つれづれに

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 今日のYoutube

 今朝、8時からワールドカップ女子サッカーの対イングランド戦。
最後のアブショナルタイムで、イングランドオウンゴール自殺点)で
日本が辛うじて勝った。試合は、イングランドの一方的に押していた試合。
日本猿が、ホワイトチンパンジーの集団に攻めこまれていたような・・・
 最後の最後は粘り勝ち、勝ちは勝ちである。
これで、先回のオリンピックと、先々回のワールドカップに続き、
三回続けてのアメリカ戦になる。間違っても勝てないと思うが・・・
これだけは、実際に戦ってみないと分からない。


・・・・・・
2646, 世界の株価ー上半期の騰落率
2008年07月02日(水)

先日の日経新聞
「世界の株価・資源高の明暗(08年上半期の騰落率)」が、出ていた。

ー概略をまとめてみるとー
 ●国別の明暗からみると、
2008年上半期(1―6月)の世界の株式市場の値動きは、資源国と非資源国とで
明暗が分かれた。株価騰落率を比較すると、上昇率上位には南アフリカ共和国
カナダ、ロシアなどの資源国が並ぶ一方、中国やベトナム、インドの下げが際立った。
日本はデフレが長かったことが、インフレに抵抗力があると逆に見直され、
株価の下げが小幅にとどまった。全世界の動向を示す「MSCI世界株価指数
(48カ国・地域ベース、現地通貨建て)」は昨年末比 14%下落。
このなかで上昇したのは南アフリカ、カナダ、ロシア、ブラジルの4市場で、
いずれも資源国だ。ベトナムが何と57�の下落、中国の上海が48、インドが
30数�である。上海とインドは6月だけで20�の値下がり。 
原料を仕入れて加工し輸出する国が原油穀物などの値上げが直撃をし
た結果が出ている。

 ●業種別でみると、
金融、自動車が大幅に下落した。反面、資源高が追い風になったエネルギー
関連が高騰した。中国最大手のペテロチャイナや、ロシアのガスプロムなどの
時価総額が世界有数の規模になった。自動車が下げた。ホンダなどの燃費の
良い車を生産している会社株の下げは小さかった。しかし、大型頼みの
GMの株価は、この半年で半分になった。 6月26日には34年前の
1974年12月の水準まで下げた。時価総額が6900億と、トヨタ
17億兆円の25分の1の程度になった。自動車株全体で20�近くまで
下げた。 金融株も全体で20�下げ、金融最大手のシティは、資本増強を
好感して4月に持ち直したが、最近になって安値をつけている。

 ●日本株は一割安で欧米より小幅
昨年、世界的にみても大幅に安値をつけていたので、小幅の一割安だった。
ポイントは日本のデフレで、多少上がっても、企業や家計に与える影響は
西欧に比べて影響は小さい方。それは外国の投資家が消去法で買いに
入ったに過ぎなく、不安定なことに違いはない。
 ---
以上になるが、中国と、インド、ベトナムが、今回の石油、穀物などの
資源の高騰の最大の被害を受けている。日本は、この十数年の値下がりが
あったので、少なく見えるが、これからジワジワ影響が出てくる。
フランス、イタリア、ドイツなどの欧州も打撃が大きい。
昨夜のニュースで、世界中が困惑していると報じていたが、
打つ手なしの大津波を前にして呆然自失というのが実感である。
日本一国ではなく、世界全体の問題だから深刻である。

・・・・・・・・・・
2007年07月02日(月)
2281, 大学下流化時代
                   才ノヽ∋― (≧ω≦*)♪ !!
 図書館から借りてきた数ヶ月前の月刊誌に「大学下流化時代」という
特集があった。(中・高校生の質の低下は知っていたが)大学生の質の劣化
を露骨に分析してあった。現在の社会や経済と同じ現象が大学でも生じて
いると思えば納得する。これでは中国・朝鮮・インドに将来、追い越され、
さらに遅れをとるのは必然と考えざるをえない。 恐ろしい現実を知った。

 ー要約をすると・・・
大学進学率が10~20�の時代は、東大・京大をはじめとするエリート大学に
中堅上流大学の学生文化が上位同質化をしていた。ところが、30%を超え、
さらに50%を超えた現在、中堅上流大学が下位同質化になってしまった。
中堅上流の大学そのものが学生消費者主義への迎合やポピュリズム大学
改革で、下流化して負け犬になってしまった。もはや東大・京大等の一部
エリートと、中堅上流校以下は分断してしまい、ほとんどの大学が下流
陥ってしまった。これは非常に日本の将来に暗雲が立ち込めた事態である。

