つれづれに

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  今日のYoutube

 6年前の同月同日の内容から、政治世界をみると、その変化の激しさに驚く。
自民党が崩壊して、民主党に政権が移動する選挙の話だ。 そして、民主党
政権が移行したが、所詮は、批判政党の枠から一歩も出ることが出来ないで、
再び、自民党へ。 そして、また利権体質の自民党に後戻り。 悪さ比べという
事態が現在である。 どの道、今まで先送りのツケが、露呈して、惨憺たる
経済と政治破綻になって、それが弱者に襲い掛かる。 何とか2020年の
東京オリンピックまで持たせることが出来るかどうかだ。




・・・・・・
3068,衆院選後のマスコミ社説を先取りすると!
2009年08月29日(土)

 衆院選挙の自民党の壊滅は、ほぼ決定的である。
バナナを使って捕獲されたサルと自民党の姿そのものが重なって見える。
サルを捕獲するに、箱にバナナを入れておき、サルの手が入る穴から
バナナを掴むと手が抜けない。そこを捕獲するという逸話がある
(本当かどうかは確かではない)。
それと、自民党の300議席からくる権力の執着に似ている。 
誰かがこの喩えを使うかどうか。翌日のマスコミの解説の内容は以下の通りだろう。
  * 民主党の大勝に意味すること 
《 民主党が歴史的大勝をしたが、これは自民党の4年間の政策に対する
国民の失意の結果。ところが自民党の領袖たちは最期まで、その自覚が
全く無かったようである。一年おきに、実力の無い首相を血統書のブランドだけで
三人もたて続きに送り出し、その醜態を見せつけられれば、国民は愛想を尽かす
のは当然である。 自民党は、国民を小泉劇場という猿芝居で騙し取った議席
4年間も居直り官僚に利する政策を続けた結果が、これである。 
日本の歴史に残る最悪の事態に導いた4人の宰相と、元首相や元領袖などは、
汚点として評価されて然るべきである。 この7~8年間に新自由主義の波に乗り、
堀江モン、村上某、オリックスの宮内某とかの、怪しげな乗っ取り屋がマスコミ
で寵児のように扱われた。 その結果、日本的企業風土は粉々に壊されてしまっていた。
 小泉の行った郵政民営化は旧態依然とした体質に風穴を開けたことは確かである。 
民主党が、それを全面否定してはならないが、大きな修正の必要性はある。
 ところで日本の国体をこれほど落し込んだ元凶の田中角栄の娘が、風の流れに
便乗して民主党に入り込んで閣僚を狙っている?と報じられているが、外務大臣
のときの醜態を二度と国民の前に出してはならない。 落選した自民党の大量の
元代議士が今度は参院で再起を目指して、水面下で選挙を目指して起死回生を
かけるだろう。その結果として、参院が自民・公明党過半数を取ることになれば、
これまでと全く逆転する皮肉な事態になる。 そのプロセスで政界再編成になる
だろうが、この政治的に幼稚な日本という国にとって、この5年間は大転換期。
可能な限り安定した政局の必要である。民主党の待ったなしの強力な戦略が
求められる。》
 大方、こんな風な内容だろう。「自民に不満、民社は不安」
とは良く言ったものだ。変化は不安だが、必要である。

 ・・・・・・・・
2703, 「レンタルの思想」-7
2008年08月29日(金)

地球は太陽の周りの隕石が何度も何度も衝突を繰り返しながら拡大し、
生成されたもの。聖地が石で出来ているというのも、その辺に秘密があるのだろう。 
趣味の究極は石になるというが、それもまた同じ理由なのかもしれない。
いま気が付いたが、植嶋啓司の本を取り上げたことがあった。
全く忘れていたが、聖地の共通点を取り上げた内容だった。
~~
「宗教の隕石学」への挑戦   松井孝典×植島啓司
 *聖地の岩石学

