのトラブルは全て出る。それに対していかに
対処するかにある。 トラブルを楽しむことだ。どうして楽しむかというと、
トラブルは当然あるもの、あくまでも楽しみの塩コショウで、丁度良い
バランスに直面しているだけと割り切ってしまう。あとで振り返ると全てが、
その範疇でしかない。 人生と同じである。
                          (◎-◎;)!!
 一番辛かったのは、生理現象である。( ̄ω ̄;)!!
時差と食べ物の関係で2~3日 体調を崩す。それを恐れていては、
何処にもいけるものではない。ただどういうわけか、強盗・窃盗にはあった
ことはない。ツアーの良いところだろう。大自然や異文化から受ける大きな
感動や驚きからみれば、その前に立ちふさがる壁は踏み石でしかない。
それだけ、素晴らしい景色と感動が待ち受けていた。できる時に、
できる事を、できるだけしておいて本当に良かったのが、実感である。
                    ヾ(^-^)ゞ
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2004年11月26日(金)
1333, 2000年前のポンペイ -4

遺跡の中でポンペイの遺跡は、奇跡に近い状態で当時の世界をそのまま閉じ
込めて現在に提示してくれている。この世界のグラビアの本を開いている
だけで、気持ちが2000年の時空を飛び越えてローマの時代にはまりこんでしまう。
この小プリニウスの手紙には、大きな衝撃を受ける。この青年の知性にも、
驚きざるをえない。それと、大プリニウスの行動にも当時の知的レベルの
高さを知ることができる。この内容が、2000年前の事実がそのまま
ドキュメント風に記載されているから迫力があるのだ。人間の変わらない
感動、恐怖、そして生活がそのまま伝わってくる。

街全体が、当時のまま残っているから、更にこの手紙の内容が生々しい。
18世紀の初頭まで人々の記憶から忘れ去られたことが、当時のままの姿を
残すことにもなった。35年前の日記を昨日のように感じるのは何ら不思議でない。 
全て昨日のようなものである。数ヶ月前に放映されたTVドキュメントは、
この手紙を忠実に映像化をしていた。そして、爆発が起きてからポンペイ
が埋まるまでの19時間も、当時の遺体の様子から想像をしたドキュメント
が生々しく時系列で構成されていた。。

ー6月20日の手紙ー
字数の関係で、カット。あとは、分類の検索に載っています。
  (2007年11月26日)
ーー
以上が私の身に起こった出来事です。 歴史に残すにはふさわしくない
つまらない話ですから、お読みになっても貴兄の著作に書き入れる気には
なれないでしょう。また、もしこれが手紙の名にさえ値しないとしたら、
私に頼んだ貴兄自身を責められるべきです。 では。

・・・・・・・
2003年11月26日(水)
966, 悪口についての一考察 -2

どんなに憎んでも、面と向かって言ってはいけない言葉がある。
だから、その人の居ないところでいう悪口は楽しいのである。これが
人間の悲しい性である。4~5年前にある泥酔の高校の同級生二人に呼び出された
ことがあった。片っ端から知人の悪口を言っていたが、私を呼び出す前までは
私の悪口を言っていたのがミエミエであった。そして「人の悪口は楽しい!」
といっている姿に唖然とした。そう、こう書いているこの文章も、彼らの悪口。
 私の場合、こと人間の真髄に関しては何を話しても悪口になってしまう。
虚飾などどうでもよい? 見えるのは裸の猿の狂った姿である。
大学のたまたま入った学部が社会学部であった。早くいえば人間学である。
人間関係の網の構造を瞬時に洞察する訓練を受けているから始末が悪い。
さらに、こういう社会学的な本が好きで40年近くも読み続けているから知ら
ないうちに外語化しているのだろう。表面的な付き合いの人間には、全てが
悪口に聞こえるはずだ。同級生のスナックのママに説教をされたが、
その道のアマチュア?ということは知らないようだ。
 ところで悪口という概念は、なんの思想も持ち得ない。
ー怒れば、ストレス解消・精神衛生などという隠れみので、
 自己のプライドなど微塵もみせず?に罵詈雑言をいい続ける。
ー気分の良い時は調子よく聖句などを持ち出してきて、「悪口はいけません」
 とのたまう。この二面性を持っているのが人間の姿である。 
 悪口の後で「仕方ないさ、人間だもの」と繰りかえす。
ー悪口をいま思い出せる言葉を羅列してみるとー
「服のセンスが悪い」「だらしがない」「カスが人間をまとっているような奴」
「子狐のような奴」「屑どもめ」「仕事が出来ない」「気がきかない」
「痴呆迷死」「ミス何々ー失敗ばかりする女」「ダニ」「自民党のような奴」
「たかり」「くそったれ」「共同便所のような女」「東京ガス」 
悪口はまるで無尽蔵である。
嫉妬心・怒り・敵意・ねたみ・憎しみ・優越感・軽薄など
心の底に渦巻いているドブから発するガスである。