仏国の大学生を例にみると、文化資本の形成にあたっては学校効果よりも
家庭効果が高い。つまりどんな大学で学んだかより、家庭の文化資本
多寡によって本人の文化資本形成が左右されるということである。
日本は逆で、家庭の文化資本によるより、学校文化によって文化資本
形成される度合いが強い。とすれば、日本における文化資本形成における
せっかくの学校効果を、近年の下流化が根こそぎ破壊されていることになる。
負け犬キャンパス文化の上限が中堅大学にせりあがり、彼らはこうした
文化に浸っているので、「これでいいのだ」文化によって、負け犬の
道を意識しない。こうした事態ははなはだ深刻である。
--
以上であるが、大学も20対80から、5対95の分断化が進んでいる。
そこまで、日本は絶望的な状況なのか! 私立では慶応だけが抜きんじて、
早稲田以下に差をつけてしまったというが、そこでも同じ現象が生じて
いるのか?それとも、ブランド戦略の差なのか?
それと、現在短大を含めた大学生が51・5�、高専・専門校生が25�という
のも、知ってはいたが、改めて実態を確認すると問題の深さに驚いてしまう。          
                           ´・ω・]ノヂャァネッ
・・・・・・・
2006年07月02日(日)
1916, スペイン画家・堀越千秋ー7
                 才八∋ウ_〆(∀`●)
      スペイン七千夜一夜  集英社文庫  ー読書日記

スペインといえば、やはり闘牛である。何回か闘牛について書いてきたが、
堀越氏の闘牛の見方が独特の視点である。「俺と一緒にするな!」という
著者の声が聞こえそうだが!一回目は衝撃的だったが二回目に見たときは、
観衆と一緒に興奮して、面白いと思えるようになった。
早くいえば、寄ってたかって一頭の牛を殺すのを楽しむショーである。
が、慣れてくると、それが恐ろしいことに、面白くなるのだ。
    
現在は、闘牛士と戦う前に、槍で刺して弱らせる。そうしないと殺される
確率が高くなるからだ。初め観たときに誰もが思う「卑怯ではないか!」と。
しかし、ここはスペイン!それが現地の文化?の一つなら一緒に楽しむこと、
と決め込み、何度か自分の良心に言い聞かせて・・・
 まずは、その一部を抜粋してみた。

スペイン名物、闘牛とは、そもそもそんな主客転倒の様式化といってよい。
牛は、平和な原野の牧場からある日突然連れさられる。
暗闇に閉じ込められて、いきなりドアが開くとまぶしい闘牛場だ。
怒ってやみ雲にも角を振り回しているうちに、あちこち槍だの銛だのに
突き刺されて、最後に長剣を刺されて死ぬ。 何が何だかわからない。
 一方、客の方は、やれあの牛は闘士がない、いや勇敢だ、角を左に回す癖が
あってよくない。いや口を結んだままで強い、右足がゆわい、いやダメな牛だ、
いや素晴らしい牛だ、これこそ牛の中の牛だ、等々、勝手なことを言う。
そして、血の泡吹いて息絶えた牛が、4頭のラバに引かれて退場をする
ところを、拍手をしたり、口笛をふいて避難したりする。人間どもの勝手も
いいところだ。牛の都合など一切、考えない。人間の都合と審美観のみを一方
的に牛に押し付ける。元々人間対動物の関係は、そういった一方的なものだが。

牛の都合は、実は、無視されているのではない。スペインの人間によって、
主客転倒や主客合一の甘露をかけられて、つまり人間にとって良い牛は、
恐ろしい野生の黒牛でもないし、敵でもない。美しい、雄雄しい、勇気ある、
気高い「自分」なのである。 強い牛は自分の美点の反映なのである。
勿論こっちの自分は、牛がいくら刺されても痛くもかゆくもない。
牛の中に一瞬、自分の美しい反映を認めただけなのだから、牛がばたりと
死んでしまえば、あーあと葉巻をくわえて背伸びするだけだ。

こういう便利で自分勝手で、自由にあっちへ行ったりこっちへ来たり、
一瞬のうちに都合の良いほうへ乗り移る「自分」というものを、日常的に
心の中に飼っておかないと、闘牛という、不思議な審美観によって
支えられる「芸術」を理解したり、まして愛したりなど、到底できない。
    ーーー
 スペイン人と日本人は違うのです!!  
ー以前の闘牛について書いた文章ですー
 --
2002/09/07
パンプローナ牛追い祭り

