つれづれに

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   今日のYoutube

 昨日、腰痛が一進一退で痛むので、スポーツジムに行こうか、止めようか
迷ったが、ランニング・マシーンで少しでも歩いてこようと、出かけることにした。
念のため、腰痛ベルトから、圧縮パンツと、圧縮ソックスをはいて行った。
 ところが、ヨガの先生に呼び止められ予約札を手渡しに渡され、断る訳に
いかなかった。そこで、おっかなびっくりと、ヨガに参加したが、圧縮パンツの
凄いところ。 何事もなく、ヨガのコースをコナスことができた。
 凄い締め付けが、腰痛を押さえつけてくれている。

 そこで、早朝の、三時間近くのパソコンタイムにも、この圧縮パンツを
はくことにしたが、スポーツジムほどの効果がないとしても、悪くはない。
  中高年の8割は腰痛持ちというが、 ネット上で3千円で、これだけ効果が
あれば使ってみる価値が十分にある。分かりやすくいえば、腰痛ベルトの
数倍の効果がある!

http://www.amazon.co.jp/シースリーフィット-C3fit-パフォーマンスロングタイツ-WOMENS-3FW09120/dp/B004CKL4ZY/ref=sr_1_34?ie=UTF8&qid=1448413392&sr=8-34&keywords=圧+タイツ

http://store.shopping.yahoo.co.jp/eld-chic/01vco509.html

・・・・・・
3156,デフレ・スパイラル
2009年11月25日(水)

 政府が先日、三年数ヶ月ぶりにデフレ・スパイラルに入ったと宣言をした。
この宣言は消費者の財布をますます閉めることになるが、賃金・GDPも17年前
の水準まで落ち込んでおり、購買が減るのは当然である。 そういう当ホテルの
客単価もピーク時の3分の2である。ネット予約の顧客が全体の四分の一になって
いるが、破格値である。 そういう私も本の半分以上はアマゾンで中古本を買う。 
カメラや、ブルーレイ録画機も、健康機器も、電気自転車も、何でもかんでも
ネットで一番買い得のものを選ぶ。また週初めは通勤途上の新潟駅で、週末の
売れ残りのバナナか、村上の牛肉の値下がり品を買う。 
家内は初めの頃は買ってくると怒っていたが、今では逆に頼まれる始末である。
 新潟駅駅ビルにビッグカメラがあるので度々、カメラや薄型TVを見にいくが、
この数年で廉くなっているのが分かる。先日、長岡のアピタの隣のシネマ館に
いったが、60歳以上は千円である。 またユニの衣料コーナーで驚いたのが紳士服。
二着で一万五千円だったが、柄も生地も悪くない。 思わず買いそうになって
しまったが、踏みとどまった。

 デフレ宣言を報じていた新聞をみていたら、紳士服の単価が一年で4割以上も
ダウンしているとあった。家内がジーンズが好きで、微妙なカタチで購買を決める
というが、廉くても、その微妙な部分はチャンとデザインに取り込まれていて
悪くないという。既に大手スーパーや百貨店などは、究極の消耗戦に入っているが、
こうなると弱いところに打撃は大きくなる。 その山が年末年始にくるはず。 
ユニクロも、デフレを察知し、60週記念売り出しで思いきった値下で先手を
打った。大盛況だったというから、他店の出鼻を挫いたことになる。
それだけ、ユニクロは大きな影響を与える存在のなってしまった。 
企業にとってはデフレは厳しいが、消費者の節約にとっては良いことになる。 
しかしハイパーインフレが始った訳でないのが、まだ救い。金がジワジワ
値上がりを始めてきた。大荒れの一現象だが、見逃せないことである。

 ・・・・・・・・・
2791, 新型インフルエンザ
2008年11月25日(火)

