つれづれに

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 毎週金曜日のシネマ、昨日に変更して、『ジェラッシック・ワールド』
を見てきた。  http://www.jurassicworld.jp/  評価ー90点
 
  ~ある感想・レビューより
≪ 面白かったー!!!あのテーマ曲が流れるだけでワクワクしますね。
 ストーリー展開は思い通り。でもやっぱ迫力がすごい!退屈することなく
最後までたっぷり楽しめます。そして、どれだけ科学が進歩しようとも
人間の勝手で生き物を操作しちゃいけないなと。恐竜はロマンだけど、
絶滅したものはしたものとしてちゃんと受け入れないと。
もともと自然のものなんだから人間が管理できるわけないんですよね。
こうゆう映画をみると、動物園や水族館、ペットショップにいる動物達
のことを考えてしまう。世界はこんなに広いのにあんな狭いところに入れられて…。
人間の勝手で。だけどこの映画のラプトル達みたいに、ちゃんと愛情をそそいで、
見下したりせず自分達と対等に接してあげることが大事なんでしょうね。
もー映画ってほんと学ぶこと多い!すごい!子どもにもみせたい作品だなー。
こわいシーンもあるけど・・ ≫

 ▼ このシリーズをみてきたが、恐竜が人間を襲う迫力に、面白さより、
  恐怖の方が先にたつ。 回を重ねるたびに、特撮の技術が進むため
 迫力がます。それでも、子供心に戻って、その世界に浸かるのも、よい。


・・・・・・
3444・秘・異郷の旅、よもやま話・・1
2010年08月30日(月)

   * 海外旅行に見せられて
 これまで47回の海外旅行で、フラッシュ的に記憶から飛び出したことを
思いのまま書いてみる。その方がむしろ、これまで書けなかった生の体験を
リアルに表現できそうだ。 痕跡として残るのは、現場で撮った写真と言葉。
人生を旅に喩えることがあるが、素晴らしい経験と同時にトラブルを如何に
少なくし有意義な旅に仕上げるかがポイント。そのために、行き先の選定、
日々の過ごし方、対処の仕方などのコツが大切になる。また日本の遥か彼方
から、逆照射してみた自分の人生の卑小さが何とも滑稽に感じることがある。 
それが気持ちに余裕を持てるのが収穫になっている。
まずは、思いもよらない経済恐慌に出くわした為に、人生の仕上げに入った
計画に狂いが生じてきた。それも、なるがままの人生。 旅先で、絶対に
行きたかったが行けなかったところはない。 ガラパゴス諸島ぐらいだが、
それほど行きたいと思わない。秘・異郷旅行での最大の収穫は、想像を
遥かに超えた自然が与えてくれる感動。自然そのものが何か波動を発している。
その波動に、飲み込まれにいくのである。 この感動は、山好きの人が
国内の色いろな名山で経験しているものと同じだろう。世界の異郷の地で、
違う形で経験をするのである。 学生時代の多感な頃に北海道、九州、
そして紀州と一人旅をしたことがあるが、あの時の下地と、21歳時の
一ヶ月の欧州旅行でのカルチャーショックが下地にあったから、ここまで
ノメリ込んだのだろう。その結果、ほぼ毎晩、BS/衛生TVの何処かの
チャンネルで、これまで行った先を放送しているが、見ていると旅の延長
のようになる。「一回の旅は、帰ってきても、そのまま続いていく」が、
そこで実現してくる。一点豪華主義?としても、贅沢である。

 ・・・・・・・
3069,新インフルエンザの恐怖
2009年08月30日(日)
 新インフルエンザが全国的に流行期入りをし、拡大はもう止まらないという。
どうせ感染するなら、早くなって直った方がよいと割り切った方が良いようだ。
先日のTVのモーニングショーで、新インフルエンザ(=A)と、これまでの
インフルエンザ(=B)との違いを説明をしていた。その内容とは、
 ・Aの方が、症状として重い。 身体がだるく、下痢や、発熱になり、
気管支がやられ呼吸などが困難になる。
 ・Bに比べて感染力が圧倒的に強く、かかる比率は比較にならないほど。
 ・5~19歳までが患者の7割で、青少年が罹りやすい。
 ・予防でタミフルを飲んでも、48時間しか持たない。
 ・外出後の手洗いと、ウガイ以外に、これといった予防方法はない。
 ・感染者の接触した箇所の菌は48時間は死滅しない。だから、人の集まる
ところは何処もかしこも菌だらけ。
   こんなところだが、ようは殆どの人が罹ると理解した方がよい。
一昨日の新聞報道では、まず10月半ばに一波のピークが来た後に、一度