松井: 植島さんの本を読んで、なるほどと思ったのが「聖地というのは、
みんな石切り場だ」ということです。
植島: 石を切り出したところ、あるいは特殊の石組みですね。
松井: 自然が宇宙の歴史を記した古文書なら、石切り場も古文書です。
植島: 20年間、世界中の40数箇所の宗教の聖地をおとずれたが、共通して
出会ったものは「石」であった。エルサレムの黄金のドームは
岩のドーム」と言われているとおり巨大な一枚岩が置いてあるだけ。
    聖墳墓教会のあるゴルゴダの丘もかっては巨大な石切り場だった。 
ストーンサークル(環状列石)、岩石刻文の宝庫であり、 
パルテノン神殿が建てられたアテネの小高い丘は巨大な石の塊、
エジプトのピラミッドは元々は石灰岩の山で、崩して平らにして
組みなおしたもの。これらは偶然だけではないだろう。
植島: 聖地の条件として、ある樹木があるとか、洞窟があるとかではなく、
なぜ石なのか、石には何か特殊の力があったのか。・・ 
古文書として石を読む上で、分析は非常に大事だと思います。
    ただ石の成分を読むのではなく、石が置かれた文化的環境を読む。
    石ということでは、隕石や地球のマグマとの関係も重要です。・・・
松井: 実は1980年以前はそういう認識はなかった。というのも地質学では、
巨大隕石の衝突と地球史・生命史を結びつける考え方は、科学では
退けられていた。しかし天から降る石があって、それが人間の存在や
    考え方に影響を及ぼすという認識は、自然科学の登場前からあった
かもしれない。
松井: 今こそ地球上に多くの人が住むようになって、絶えず隕石の落下が
報告されているが、これが人間が少ない時に大空から大音響とともに
火の玉が降ってくるというのは、すごいインパクトがありますよね。
  ~~
解) 聖地は、どれもこれも、石切り場の跡にあるという。私も多くの聖地を
見てきたが、全てが石組みであった。古代は大創造物は石しかないのだから、
何も不思議ではないじゃないか、 という見方も出来るが。
   隕石に不思議な成分が含んでいたのかもしれないし、宇宙の暗号があった
のかもしれない。現代の人類が、その暗号に気づかないだけなのかもしれない。
隕石に不思議な波長を、特殊能力のある人は、感じ取っていたのだろう。
空から轟音とともに石が降ってくれば、神からの贈物と思うのも不思議
ではないが。「聖地の隕石学」も面白いだろう。親父が晩年、石に興味を
持ち、うちの庭には大きな石と石灯篭がゴロゴロある。
   一昨日も、兄の庭にあった石灯籠を一つ引き取った。 
   一年ほど前から、庭の花を写真に撮りだしてから、ここの庭に興味を
惹かれるようになった。石と木と花と緑のバランスが良いが、
実は特徴は背景の石だったということだ。

・・・・・・・・
2007年08月29日(水)
2339, 意志について  ・ω・)ノはよー
 「狂人三歩手前」 ー中島義道
  -哲学などしないようにー

哲学は、全て根こそぎ疑い、そして疑いの中から真実を見つけようとする。
哲学は曖昧な言葉をミキサーのように砕いてしまう。 意志についても
哲学者は、その言葉に含まれている前提を見逃さない。
殺人者は、殺そうという意志があって成り立つ。(衝動もあるが)
一般的に意志は初めから「善いもの」という前提がある。
その前提を見逃さないのが哲学である。だから、嫌われるのである。 
といって、曖昧な考えは、判断を狂わしてしまう。
真理をさけて通ることは、さけて通ったという事実が残る。

ーー                  P-174
世の中で信じて疑わないことのほとんどが眉唾ものである。
とは、10歳の頃から直感していたが、ーそれを一つ一つ「やっぱり」と
納得していく過程が私の人生であった「ある」とは何か、「いま」とは何か、
「私」とは何か、「善い」とは何か、人生経験を積めば積むほど夜中に
森の中をさまようようにわからなくなっていく。とりわけ、このごろ「意志」
と呼ばれているものは、ただの社会的取り決めにすぎないのだ、という思いが
強くなってきている。 私はすべてにおいて優柔不断であり、何かを選んだ
瞬間に後悔することはざらにある。「タンメン」と注文した瞬間に
「味噌ラーメン」にすればよかったと後悔。だが、取り消すのは恥ずかしいし、
もう作り始めているかもしれないし、とあれこれ考えて、ぐっとこらえるのだ。
  (字数の関係でカット08年8月29日)
 ーーーー
そういうこと! 哲学など徹底的に割り切って鳥瞰していないと、
社会を混乱させるに過ぎないだけである。 ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
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2006年08月29日(火)
1974, 東京駅の一瞬の出来事!
  Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning (~O~)ふぁ・時差ぼけ!