このところ連日のようにTVで鳥インフレエンザの脅威について報道している。
60年か70年に一度は、必ずといってよいほど大流行が起こるが それが
近々という。世界で最大、一億5千万人が死亡、日本では60万人と言われているが、
鳥インフルエンザH5N1型の場合、感染の六割が死亡するといわれる。
半数が感染した場合、三割とすると????万人である。(最悪の場合だが)
それは防ぐことは不可能で、何時起こるかの問題というから、深刻である。
新型インフルエンザの発生は、20世紀中に3回も発生して大きな被害を出した。
そのなかでもスペインインフルエンザ(1918年~1919年)が知られており、世界で
人口の25%~30%が罹患、4000万人が死亡したと推計されている。
飛行機のない時代であるにも関わらず、日本でも2300万人が感染し、39万人
もの人が死亡しました。(阪神大震災の約8倍) 当時の新聞によると、郵便、
鉄道、電話などのあらゆる社会システムが麻痺し、食料や熱さましの氷が高騰
するということが起きたという。題名を忘れたが、アメリカの、ある町で発生、
あわや町中の人ごと焼き払う寸前にワクチンが発見され、急場がすくわれた、
という映画を観たことがあった。スペインインフルエンザは世界中に流行の
波が到達するまで6~9ヶ月の期間であったが、現代社会は人口の増加や都市
への人口集中、航空機などの交通機関の発達などから、世界中のどこで発生して
も短期間でまん延する。厚生労働省の発表によると、海外で発生してから日本に
到着するまでの時間は、2週間~4週間程度と予測される。
新型インフルエンザウィルス」は動物、特に鳥類のインフルエンザウィルスが
ヒトに感染し、ヒトの体内で増殖するように変化し、ヒトからヒトへと効率よく
感染する。現在、毒性が非常に高い「H5N1型鳥インフルエンザ」がヒトから
ヒトへと感染するように変化し、世界中に一挙に感染する可能性が高い。
鳥インフルエンザが人と人の間を空気感染する菌は、実験室の中で二回の突然
変異で生まれたという。これが世界のある場所で、何時発生するかは分からないが、
世界的爆発的が発生することは間違いないという。それがH5N1の進化した
インフルエンザなら、・・・・・・。 恐ろしいことだ。タイミング的に
世界恐慌とセットで、世界を根こそぎ変えることになるが、結果として人口の
多い中国が最後は生き残ることになる。ただ、中国共産党は跡形もなく、
無くなるだろうが。いや、こういう時ほど、独裁国家の方が政治形態として
プラスに働く。 やはり中国か? そろそろ、準備を始めるか! 
それも年内に?  どうするのか?って、自分で考えましょう!  
ウガイとマスクのセットは売っている、ネットでも・・・
(この情報源はTVとネットで、間違いありません)前門の狼、
後門の虎である。 21世紀の玄関先は破壊と混沌から始ったようだ! 
それに参加できることを喜ぶべきか、悲しむべきか?

・・・・・・・・
2007年11月25日(日)
2426, 「おばあさん」初体験
                |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ
朝日新聞の「生活」のページのーひとときーという欄に切実な投稿があった。
家内が読んで、「もう直ぐこういう経験をするかもね!」と教えてくれたのである。
一年ほど前に山の手線で偶然にシルバーシートの前に立ったことがあった。
若い人が座っていたが、その時に「もしかしたら、席を譲られるのでは」という
不安感に陥ってしまった。結果として譲られなかったが、次の駅が来るまで頼む
から譲らないでと願った経験がある。少し意味が違うが、駅のスーパーの中の
魚屋の兄ちゃんに、『そこのオトウサン、これ安くするから持っていってよ』
と言われて、睨みつけたことがある。『お前に、そこのオトウサンなど言われる
筋合いはないわい』と思いつつ。少しその場から離れて小声だが、『おっかねえ!』
と聞えてきたが。初めて就職をした時のスーパーの売り場に立った初日のこと、
『そこの店員さん』と言われた時の衝撃は今でも憶えている。
『そうか!自分は店員になったのだ』と、初めて社会に放り出されたことを知った。
--
 *「おばあさん」初体験*
孫たちと川遊びに出かけた時のことだ。 釣りに興じる孫たちを見ながら
ひと休みしていると、「おはあさん、おはあさん」と誰かを呼ぶ声が聞こえる。
振り向くと、私より年上と思われるじいさんが、なんと、私を呼んでいるではないか。
思わず「私のこと?」と聞いてしまった。 このごろ、とみに老け顔になっているのは
承知していたが、まさに「ひええっ」という思い。わが人生初体験のことだった。 
だが第二弾はすぐに来た。上野の宝物館で入場券を買おうと値段を尋ねた時だ。
私の顔を見た女の人は「600円です。けれど70歳以上は無料です」。
その時は気づかなかったが歩き出してふと、そうかわざわざ70歳以上と言ったのは、
私がその年に見えたからか、と気づいた。日ごろ体力に自信ありの私だけど、
顔かたちは年相応でしかないのか。 わかった。私は妙にすとんと納得した。
と同時に、すぐ決心した。形だけでも颯爽としたばあさんになろう、と。 
そのためには着やすい服はバツだ。薄いストッキングとスーツにバンプス。
リュックもやめ。小ぶりのバッグだ。「年寄りの冷や水」というけれど、
こうなったらやせ我慢だ。背筋を伸ばして歩こう。無理しないと限りなくだめに
なっちゃう年代だぞと鼻息荒いこのごろなのである。
(川崎市 神林英子 主婦 68歳)
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投稿の女性は、かなりのショックのようだったが、遠くない将来、
私も同じような経験をするのだろう。最近、知人から
「私も遂にオジイチャンになってしまった」という声を聞く。
               ( ̄∠  ̄ )ノ バイ!
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2006年11月25日(土)
2062, モーニング・ページその後!
        (~Q~;) おはよう~~ ファ~

