つれづれに

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 今日のYoutube
 

 
「人生というのは、結局、20歳代に、どう考え、どう生きたかで
 決まってしまっているんじゃないのかな~」と、最近、つくづくと思う。

0~9歳     ◎
10~19歳   ×
20~29歳   ◎
30~39歳   ◎
40~49歳   △
50~59歳   ◎
60~69歳   〇

 振り返ると、 上記って、ところかな~
総合で、やはり◎になる。思い込みでも、
そう思えるから幸せなことだ。






・・・・・・
2967,困難は分割して解決しろ!とはいうが・・
2009年05月20日(水)

人生にしろ、事業にしても、困難が付物。困難に突き当たったら
直視するしかない。問題=困難に突き当たった時に、まずは割れ目を
探すことが第一歩。更に、的(敵)を幾つかに分割して、簡単なもの
から一つずつ集中して解決する。それをこなしていくうちに何時の間にか
困難は解決している。問題が複雑で難易度が高いほど、その達成感は深くなる。 
それに熱中するほど、無私になっていく。政治家ほど、その無私が求められるが、
一般的には外からは見えない。 これは人生にもいえる。難しい問題ほど
真正面から当たるしかない。大相撲の立会いの一瞬に「勝負の分け目の難関」
がある。 その瞬間が大相撲の醍醐味である。

目先の問題に対し、分割以前の困難性が立ちふさがることがある。
その場合、ただただぶつかっていくしかない。そのうちに時間が解決する。
孫子の兵法の「戦略」の基本に、敵を分断をして弱い方から攻撃をするのがある。
そのために、準備と構えが最も重要になる。
ところで、野球のイチロウは「普通は一番打ちやすい球を狙うが、
それは普通の世界の人のこと。彼は、一番難しい難問にチャレンジする。 
そこが超一流選手の考え方である。それが「最も重要なことから始よ」
という道理なのだろう。世界恐慌、そしてパンでミックと、次から次へと
難問が押し寄せている。それも危機という点では、数百年に一度の難問である。 
下手なハリウッド映画など足元にも及ばない規模ときている。
「困難は分割して解決しろ!」とは言え、これだけは・・ 
それでも立ち向かわない問題である。 まあ、面白い、などと悠長に
構えていられない。 人類に、そして私たちに何をチェンジしろと、
迫っているのか。 人類圏そのものの存在か?

・・・・・・・・・
2603, 最近みる夢
2008年05月20日(火)
                  (p≧w≦q)オッ☆ ハ!
 最近みる夢は、ますます深遠の奥にある中心に入り込んだような内容が多い。
  一昨夜の内容といえば、
 飛行機からパラシュートで落下するが半分しか開かない。
先に飛び降りた人達のパラシュートは開いているのに・・・
そして海に落下する。そして気づくと海底の牢獄のようなところで
もがいている。ところが檻があって海面に出ることができない。
生死の境目を漂っているようなストーリーである。最近、
図書館から借りて目を通した「死のまぎわに見る夢」の影響だろうか。
 哲学書の生死の問題について読んだばかりのためだろうか。
映画でみたダイビングのシーンの影響か。その全てだろう。
 夢とはその人に深く埋もれている創造性が出るというが。現時点の、
死に対する潜在的なイメージだろう。 何度も書いたが、父親が死んだ
あとに父のベッドで見た夢は、心の奥深く刻まれている。亡くなる前の
数ヶ月、父は「死にたくない」という死の恐怖と闘っていた。 
 一緒に住んでいたので、その気持ちが私には痛いほど感じていた。
 亡くなった数日後の深夜に、父のベッドで、その気持ちに乗り
移ってしまい「死にたくない、死にたくない」という父の気持になった。 
その夢から覚めたときに、「何だ生きているじゃないか!」という、
父の感覚が乗り移って現に生きているという不思議な感覚である。 
魂が入り込んだとイメージである。魂は不死という不思議な感覚を、
その時に初めて実体験をしたのである。27歳時だったが、それ以来20年
近く、霊能力みたいな五感以外の感覚が私の中に入りこんでしまった。
最近は、殆ど無くなってしまったが、何時また出てくるかもしれない。
夢の内容を意識的に思い出し考えると、不思議な世界を覗き込むようである。
 深い得体の知れない自己の深遠の世界をみるのである。
その奥は、想像を遥かに超えた自分の経験の積み重ねだけでなく、
 何億年の生命の経験の積み重ねの記憶まで広がっているようにさえ思える。
 考えてみれば、宇宙の一点で独り彷徨っているのである。 
それを真に気がつくのが死の間際だけとは・・・
 身近な不幸な死を垣間見たとき、つくづく感じるのである。
 群れているしか身の処し方を知らない人こそ、そうだ。
                      (*´・ω・)ノホナ
・・・・・・・・・・
2007年05月20日(日)
2238, お金の正体 ?2
  (*゜ロ゜)ノミ☆【おは?♪】
                  ?読書日記

