つれづれに

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 今日のYoutube

今朝も、4時前に起床。随想日記を書き上げて、
ポタリング信濃川の土手を一周。 最近、いやに
鷺の声が聞こえるので、じっと見ると、鷺ではなく、
雉である。先日、庭に来ていたのも雉だったことになる。

昨日で、ゴールデンウィークが終わった。
で、どこも出かけないで、150M先のサエゼリアで、
家内と食事。それでも、外食をしたと感が残るからよい。 

庭の藤の花も、散りかけてきた。 少し例年より咲きは
悪いが、それでも、それなりに咲いている。

・・・・・・
2225, いい男とは?
2007年05月07日(月)
       (*´∀`)」" ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ~♪
           
  著者・岩月謙司に、ある日、とある女性から
『岩月先生の本に従って一生懸命素敵な男性を探してみましたが、
今だに「いい男」とは出会えません。・・是非、男性向けに
いい男になるためのハウツー本を出してください!』という投書をもらい、
この著書「女は男のどこを見ているのか」を書く決意をしたという。
    
 なるほど、著者の魂の入った内容であるが、この本が出た後の
2004年12月に、女性患者への準ワイセツで逮捕されてしまった。
インターネットで検索をいたら、女性との‘いかがわしい’
ビデオがあった。このHPに取り上げる内容ではないか・・
それを前提に読んでみると、なお面白い本である。
   
 いい男とは?というより、人生如何に生きるべきか?という内容。
女性ほど、誠実で思いやりのある人間を直感するものである。
小成していない限り、そんな「誠実で思いやりのある男」など、
そうそう居るわけがない。しかし、そのことを知っているか
どうかが女性の質の分かれ目になる。若い時分の男は?
下半身のことしか考えてない。女性の場合は特に将来に渡って
信頼に値するかどうか見定めないと、判断ミスで一生を棒に振る
ことになる。雌ライオンのボス選びのようなもの。
弱いのを選ぶと、ボス交代で子供が全て殺されてしまう。
人間の場合は籤みたいなものだが、少なくとも男の両親をみるべきだ!
それでも、あたり外れが出るのだから!たまったものではない。
  ーー
「女は男のどこを見ているのか」(岩月謙司著)で語られるのは
「いい男」になるためには何が必要か、換言すれば、いかにすれば自分自身が
ブランドになれるか、という内容である。そのためには、
・「英雄体験をしよう」 =自分自身に誇りを持てるような体験をしよう
・「陰徳を積もう」  =小さな親切を大切にし、いつも誰かが見ているという覚悟で
            自分の行動を律せよ
・「自分を貫け}  =一度決めた約束を守れ、ということである。

ーこの本の面白そうなところを幾つか抜粋してみたー

*つまり、お金と名誉と学歴を持っていても、人を騙したり、意地悪だったり、
 不誠実だったり、愛がなかったら、生きているとはいえない。
 本音と建前という言葉があります。これが、現在の日本では逆なのです。
 愛と勇気と知恵が建前で、お金と名誉と学歴が本音です。
 少数民族の多くは、私たちの建前を本音として生きています。
 初対面の人と出会った時、現代に生きる私たちは、まず職業と学歴を気にします。
 彼らは「これまでどんな生き方をしてきたか、老人や子供に優しかったか、
 親切にしてもらった時は、きちんと敬意を払ったか、誠実に生きてきたか」
 ということを気にします。・・・・          (p11)
*「女性は、本来気持いいことが大好きです。愛されることが大好きです。
  気持ちいいことを自分の心と体に取り込もうとします。」(p66)
*「女性の心の世界は、受け容れたい男性か、拒否したい男性かのいづれかしかいません。
  極論すると、セックスしたい男か、セックスしたくない男か、しかいないのです。
  ・・・女性は、自分に安心と快感を与えてくれる男性なら、相手のすべてを受け入れて
  しまうのです。」
                                (p71)
*「それは、常識に縛られたり、常識に惑わされたりされてはいけない、ということです。
 非常識なことをしろ、というのではありません、自由にものを考え、自由に生きて欲しい、
 ということです。常識にしばられると自己改革はできない、ということです。
 なぜなら、改革とはそれ自体が非常識なことをすることなのですから。
 非常識なことをするのが改革ですから、常識に縛られた人がリーダーになると必ず失敗する。
 ですから、もし、あなたが修行していて私もうれしい、あなたもうれしい、
 という関係が成り立ったとき、自分のしていることが世間一般の常識からはずれていないか
 どうかは考えなくていい、と言いたいのです。みんなにウケる生き方ではなく、
 自分にウケる生き方をするのです。たとえば、猫を撫でるのが楽しくて、雨の日も風の日も
 エサをもって神社を訪れても、別に非常識ではありません。人に軽蔑されようが、
 何と言われようが、そんなことをするのはあなたぐらいだと数の論理で批判されようが、
 そんなことに惑わされてはいけません。」          (p136-137)
 