ケニア旅行の帰路、最終の新幹線に間に合わないので日暮里に泊まった。
翌朝、東京駅の新幹線改札口の近くに行ったところ、突如顔色を変えた
黒服の背広の10人位が走ってきて通行をストップした。
一瞬、テロ爆弾の予告電話が入り閉鎖を始めたのかと思った。
しかし、その直後冷静にみると何か違う。黒服の男達は改札口の両側に
ロープを張って、その中に人を入れないようにしている。
「はは~、超ビップの新幹線の乗り込みのための警戒のための何か?」と直感。
逃げかけた家内を呼び止め「超ビッグのための警戒。面白そう見てみよう!」
次の瞬間に、カメラを出してと、家内がいう。近くにいた人がやはり携帯電話の
カメラを出した。私も一瞬迷ったがバックにデジタルカメラを有ることを思い出した。
そのときは、皇室??を忘れて写真を撮っていた。近くのSPが嫌な顔をしたのが
一瞬わかった。 それをさせないのが、SPの技術のなのだろう。そして、
一枚撮って、その後ビデオに切り替えた。しかし、それは写って無かった。
東京駅では日常だろうが・・ 天皇・皇后様が新幹線に乗るときの状況を直に
見るのも面白い。新幹線に乗るときに数分間の一瞬しか交通止めしかできない。
もし閉鎖で乗り遅れたら、国民の反感を間違いなく受ける。
我われの目線は天皇であろうが、何であろうが同じである。
                     \(^▽^*)バイ!
・・・・・・・
2005年08月29日(月)
1609, 愛とは何か -1

この歳になって、いまさら「愛とは何か」でもないが、この年齢でなればこそ、
愛が人間の心の背骨と実感する。ある愛の定義が納得のいくものである。
「愛は、自分自身や他者に対して共感的にあるがままに受け入れることと 
尊重することである」これから考えてみると愛することとは、自分を自分として、
他人を他人として受け入れることになる。まずは自分と他人を尊重することである。
他人を愛するということは、よかれと思い、その道を一緒に探し求めることである。
判断や批判なしに受け入れることが、愛の第一歩である。飯田史彦著「愛の論理」
の「愛」の定義が面白い。 その一部を抜粋してみると、
 ー愛の定義 p.334
愛とは、自分という存在の価値認識と成長意欲から生まれるものであり、
相手がただ存在してくれていることへの感謝ゆえに決断し、永続的な意志と洗練
された能力によって実行しようと努力する、相手の幸福を願い成長を支援する行為。
p.374
私たちは、愛の実行力からみた人間としての成熟度に応じて現在の自分に可能な
範囲で精一杯の愛を実行すればよい。なぜなら、成熟度を大きく超える愛の実行を
試みても、そこには必ず無理が生じて、自分自身を痛めつけたらり、相手をも
巻きぞえにして傷つけてしまう結果になるからである。ただし、私たちは、
自分の成熟度を高めるための努力を、つねに怠ってはならない。
なぜなら、私たちは、愛の実行のみによってゆるされるのではなく、
より高度な愛を実行しようと挑戦することによって、ゆるされるからである。
したがって、私たちは、はるか彼方にそびえる「愛の山頂」にあこがれながらも、
いま目の前で踏みおろすべき「次なる愛の一歩」を、見きわめなければならない。
そして、まだ山のふもとや中腹を歩んでいることを自覚しながらも、
着実に山頂を目指して登ろうと努力する時、その勇気と成長によって、
私たちはゆるされるのである。