ーまずは面白そうなところを幾つか抜粋して考えみよう。
P32ー
 ここで不動産のイロハを言うと、
・土地、建物の値上がり率は経済成長率より低い。 
 ロンドンでもニューヨークでも、50年~100年間の統計がそうなっている。
 その理由は固定資産税をとられるからで、経済成長率より低い分はちょうど、
 税金額に見合っている。不動産に対する税金は逃げようがない。
・ロンドンやニューヨークで不動産で財産をつくった成功者がいるが、
 その人たちは大抵ユダヤ人である。ユダヤ人相手に売買して負けになら 
 そうぞおやりください。
・ロンドンでもニューヨークでも人口が爆発的に増加した時があった。
 その初期に買った人は巨万を築いたが、やがて町にも必ず衰退期がくる。
 その前に売り抜けないと! 一等地だから大丈夫という人は大抵騙される。
 これは古今東西に通じる真理である。結論をいうと、土地に限らずお金を
 まわして儲けるのは、自分で事業をおこして儲けるよりも楽ではない。
 確実だとはいえない。 事業そのものを見る力のない人は不動産売買に
 近づかないことだ。土地は万能基本財だが、それでも大きな浮き沈みの
 波に晒される。
 ーー
 解)身に染みて解ったことが不動産の浮き沈みである。
  これが解らないから苦労するのである。大銀行もである。
  そして、また都会を中心に土地バブルがおきようとしているが、
  今度は利益還元法で割り出した裏づけを求められるだろうから、
  以前とは違うのだろう。
 ~~
P120ー
 *格差社会といっているが
 日本は精神でも身分でも経済でも平等な社会をつくることでは、
 世界で一番成功している。いまはだいぶ崩れてきて格差社会といって
 いるが、5~10年前に比べればの話で、国際社会からみれば世界で一番
 平等な社会である。だから格差社会を問題にするなら、それは5~10年前に
 戻せばよいのか、それともそれ以上に、もっと平等にしなくてはいけない
 と考えているのか、そこまで考えて欲しい物である。格差ができた
 ということは、格差さえ甘受すれば自由が増えるということである。
   (字数の関係でカット2,009年5月20日
   ーー
 解)昨夜も、NHKのゴールデンタイムに地域格差の是非の特番を組んでいた。
 グローバル化の時代、世界の格差社会の構造がストレートに影響してくる。
 日本も仕方ない!というしかない。情報化社会とは、そういうものである。
 弱肉強食の原理を入れておかなと、世界の中で国家として劣敗していくしかない。
 5~10年前には戻れないのである。弱者は消え去るしかないのである!
 経済的な格差が、この数年で大きくついた実感がする。しかし、経済だけが
 優勝劣敗の基準ではない。「太った豚より、痩せたソクラテス」の方が
 良いに決まっている。それはソクラテスー考えられる人という条件がつく。
 「バカな考え休むに似たり」にならないためにも考え続けなければならない、
 ということか!        
               (○´ω`○)ノ**SeeYou**(○´ω`○)ノ
・・・・・
2006年05月20日(土)
1873, 「ノート術」本当の極意 ?1
    \(^▽^*)おはようございます!*^▽^)/                    