今年の3月半ばから始めた「モーニング・ページ」を相変わらず続けている。
今年に入って新たに加わった習慣である。何も難しいことはない、ただ起きざまに
大学ノートに思いのまま書く。ポイントは、毎日必ず書くことである。
(以前にもかいたが)書き始めて8ヶ月、改善を重ねた結果、曼荼羅図のように
中央にハートの絵を書いて、周辺に9つの円を描いた中に書き込んでいく。
健康コーナーや、随想日記のヒントコーナー、読書コーナー、つれづれにの
コーナー等々、だいたい位置が決まってきた。大学ノートを横にして上下の
ページを朝一番に書き、昼や夜に思いついたことを、その上に書き込む。
内容が一人歩きするのかと期待したが、脳の排水レベルで留まっている。
書き連ねているうちに、思ったままのことをスラスラかけるようになった
のが一番の収穫だ。それと毎日ほぼ同じことを書いている自分に驚いてしまう。
MP(モーニング・ページ)の習慣を40年前に、いや10年前に身につけて
いたら、もっともっと豊かな人生をおくれただろう。随想日記のように蓄積
されていくうちに、知らずに何かが生まれてくる可能性を秘めている。 
起きて、真っ白の状態そのままで書くのが良いのだろう。
一種の座禅、瞑想である。頭に浮かんだことを文に書き出すと、浮かんでは
消えている雑事を掬い取るのと同じ。脳の排水を小まめにしていることになる。 
その排水の中に時には砂金が入っていることもあるが・・夜半みた夢と、
前日読んだ本の印象に残った書き込みがよい。この一日一文と、モーニング
・ページは私にとっての生き甲斐?になっている。
 それと( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪も
                          
