つれづれに

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 今日のYoutube
https://www.youtube.com/watch?v=G3QrhdfLCO8#t=69

 数ヶ月前に、TVで話題になった黒板アート。
学校の黒板に、書かれた直ぐに消されるアート画。
仏教画で、土の上に書かれた曼荼羅画があった。
それからのヒント? だろうか。

 街の路上や、広場に描かれるのも似たようなもの。



・・・・・・
2258, 今日、ホームレスになった -1
2007年06月09日(土)
  
            o(*'▽'*)/☆゜’ おはよ~~~~♪                            
                     ー読書日記
     「今日、ホームレスになった」   増田明利著 新風舎

   自らの身に置き換えて考えざるを得ないようなリアリティな内容で、
   13人のホームレスの過去と現状が綴られている。
   路上で暮らす「かつての企業戦士たち」のルポルタージュといってよい。
   実際のところ、フナ板一枚下は地獄であるのが誰も置かれた状態である。 
   彼らのホームレスに至るプロセスを克明に生生しく追っている。
   この本で何人かが「まさか自分がホームレスになるとは!」
   と述べているが、他人ごとに思えない迫力がある。
   過去を振り返って、あの時もし反対の舵を切っていたら危なかった!
   という経験を何度かしてきた。 人生どこに落とし穴があるかわからない。
   通勤途中に彼らの姿を見かけるので尚のこと切実に感じる内容である。

  ー印象的なところを、幾つかまとめてみたー
 --
・元デパート外商部長でブティック経営者だったSさん。
 事業に失敗してから不機嫌だった妻に「いつも同じ物ばかり食ってるな」と
 言ったばかりに「文句があるなら自分で料理しなさいよ」と怒鳴られ、
 皿まで投げられた。翌日アルバイトに行く前に声をかけたが、返事もくれない。
「人を馬鹿にしたような態度を見て無性に悲しくなったよ。その日以来、
 家には帰っていません。もうすべてが嫌になった。疲れたんだ」と。
 日本男子らしい自尊心と人の好さ。これが事業失敗の原因の一つのようだ。
・大手総合商社の財務部次長だった52歳は、今や雑誌拾いで1日千円の収入、
 食事はコンビニの廃棄弁当。ところが、今もスーツを着ている。
・49歳の外資投資銀行ファンドマネージャーをしていた人は、
 ゲーム喫茶のサンドイッチマンが仕事。日当6000円。
 彼は、2000万円の年収を誇っていたという。
・ゼネコン営業部長だったという56歳の男性は、雑誌拾いとアルミ缶回収で
 1日1500円の収入。体調不良で野垂れ死に寸前。
・自動車部品メーカーの管理職だった57歳の男性は首切りを仕事としているうちに、
 自分も解雇通告を受けてしまう。雑誌拾いで収入は1日500円。
「意地悪した先輩や退職を迫った役員を包丁でメッタ刺しにする夢を何度もみる」と。
 生まれ変わっても、サラリーマンにだけはなりたくない、もう嫌だね、と言う。


   我々は事業でも生きる上でもリスクを認識し、
   その上で何をすべきかを考えなければならない。
   常識的なファイナンスや法律などの常識があれば、
   ホームレスにならなくて済んだはずの人ばかりである。
   事業や仕事の失敗を契機として、夫婦関係が崩壊。
   その上に、色いろのマイナスが重なり、ホームレスに落ちていく
プロセスはほぼ同じ。失業・倒産、病気、高齢のため、人生の歯車
がいとも簡単に狂ってしまう。現在の日本では、明日は我が身である。
                            -つづく
                サョォォ━。゚(゚´Д`●゚)゚。ナラァァ━ッ!!!!
  ---
 2006年06月09日(金)
1893, 不良のための読書術-1
  おはよ~!(*^ワ^*)i
            ちくま文庫 永江朗著 
ー 読書日記