沈静化をして第二波がくるという。来年の3月までに3500万人と三割が感染。
その一年後の2011年までに8000万人と7割以上が感染する可能性がある。 
世界的にみると、大流行が終わるまでに3割の20億人が感染するとみられる。
 WHOの新インフルエンザの症状として、
・顔が青ざめ ・呼吸困難になり・休息の間でも呼吸困難になり 
・痰に色がつく(血が混じったり)・意識もうろう ・三日を超える光熱 
・低血圧  等々。
 当方の商売が商売だけに、これが日本中に蔓延した時の10月以降を
考えると恐ろしい。最悪の場合、数ヶ月間も客が半減し 「   」 現実に
有りえることだ、そうしたら・・・後は天まかせ?。 金融恐慌の最中で、
更に日本経済は壊滅状態? 特に地方経済は体力が消耗しているので深刻。 
当然、ビジネスホテルは直撃を受ける。その上に新潟国体が中止か、大幅に
縮小ということもありうること。現実に身近にも感染者が出てきている。 
盆休みで海外旅行から持ち帰った感染者や、里帰りでの交流で広範囲で菌が
交流し、その子供達が明日から新学期、そこが菌の媒体の場所になり爆発的
蔓延はあきらか。一ヵ月後の9月末には、日本中が新インフルエンザが
ピークを向かえる。 新潟国体も予断を許さない事態もある。
明日からは、政変と恐慌と新インフルエンザが重なった大津波が吹き
荒れるスリルとサスペンスの日々!  
 ・・・・・・・・・
2704、共同幻想を抱いていただけ?
 2008年08月30日(土)
 松井孝典の「レンタルの思想」の中のキーワードの一つが「共同幻想」。
一万年前に農耕牧畜を始めて、「人間圏」を作り上げてきた。 そして
右肩上がり人間圏の拡大が共同幻想だったことを、人類は宇宙に出て地球を
俯瞰して初めて知った。資源が有限であり、農耕以来、環境破壊を続けて
きたことも、これ以上の人間の欲望を拡大できないことも知った。
 ー著者の松井孝典は、次のように人間圏の危機を述べている。
 ≪欲望のカタチは所有であり、人間は地球という大地を「所有」すると、
錯覚していたのである。 これが人類の「共同幻想」というのである。
共同幻想は、これだけでなく、貨幣は未来永劫に交換可能とか、神様の存在
とか、人間の命は地球より重いとか、民主主義とか、市場主義経済とか、
自由平等とか、人間を規定する概念すべてといってよい。
21世紀の人間圏にとって、その崩壊の引き金になる最も高いシナリオは、
これらの共同幻想が多くの人に幻想と認識されたときである。 その一つが
インターネットとという。インターネット社会は、個々人を主体化し、
情報が個人に拡散する。 情報が拡散するということは、社会が均質化
していくことになるが、共同幻想という面では理想的かもしれないが、
宇宙からの視点から見れば、人間圏のビッグバンになる。
それは秩序も構造も、情報もあってない、混沌とした社会になる。》
 そこで、共同幻想とは何かを知るためにネットで調べてみた。
ー以下は共同幻想についてのウィキペディアのコピーであるー
共同幻想(きょうどうげんそう)とは、複数の人間で共有される幻想。
日本の思想家である吉本隆明が用い、有名になった言葉である。
吉本は、自分の共同幻想とは、マルクスの用語である上部構造と同じ
意味であり、ただ手垢がついているから使いたくなかったと述べている。
 吉本隆明は、著書「共同幻想論」で人間関係は、
3種類に分類されると提唱した。
▼ 自己幻想 = 個人と個人の関係。 ー芸術がこれに当たる。
他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。
▼ 対幻想  = 個人と他者とのプライベートな関係。
 ー家族・友人・恋人がこれに当たる。
▼ 共同幻想 = 個人と他者との公的な関係。 
  ー国家・法律・企業・組合がこれに当たる。
 宗教は、個人の内面に収まっている限りは自己幻想に当たるが、
教団を結成し、布教を開始すれば、共同幻想に当たる。 この分類は
効果的であり、世界を正しく見るうえでこの3つの幻想領域を混乱、
混同させないことが大事であると吉本は主張する。これらはそれぞれ
独自の法則で動いているのである。 例えば、吉本は心理学者のフロイト
リビドーと言う対幻想性を、社会領域まで無条件に拡大して採用しようと
したところに誤りがあると批判する。また、1人の人間もこの3つの領域で
それぞれ違う顔を持っている。
 *職場にいる顔と、*家庭にいる顔、*1人でいるときの顔や行動は、