*「あなたが猫を撫でたとしましょう。もし、猫が悦んだら、スリスリしてきます。
 そのとき、あなたは、もっと猫を撫でたい、という気分になっているはずです。
 なぜなら、猫からは『気持ちいいよ』『撫でられてうれしいよ』
 というサインが来ているからです。
 その悦びのサインを受け取るから、もっと撫でたくなるのです。
 そして、うれしくもなります。うれしさというのは悦びですから、
 ますます愛情を込めて猫をなでるようになります。
 猫は、あなたに、より情熱をこめてかわいがられるので、
 ますます親愛のポーズをとるようになります。
 ますますあなたはうれしくなって、ますます猫もうれしくなります。(p155-156)

             (((o(´・з・`)グッ。・:*:・゚☆w(´・з・`)バァイ
・・・・・・・・・
2006年05月07日(日)
1860, ローマから日本が見える-11
     おはよ~!(*^ワ^*)i    
                 -読書日記ー       
《その戦法を知りながら、騎兵力を増強できなかったのか?》

ローマ軍には騎兵を増やそうにも増やせなかった事情がある。
この時代には、鐙が発明してなかったので、自分の両足で馬の
胴体を締め付けて乗るしかなかった。この技法は子供の時から馬に
乗りなれてないと到底乗りこなせない。ちなみにハンニバルは、
カルタゴの同盟国の北アフリカヌミディア人と、ガリア人という、
騎馬に長けた民族が参加していた。またローマ軍の主体が重装備歩兵
であったため、騎兵中心に変身しにくい要素があった。
重装歩兵がローマ軍組織としてあまりに中心過ぎて、これを
変えるとローマ軍の組織そのものが弱体化してしまう恐れがあった。

ハンニバルの誤算》

ハンニバルが限られた手勢でアルプスを越えて、単身イタリア半島
乗り込んできたのには、もちろん彼なりの計算があった。
戦いに勝ち続けていれば、ローマ連合も盟主ローマから離反し、
寝返ってくる都市が続出すると踏んでいた。
ところが、ハンニバルの予測に反して連合軍の連帯は強固であった。
ローマが長年かけて造り上げた「政治的建設」は、ハンニバル
心理作戦でも揺らぐことは無かった。
                       茶でも!~~旦_(-ω-`。)
スキピオ登場》

