つれづれに

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   今日のYoutube

 iPadが不調で、その上に、昨日、買ってきた寝室用のブルーレイも
不調で、昨日・今日と重い気持ちだったが、窓口相談で、二つとも
解決してホッとしたところ。 どうもマニュアル本に弱い。
 ところが、これが好きだという人に出会ったことがあった。
マニュアルどおりに事を進めて、解決するのがたまらないとか。


・・・・・・
2775,  仮説思考 -2
2008年11月09日(日)
 ー この本の背裏の紹介の内容が、ズバリ要所をついている ー

 「情報が多ければ多いほど、よい意思決定ができる。このように信じている
ビジネスパーソンは多い。そうであるがゆえに、できるだけ多くの情報を集め、
それらを分析してから、経営課題の本質を見極め、解決策を出そうとする。
実際に起こることは何か? 情報収集しているうちに時間切れになったり、
あるいは、ほかのどうでもよいデータはあるが、 最も重要なデータがないことに
土壇場で気づき、苦し紛れで「エイヤーッ」と意思決定せざるをえないことになる。
 徹底的に調べてから、答えを出すという仕事のやり方には無理がある。
では、どうすればよいのか? 仮説思考を身につければよい。仮説とは、
十分な情報がない段階、あるいは、分析が済んでいない段階でもつ、「仮の答え」
「仮の結論」。常に仮の答えをもちながら、全体像を見据える習慣を仮説思考と呼ぶ。
「仕事が速く、優れた成果をもたらすコンサルタントはみな、仮説をもって仕事を
している」と著者は言う。ーこれだけを身につけるだけで、全てが変化をするだろう。
そして、その効用とは・・・

 *仮説思考の効用
  著者は、仮説思考の効用を3つ上げている。
(1)情報洪水に溺れなくてすむ、(2)スピードアップ、(3)他人に状況がよく見える。
 (1)は、学生時代の研究レポートのようなものを考えると分かりやすい。
「できるだけたくさんの情報を集めて分析してストーリーを作ろうとすると、
提出日前の夜中になって重要な点を調べ忘れたと気が付いたりする。
  その結果、その部分は穴をあけたまま提出することになる。情報収集に時間を
取られた結果、思考する時間がほとんど取れなくなってしまうのは最悪だ」(内田)。
これでは仕事の質が悪いばかりか、時間の無駄となる。
  「最初に答えを決めておいて、それに必要な部品を集めていけばいい。
100を網羅的にやるより、もっともらしい2、3をやる。
  仮説思考は繰り返せば繰り返すほど経験がものをいうし、精度も上がる」
 (2)は、仕事がスピードアップし、楽になるという点だ。多くの作業をこなした方
が仕事をした気にはなるが、実際には仕事の価値とはまったく関係ない。
(1)とも関連するが、「100のうちの3に絞って考え、それで結果的に問題の解決策
につながれば、仕事は加速度的に素早くなる」。作業のスピードを向上させる
のではなく、仕事の量を減らすことで作業の効率化を図るというわけだ。
 (3)は、他人に仕事が見えるという効用だ。例えば、部下に仕事を依頼し
  途中経過を確認しようとしても、頑張ってはいるようだが、状況がよく分からない
  ということがある。作業の状況よりも着地点を先に決めている人への方が
  アドバイスしやすいし、上司も安心できる。ここでも先に仮説を立てている人
  の方が結果として良い結果につながりやすい。同様に上司も仮説を持っていると、
  部下は最初から仕事の方向性が見えるので無駄な作業をしなくてすむ。
  「徹夜してやらなければならないような作業を行ったのに、結果的に間違った
  ものが出てくる」という事態を避けられる。 もう一つ事例を挙げると
  「実験をする前に論文を書く」ケースがある。 最初に論文を書くことで、
  アウトラインを明確にする。 そのため、その結論に至る実験内容を決定できる。
  つまり、その結論に至る余分な実験を行わなくてよくなる。
  失敗しても自分の出した結論は間違いだと短時間で分かるため、
それほど時間の無駄にはならない。