それぞれ違うのである。外弁慶、内弁慶という言葉があるように、冷酷な
独裁者や軍人が家庭内では優しいよき父親であったり、逆に職場では物静かな
男が、家庭内では暴力的な暴君として振舞うなどということは、充分ありえる。
吉本隆明は、共同幻想の世界では、個人が幽霊としてしか存在できないと主張。
 例えば、「今は企業の危機だから、粉骨砕身働け」との企業幹部の檄は、
 労働力を売りに来ているに過ぎない個人としての労働者の立場と矛盾する。 
 ~~~ 以上だが、
 松井孝典の二冊の本は、大きな衝撃であった。
地球学という視点で、自分を振り返ると、大いなる共同幻想の中で蠢いて
いた小さな生命でしかないことだ。太陽の惑星の一つの地球、その大気圏の中の、
物質圏の、生物圏の、人間圏の、極東圏?の中の小さな島国の、北陸圏の、
新潟圏の中の、何でしかない私。地球の外から俯瞰すれば、そういうことである。
そして、共同幻想を何の疑問を持たないで抱いていた存在である自分を振り返り、
「何?何だったのか?」と根こそぎ、人生観がぐらついている。
恐らく、身近に死を感じ取った時に、直感的に感じる恐怖心の向こうに
見える宇宙的な俯瞰の視線は、織田信長が舞ったという敦盛の
「人生50年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。
一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」を彷彿させる。
・・・・・・・・・・
2007年08月30日(木)
2340, さっきみた幻想的、かつリアルな夢
  -v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○o。(-v-★)
これだけ、ハッキリと憶えている夢は珍しい。毎朝書いているモーニング・
ページに夜半にみた夢を書いているが、殆ど忘れている。それでも、五日に
一度位は大筋は書いているだろうか。夢から醒めた直後は忘れないように
反駁をしているが、しかし殆どは反駁したことだけしか憶えていない。
ところが、どういうわけかリアルに殆ど憶えているのである。夢見た直後に、
リアルに詳細に書けば、読んでいても面白いだろうから、あえて書き出してみる。 
まずは、私の夢の世界を、ご覧あれ。 私の潜在意識の公開である!
ーーー
近所を散歩していると、面白そうな家が目に付いた。家の向かって右の方に、
子供のための遊び場がつくってある。そこで主人らしき人が手作りで何かを
作っている。 声をかけると、中に入ってもよいという。そこに入っていくと
右が廊下のようになっていて、手作りの小さな部屋が5つ位ある。
その中に子山羊がいたり、こどもの遊び場があったり、遊び道具が入っている。
その廊下の奥に少し広い空間があり、カヤックやカヌーなどが置いてある。
家の右全体が自分たちの遊び場として、その主人・松尾という人が自分で
手作りで作ったという。そういえば去年、大学の学生時代の友人がカヤック
持ってきて新潟の阿賀野川の河口で大水の中、二時間ぐらい遊んだことがある、
と言うと、急に打ち解けてくる。そして、居間に案内をする。そこには、
彼の友人が4~5人遊びに来ていた。毎週のように週末は仲間が集まるという。
そこで奥の方の部屋に行き、そこで松尾さんと話をする。薄っすらとした
髭をはやした五十歳位の人で、自由業のようだ。名刺をだそうとしたが、
出さない方がよいと判断、自分の姓だけをいう。急に睡魔が押し寄せてきたが、
そこに10歳位の彼の息子が来て、正座をして挨拶をする。
私も挨拶をしようとしたが、眠くてできない。 その松尾さんに、
「あなたは自由業でしょう。弁護士か、医者か、会計事務所の先生とか」
というと、その通りだと答える。そうじゃなければ、このような好きなことを
好きなまま、できないはず。ところが、この夢には次の場面がある。
翌日、何と家内を連れて、その松尾さんの家に行ったのだ。そして、家内は
松尾さんの奥さんと話をしている。半分お互いに知っていたようだ。
二人で世間話を始める。まあ、せっかくのところに何で家内か、と思っている
うちに帰ることになった。ところが、何か騒がしいので行ってみると、
この家の老いたお手伝いさんが前日亡くなり、そのお参りに近所の人が来ていた。 
そこで私も、仏壇の前でお参りをする。身寄りではないが、お手伝いとして
面倒を見ていた人という。 聞いていて涙が出てくる。その後、一人で自宅の
