ペトラの遺跡

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 パルミラの遺跡とともに、危険地区で、今ではシリア隣国のペトラ遺跡
行きづらくなった。3~10mの幅の岩の割れ目が1・5キロも続くため、
自然要塞になって、敵から守られていたが、疫病か何かで、突然、
無人の地域になってしまった。狭い岩の割目を通り抜けると、そこには
500m平方の空間が開けた前に、岩をくり抜いた神殿があった。
その空間の左側はドン詰まりになっていて、右に数百Mいくと、さらに大きな
空間があって、そこに、昔は住居があったようだ。岩場には墓のようなくり
抜かれた穴場が多くみられた。 そこをしばらく行くと、山道があって、
登りつめると、そこに奥の神殿があった。

 しかし、ここも危険地域になってしまった。
早朝、家内は行きたくないというので、一人連れのオバサンと、ロバに
乗って、さらに奥にある山頂の神殿に行ってみた。ロバをひいていた
少年は、足元を見たのか、金をもらうと、ロバが嫌がっていると言い、
さっさと、ロバを連れて帰っていった。それでも、何とか険しい道を
上って奥神殿まで行ってきた。 これも、いい思い出である。

 今では、観光客も危険ということで、閑古鳥が鳴いていると、
ニュースで報道していたが、アラブ人は自分で自分の首を絞めている。
ただ、ネットでみると、ヨルダンのペトラのツアーの募集があった。
何とか行けるのだろうが・・・

・・・・・・
2612、佐藤優の速読術について
2008年05月29日(木)

国家の罠」「自壊する帝国」の外務省のノンセクション作家である佐藤優
「速読術」の方法、考え方が面白い。
ーまずは、その概要を私なりにまとめてみた。
・速読法は、基本書を完全にマスターしているから可能であり、基本データが
 完全にインプットされていない分野では、無意味である。ヒンズー語を
 知らないのに、その文献をいくら捲っても理解できないのとおなじことである。
 受動的勉強を充分に勉強した上で能動的な速読法ならわかるが、
 そうでないのは無理がある。
・読書術として、難しい本に二種類あって、*一つは理論がでたらめで
 難しいフリをしているもの。
 *いま一つは議論の積み重ねで構成されているから時間がかかるが、
 読んでいけば知識が得られるもの。何故、速読術が必要かといえば、
 読むに値しない本を見分けるためです。速読法とは、自分の周辺に押し寄せる、
 いい加減な情報を波打ち際でたたく方法である。
 つまり一年でどれだけ熟読できるか計算をして成り立つ。
 月二冊熟読するのが限度でしょう。その本を熟読するために
 他を速読するという逆転の発想です。
・速読をすれば知識がつくというのは嘘です。知識は熟読によってしか
 得ることが出来ません。速読は自分が持つ知識以外のものが出ているか
 どうかのチェックする手段に過ぎません。速読術は熟読術にあるということ。
 読まなくても良いものを精査するためのものです。
・速読術には厳密に分ければ「速読術」と「超速読術」の二種類あると思います。
 速読術は鉛筆を使って判断しながら読む方法で、400~500ページの本に
 2~3時間かかります。超速読術は、飛ばし読みで、純粋に新しい単語を拾って、
 大づかみで内容を把握する方法で、10~20分ですみます。
 最初と最後、そして目次を見ること。
・「興味力」の赴くままに濫読すること。何でも興味を持つことが重要。
 =「国家と人生」寛容と多元主義が世界を変える=竹村 健一 佐藤優より
 ~~
熟読によってしか知識は得ることが出来ない、というのは良くわかる。 
もう一つは「繰り返し」である。ところで私も似たようなことをしている。 
長岡と新潟の図書館に週二回行き、面白そうな本を借りる。
そして、これはと思うものは、直ぐにアマゾンで発注する。
そして、本に取りあえず織り込みを入れる。自宅の居間と会社の机の上に
三十冊は並べておいて、とにかく超速読をする。そして、その中で、
これはというのを、この随想日記のネター読書日記に書く。
熟読するものはトイレにも置いておく。 だから、ネタにはならない。
私の場合は、とにかく繰り返し本を開くことにしている。だから、居間にも
常に本を横に置いている。せっかく地球に旅に来ているのだから、
地球上のことを知らないと。それが、動機である。