*自分より1つ上のポジションの立場で考える
  仮説を持って仕事をするためのポイントは、全体のストーリーを立てる
ことだという。全部いっぺんにやろうとしてはダメだ。「網羅的にやって80点を
取ろうとするよりも、ヘソをおさえてやる方が大事だ」
 「少ない情報でもイマジネーションを使えば2週間もあれば結論を出せる」。
新米のコンサルタントに最初の2週間で出させた結論と、プロジェクト修了後に
出した結論を比べてみても「これがほとんど変わらない」という結果になるという。
 著者は仮説思考を訓練するために「常に自分よりも1つ上のポジションにいる
人間の立場になって考えてみる」ことを勧める。
 また「相手の眼鏡を掛けてものを見る」ように心掛けるのも役に立つという。
 ーー
 後記)考え方としては、「演繹法」に似ている。まずテーマを決めて、
その要素を探し出す方法である。次回は、この本で紹介している、天才棋士
羽生の話である。棋士ほど、あらゆる仮説を一瞬に立て決断しなければならない。
彼の言葉の一言一言が仮説思考について当てはまるのである。   つづく
・・・・・・・・
2007年11月09日(金)
2411, からだのままに
               (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》
 「からだのままに」 ー読書日記ー
               南木けいし著 文藝春秋
数年前、レンタルDVDでみた「阿弥陀堂だより」が非常に印象的であった。
図書館で見つけた本だが、その著者の随想なら読む価値は充分にある。
2004年から2006年にかけて種々の媒体に発表された随想である。
臨床医師として、文学界新人賞芥川賞と受賞した医師だが、終末医療に携わる
中でストレス障害から体調を崩し38歳の時にパニック障害から欝病になる。
書くことも読むことも出来ない中で、生かされている自分を見つけ出し、
医師として、また作家として復帰する。映画も、この随想からも、何ともいえない
人間としての深みを感じ取れる人である。私よりも6歳も下の人とは驚きである。 
本人が深い病気を経験したり、多くの患者を看取ってきた経験と教養の深さだろう。
こういう人を知るにつけて、己は何をしてきたのだろうか?と、・・・。
 ーまずは特に印象に残った部分を抜粋してみる。
  《以下字数の関係でカット2008年11月09日》
                  ノヾィ♪ヾ(´_`●)ノ ノヾィ♪
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2006年11月09日(木)
2046, 教養について -2
     (+>∀<+)ノ おぁはは~ようさん!

数ヶ月前に、同じテーマで書いたが、再び書く。
<前回の要旨>は、
・「教養」の概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では
「形成」を意味するBildungに対応していていて、豊かな人間性の形成のための
素養としての知識・経験をいう。
・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。
  古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につける
ことであり、市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。
・「世間」とは、建前の無教養に重なり、世間には、当然と思われる価値観が
厳然としてある。しかし、それは地域差別のコントローラーとして機能しており、
そのことを客観視できる素材が教養である。
・なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくかというと、
 「何が大切で、何が大切でないかが、経験を通して見えてくるからある。
  
 * 私にとっての教養とは、
「感動すること、感激すること、感謝すること、その響きを可能な限り大きく
するための知識・経験を蓄積すること」「知ること、愛すること、創造すること、
それらを楽しむこと、このために必要な知識・経験」である。
 『親や、育った環境から与えられた先入観から自由になるための知識・経験』 
というのが、結論である。
ーー
先日の朝日新聞の紙面のトークショーの内容が、「今、教養とは」であった。
なかなか納得しやすい言葉で、各自が語っていた。 印象的な発言を集約してみる。
日本画家の千住博の講演がユニークである。{サルにとって、進化するための
教養が壁画だった}という説が面白い。

西欧州の300ある洞窟の壁画のうち、新しいものの一つにアリタミラの
壁画がある。約1万5千年前、時代は氷河期であった。その時期、氷河を前に
旧石器人は洞窟に引きこもるしかなかった。そこでやることはなく、絵を
描いたのです。絵は洞窟の奥ほど古く、出口ほど新しく次第にリアルになって
いった。(数千年かけて書き継がれていた)これはなかなか良いとか、
こう描けば良いとかといったコミュニケーションが生まれていった。
彼らは絵を描くという行為によって一歩ずつ人間に近づいていった。
その過程で、イマジネーションや観察力、知識、理解力、コミュニケーションが、
当時の旧石器人に芽生えた。つまり芸術がサルをヒトにした。それがアルタミラ
の壁画の持っている意味です。サルにとって、進化するための教養が壁画だった。

芸術を料理にたとえてみる。つくり手が材料から、美味しい料理を作ろうという
イマジネーションが、他人に食べてもらおうという、コミュニケーションになります。
芸術とは作り手が、自分のイマジネーションを、何とかして他人に伝えたいと思う心です。
「俺の叫びを聞いてくれ」「私の歌を聴いてくれ」と思うのが芸術なのです。
私はこの芸術的発想が人類の発生と同時に存在していながら、こうした考えが弱まる
時代は非常に危険だと思います。だからこそ、芸術がサルを人間に引っ張り出した
という歴史を考えてみる必要があります。相手が伝えようとしていることに対して、
まずは相手の話を聞く。こんなことをしたらどうなるのだろう、と考えてみる。
たったこれだけのことがこの時代にどれだけ大切なことか。この発想が、
教養という考え方の柱になると思っている。
--
以上だが、現代の教養は書物はさることながら、インターネットとブログ
という手段を使いきれるかどうかが、その人の教養度を大きく左右するだろう。
                      \(^▽^*)バイ! 
・・・・・・・・
2005年11月09日(水)
1681, うそつき-4