本屋の中を徘徊?をしていたら、ー日経ビジネス・アソシエー 
という雑誌に「ノート術」本当の極意 があった。朝刊の広告にあったもの。
7~8年前に、「天才のノート術」を分析してあるトニー・ブザンのマインド
マップ方式のノート術を知り、これを中学校時代に知っていたら・・と、
目から鱗が落ちる思いであった。ノート術そのものが、脳の力を強化する
思考技術だったのだ。このテーマ日記も一種のノートである。最近になって、
モーニング・ペイジという習慣を身に付け、これも目から鱗であった。
これらを人生の最後の直線コーナーに入って気が付いているのだから・・
いや何度か気がついていたが習慣化までいってなかった。しかし気が付かない
よりは良いだろう。随想日記の五年間書き続けたことも、自分にとって
最大の収穫である。   。。。φ(ー` )メモメモ   ・・・ボキッ!!☆_/o(□`;)!!
話を元に戻すが、この本の内容は奥行きが深い。この特集では、15人の
ノート術を紹介しているが、その何人かを纏めてみよう。面白いのが紙面で、
そうは書いてないが、内容の濃い順に書いてある。ノート代わりに写してみる。     
 最初のユニ・チャームの高原慶一郎氏の「ノートがあなたを成長させる」
 の要点をまとめてみよう。
・45年間に書いたノートは650冊以上。
・テーマごとに分けてノートをとっている。海外出張、コンサルティング
 セミナー、人生シナリオなど。 大きなくくりとしては、「世界を知る」
「経営の定石を体得する」「自己と組織開発」
・世間にありふれた情報や知識をノートにまとめることで、自分として根づく。
 その際に、漫然としてとるのではなく「1P6W2H」でまとめます。
 -priority ?優先順位 
 -6W=5W+whom
 -2H=how to, how much.  こうした視点で、自分の思考を瞬時にまとめる。
・ノートはコクヨのA4サイズの「キャンパスノート」に100円の
 ボールペンで書いている。
・あらかじめ最初の数ページは目次と要点をまとめるページに
 割いておく。それぞれのページの欄外には気づきやヒラメキを書く。
 キーワードにはマーカーをひく。
・書いたノートは執務室の書庫に保管して、いつでもオープンにしています。
 ナレッジは共有・継続するものなので、体系的に整理して
 「ユニ・チャーム語録」としてまとめました。 それを社員手帳に収録し、
 全社員に配ってます。      
               
 ー高原会長が書き続けてきて、ノートは何か?という実感は?
 ノートはただ記録するだけのものでなく、人生を豊かにする一番身近な、
 毎日できるトレーニングの方法。スポーツ選手のプロが朝から晩までズット
 トレーニングをいている。それは頭で覚えるものでなく、身体で覚えるもの
 である。ビジネスパーソンにとってのノートも同じである。
 毎日書き続けることによって、自分の能力が高まり達成感が得られる。
 誰でもやろうとすればできることを、一流の人は繰り返し継続をする。 
 継続は力です。元来、人間は考え、行動を繰り返す生きものです。
 また自分の内なる欲求と外部の刺激によって成長し続けるもの。
 それが私の場合ノートでした。これらのノートは私の価値観の軌跡
 といえます。自分の人生観や職業観を全うするためにも、これからも
 書き続けていきたいです。
 ーーー
 経営セミナーで、この人の姿を何度か見かけたことがあった。
 いつもニコニコしていて目立つ存在であった。そして最前列でメモを
 取っていた。その利用の仕方からして充分に消化しているのが窺い知れる。
                つづく  (* ̄(エ) ̄)ノバイ
・・・・・・・・
2005年05月20日(金)
1508, 猛女怪女列伝ー2
藤田小女姫