「不良のための文章術」を図書館から借りてきて、
あまりの面白さのためネットで買うことにした。
ところが送料無料の1500円には少し足りない。
そこで、同じ読者が書いた「不良(プロ)のための読書術」
を買うことにした。既に文庫本になっているので半額である。

   「20対80の法則を、違う言葉で言い替えたのだろう」
    と思っていたが、正にその通りのものであった。
    ゴダール式読書法と言い替えていた。
    ゴタールという作家の映画の見方がユニークという。
    三十分観るとさっさと次の映画館に行ってしまうという。
    原作を読んでいれば、それで充分なのだろう。
    著者はその言葉からピンと来てゴダール式読書法と名づけたという。
    それでも面白いのである。
    若い人向けの本だが、基本中の基本が書いてある。

「本こそ、外見の見てくれで選べ!」と、誰が書くだろうか?
それを、平気で書いてある。
老練の詐欺師が「女は見た目だよ!」と、言っていたと、
ある本に書いてあったが、当たらずとも遠からず? である。

    数十年本屋に通っていて、見てくれを意識したことは無かった。
    本は見てくれではない!と思うのが常識である。
    しかし、良くないものに出版社が「見てくれ」を良くして
    売ろうとはしないのも事実である。

見てくれだけを良くして売ろうとするのは、
若い娘か、薄っぺらの教養のない男である。
本人は見てくれを良くしているつもりが、どこかバランスがとれてない。
銀座で闊歩する夜の蝶ー蛾を見れば、一目瞭然である。

    若いときに、姉に女性の見分け方を教えてもらった。
    「服装と化粧のセンスは、頭の良しあしと比例している。
    センスが良いとはバランス感覚が良いということ。
    決して良いものを着ているからバランスが取れてるとは限らない。
    バランス感覚が頭の良しあしといってよい」と。
    なるほど、その後四十数年みてきて、そうであった?
    80?は当たっていた。
    
出版社がマトモで、金をかけた表装をしてあれば内容も良い確率は高い。    
図書館で写真集などのコーナーが大きくとってある。
盗まれないように(読書コーナーに行こうとするとき)チェックをされる。
それが嫌で、この数年は行かなくなった。
しかし、数千~数万もする写真集が図書館全体の4分の1のスペースを
占めていて、あまり人が入っていない。
見た目からいって見た目は徳上のものばかりである。

   そうである、あのコーナーにもっと行かなくては!
   アチラをジックリまわってみる必要がある。
   単純な、しかし解りやすい理屈である!

ー 次回は、さらにユニークな面白いところを拾ってみる。
            ヾ(^ω^*) バイ! 
・・・・・・・
2005年06月09日(木)
1528, 生きて死んでいく重み

最近、中島義道哲学書をよく読んでいる。
そして、この日記にも何度か取り上げてきた。
同年齢ということもあって身近に感じられ、似た考え方だから
次々と図書館で借りてくることになる。

特に還暦を八ヶ月後に控えていることもあり、
「人生とは何だったのか?」という人生の総括が頭をよぎる。
その時、中島がストレートに著書の中で答えてくれる。
大体は本を借りてくると、まずは目次と最後の10ページの中の要所を探す。
そして遇った、彼が真剣にいっている箇所が。

ー抜粋してみるー
オリンピックで金メダルをとっても、どんなに災害撲滅を見出しても、
せいぜい二番目に重要なことだと思います。

では、一番目に重要なことは何かというと「生きている」ことでしょう。
生きて死んでいくことでしょう。
この絶対的な重みは、忘れてはならないと思います。
有名人が死ぬと、その人が何をしたということばかりが報じられますけれど、
そのすべては、ハッキリいいまして幻想です。
何故かというと,全体を見ていないからです。
100億年もすれば全部なくなるわけです。
そうすると、多分一回きりだと思いますけど、自分の人生を、見ないようにして、
仕事に逃れていくというのは、もったいないのではないかと思うのです。