今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。
もし神様が一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前の
この祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。今年は例年になく多くの負傷者
が出た。今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、毎年放映
される中でも特に迫力があった。初めから最後まで手に汗を握る内容。
この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に
一躍知られるようになった。
この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
(字数の関係でカット弐千八年七月弐日)  
・・・・・・・・
2005年07月02日(土)
1551, わたしの酒中日記ー番外

わたしの酒中日記を書き出して、驚くほど昔の記憶が戻ってきている。
居酒屋やスナックのことから記憶と背景をたどっていくと、芋づる式に
記憶が次から次へと出てくる。その記憶をたどると、その時々に精一杯
生きていた姿に驚かされる。真面目?に不器用に生きていた当時の自分
の姿が、輝いて思えてくる。
今まで後ろを振り返らないことをモットーにしてきたせいか、最近に
なって振り返ると、その瞬間瞬間の記憶が生々しく新鮮に感じる。
その時々の心のひだがドンドン思い出されてくる。しかし書けないことは
幾らでもある。 その辺がプロと素人の書き手の違いである。
本当のことは作家以外、そうは書けるものではない。

読み返してみると、若さ特有の自意識過剰がそのまま見てとれる。
それが若さなのであろうが。昔のことを書くのは気持ちが重いが、
好きな酒を飲んだ思い出なら気楽に書ける。その切り口からのTPOSの
背景を書き出すのも面白い。誰もがフラッシュ的記憶の断片が脳裏に浮かぶ。
しかし、それを書き出すということはなかなか出来ない。
そのフラッシュのように戻った一瞬の記億を、酒場にからめて書けばよい。

酒中日記を書いて、「人生は多くの何げない日常の断片から構成されている」
ことに気づいた。決して大きな塊ではないし、光り輝いた結婚式や旅行など
だけにあるのではない。何げない日常の中にこそ、深い人生の意味が
詰まっている。酒席のことを書いていたら、いくらでも昔のことが思い出される。
それが果たして良いのか、良くないのかまだ判断できない。このレベルなら、
いくら思い出せるものだ。人生は、日常の根っ子の地中の中にこそ、
味わいと真髄があるようだ。

・・・・・・・・・
2004年07月02日(金)
1186, 異境・秘境ツアーレッスンー5
ー感動は蓄積される

何故、異境・秘境に行くのかというと、想像を絶する素晴らしい世界が
そこにあるからである。そして大自然や遺跡の異質の世界に、直接触れて
感動するからだ。実際体験して解ったことは、歓喜と激しい感動は、
ほぼ同じではないかということだ。旅行のたびに期待していた数倍の
感動と歓喜?がそこに待っていた。

とくに大自然の中の壮大な美しさや神秘性から受ける感動は何にも変えがたい。
その感動を得る為に、いそいそと飽きずに家内と一緒に出かけていく。
感動の蓄積が磁力になり、更により大きな感動を引き寄せる。
そして感動は確実に自分の中にドンドン蓄積されて醸造される。
私と酒を飲んだ人はわかるだろうが、酒を飲むと普段のブロックが
外れてその時の蓄積された感動の波動が開放される。
毎日晩酌で、ほぼそのブロックが開放されハイに瞬間なってしまう。

幼児期から青年期にかけて可能な限り、親は子供に芸術(音楽会や一流の絵)
や自然を見せて感動のシャワーを浴びせてあげなさいという。その量×質が、
その人の人生を決めるという。感謝・感激・感動は、その人の潜在能力の
ベースになるからだ。今からでも遅くはないから、可能な限り一流なものを
見て、触れて感激・感動を意識的にしていかなくては!いまさら遅いか?
豊かな人生とは、感謝・感激・感動の豊かな人生をいう。

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2003年07月02日(水)
819, 恵まれていた時代に生きて

50歳の時に、「自分の人生を振り返って実感をいってみろ!」と自問自答した。
直感的の出た言葉が「恵まれていた!」「面白かった」「悔いはない」である。
特に思ったのは「恵まれていた」である。
第二次世界大戦直後の1946年の一月に日本に生まれたことが全てといってよい。
 ー冷戦下における日本という環境において、アメリカが中国・ソ連北朝鮮など
 共産圏に対する前線基地と位置づけて、 日本に最優遇待遇を与えてくれていた。
新潟県という全国でも最も豊かな自然を背景にした環境も良かった。
・両親も含めて家庭にも恵まれていた。 多くの兄姉にも恵まれていた。
・ちょうど青春時代が高度成長期にあたり、時代の波に乗ることができた。
 国に若さと希望があった。