・・・・・・・・・・
2007年05月29日(火)
2247, 女性の品格
             (*´・ω・)ノおはよー
NHK/TVを見ていたら「女性の品格」の著者の坂東真理子氏の
インタビューがあった。昭和女子大の副学長で「女性の品格」
という講義もおこなっていた。私自身はさておき、品性のない
人間は大嫌いときている。学歴や肩書きや収入とかでなく、
その人の持っている生まれながらの品位は、どうしようもないもの。
その人のもって生まれた何かである。この本の中で、強く、優しく、
美しい女性になるための「66の法則」を挙げているが、
ーその中で幾つか選んでみたー
 上品な女性は、
・礼状が書ける
・約束をきちんと守る
・型どおりの挨拶ができる
・長い人間関係を大切にする
・流行に飛びつかない
・姿勢を正しく保つ
・贅肉をつけない
・プライバシーを詮索しない
・よいことは隠れてする
・愛されるより愛する
・得意料理をもつ
・恋をすぐに打ち明けない
・人に擦り寄らない
・礼を尽くす
 などなど、ビジネス、装い、話し方、恋愛にいたるまで、
女性としての振舞い方を具体的に示してある。何げない日常の立居振舞いに、
女性の生き方と品位はおのずと表われるもの。自分を卑下しすぎず、
もちろん、うぬぼれず、「等身大の自信」を持つことである。
「強く優しく美しく、そして賢く」と示しているが、人間として
「凛とすること」である。私自身、ご存知の通りあまり品格のある方とは
全く思ってなかった。都合の良いところを選んだつもりはないが、
上記の内容は全て〇と自認している。(また、自慢?)
私達の年齢なら殆どの人は〇だろう。「そう見せているが実際は違う」
という人は多いが! 品位のない人間を直に見抜かれるから恐ろしい。
「あなたは酒癖が悪いことと、言葉が鋭いから、そんなことを言う
資格はない!」と家内に言われたが 「この正反対って、女性の特性
じゃない?」ですか。 だから書いたのでしょう。誠意ある人、という
ことである。ところで、ほんとうに○なの?違うじゃないか?御前さん!
    ーー
ーPHP新書
女性の品格―装いから生き方まで
PHP研究所 ・坂東 眞理子【著】
                 (*・ω)ノβψε★βψε
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2006年05月29日(月)
1882, 新潟県活性化案-2  おっ w(゚Д゚)w ハァョ~

この活性化案をベースに5月16日、私の事務所で14名が休憩二回を
はさんで5時間にわたり議論をした。利害と直接関係ない新潟県に対する
危機感を持った参加者が多かったため、内容は濃いものとなった。 
色いろな職業の人がバラエティーに散らばっていて、それぞれの立場からの
視点が丁度よいバランスになっていた。内容としてベストといってよかった。
2010年の富山まで北陸新幹線開通後の新潟県の危機は深刻である。
さらに2014年には金沢までオープンする。その時、上越新幹線
北陸三県を背後にした北陸新幹線の枝葉になってしまう。
何故飛行場まで新幹線を通さなかったのか?アジア大陸の窓口としての
拠点都市つくりをしてこなかったのだろうか? この議論をした翌日、
新潟東港~新潟空港~トキメッセ~寺泊を見てまわった。
特に新幹線の延長可能な「廃線した貨物線」をみたが、そこを生かせば
それほどのコストはかからない。20年前に新潟空港まで新幹線を
開通していれば、環日本海拠点都市宣言をして都市づくりをしていれば、
全く違った展開になっていたはずである。
今さら遅いといっていられない事態である。