美人霊能者として一世を風靡し、時の政財界の大物まで占った
女性占い師である。ところが1994年、ハワイで子息と同時に別々の場所で
殺され、その真相は現在も充分明らかになってはいない。彼女は結婚後3年で離婚
(1964年)、1968年には経営していた有楽町のサウナ風呂の店が焼け
従業員3名が焼死。その責任として、執行猶予つきだが有罪になっている。 
その辺りから彼女の霊能者としてのピークは過ぎた。彼女は政財界との交流が多く
、野田醤油がキッコーマンに、産経新聞サンケイ新聞に改名した背景に
彼女のアドバイスがあったと言われている。またワシントン・ホテルを経営する
藤田観光の名前の由来が彼女の名前にあやかって付けられたといわれている。
米誌『ニューズウィーク』のインタヴューに応えて行なった予言は、韓国の
朴正熙大統領の暗殺予言が未遂であったことを除いてすべて一応的中していた。
彼女が小学校の2年生の時(昭和21年)に、ハワイから来た狐が耳元で、
「コトドメヒメ」と囁いた夜を境に、「ものを聞かれると頭の中でタイプを
打つような音がして無意識のうちに言葉がヒョイヒョイでるようになった」
という。そして、その素っ頓狂な調子で予言を口はしる美少女は時の人になる。
当時の政治評論家の細川隆元も、彼女の能力を買った一人である。
日米安保条約の改定案成立に、日本中が騒然となった昭和35年、時の総理の
岸信介が、細川に藤田小女姫に会わせてくれと頼んできた。
この時、彼女は22歳である。岸は、彼女に「安保は通るか通らんか」
と訊いたところ、「断固とおやんなさい。通ります。そのかわり、通った
あとに、内閣は長く持ちませんよ」と答えたという。 あとで岸は、
「彼女がいなかったらいまの自分はなかっただろう」と呟いたという。
最後は殺害されて彼女の人生の幕が閉められたが、自分のこと以外は、
彼女には霊感があったようだ。しかし、実際に霊感があったのは小女姫の
母親で、娘は母のプロデュースによってつくられたただのタレントという話
もあったという。しかし余程の霊感がなければ、多くの大物が心酔は
しなかっただろう。 ー新潮45?4月号参照ー

・・・・・・・・・
2004年05月20日(木)
1143, 宇宙とは自分の脳みたいなもの!

この言葉に出あった時に、真言密教の奥義を知ったような深遠な
感覚を持った。宇宙といえば、太陽系があり、銀河があり、その銀河が
数百億あり、その銀河系の中にブラックホールがあって、もしかしたら、
そのホールが他の宇宙のトンネルになっている可能性がある。
地球物理学者の松井孝典氏の本の一節で、「この宇宙が『自分の脳』
みたいなもの」と言ってのけるのだから驚きである。 
凄いことを言うものである。 (字数の関係でカット2,008年5月20日
・・・・・・・
2003年05月20日(火)
776、「ドラッガーとの対話」  ?読書日記ー2
『未来を読みきる力』