歴史的にみても、20世紀は(特に後半)は、日本にとって黄金の時代
といわれるだろ。この時代を背景として事業チャンスもいくらでもあった。
また時代の変化も激しいのが特徴であった。とにかく面白い事が多かった。
時代が上向きだからこそ変化が面白かったのだ。

あと10年、恵まれていた時代に稼いだ資産の食い潰しをしていくだろう。
そしてその後は亡国に近い状態になることは明らかである。今の日本は、
それしか選択ができないだろう。魚は頭と尻尾から腐るというが、今の日本の
姿がそうである。いま1968年の時代の日記を随想日記に書き写しているが、
時代の背景の違いが全く違うことに驚く。やはり経済があってこその国であり、
個人がある。そして特に「国が豊かで恵まれていた」ことが大前提であった。

話が変わるが、昨日12の宮のことを書いたが、その宮一つ一つとっても
全て恵まれていた。宮の意味はどういうことかと考えてみたら、ありがとうという
感謝をする祠ということだ。12番目の異性の替わりに国をあげたほうがよい。 
その一つ一つにできたら100回、計1200回あげるのが理想だろう。
とりあえず50回「ありがとう」をいってみよう。
これを一年続けたら運命が変わるのも至極当然である。

「ありがとう」を一万回以上続けて「マイナス思考の毒が激減した」と実感を
先日この随想日記で書いた。「幸せの宇宙構造」というの中に、『3つの帝国』
という項目に正にその理由が書いてあった。人の心には『好帝国ー肯定国』と
『悲帝国ー否定国』と『ありがてい国』の3つがあり、それぞれの国民が
住んでいる。一番良いのは「ありが帝国」であるのは当然で「ありがとう」
と言っているうちに無意識の中の否定国の住民が少なくなった為だ。 
単純だが、しかし真理をずばり突いている。

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2002年07月02日(火)
455,地球をサッカーボールに喩え

今回のワールドサッカーを新聞はどう捉えているか、毎日新聞の社説が
ダントツよかった
「・19世紀のナショナリズム
 ・20世紀の資本主義、
 ・21世紀のグローバリズム化。
この3つが今の世界を動かす理念だとすれば、地球がサッカーボールに凝縮して
私たちの前に現れた。私達は本物のサッカーの興奮を始めて知った。欧州と南米で
4年ごとに繰りかえされる祭りに加わった。
スポーツが野球などアメリカの影響下にあった日本、アメリカの影響から逃れたい
無意識の願望に後押しされて、アメリカが作らなかった国際標準を初めて選んだ」

この鋭い分析に納得した。「サッカーボールを地球に喩える」とは、
書くプロはさすがに違うと感心した。
・延べ500億の人が見たと予測されているという。大きいビジネスでもある。
・「90分ナショナリズム」という言葉も新鮮だった。
朝日新聞に出ていた川柳もよい「球ひとつ生命あるようなゴール決め」
・選手の過半数が何処かの国のプロサッカー 多国籍の選手ーグローバルの時代
印象的キーワードを並べてみる
・地球最大の運動会
・国家の威信をかけた模試ー代理戦争
・壮大な民族展示会

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2001年07月02日(月)
[71] 夢についてー3

夢は犬や猿など他の動物も見るという。
子供の時母や姉が実際幽霊を見たとかの体験談をきいて、いい年をしていい
かげんな事と、気持ちの中で全く受け付けなかた。ところが経験を積むに
したがって、何か常識で考えられない何かが存在している事を確信してきた。
特に‘夢’とか‘遇然の一致’そして‘死’‘自然現象’に何か人知を
超えた存在を感ずるようになった。  
  ー以前の文のコピーをまたしておきますー
      H05 11 記   妙な夢―(�)
 秋葉原ワシントンホテルに泊まった時の事、夜半何かのケハイに横を
見ると女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕をつねったが痛い、これは面白いと、
メガネをかけじっくりとみた。全体が白光色の黒髪の27~28才位の、のっぺら
した美人であった。別に恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと憶えている。
ところが何年か後に会社のある人にその話をしたところ、‘それって皆同じ顔して
いるんだよね’言われた時た時、はじめてゾーッとした。またこんな夢もある。
夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえてウトウトした頃、急に別空間
にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと中断した。あの別空間は“別宇宙”
ブラックホール”的イメージであった。その前後の夜半に夢で宇宙船みたいな
ものが近くおり、乗れという、これも乗ったら危険と直観し去けた夢である。

あれに乗ったらどんな景色がみえたのだろうか?
単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。