「うそつき」の話になると、いくらでも面白い話が思いつく。筒井康隆
『嘘と法螺』という随想に、子供の嘘がある。ーある人が、下駄を片方なくして
帰ってきた子を叱った。するとその子は、泥棒が持って逃げたのだと言い訳をした。
泥棒が持って逃げるのをみて、どうしてお巡りさん言わなかったのかと訊ねると、
子供は、下駄を持って逃げた泥棒は、実はお巡りさんだという。お巡りさんが
下駄の片方を持って逃げても、何の役にもたたないだろうというと、
そのお巡りさん片足だったという。
ーこのような話だったと記憶しているが、こうなると瞬間芸としての子供の
創作力に感心をしてしまう。ー
次の『嘘』についての話も面白い。ー昔、法螺話をする男がいて、村人からも
面白いので好かれていた。その男は毎朝、村から出て行き夕方になると帰ってきて、
仕事を終えた村の働き手が仕事を終えた後に、彼が今日見たという話を楽しみに
聞いていた。ある日のこと『今日は何をみてきたか教えてくれ』というので、
その男は次の話をしたという。「森のなかで笛を吹いている牧神をみたよ。
その音につれて、小さな妖精が、踊っていた」『もっと話してくれ、ほかに何をみた?』
「海岸にいってみると、波うちぎわで人魚が金の櫛で髪をとかしていたよ」
ところがある日、海岸に行くと人魚が金の櫛で髪をとかしていた。
そして、その後歩き続けて、森に行くと、牧神が笛を吹いて妖精たちが踊っていた。
しかし、その夜、帰ってきて村人に『今日も話して欲しい、何があったんだ』
ときくと、彼は何もないような顔をして、「きょうは何も見なかったよ!」
 ーー
見てきたような嘘だから、男にとってよいのであって、現実なら面白くも可笑しく
もない、ということだ。嘘といえば、化粧も、動物の擬態も、政治家の公約もある。

・・・・・・・・
2004年11月09日(火)
1316, まさか、地震が地元で!ー12

昨日の月曜日、ホテルの今週予約が如何なっているのか、実のところ心配であった。
新幹線と在来線の不通の事態なら、普段の客数の五分の一か、十分の一である。
実際、下越の観光ホテル・旅館でさえも殆んどがキャンセルである。
中越地区はゼロは情況から見れば、今さらいうこともない。
新幹線がストップなら、駅前型のホテルも同じ情況で当然だが、復興の為の
手伝や、役所が全国から当分は集まって来ていて、差し引してもプラスになっている。
イベントも殆どキャンセルになっている。お客様のほとんどが、作業服を着た
被災救援の関係者。今のところ、復興部隊の人の宿泊でカバーしてくれるが、
新潟県の経済は大打撃を受けたことは間違いのない事実だ。
建設・土木関係は当面、神風がふいた状態だろうが。
何処まで続くかわからない事態の余震が、まだまだ収まりそうもない。
昨日も震度4~5の余震があった。通勤の帰路にある長岡駅裏のダイエーが、
地下の食品売り場を除いて閉鎖をしていた。今朝の4時前に震度4弱の余震があった。 
余震がいつまでも続いている。今では余震の度に、震度の当てあいをしている。

メルクマールの日記内容である。
 ーーー
メルクマール  堀井
 ー11月08日
・今日、会社に来ると、国土省の延べ400人の予約が入っていた。
これからも震災関係も入ってくるから、予測していた動きが、でてきたようだ。
殆んどが事務方だ。長岡では宿がとれないためだ。といって、これは一時的な
ことでしかない。東京~長岡間は4時間15分~5時間半はかかる。高速道バスで
6時間だから、値段から考えたら、バスが多くなる。
新幹線の脱線の工事は、11月10日からというから、当分開通はないが。
しかし亀裂をおこした立柱は、もう工事に入っているだろう?から、年内は無理
としても最短年越し直後辺りではないか。長岡の奥座敷といわれた、蓬平温泉の
イズミヤ」など、三つのホテルの従業員全員-100人あまりーが解雇されたと、
新聞に出ていた。 失業保険で急場をしのいで、一年後に再開するのか?
いずれにしても、経済は生きるか死ぬかの大打撃であることは間違いのないことである。
 ー11月7日
・朝8時過ぎに、震度3の余震があった。ドッスンという縦揺れの
ドキッとする地震だった。当分はこの状態が続くだろう。
・「男はつらいよ」DVDを借りてきた。 こういう時は、これにかぎる。