 ・・・・・・・・・
 592,ーこころにのこった詩ー2
 - 2002年11月26日(火)
 ー兄弟ー びーと たけし

兄ちゃんが、僕を上野に映画を見につれていってくれた
初めて見た外国の映画は何か悲しかった
ラーメンを食べ、喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ
兄ちゃんが、後で入ってきた、タバコを吸っている人達に
殴られて、お金をとられた
帰りのバス代が一人分しかなく
兄ちゃんがおりた
僕はバスから飛び降りた
兄ちゃんと歩いて帰った
先を歩く兄ちゃんの背中がゆれていた
僕も泣きながら歩いた
 --

これを読んで子供のころの出来事を思い出した
詩的に書いてみるー

小学校の低学年の頃、兄と歩いていた
兄が急に頭に手を当てた
帽子を取ると頭が血だらけだった
兄はそれを見て泣き出した
帽子に穴があいていた

すぐに誰かが空気銃を撃ったのが解った
近くに不良の中校生がいた
彼だろうと思った
兄の手をひいて帰った
その問題は大きくはならなかった
それから10年経ってその少年は殺人事件をおこした

ざまみろと思った
 --
この文章を考えて寝たため昨日の朝、ビートたけしの兄弟の夢をみた。
夢の中の対談で私が司会者だった。たけしが兄にふざけて昔貸した200円を
返せという。また二人で読んでいる新聞を取り合いをしている。
兄弟でいつの間にコントをしている。それがこの詩のように仲がよいのだ。
何か失われた家族を見ているようであった。また自分の脳の想像力の凄さ
単純さに驚かされる。自分でいっているのだから間違いがない。

・・・・・・
ある時間の断片 
          1968年
11月26日
9時15分に起床。10時半に学校へむかう。川崎と待ち合わせて、ノートを借りる。
食事後川崎と「サルビア」へ行き話す。「昔の彼女に会って婚約を知り、再び
結婚を前提で付合いたい」といったという。聞いていて馬鹿馬鹿しくなってきた。
「身勝手もいい加減にしろ」と思ったが、口には出さなかった。
試験勉強をする為に、独りで図書館に行き、その後再び川崎と食事をする。
帰寮後、川崎に借りた本をうつしていると、駒村が来る。 少し彼と話す。
その後、炊事場で米林から、南波嬢と蒲生が何とやらと聞く。
本当かどうか解らないが、もしそうなら南波嬢もその程度の人かと失望をする。
佐藤に知られなければ良いのにと心配だ。 佐藤は気が多い男だからだ。

その後、大妻の宮本さんがくる。
宮本さんも面白い人だ。 間中君の「自他とも認める何」だから気楽に傍に
寄せているが。彼女が帰った後に、食事に行く。 その後、集中して勉強。
夜半0時に米林がくる。 佐藤嬢とのノロケを聞かされる。彼は今は女性の
ことしか頭がないみたいだ。不安なのだろう。 それにしても、
シモの具体的なことを何故言いたがるのか理解できない。

後記ー 2003年11月26日ー 
 書き写していると当時をアリアリと思い出すものだ。そして、よくもまあ、
色いろのことがあったものだ。何事も忘れるから生きていけるのだろう。 
日記に書いてなければほぼ全てを、忘れていることだ。過去を振り向かない
ことを自分に課してきたが、このように思い出すのも面白いものである。