・・・・・・・・
2005年11月25日(金)
1697, 哲学マップ
               -読書日記
「哲学マップ」(貫成人 ちくま新書)が面白い。

哲学とはどんなもので,他の哲学とどういう関係を持っているかの地図を
示そうというもので、 切り口を変えた哲学史ともいえよう。 最近、哲学が
ますます面白くなっている。極限の自己対話の本音の部分と、過去の哲学者の
自己対話との重なりに、自分の練りを今という瞬間に突きつめる。
それが日常の足下を掘り起こし、日常の外に出ようとすることになる。 
だから哲学は、常に日常の中でおこなわれなくてはならない。
自分が鵜呑みをしてきたことが、どんな哲学の範疇であるか、そして、
他の哲学からみたら、どういう関係にあるかしれば、その思い込みから
自由になることができる。
ーこの本の大筋はー     φ(・ω・〃) ♪
 哲学の発想法といえば,
  1.全体を問題にする,  2.日常性から出る,
  3.形式的である, 4.方法についても慎重であるべきである、 
    の4つである。  
また哲学的な「問い」を次のように立てている・・
(1) 「~とは何か」という問い (イデア:現実の二項対立でとらえる  プラトン
(2)「わたしとは誰か、なにを知りうるのか」という問い
 (自我/対象、主観/客観の二項対立でとらえる  デカルト
(3)第一と第二の問い組み合わせカテゴリーが人の認識メカニズムにアプリオリ
  -先天的-に組み込まれている、と考える(「経験に先立つ本質」 カント)
(4)「なぜそれを問うのか」という問い 価値を差異に還元して考えるニーチェである。
 (虚構、流動性 ニーチェ
簡単に言えば、
(一)は「真理」への希求に関する問いであり、
(二)は、人の「認識」についての問いといったところか。
(三)については、「経験に先立つ本質」についての問い
(四)は「超越的実体を否定し、すべての差異が諸力のせめぎ合いによって
   生まれる流動性を肯定する」と書かれていることから、「流動性
   (不確実性?)がキーワードになる。                  
20世紀の哲学は,               (*´o)*ゞふぁぁ…
 現象学, 言語分析, 言説分析, 精神分析, 実存分析, 構造分析など
の道具を使って行われている。大雑把すぎるが、この本の大きな柱になっている。      
                 (^┰^)ゞ
・・・・・・・ 
2004年11月25日(木)
1332, 23歳の日記-4
1969年 3月29日 ー四日市にて

勤めて、まだ一ヶ月も経ってないのに、既に壁に当たっている。後方部隊の
管理部は総員37名、そのうち30名が若い女性。今年配属された男子4名の
他に、課長と係長と肩書きのない古手の男子2名が男だ。それにしても、
肉体的の限界の激務である。 寮で同室の堀田君は本店から離れている郊外
の食品スーパーに配属されているが、話からすると、仕事の厳しさは本店の
管理部は彼よりも数倍厳しいようだ。部屋に帰ってきて、布団にバタッと
倒れる状態である。それでも、既に数回同期の4人と三回も居酒屋に行った。
同期の仲間は西尾、桜井、渡辺、そして私の4人。酒好きというのが共通点。
いずれも地方の大學出身のせいか純粋であり、温厚である。
学生時代の寮の連中からみれば、地方大学出身の為かすれてないのがよい。
上司の松又さんは九州出身の純朴な好青年である。高卒で8年目だが仕事が
出来る。我われ四人に、非常に気を使っているのが解る。
今の課題は、同僚としての女性に対してどう接してよいのか解らないことだ。
純朴な地方の擦れてない若い娘達の同僚としての対応の仕方である。
傷つきやすい敏感な年頃である。 全く難しい。自分としても、どう気持を
開いてよいのか解らない。やはり、自分を取り払わないとわかっているが。
それと、寝る時間の前に本を読む癖だけはつけておかないと。本店には、
300人ほどの女子店員がいるが、息を呑むような美人が7~8人はいる。
働く女性の姿が輝いている姿を身近にみるのは初めてである。 
小説を見ているようだ。それにしても良く働く、いや働かされている。
 ーー
 4月2日
どうも、若い女性を扱うのは難しい。他の三人は結構上手く、楽しそうなのに
自分は駄目なのだ。まず彼女らを人間として認めなくてはならないのだ。
何か焦りを自分に感じている。取りあえず、問屋の名前を一つずつ憶えてみよう。 
次に店内の配置図を頭に入れてしまおう。そしてコード名を憶えよう。
何か一日一日に追われているだけだ。統一伝票の合理的なシステムには驚かされる。 
4枚綴りの複写で、それが本部用、店用、取引先分類、そして最後の一枚は、
受領書として相手方に送り返される。この伝票システムが仕様書発注として
内容が細かくないようが伝票にギッシリ書かれるのだ。凄いと思わざるを得ない。
 ---------
 2003年11月25日(火)
965, 悪口についての一考察 -1

