つれづれに

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 今日のYoutube

 今日の11時半より、義兄の本葬に出席予定。
その連れあいの一番上の姉も、15年前に亡くなった。
残されたのが甥っ子夫婦。 
 そろそろ、私たち世代の淘汰?が始まったのか。


・・・・・・
3436, 人生で後悔することとは? 満足していることは?
2010年08月22日(日)
 * 私の人生で後悔することを、まず3つ挙げるとしたら

先日、「死ぬときに後悔すること」を取りあげた。
そこで私の場合はどうか、考えてみた。
 ● 人生で後悔すること
・酒の飲みすぎと、それからくる失敗の連続
・身近の人たちへの配慮の不足
・NTT株やカラオケ事業など中途半端な準備で大失敗したこと
・100年、250年に一度の世界的変動期に遭遇してしまったこと
 (自分の問題ではないが)
・大学ノートに絞って生情報・知識を整理したおくべきだった。 
 記録のパターンの統一の不徹底
 ● 人生で、本当に良かったと思えること
・幼児期・少年期に、両親の創業を家族として体験できたこと
 (両親が必死に働いている姿がみれた)
・大学時代に多種の経験ができたこと。 
 最も充実した学生生活を送れたと言えること
 《ゼミ、一ヶ月間の欧州旅行、寮生活、クラブなどなど》
・30歳までに、問題の大部分を吐き出し、乗り越えたこと。
・26歳から、四十年近く独立独歩で事業ができたこと。
・55歳からHPを開設、公開し、一日一テーマで9年3ヶ月、
 休むことなく書き続けたこと。
 その結果、ネット世界に乗り遅れなかったこと。
 まる『10年』に9ケ月になったこと 
  その結果、情報化社会の一端を垣間見れたこと
・好きな秘境・異境ツアーを中心に海外ツアーなど47回、
 続けて旅行できたこと
・両親などの家庭環境に恵まれ、時代背景が歴史的にみて日本が
 ベストの時代に20、30、40歳代を過ごせたこと
・人生で致命的な場面に遭遇しなかったこと(今までは、だが)
 ~~
 実際は後悔することだらけなのだろうが、やりたいことは、
やった実感がする。「人と比較をしない」のがポイント。
何度も書いてきたが、「上を見ればきりがない。下を見れば底がない。
横を見れば情けない」の最後を「ありがたい」にすればよい。
 後悔か~  やはり、感謝が足りない分、後悔することになる。 
一日、一回でも心を込めて「ありがとう」というか。
 ・・・・・・・・
3061,階級社会だと! -1
2009年08月22日(土)
 世の中には、露出されてないが、階級社会が歴然と形成されている。
地方などでは、あまり表面化してないが、都会などでは住む街からし
歴然としている。千葉・総武線沿線界隈などの下町と、自由が丘などの
山の手界隈と街並みからして違うのは今さらである。世の中に平等など考えて
みたら有得ないのは当然のことで、有るとしたら選挙権とチャンスの平等位。
ところで、仏の社会学者のブリデューが、「プラティーク」と「ハビトゥス
という概念で社会階層のあり方を分析している。
・「プラティーク」とは、習慣行動と訳されるもので、我われが何を好み、
色いろな場面でどのように振舞うかである。
・「ハビトゥス」とは、その習慣行動を派生させている規範システムをいう。 
高校受験で、まず分類され、高校のクラスも
成績順に分類され、大学でふるい分けられ、次は就職、そして、
それぞれの組織の出世競争でランクつけられる。 
ブリデューは、「それぞれの階層の含まれる人間は、全てでないにしても、
同じような習慣行動をとる」 このような構造を発生するものとして
文化資本」という概念を示している。そういえば父が私を道具屋に
幼児の頃から連れて行き、色いろな茶碗や仏像を意識的に見せていた。
母は、ことあるごとに倫理的な話や、商売の原理原則の話をしてくれた。 
第二次大戦前まで、何代か続いた古美術店を営んでいて、戦中、戦後に
色いろな商売の立ち上げなどの経験を具体的に聞かされていた。 
また、山本五十六や、地元の「ツガミ」の津上退助や、野本互尊との
親交の中で学んだことなど聞かされて育った。それが、「ハビトゥス
のベースだったのだろう。
 それがあったから、どの場面でも偉そうな何を見ても、
それがどうしたで、相手から威圧を感じたり、仰ぎみることはなかった。 
文化資本の一部分の引継ぎがあったのだろう。その文化資本は決して親
だけでなく、自分で長年かけて形成しなければならないことも両親の生き
様をみて分っていた。 毎日の早起きであり、読書であり、下世話な話を
しないことであり、日常の贅沢をしないことであり、死に金を使わない
ことである。 「で、御前さんは、その程度か?」と言われれば、
それまでよである。 まあ、いい。 ただ、私たちは、その文化資本
匂いは嗅ぎ分ける。その文化資本は、倒産などで一瞬に崩壊してしまう
ケースを、あまりに多く見てきた。それぞれの階層は、その匂いには敏感。
特に腐った匂いには。 
 「習慣は第二の天性」である。 だから自分で良い習慣を一つずつ
作り上げれば、ある日、突然違う自分を見出すことも可能である。 
その反対もある。
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2696, 「レンタルの思想」-4