つまり、自分の持っている不適正、欠点をしっかり見ていくことです。
私は理不尽に人生を与えられしまった、その中でよいことをしようという
ことでなくて、それをごまかさないで見よう、そういうことです。
つまり、世間的には何も貢献しない、場合によってはマイナスのことを
してきたかもしれない。でも、その人の生きてきた重みは、立派な建設
をしたとか、トンネルを掘ったり、という全てをもっても代えられないものだ、
と実感するんです。私にとっては、生きる仕事以上の仕事はないわけですから、
どんなに世間的に立派な仕事でも、そんなに感動しないわけです。

働いて生きがいを感じ生き生きと生きる人生を、私は批判しませんし、
そういう人を批判しません。働くことが嫌でしようがない、あるいは
働いても働いても報われないということを、ごまかさないで徹底的に
みてみると、そこから新しい視点が出てくるのではないかと思います。

ーーー
以上だが、これは私にとって考え直さなくてはならない見方・視点である。
自分の中で、観ないふりをしていた自分の欠点や、自分を鼓舞するために
否定してきた考え方を含めて、
「もう一度人生観を見直してみる必要のある問いかけ」をしている。

身近な人の死を経験した時、まず実感するのは
「人生は生きているうちが花!金持ちとか、肩書きとかいう社会的属性
などは二次的なもの!生きていることが、生きてきたことが、最も大事。
この人は(亡くなった人)好きなことをどれだけしてきたのか?
その総量こそが人生である!人生は生きているうちである。
そして最後はたった独りで死んでいくのだ!人生などはかない。
常に死を思え!そして生きていること、生きてきたことを味わえ!」である。

中途半端に生きてきた人や、他人の批判だけが特性の人を徹底的に嫌い、
傍によらないようにしてきた。しかし身近な人の死で実感することは
生きること、生きていることが人生の第一の仕事ということだ。

「長く生きればよいということではない!」ではない。
「生きて死んでいくことそのことが、人生である!」
人の人生を勝手に判断すべきではない。
当たり前のことだが、それぞれの人生があるのだ。

誰もが光の中を生きてきたのである。
そして、光の元に戻るのである。
社会的属性や、行蔵も二の次でしかないのである。

しかし、小学生や中学生が、こんなことを親から学んで老成していたら、
おかしいんじゃないか? 気の小さい優等生哲学者の戯言でしかない?
それとも、哲学病者の戯言じゃないか? とも思うが、
その疑問自体が彼に哲学を誘導されていることになる。

今朝の新聞の週刊誌広告の見出しに
亡くなった二子山と二人の息子の確執が出ていた。
彼が何をしたかというより、
家庭の揉め事も含めて全てが生きてきたことである。
揉め事結構! 部屋を繁栄させたことも結構!
それが生きてきたことであり、亡くなった時に
その重みの一端が顕れただけである。

一人一人を見れば、誰もが人生の荷物を抱えている。
そして、それを抱えてこの世から消えていく。

・・・・・・・・・・
2004年06月09日(水)
1163, JR-駅なか商店街

最近JRの駅がドンドン変わっている。
JR関連に知人がいる為に、駅内SCの内情を聞いていた。
パテオやセゾンなどの構内専門店街をつくって、
いま勢いのあるテナントを誘致するデベロッパーに変身している。
JRになって、一番変わったところだろう。
身近な新潟駅長岡駅もこの十年で、全く様かわりをしてしまった。

駅前の「街」を、構内の「駅なか」に取り入れることによって、
根こそぎ顧客を奪ってしまうという発想である。
よいところに目をつけたものだ。
最近はビジネスホテルもつくり始めてきている。

見方によれば駅前商店街の最大の敵のはずだが、彼等はそれすら
気がついてない。まだまだ見ていると、幾らでもネタがある。
映画館・専門学校・カプセルホテル・専門病院、変わったところでは
動物用ホテル、託児所などある。
そういえば、私の学生時代に山手線の駅にステーション・デパート
とかいう、商売気のない専門店街があったが。