高崎から新潟県に新幹線を開通させるという大プロジェクトではない。
あと10キロ足らずの新幹線を延長させるだけで「全く違った性格を持つ
世界稀なる首都から直接乗り入れの新幹線になる」ということが解らない
のだから、角栄以後の政治家のレベルの低さに呆れてしまう。
飛行場周辺と新潟駅の一体化を図るべきだ。そのためには、骨太の奇策と
思える計画が必要である。新幹線の延長したレールを共有して新交通システム
新潟駅~新潟空港間に動くエレベーター(新交通システム)ーをつくり、
一体化すればよい。ただしコストを安くすることだ!
羽田の新交通システムも周辺住民が多く利用しているではないか。
新潟空港周辺をみてまわったが、その自然環境は素晴らしい。
そこと新潟駅周辺の集積された商業集積を結びつければよい。
テーマパークのロシア村をつくったり、新潟駅の再開発に千数百億も投資
するなら、せめて10年前に飛行場に新幹線を乗り入れ、その周辺に
サッカー場や、流通団地、専門学校や大学の特区地区などに集中投資すべき
であった。岡目八目ではないが、私の知人が呆れるのも解る。  
  ー以上、新潟県活性化案を補足するものである。
             ゝд・) ノ バイ バイ!
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2005年05月29日(日)
1517, 酒中日記ー2

この本の面白そうなところを抜粋してみる。 作家の文章を書き写すということは、
文章のレッスンをしていることになる。 絵でいう写しをしていると同じことである。
「上手い文章を書いているな~!」と、読み過ごすことと、書き写すことは全く違う。
写すということは、主体的に変化する。だから、このように時間をかけるのである。

ーその後の文章を抜粋してみます。 それにしても作家の文章は上手い!
ーー

黒岩重吾
ー飛田にひとり
某月某月

大阪の西成界隈をバックにした小説を書くので、久しぶりに飛田の近くに
飲みに行った。私は西成の小説を書く時は、必ずその前に散策をして
みることにしている。十年前に、私がいたころの飲み屋は殆どなくなっていた。
大門通りや飛田商店街の飲み屋は殆ど残っているが、私がよく行ったのは
屋台だったから、水の泡のように消えてしまっている。ただ一軒、飛田駅の
近くに消えずにあった飲み屋に行ったが、女将の顔が違っていた。
私はビールを飲んだ。 ここにも娼婦らしい若い女がいて、女将さんと
しきりに話している。
昨夜の客が、昔遊んだ女を覚えていて、その女のことをしきりに尋ねたらしい。
ひんがら眼の女らしいけど、おばさんは知っているか、と尋ねていた。
女将は、ひんがら眼なら3~4人は知ってるが、誰かなと興味なさそうだった。
私はその女の話を聞きながら、この娼婦と遊んだ男は、長い間、ここに姿を
見せなかったのだろう、と思った。その間、男は何をしていたのか、
刑務所にいたのだろうか、飯場を転々としていたのだろうか。
そんなことを考えながら飲んでいると、小説を書きたくなった。実際に飛田
界隈は不思議なところで飲みに行くと、必ず創作意欲が湧くような人物に
あったり、そういう話を聞く。これは他の場所では、殆ど味わえない。つまり、
飛田界隈には、人間の原液が、そのままの姿で流れているせいかもしれない。

ーーーーーーー
田中小実昌

ーわめき酒
・某月某日
新宿花園街の「まえだ」で飲んでいると、佐木隆三が入ってきて、
「コミシャーン」とぼくのからだを抱き上げた。佐木さん沖縄に行っていて
久しぶりだったのだ。ところが、ぼくを抱き上げただけで、後は面倒をみず、
手を離した。おかげで、ぼくはほうりだされたカッコになり、木の角に脛を
ぶっつけ、青く腫れ上がった。澁澤幸子さんも来て、歌をうたう。澁澤さんの
テーマ曲は「アッツ島玉砕の歌」。そのほか、ナツメロシャンソン、なんでも歌う。
流しのアコーデオンのマレンコフは、いつもの大サービスで、何十曲歌ったかわからない。
渋澤さんは、度胸がある。なんてケチなものでなく、育ちがよいせいか、にんげんを
怖がらない。はじめてあった夜、新宿南口のおっかないところにつれてったら
ちょうどガタついている最中で、ガラスがこわれ、かなりの血がながれたのか
血なまぐさく、ところが、幸子さんはコウモリを逆手に持って、「やれやれ」
とけしかけ、ぼくはあわてた。