2008年08月22日(金)
  ー人類を救う「レンタルの思想」松井孝典対談集ー
どの対談を読んでも、なかなか難しいが、何度か読むと解かってくる
から不思議である。対談でないと、専門家(特に学者)の書物を読む
気にはならないが、対談の場合は意識的に難しい部分を、噛み砕いて
対談をしてくれるから、話しの内容についていける。
私が、この二人の対談で理解できたことは、
・「『人間とは何かを考えたとき』 言語・法・貨幣という本能と理性
 の間にある媒介物こそ、人間を人間にしているのだ」ということである。 
 しかし、その貨幣が欲望の肥大を生むのである。
・「貨幣という概念の誕生によって初めて、グローバルな人間圏が定義
 されるのではないか」
 「所有という欲望の具体的なカタチを貨幣という抽象化し、それが
 グローバルな人間圏を形成させた」という点である。これにインター
 ネットで電子マネーが瞬時に世界を駆け巡るのだから、世界が
 グローバル化するのは必然。まずは、一番印象に残った部分を抜粋。
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ー欲望の倫理学ー  
           ー 松井孝典 × 岩井克人
岩井克人: 法のない社会では、たとえば他人に殴られた人間は、
その人間を殴り返すか、または直接賠償を要求しなければならず、
そこでは個人の力の大小や属するグループの強弱によって人間関係が
支配されてしまう。しかし、法があれば、その法を媒介として、殴られた
人間と殴った人間との関係は抽象的な権利と義務の関係に還元されることになる。 
それが人間社会を拡大する。さらに貨幣が導入されると、人間と人間との間の
交換関係がグローバル化する。贈与交換にもとつく共同体では、交換の範囲が
お互いに顔を知っている人間同士に限られるのですが、貨幣の媒介は顔を知らない
人間同士でも交換を可能にする。地球上にちらばっていたローカルな人間圏が
統合され、本来の意味での人間圏というのができることになる。
松井孝典: 地球システムのなかの人間圏という概念を定義する仕方に、
二つあると。 一つは物質エネルギー循環的に定義する方法、
 もう一つは貨幣という仮想的概念のもとに、一つの共同体として成立するか
条件から定義する方法。岩井克人:そういうふうに考えると、じつは
『人間とは何か』と考えたときに、それは、言語・法・貨幣 という、
 自然でもなく人為でもない人間関係の媒介物、ハイエクの言葉を借りると
(本能と理性の間)にある媒介物こそ、人間を人間にしているのだということになる。 
それは同時に、人間を普遍化させることになります。
  《対談を終えて》 松井孝典
生物圏から人間圏が分化したその時、人間の欲望が解放された、と私は考えた。
欲望の具体的表現が所有であるから、その時に人類の地球の所有が始まった、
と以来考えている。しかし、主流派経済学では所有権という概念を用いて、
生物圏の種の一つに過ぎない段階でも、人間の行動の全てを解釈する、という。 
貨幣という抽象的概念の誕生によって初めて、グローバルな人間圏が定義される
のではないか、という指摘と共に頭の中が刺激される。
ただし、未来という時間軸は、所有権という概念をもってしても、その議論に
組み込めない。私風に言えば、歴史を規定する境界条件が変化するとき歴史に
基づいて未来は予測できない、ということであるが、問題の難しさはいずれに
せよ、この問題に帰着するようだ。(松井)
 ~~
後記:電子マネーとか、地域マネーとか、ポイント制などの企業内マネーとか、
これまでとは違った貨幣が生まれだしてきた。特に注目するのはネット内の
仮想世界のマネーである。ネット内では、共通ルールと、共通マネーと、共通
言語が必要となる。それを前提としてネット内の仮の個々人が成り立つ。
そして、リアル世界では実現できなかった欲望が解放される。
  金か~ 使ってこそ金、貯めるものじゃない、欲望を開放するもの。
   ただ仮想的概念でしかないことを忘れないことだ。
・・・・・・・・・・
2007年08月22日(水)
2332, ホッファー -1
             オノヽ∋―_φ(゜▽゜*)
アメリカの社会哲学者というより、哲人・ホッファー。彼の文章を読むと、
深い魂を呼び起こす熱が伝わってくる。彼は自分の生きかたを通して人生の
何たるかを考え続けている。知識として、やっと彼まで行き着いか!というのが
感想である。日本でいうと中村天風のような人物である。「ホッファー」で
検索をして、日本で現在一冊だけ出版してある本を見つけ、中古本だが
アマゾンから発注をした。「エリック・ホファー自伝 構想された真実」だが、
今から読むのが楽しみである。HPに彼に関する書き込みが多いのに驚いた。
これからみても彼の哲人ぶりを垣間見れる。生きていく上で真の「学び・学習」
とは何かを深く考えさせられる。
まずは、検索で調べた哲人・ホファーの人生の概略図である。
 ーーー
・ホッファーは(1902年7月25日~1983年5月20日)は独学の社会哲学者。
ドイツ系移民の子としてニューヨーク、ブロンクスに生まれる。
・7歳のときに母と視力を一緒に失った。
   (字数の関係でカット09年08月22日)