考えてみたら、自社でも駅構内の広告代で年300万も払っている。
バカバカしいが、といって駅からのお客が半分以上を占めているから、
出さないわけにはいかない。
駅前の25万のテナントの賃料と同じである。
最近、新幹線の席の前の網に2冊の通販のパンフレットを置いている。

来年から新潟駅の再開発が始まるが、そこで全く新しい街づくりが始まろうと
している。そこが新潟の一極集中の場になる可能性を秘めている。
新しい時代に対して、新しいコンセプトで、新しいテナントを組み合わせて、
国や、県、市の援助金をもらってやるのだから、上手くいって当然である。
といって国や県そのものが衰えれば、単なる空虚な空間になる。
最後の賭けになるかもしれない。

・・・・・・・・・
2003年06月09日(月)
796, 至高体験ー読書日記ー2

歓喜 ー>  理智 ー> 意志 ー> 気  ー>肉体」
至高体験歓喜の体験、それを知った理智、そして意志にかわる、それが
気になり、肉体に反応する。たとえると野球で9回裏逆転のホームランを打った。
そして歓喜する、その体験が理智になる、さらなるよい選手・バッターになる
意志を固める、それが気(気合)に変わり、練習をして積み重ねるようになり
一流選手なっていく。

 他には薬草や苔類を使う場合と、アルコールを使う場合や、
禅などの修業で到達する場合などがある。教祖様やシャーマンは、
この歓喜体験を通して自己より解脱をして理智を得る。好きなことを
見つけ一生かけて続けるプロセスで、この歓喜体験をするケースがある。
女性の千人切りも好きな人には、歓喜体験ー至高体験を多くする
事になるのだろう。

 音楽会の会場が歓喜に包まれ、アンコールの嵐をTVなどで見かけるが、
至高体験をしている。この瞬間を味あう以前と以後位に感動するのだろう。
そういえば初めてロッキーに行った時も、旅行に行く以前と以後位に感動をした。

ー昨日とは別のホームページよりコピーしてみた。
・・・・・・・    
至高体験  
ところで、マズローがこの研究を学問的に説得力のあるものにすることが
出来たのは、ごく少数の「自己実現した人間」の研究ばかりでなく、平均人の
一時的な自己実現とでもいうべき「至高体験」の研究をも同時に行ったから。

至高体験」とは、個人として経験しうる「最高」「絶頂=ピーク」
の瞬間の体験 の ことです。それは、深い愛情の実感やエクスタシーのなかで
出会う体験かも知れませ ん。あるいは、芸術的な創造活動や素晴らしい仕事を
完成させたときの充実感のなかで体験されるかも知れません。  

ともあれそれは、一人の人間の人生の最高の瞬間であると同時に、
その魂のもっとも深い部分を震撼させ、その人間を一変させるような
大きな影響力を秘めた体験でもあるといわれます。
そうした体験をすすんで他人に話す人は少ないでしょうが、しかし、
マ ズローが調査をしてみるとこうした「至高体験」を持っている人が
非常に多いことに気 がついたというのです。  

ここで大切なのは、いわゆる「平均的な人々」のきわめて多くが
至高体験」を持っ ており、その非日常的な体験が「自己実現」とは何かを
一時的にではありますが、あ る程度は垣間見せてくれるということです。
何らかの「至高体験」を持ったことがある 者は誰でも、短期間にせよ
自己実現した人々」に見られるのと同じ多くの特徴を示す のです。
つまり、しばらくの間彼らは自己実現者になるのです。
私たちの言葉でいえば、 至高体験者とは、一時的な自己実現者、覚醒者なのです。  
こうしてマズローは、ごく少数の人々にしか見られない「自己実現」の姿を、
多くの 人々が体験する「至高体験」と重ね合わせることにより、
彼の研究の意味をより一般的 なものにし、その内容をより豊かなものにしたのです。  
至高体験とは、つかのまの覚醒を意味する言葉として使用しているのです。