ーまた谷川俊太郎の詩がよい
  あい    谷川俊太郎

あい 口で言うのはかんたんだ
 愛  文字で書くのもむずかしくない
あい 気持ちはだれでも知っている
 愛  悲しいくらい好きになること
あい いつでもそばにいたいこと
愛  いつまでも生きてほしいと願うこと
 あい それは愛ということばじゃない
愛  それは気持ちだけでもない
 あい はるかな過去を忘れないこと
愛  見えない未来を信じること
 あい くりかえしくりかえし考えること
愛  いのちをかけて生きること
 --
 宗教の愛についての教えも深い。 愛について聖書にはこう書かれています。
「愛は寛容で、情け深く、ねたむことをしない。高ぶらず、誇らず、無作法をしない。
自分の利益を求めない。いらだたない。恨まない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
すべてを忍び、信じ、望み、耐える。」また仏教では、「無縁の慈悲」を究極の
愛の姿としています。つまり、私が誰かに何かをしてやるということを
全く意識しないで、他者を幸せにすることです。

・・・・・・
2004年08月29日(日)
1244.お笑いコーナー 今日のお笑い 

いろんな国の男が、象について本を書いていた。
ドイツ人は脚注がたくさん付いた三巻本を書いた。その表題は
「象研究序説」フランス人は薄く軽妙な本を書いた。 その表題は
「象とその性生活」イギリス人は挿絵の豊富な旅行案内を書いた。 
その表題は「アフリカ奥地の象狩り」アメリカ人は広告用小冊子を書いた。 
その表題は「裏庭での趣味と実益をかねた象の飼育法」
ユダヤ人は戦闘的なパンフレットを書いた。その表題は「象と反ユダヤ主義
 ーーー
ブッシュ大統領がイメージアップと人気増進のためにPRキャンペーンを
行うことにした。彼は小学校を訪れて子供達に彼の政策について分かり易く
説明することに決めた。大統領による説明が終わった後、彼は子供達に
向かって「何か質問がありますか?」と尋ねた。
ティーブという生徒が手を挙げて 「大統領、僕は三つ質問があるんです。
 1.どうして大統領選挙では総投票数が少なかったのに、
あなたは大統領になれたのですか?
 2.はっきりした動機もないのに、なぜあなたはイラクを攻撃したのですか?
 3.歴史上最大のテロリスト攻撃は広島への原爆攻撃だと、あなたは思いませんか?」
ちょうど質問が終わった時に休憩のベルが鳴ったので、子供達は校庭に遊びに出た。
休み時間が終わって子供達が教室に戻るとブッシュ大統領は彼等にまだ何か質問があるか、
と尋ねた。 エディが手を挙げて尋ねた。 「大統領、僕は五つ質問があるんです。
 1.どうして大統領選挙では総投票数が少なかったのに、大統領になれたのですか?
 2.はっきりした動機もないのに、なぜあなたはイラクを攻撃したのですか?
 3.歴史上最大のテロリスト攻撃は広島への原爆攻撃だと、あなたは思いませんか?
 4.どうして今日はいつもより20分早く休憩のベルが鳴ったのですか?
 5.僕の友達のスティーブはどこに消えちゃったのですか?」

ーーーーーー
2003年08月29日(金)
877, 女の盛り時ー女とオバサンの境い目

十数年前に、第一生命の叩上げの財務の人と飲んだ時期があった。女性を知り
尽くしている人という感じであった。こと女性に関しての一言一言が相通じるものがあった。
私も姉が4人もいたり、女性の職場にいたため、女性の裏表を知っているつもりであった。
しかし体を張って保険をとってくる女性を管理してきた人の言葉は、全く違う響きがあった。
・保険勧誘はギリギリのところの女性を動機付けていなくてはならない。
 部下とは塀の上に一緒に立って(男女の中という意味)いないと仕事にならない。
その危なさが何とも面白い。
・女性の盛りは40歳からの数年である。丁度人生の曲がり角で一番危ない時である。
危なさが微妙に女性の魅力になっている時期である。 オバサンになるか、
今一度最後の花を咲かせるかの境い目が何とも良い。なるほどと思って、その視点で
見つめなおすと全くその通りである。高峰秀子が何かの本で「女性は45歳が境い目で、
急激に坂道を転げ落ちるように変わっていく」と実感で書いていた。
何か第一生命の人の言葉と相通じるものがあった。 女としての最後の輝きが全身
から出てくるのだろう。その時期に、私の姉たちと従姉が葬式で同席した。
その年齢の境い目の前後の姿を、そのまま目の当たりに見てしまった。
 しかし、チャンと身奇麗にしていれば、その年齢の魅力は出てくるものだ。
年齢を重ねれば重ねるほど、自己管理が必要ということだろう。それは男女に
関係なくだが。内面がそのまま表に出るから恐ろしいのが歳の蓄積である。
昨夜も同級会の幹事会で悪臭を撒いていた「おれは中卒だ!」が口癖の漫画に
出てくるような職人がいたが。同級の女性達も、年齢の割りにちゃんとした
魅力を保っていた。長年の品位が魅力になってくるのだろう。