 この人の日本における経営者への影響は絶大なものがある。
ドラッガーの経営書と司馬遼太郎歴史小説と、山岡荘八の『徳川家康』は
戦後の経営者のバイブルであった。若くして学んで、いまや忘れ去って
しまった原理原則が多い。以下はドラッガーの名言録を書き写した。 
なかなか深く耳の痛いところが多い。企業は常に若く前向きで、改革を
していなくてはならない。自分の立場を守る為、改革を阻止するヘドロは
退場すべきである。自分では気がつかなくなってしまうのが恐ろしい。
自戒の言葉であると同時に、40歳を越えたすべての企業人に当てはまる事だ。
 大不況の中どうしても後ろ向き、内向きになってしまいがちだが、励まされる
内容である。私のような対人関係が煩わしい人間は「内向けでお山の大将に
なってしまいがちだ」自戒の事としてコピーして手帳に張っておくことにした!
ー『ドラッガー名言録』ー
1、「表の風に吹かれろ!」
2、「自分はここで何が貢献できるかを考えよ」
3、「昨日を捨てよ」
4、「お山の大将根性を捨てよ」
5、「物事は、人が思ったり言ったりすることの二倍かかる」
6、「知識は消え去りやすい」
7、「中小企業が大企業に鵜呑みにされて消滅するなどというのは全くのナンセンス」
8、「アクション(行動)によるフォローアップなきプロジェクト(計画)は、
   パフォーマンス(実績)を生まない」
9、 「問題解決を図るよりも、新しい機会に着目して創造せよ」
10、「企業がより大きくなる必要はないが、不断に、良くならなくてはならない」
11、「教師が学習を阻害することがある」
12、「人間は単能マシーンではない」
13、「革新とは、単なる新しい方法ではなく、新しい世界観を意味している」
14、「中小企業の経営者は机に縛り付けられてはいけない」
15、「人間というものは、非常に時間を消費するものであり、
    そして大部分の人間は時間の浪費家である。
16、「知識労働者自身に上下はない」
17、「必要は発明の母ではないが、助産婦である」
18、デシジョン・メイキングにおいて、2+2=4という具合に、
   ドンピシャリの‘正しい答え’が出てくるものはデシジョンとは言わない」
19、「最も重要なことから始よ」
20、「知識は本の中にはない」

読めば読むほど、耳が痛い!

・・・・・・・・・
2002年05月20日(月)
412, 次の旅行の予定

ー次の旅行の予定である、だだ変わる可能性があるが。
1、スイス・アルプス 2002/07
2、イラン 2002/10
3、南米のパタゴニア 2003/02
4、南アフリカナミビア2003/06
5、南米のガラパゴス 2003/10
6、ポルトガル 2004/02
7、アラスカ 2004/06
8、イースター島 2004/10
9、パプアニューギニア 2005/02
10、リビア       2005/05
11、南インド 2005/07
12、アイスランド 2005/10
13、エチオピア 2006/01
  
これで50回ー目標達成である。
ー20??年1月15日ー60~70歳
 飛び石で世界一周したことになる。60歳は無理だろうが、目標は目標だ。
これ以降はフランス、ドイツ、イングランド、トルコ、中国などの国の
田舎街をまわるコースを中心に? 77歳で98回目の人が、シリア・ヨルダン
の旅行でいたが。何か100回が執念という感じがあった。そう思って生きれば、
張り合いもできる。海外旅行紀行などの番組を見ていても、楽しい。

・・・・・・・・・・
2001年05月20日(日)
随想日記をテーマ日記に

8年前より随想日記をテーマ日記に切り換えた。
其のためこのような風変わりな日記となっている。毎日よくネタがあると
思うが何年かんの訓練と、パソコンの中の材料を使っているにすぎない。
6年まえの文章をコピーしてみる。日記お宅になってしまいそうだ。                                  
 ーテーマ日記  H0701
二年前より日記を“テーマ日記”方式に切り換えた。なれるまでは大変だ
ったが今ではけっこう面白い。この文も去年の一月七日の“テーマ日記”
が下敷きになっている。思いつくまま“テーマ”書き、それをもとに
内容を書く。前日みた“TVドラマ”がテーマであったり。
 前夜みた“夢”の内容であったり、“父の思い出”“年記”
(年末に日記風に一年をまとめた内容)、“読書感”であったり。
あとでふり返って読んでも面白い。いかに普段あまり深く考えてない事と、
その時点の自分の興味の変化がわかる。“日記”より雑記に近いが…。
(随想、随筆の難しさがよくわかる。)