・・・・・・・・
2003年11月09日(日)
949, 流通大戦争

 長岡と隣接している見附市の今町に5000坪のスーパーセンター
「PLANT5」が開店をした。10月29日に開店をしたがチラシを
まかなかったのでオープンをしている事に気がつかなかった。
規模もさることながら、それぞれのアイテムの多さと値段の安さに驚いた。
 エブリデー・ロープライスをそのまま実践をしていた。 お客の立場から
みればアイテム数が多く、廉価であることが第一である。ただただ
「安い、アイテムが多い!」と驚いてしまった。
新潟の郊外にも聖篭の長崎屋の後に入っているが、その一回り大きいものだ。
47台のレジがフル回転をしていた。チラシをまかないで、これだけ入っている
のだから凄い。  今月末には同じバイパスの反対側の小千谷市の郊外に
ベイシア」がオーペンする。これで長岡はSSM(スーパー・スーパーマーケット)
のウオロクも含めた三箇所のポイントが、この数ヶ月でおさえられた事になる。
合計で200億である。20?以上?の売上げがいっきょに奪われたことになる。
 一番の影響を受けるのが、勝ち組のジャスコと、スーパー原信と、HC
(ホームセンター)のコメリとムサシである。中越地区が無店地帯であった
ことが、これで証明された。 流通は車社会になって、いちだんと競争が
激しくなった。確かに今の私の商売は厳しいが、流通の厳しさからみれば全く軽い。 
ただ真綿で首絞めのところもあるが?!といって、このディスカウントが本物か
というと、5~10年スパンで終わりであることも間違いはない。
それにしても圧倒的な廉さには驚いた。 
 http://www.palge.com/news/h15/5/plant20030509.htm
 以前書いた流通関係の文章をコピーする。
  ーーーーー
 797, 流通業界よりみた時代の変化ー
  - 2003年06月10日(火)
  (字数の関係でカットー2007年11月9日)
  ーーーーーー
 648, 流通業界を考える
  - 2003年01月16日(木)
実家も勤務も前業も流通業界の出身の為か業界のウネリに興味がある。
一般小売店と地方百貨店はほぼ壊滅。その流れが都心の百貨店にきている。
そごう百貨店の倒産、西武流通グループの解体と西武百貨店の再生法。東急もしかり。
三越の不祥事の連続の事態。これからは高島屋の隠れた問題が吹き出るはずである。
                  字数の関係でカット(2007年11月9日)
ーーーーーー
516,デフレと流通大乱
- 2002年09月11日(水)
 
夏季の土日・祭日の午後の散歩はダイエーに行く。 店内を3~40分歩いて
帰ってくると、1時間の散歩コースに丁度よいからだ。 クーラーもきいているし
面白いし。それにしてもお客が少ない。 商品はそんなに悪くはない。
ただこれはという商品はヨーカ堂と比べると少ない。ニーズ商品は悪くはないが、
ホット商品が少ない。 でも安いし、面白い事は確かだ。 
家内もダイエーヨーカ堂と専門店の特売を使い分けている。それにしても消費
物価が信じられないくらい安いのに驚く。300円、500円クラスで面白いぐらい
良い商品がある。これでは洗濯屋が悪くなるはずである、洗濯代の方が高くつくのだ。
誰もわかっていることだ。「バーミアン」というスカイラークが展開を始めた
中華料理屋も、ここに来てやっと本物になり始めてきた。
イタリヤ料理の「サエゼリア」の価値に近づいている。とにかく安い、味は
まあまあだが価値は充分感じる。チェーン店評論家?として、この2つと、
マクドナルド、家具のニトリユニクロ無印良品、100円ショップ、しまむら
吉野屋、居酒屋の一部に、日本にも本物が出始めてきた。デフレに強い業態で、
ロアーポピュラープライス専門店グループだ。

それにしても大手GMSのチェーンの盛衰が凄い。
《以下字数の関係でカット2008年11月09日》
・・・・・・・・
575, つれづれに学生時代のこと ー2  
- 2002年11月09日(土)

現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。
その価値観はまるで違う物差しになる。今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの午後の人生の
設計の基礎を考えようとしている」事になる。若い時には仕事や家庭創りや
物質など外に見出そうとした。午後はその時に見出されなかった事や、人生
全体の何かを自分の中に見出していく時期だ。そのことは「夜と霧」を書いた
心理学者のフランクルもいっている。「コペルニクス的視点の大逆転、
『人生に何を求めるのでなく、人生が何を求めているか』の追求」である。 
人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。午後の人生を余白でなく、
新しいページの書き込みの過程として捉えると解る。

その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。可能な限り行動し、
知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が必要ということだ。
その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。 両親がそれをしっかりやって死んで
いったモデルがある。

・・・・・・・
2001年11月9日
ベトナム旅行中