・某月某日
歌舞伎町の「かくれんぼう」でミイ子とあう。
ミイ子は学生だが、何かの雑誌で川上宗薫と対談したことがあり、そのあと、
ぼくと飲んで、「感度だとか、構造だとか、肌のきめぐあいだとか、川上先生は、
ぜんぜん、女をわかっちゃいないのよ。あんな男はフンサイだわ。
断固、フンサイ!」とぼくと意気投合したことがある。
ところが、たまたま、包茎のはなしになると、「ホウケイってなあに」とミイ子は
なにも知らないんだ。ホウケイで思い出したが、石堂淑朗は、三光町の飲み屋へ、
ぼくが惚れてる女のところへいって、「いっぺんヤラセロ」と言っているらしい。
石堂はやたらでかいせいか、ナマケモノで、もてないものだから、
自分で女を開発せず、ひとの女ばかりねらいたがる。

・・・・・・・・
2004年05月29日(土)
1152, 「老い」を考えてみる -2

昨日の新幹線で読んでいた藤沢周平の「海鳴り」の中に、老いに対する思いが
偶然そのまま書いてあったが、彼の思いがそのまま伝わってきた。
(実際こういう偶然があまりにも多く、自分でもびっくりする)
何も考えないで精一杯生きてきて、ふとポッカリと心の穴に落ちた心情は
こんなものであろう。特に夫婦間の亀裂がのっぴきならない状態で、家族に忌み
嫌われた亭主はこんなものかもしれない。あまりに迫真があったので、何回も
読み返してみた。実際の荒涼感は、こんなものより深く絶望的であろうが。
北欧の老人の自殺が多いのは、こういう心象風景の果ての絶望感と孤独感が
底知れずあるからなのだろう。この下書きを昨夜書いたためか、夢をみた。
何処かの海岸線のリゾートに一人いて、店とか海岸で、その世界になじめない。
一人ウロウロしているじぶんがいる。早速こんな夢をみるとは単純なものだ。
  
ー「海鳴り」の中の一節
妻子のために、身を粉にして働いてきたはずだった。40歳の坂を越えたとき、
わずかの迷いがきた。妻子からも、家からも離れて、一人の人間にたちもどり
たいと願ったのは事実だ。だがそれは、長い道のりを歩いてきた一匹の
生きものが、ふと足をとめてかたわらの泉から水を飲んだような、ほんの
ひとときの憩いに過ぎなかったのだという気もする。

長い道をわき目もふらず歩いてきたので、生きものは身も心もくたびれ
果てていた。気がつくと老いが忍び込んでいた。それでも道は、まだ
まっすぐに眼の前につづいていた。色彩もとぼしく荒れ乾いていた道である。
道がか細く消えている地平あたりから、風が死の臭いをはこんで
来るのにも気づいた。

それでも生きものは、その道を歩き続けなければならないことを知っていた。
それが生きもののさだめだった。振り向くと、通り過ぎてきた花も緑の木々
もある道が見えた。しかしその道は、振り返ることも出来ても、戻ることは
出来ない場所である。生きものは新しく見えてきた風景の心細さに心を
痛めながら,いっとき泉のまわりをうろつき、一息いれた。
新しい、のぞみのない旅にそなえて気持をととのえるために。あるいは
歩いてきた道に、醜い後悔の痕を残さないために。

それだけのことが、そんなに批難されなければならないのか、と新兵衛は
思うのだ。生きものの心に思いをひそめたから、人間の道をはずれたと
指さされるのか。歯車が狂ったもとは、もっと別のところにある。それが
何なのか、新兵衛にはわからなかった。わからないことがもどかしく、
ほんの少し不気味であった。
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今でいえば初老性鬱病か、それとも誰もが感じる年齢の心象風景の
一つなのか。まあ、かなり藤沢周平の世界に影響されているようだが。
ー『海鳴り』-藤沢周平