 悪口については、随想日記の中では何回も書いている。しかしテーマにした
ことは無い、一番イヤなテーマだからだ。昨日、新聞を見ていたら‘メジャー’
ヤンキ-スの松井は中学校二年生以来、悪口を言ったことがないという。
(所詮は勝ち組が言っているから注目している部分もあるが) それでは
「私の場合は如何だろうか?」と考えてみた。本音でいうと 可能な限り言わない
ようにしている。その為には嫌いな人のいる場には極力行かないようにしている。
例えば、ライオンズとか商工会議所などである。痴呆名士志向の子狐的人間である。
地方で頑張っている人はこういう傾向が強いから始末が悪い。 自分より肩書きや
収入が多い人間には媚びへつらい、下の人間には尊大な人だ。まあ仕方ないのは
解っているが。「お前の姿でもある」といえば、そうかもしれない。
 人間にとって自分は善人であり他人は悪人なのである。自分を理解しろと
必死になるが、嫌な人を理解しようとはしない。それは、怠惰という無精者に
過ぎないことに気づいていないからだ。
 辞典には
 ー悪口は「他人について、劣っていると(事実に反し、また実際以上に)
      いう言葉」とある。
 ー陰口は「その人のいないところで、いう悪口」と書いている。 悪口とは事実
 に反してと書いている。 週刊誌などは、それで持っているようなもの。
 大衆の一番弱いところを狙っているのだ。 辞書のとおりならば、悪口の経験の
 ある人は虚言罪で天国の門は間違っても叩かれないことになる。
 思いつくまま「悪口」について頭に浮かんだことを書いてみる。
・「悪口はドロボーより悪い!」と曽野綾子の本にあったが、まったく
 曽野(その)とおりである。ドロボーは人を殺さない、しかし悪口は時に人を殺す。
・悪口は結局は、自分の事をいっているに過ぎない。 したがって根は深い。
 ただ自分で気がついてないのだ。 悪口はその人の歪んだ心象風景といってよい。
・悪口にも色いろある。 本人に面と向かっていう悪口と 陰でいう悪口がある。
・宗親(居酒屋おやじ)「馬鹿野郎!これで俺等居酒屋が、商売でもっているんだ!
 でも酷いもんだよ!
 サラリーマンの悪口は耳を塞ぎたくなるより、
 『その対象の奴より、言っている本人を張り倒したくなるよ!! 
 まあ、そうでもしなくては精神のバランスが保てないのだろうがね』              
                        ー続く
 ----
591, ある時間の断片ー13
  - 2002年11月25日(月)                
 ー 1968年 10月3日ー
9時半起床。10時40分学校へ出発。 12時に図書館に行く。
途中で石川と会う。図書館で数人の人と話ばかりで、試験勉強が身に入らない。
試験は予想どおりで、簡単であった。必死になったのが馬鹿みたいである。帰寮後、
床屋に行く。夕食後TVを見る。今の自分が何かあるべき自分とのギャップが大きい。
どうかしているのではないか? 石川に今日言われた。「かなりいいかげんだ!」と。
そうだ、新潟の六日町の禅寺の雲洞庵にいこう! これで遅れた分が取り戻せるだろう。
このままだと、その半分以下だろう。 この7日か8日にいこう。 そこで集中して
卒論の大筋をまとめあげよう!同時に人生の将来図ー目標とか理想をつくりあげよう。 
イメージにまでにしてしまおう。
 ーーーー   
 11月25日(火曜日) 1968年
朝10時起床。 卒論のマトメをしたが中途半端であった。部屋に米林がくる。
彼もかなりクールのようだが。佐藤嬢との、あけすけな話をする。 他人にいう
ことでないのに、馬鹿な奴だ。それより、他人のことに気を向けている時間が無い。
夜半の2時まで集中したが、まだまだだ。 時間が足りない。ところで冗談で言った
ことが独り歩きをした。今は、外に気がいってはならない時期だ。仕方がないが、
軽く考えて深入りしないことだ。取ってつけたような相手捜しは止めにした方がよい。
何を焦っているいるのか。 試験に、卒論に、ゼミに、会社のレポートに、山積み
なのに馬鹿な事をいった。自分は会社を創りたいのだ。 そして二年勤めて、
その後違う大学の三年に編入して四年後に創業をしたいのだ。
流通か、貸しビル業が面白そうだ。