ーーーーーーー
2002年08月29日(木)
503,「10,4,2,1の法則 」-2

我々は何時の間にかこの逆をやってしまうことがある。
一つことをやって上手くいかないと次のことを始める。
それはそれでよいが、やめてから次のことをすべきである。
やめないで、次から次に始める。上手くいって舞い上がって始める
ケースも多いが。力の分散である。飲食店の場合、見ていると本当に多い。
東京TVの「愛の貧乏大作戦」を見ていると面白い。追い詰められた
商店主の店を建て直す番組。主力の商品がお客に受け入れられなくなり
廃業直前になる。メインの商品の落ち込みを他の商品を広げて逃げてしまう。
更に主力商品の力が落ちる。そのことすらも気づいていない。
上手くいっている店は、商品の絞込みがしっかりしてある。
その店で修行する番組なのだが、その段差が漫画的ですらある。
いろいろな失敗の中でそれに気づいている店主と、全く気がついてない店主
の差が歴然としている。マクドナルドはハンバーグだけであれだけ大きくなった。
ただハンバーグでは大きくなれない、あとはシステムの構築だ。
それも数十年かけた。 街の大衆食堂は、何でもあるが全て中途半端だ。
その道のプロならまだよいが、素人が中途半端で始めると目が当てられない。
近くの飲食店で死にかけている店がやはり同じことをしている。
拡散はメインの商品の質の低下を引き起こす。自分がレンズになり、メイン
商品に焦点を当て続ける事だ。そうすれば、そこにはエネルギーが集まる。
自戒も込めて書いている。私の場合は、客室プライスの価格破壊の徹底と、
それでも利益を出せる仕組みつくりだ。話はそれたが、時代の変化に対して
変化し続けることは難しい。一つの事を止めて、次の商品の開発は大事なことだ。
商品も事業もだが、メインの深耕を本当にしてからだ。

ーーーーーーー
2001年08月29日(水)
[125] 目には目を歯に歯を

この意味をイスラエルに旅行するまで全く知らなかった。 
実際の意味はその正反対の意味であった。それまでは目をヤラレタラら殺す、
歯をヤラレタラ目をやる。それをヤラレタ範囲で仕返しをやる、
というむしろ優しい掟であった。それだけ激しい条件の世界であった。
旧約聖書でいつの間に当たり前と思っていたことが、そこで始めて規制されていた。
ホモもしかり、それまで当然の世界で何もおかしい世界でなかった。
その倫理をただ旧約聖書が規定したから悪いことでしかないのだ。
そのことをイスラエルではじめて知った。5000年前にアブラハムという
部族長が神の声を聞いてその声に従って、イスラエルに向かった。
そのアラーの神に今も世界が支配されている。キリスト教の神も
そのラージXでしかないのだ。イスラムののアラーの神も然りである。
考えてみればあの裸の王様でしかない。皆解っていながらそう考えておいた
ほうが、良いから信じてしまえと鼻声で X を神にして祈っている。
確かに人間の人知に及ばない何かがあることは当然だが、それを単純に
神に集約するのはおかしい。しかし神の名の元に基準は必要であり、
言葉を待ってしまった人間ー過剰な欲を持ってしまった人間ー