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2003年05月29日(木)
785, 一期一会(すすき野の夜)

 昨日書いた異業種の人達との札幌のススキノの夜の話である。
二次会もバラケてしまい、残った四人で「すすき野」に行くことにした。
せっかくの札幌の「すすき野」の夜、入るなら一生に残るような
エキサィテングな店がないかと数軒の店を覗いていたら、何か異様な賑わいを
みせている店があった。すぐ団体が帰るというので少し待って入った。
空いているカウンターに我々4人が座った。暫くすると、他の団体も
帰っていった。隣には、その店の馴染みと思える中年の品のよさそうな
男性が座っていた。何かの縁かと「実は異業種交流の途中に札幌によった」
と話しかけた。「何処から来たのか?」と聞くので、新潟市から来たというと、
自分は佐渡の出身だという。その場が急に同郷の会みたいになってしまった。
この店の入っているビルと、幾つかの飲食ビルを経営している専務だった。

 そこにお客を送っていった美人のママが帰ってきた。二人が深刻そうな話
を始めていた。「もう店をやめたら!」とビルの専務が言っているのだ。
ママが食道癌で退院したばかりで、店に出れる状態でないが捨て身で店を開いて
いたのだ。連日入院していた病院の先生も店にきて忠告しているという。
その場が深刻な、微妙な雰囲気になってしまった。その為か、ママの歌が魂の
こもった素晴らしい歌が続いた。そうなると、お客全員も引き込まれて魂の歌
になった。どういうわけか、私がいやに気に入られて最後までダンスのお相手を
していたと同行の人から翌日聞いた。歌は憶えていたが、そういう記憶はいつも
昇華して消滅するのが残念である。恐ろしいような、悲しいような、楽しい
ような、一生に残る思い出になった。「すすき野」の夜の人生ドラマの深さを
垣間見てしまった。その話を翌日、行かなかった人に話をしたら
「なぜ俺たちを連れて行かなかった」と叱られた。

・・・・・・・・・
2002年05月29日(水)
421,世間とはー2

前回では「個人が確立されてない日本では社会が存在し得ないのでないか。
そしてその代わりー世間ー存在している」と書いた。 ある地域に生まれ
育って、一歩も外の世界で住んだことがない人は、世間という枠組みから
出ることができないのも仕方がない。神話の世界でいう蛇である。

その対極にある鷲に憧れを持ち、その合体の龍を創りあげた。
どういうわけか世界中の神話に龍が出てくる。縛られた世界からの脱出の
希求は人間の本質的欲求なのであろう。羽仁五郎の「都市の論理」に、
両親からの自立が人間としての第一歩と書いてあった。
西洋社会でいう「個人」とは、自立した自己ということになる。

まずは職業である、自分で稼いで生きていくのが第一歩である。
次に両親からの影響と環境からの自立である。自分という意志を持った
主体の確立である。世間というものに対し、戦い挑んで勝ち取る意志である。

両親と周辺のせいぜい20人を[濃厚な?世間]という。それを自覚する事である。
「短い人生、ただ狂え!」が、世間様の丁度いい噂の餌になるが。
王陽明に「羊になるな、狼になり羊を食い散らす生き方を!」というのも、
世間に縛られた生き方を諌めたものだ。 個人ー個性とは世間との闘いで
創っていくものだ。世間とは、他者とのあいまいな緩衝地帯でもある。
私はそこに生きるそれを『子狐』とよんでいる。 誰にもある要素だ。
もちろん自分にある最も嫌っている影である。その集約が、そうあの人!
誰もがこう言われれば自分と?考えてしまうのが不思議???!!

・・・・・・
2001年05月29日(火)
[35] 一人暮らしのあの頃

今日は終日長男(堀井大)のアパート探し! 
よくあれだけ部屋があるものだとビックリ!
部屋の中にある人生を感じた。 一人部屋にある何ともいえない哀愁を!
私にもあった一人生活の侘しさと緊張感。 いつも鏡を机の上に置き、
独り言を言っていた侘しさ。でも自由のよさ。何かタイムマシーンで
三十数年前に戻った感覚であった。