・・・・・・
2002年06月09日(日)
432, スイス旅行
   スイス旅行日程
   ー7月3日(水)~12日(金) 
             新日本トラベル

http://www2.plala.or.jp/dontak/Swiss-AlCont.htm
http://www2.plala.or.jp/dontak/map01.html

1日目、 日本航空チューリッヒへ。          
 -チューリッヒ

2日目、 リヒテンシュタインの首都ファドーツ散策と
 「アルプスの少女ハイジ」の舞台マイエンフェルトで
 ミニハイキングを楽しんだ後、サンモリッツへ。
   夕食は郷土料理ビュントナー・ゲルステンズッペ。-サンモリッツ
 http://www2.plala.or.jp/dontak/heidi-01.htm
3日目、 神秘的な白い湖を眺める”もうひとつの氷河特急”ベルニナ特急
 とディアボレッツァ登頂観光の旅。夕食はマス料理。
   http://www2.plala.or.jp/dontak/glacier1.html -サンモリッツ
4日目、スイスの観光列車の中でも最も人気のある氷河特急
 ツェルマットへ。夕食はチーズ料理ラクレット。     -ツェルマット泊
 http://www2.plala.or.jp/dontak/mthr01.htm
5日目、登山電車でゴルナグラードへ登り”
 ピラミッド”の愛称をもつマッターホルン(希望者は高原ハイキング)。
 下山後モンブラン山麓シャモニーへ。
   http://www2.plala.or.jp/dontak/dan04.htm    -シャモニー
6日目、 ロープウェーでエギーユ・デュ・ミディへ上がりモンブラン観光。
   昼食はサヴォア料理。
 午後、美しいシヨン城を観光しながらモントルーへ。
   夕食はレマン湖産の魚料理とヴォー州産ワイン。  -モントルー
7日目、 風景の美しさで有名なパノラマ特急と”山峡の宝石”
   と謳われてエッシネン湖観光を満喫後グリンデルワルドへ。
   夕食はミートフォンデュ。         -グリンデルワルド泊
8日目、 登山電車で名峰ユウグフランヨッホ登頂観光
 (希望者はアルプス高原ハイキング)。
   下山後、中世都市ルッツェルン小観光。夕食はゲシュネッツェルテス。         
ールッツェルン泊
 http://www2.plala.or.jp/dontak/Jungfr01.htm
9日目、チューリッヒへ。
   チューリッヒ日本航空で帰国の途へ。  -機内泊
10日目 成田到着

・・・・・・・・・・
2001年06月09日(土)
[47] シンクロ二シテ-

これは普通では考えられない、遇然の一致を言う。
‐意味ある遇然の一致と心理学で言う‐特にユングが深く研究ー
私の場合非常に多い。人間個人を考えれば、今生きている事こそ
奇跡‐遇然の一致の積み重ねである。

・ある自死をした元の部下の所に行ったとき起きた、不思議な遇然の一致の重なり
・柏崎の義父の葬式の帰り、そち峠で7回の‘虹の下’を通りすぎた
 考えられない出来事!
・従兄弟が自死をした時の納棺のおり、突風が吹き桜吹雪が舞い散った光景!
・大学を卒業して1年ぶりに池袋の本屋に行ったとき、
 たまたま学生時代の親友だった男が目の前を歩いていた。
・家内の実家で展示会があり、いっしゅのお祭りで地元の道具やが出店を出していた。 
 そこの象 牙の仏像が気になり、帰ってから電話でそれを買いもとめた。
 4~5日経ってから送られてきて、底をみたら家内と同じ銘で恵子と彫ってあった
 こと。‐その時全身鳥肌が立った!
 等々書けばきりがない。
  
 遠藤周作などは、イギリスにある作家に興味があり、
その地を訪ねた折ホテルのエレベーターでぶつかった相手がその作家だった。
葬式とか、自分が行きずっまってヒステリック状態の時とか、
気持ちが異常に近いときに 考えてみるとおき易い。