前に帰ってくると、宅配の人が玄関口にいる。その前に宅配の人がきていたようで、
不在の紙がある。そして、家に入ろうとすると、何か人の気配がする。
二人の息子と、二匹の犬が一Fの部屋にいる。庭から部屋の中を見るとまだ
高校生の彼らである。 その辺りで眼が覚める。何か不思議な、リアルな夢。
心象風景ということか? 他人の夢を垣間見るのも面白い?というより、
珍しいか!私も直後にこれだけ、鮮明に文章化したのは初めてである ネムイ!
                :(,, ・∀・)ノ゛ マタネー.:+:
・・・・・・・・・
2006年08月30日(水)
1975, 写真家はインドをめざす       \(^▽^*)おは!
              ー読書日記
インドを精通する写真家14人が描いたフォトエッセイが、この1冊に凝縮
してあり、読んでいて魂まで吸い込まれるようだ。この本、この数年で5~6回は
図書館で借りてきては返している。 読めば読むほどに何とも魅力のある本である。
いや本が魅力があるというより、インドの地と、そこに住む人々の混在した多様性
にひかれる。カルカッタマザー・テレサの建てた「死を待つ家」。
路傍でまるでゴミのように死んでいく身よりの無い人々が、せめて屋根のある家で
死んでいけるように建てた家の死を待っている老人達の写真を冷静に撮ってあるもの。
 ・物乞いのライ病患者や、駅の隅で転がっている少女の死体?
 ・河の辺で焼かれている燃え上がっている死体。
インドをドック・アイの視線でカメラマンの目は鋭く一瞬を抉り撮っている。
白黒の写真が、むしろピッタリである。一人当たり7~8頁の文章と、10枚位の
白黒写真がその文章の後にある。画家や写真家のエッセイは何故、ここまで優しく
鋭く人の心を捉えるのだろうか? 恐らく、一瞬の被写体の中にある本質を見抜く
感性が私たちの心の奥の共感を呼び起こすからだろう。
この本のトップの日比野宏の出だしの文章から、対象を鮮明に表現する。
(字数の関係でカット09年08月30日)
  ーーーー
「写真家はインドをめざす」青弓社 (共同 著書) (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
・・・・・・
2005年08月30日(火)
1610, 閑話小題
ダイエー長岡店閉鎖ー
ダイエーの長岡店に一昨日の日曜日、最後の見納めで行ってきた。
あと閉鎖まで三日ということで、殆んど商品がない状態。最後の残りの商品に
ハゲタカかハイエナが集るように客が、右往左往していた。本来は閉店といえば、
問屋が売れ残り商品をドサクサに紛れて売るのだが、その元気もないようだった。
ダイエー出店で長崎屋が閉鎖に追い込まれ、今度は郊外のSCやスーパーセンター
に敗れ去る姿は現実の厳しさをそのまま露出していた。
ー今度の選挙は自民大勝かー
 (字数の関係でカット08年8月30日)
・・・・・・・・・
2004年08月30日(月)
1245, オリンピックが終了
オリンピックが、昨夜(日本時間では今朝方)終わった。
期間は8月12日から29日までの17日間であった。
結局は金メダルが16個。前回の三倍、東京オリンピックと同数、
であるから大成功だった。復興委員会が数年前に打ち立てた戦略の結果であった。 
の印象の強い順に書くと
・金メダルを16個取ったこと
・女子マラソンで野口が優勝したこと(丁度ツアーで、ウィーンのホテルで
 チェックインをした直後にゴールを見た)
・柔道が8個の金メダルを取ったこと ー野村が三試合連続金メダル、谷亮子
 女子でニ連勝、優勝最有力視されていた井上康生が一回戦で破れたことなど
・水泳では、男子の岡島が金を二個、女子ではあまり目立たなかった選手が
 勝をしたこと
・体操の団体優勝の緊迫した内容と優勝
・優勝選手のドーピングで、銀であったハンマー投げの室伏選手の逆転優勝
・優勝をめざしていた野球が銅に終わったこと
 -日本のプロ野球の威信をかけたが、この程度の実力ということが判明したことと
これで、一リーグ制に加速がつくだろう  以上、誰もが同じ印象であろう。
ところで、過去に日本が強かった卓球、体操、レスリングなどを、中国と北朝鮮
冷戦時代に戦略的に集中して強化して狙いうちをしていた。そしていつの間にか
彼らの得意競技になっていた。それを一部とりかえしたといってよい。
いずれにしても、日本復興委員会をつくって本気になって金メダルを狙いに
いった結果だった。 まあ素晴らしいことだ!
・・・・・・・・・
2003年08月30日(土)
 878,「何故なれない富士山が世界遺産に!」
 先日のNHKTVの「クローズアップ現代」をみていて驚いた。
「富士山が世界遺産の指定から外れてしまった」と真面目に取り上げていた。
「馬鹿たれ、ユネスコ世界遺産とは何ぞや知っているのか!」
こんなものはフランスの一部の利権屋の既得権のワッペンの世界でしかない。
そのことを西アフリカのツアーで嫌というほど知らされた実感である。
 そのツアーの謳い文句が、「世界遺産を見てまわる旅」であった。
ところが、その世界遺産というのが見るに耐えない塵以下の代物だった。
殆ど意味のない、小さな小屋が世界遺産という。これは詐欺以下の世界である。
添乗員曰く「これは詐欺の世界で、世界遺産はそういう西欧のラベルーワッペン
の代物でしかない!」「うっせい、この野郎!それを謳い文句でパンフレットに
載せて、つれてきたのはどこのどいつだ!」と心の中で思ってもすでに遅かった。 
NHKの番組で「何故、富士山が世界遺産から外された?」と真面目に取り上げて
いたのだ。このことを解ってNHKも放送しているのだろうが、まさか
「天下のユネスコ世界遺産とはその程度のものだ」とも放送できないのだ。
何の意味がない世界遺産をタップリ時間と金をかけて行ってゴミ?を
見せつけられた経験がいわせているのだ。 この文章をみて
「私の偏見で決めつけているいるのではないか?!」と考えるかも知れないが、
実体験でこの目で見た事実である。どうしても西欧の価値観で決められるのだ。
自分たちが過去に統治していて、今も関係の深い観光資源に甘くなる。
「こんなもので遺産はおかしいし、まだ富士山が選ばれてない」と、
その時も添乗員が言っていた ノーベル賞も、「もっと質が悪いもの」と考えると
世界が違って見えてくる。あくまで欧米の政治的価値観のレベルでしかない。
馬鹿みたいなのが、この表象世界である。しかしそこに住んでいるのが人間でも
あるのも事実であるが。特に閉ざされた国の日本人は、世界遺産とかノーベル賞
という言葉だけで信じてしまう傾向があまりにも強い。更に地方にいると、
こういう視点を持つこと自体が変人扱いをされてしまう。「他の星の住人の視点」
をこういうグローバルの時代こそ必要ではあるまいか! フランスでは大統領に
当選すると、まず大統領マニュアルを徹底的に叩き込まれるという。その中に
「地球儀を数メートル離れたところからみる習慣化の訓練」があるという。
それを知ったときは、なるほどと納得したものだ。自宅では、TV の横に
100円ショップで買った地球儀が置いてある。
会社では、机の横に子供が使っていたボロボロの地球儀が置いてある。
時たま稀有壮大のことを考えるのは、そのせいだ。
100円ショップというところが自分でも週に数回は地球の旅の番組を
TVで見るときに手にとって見るが、非常に便利である。