ローマの総力を結集したフビウスでの持久戦略に持ち込んだ
BC210年になっても、ハンニバルを追い込むことが出来なかった。
20個師団を超えるローマ軍はハンニバルを包囲するが、
彼の行動の自由を制約できても決定打を与えることはできなかった。
しかし、ここでスキピオという若き軍団司令官を得ることになった。
当時の彼は、25歳である。 カンネの戦いのとき、19歳の少年だった
彼はハンニバルの戦いぶりを観察し、何故勝てないのか考え続けてきた。
そして彼は『ハンニバルに勝つには、ハンニバルのように
闘わなければならない』という結論に達する。
アレクサンダーの弟子を自認していたハンニバルも、まさか自分の
弟子が敵のローマ人から出るとは思っていなかったでしょう。
しかし、その「まさか」が起こったのです。スキピオ・アフリカヌス
の登場によって、第二次ポエニ戦役はがらりと様相を変えることになる。
それまでの『天才対組織』の戦いが今度は『ハンニバルスキピオ
の戦いになり、イタリア半島からカルタゴのある北アフリカの移る。
そして、紀元前202年で行われたザマの会戦で、ハンニバル
弟子スキピオに敗れることになる。この一連の戦いはダイジェスト
ではとうてい述べることは不可能です。ハンニバルの登場は、
ローマに大いなる課題を突きつけました。そもそも年功序列
ローマの共和制では「才能による」抜粋などありえなかった。
ところが、その緊急避難的に選ばれたはずのスキピオが、ことに
あろうかハンニバルに勝利してしまうのだから、こんな皮肉はない。

彼の活躍で小アジアからジブラルタル海峡まで一気に拡大する。
その反面、ローマの元老院体制に大きな亀裂をもたらした。
スキピオ支持派と反対派である。
その反対派はスキピオを『スキピオ裁判』に持ち込んでしまった。
保守派は『ローマの政治を私物化している』と弾劾したのです。
彼は、引退という道を選んで、ひっそりと死んでしまいます。
 ーー
いずこの世も新旧の戦いはあるものだ。スキピオは今でいう
『ベンチマーキング』『ベスト・プラクティス』をしたことになる。
ベストを真似てアレンジするのが一番合理的であるのは、いつの世も
同じである。 勝つには勝つなりの理由がある。 それにTPOSが
加わらなければならないが。歴史モノは面白い行蔵の宝庫である。
                   ヾ(^ω^*) バイ
・・・・・・・・
2005年05月07日(土)
1495, いま・現在についてー3

 「どうせ死んでしまう」-2
              -読書日記
「どうせ死んでしまう」ーいまの生成ー 
というコーナーに、「いま」について深く掘り下げてあった。
「一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方」
という言葉が解りやすい。
  
    ー面白そうなところを抜粋してみるー
P-39
ー「いま」の生成
すべての科学(大脳生理学・心理学・物理学等々)は
現在と過去との差異性を塗りつぶすことによってかろうじて成立している。
・・・・・・・「いま」は△T1というような一定の時間を指す概念ではない。
「いま」は一つ前の「いま」という相関ではじめて意味を獲得する。
この「いま」をえぐり出すことは、とりもなおさずその外に一つ前の
「いま」をえぐり出すことである。

今日を「いま」としてとらえることは、昨日を一つ前の「いま」として
とらえることである。
今年を「いま」としてとらえることは、昨年を一つ前の「いま」として
とらえることである。

「いま」とは、自然現象ではなく、
一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方なのです。
「いま」の出現は、互いに否定的な二つ(いまに対応した未来と過去)
の「いま」の出現にほかならず、そこにはお互い否定的なものを繋ぐ作用
が必要である。それが想起であり、その想起の主体こそが「私」なのだ。
つまり、「私」は知覚においては登場してこず
(川を眺めているあいだは「私」は登場してこない)
川を眺め終わって帰る時に想起したときに初めて登場してくる。

正確な知覚能力を具えているが(エピソード記憶に対応する)
想起能力の完全に欠如した生物を考えてみよう。彼は次々と知覚し
その内容を記録する。しかし、次々と忘れていく。
彼は自分が記録した内容を過去の事象として理解することができない。
そこに日付があったとしても、それが過去の日付であることを理解できない。
つまり、彼は連続的な自然現象を正確にとらえることができても、
そこに「いま」と「いま」の楔を打つことができないのである。
そういう彼は「私」という意識をもたない。
 -------
 
以上が、「いま」を哲学的に書いてあるところである。
「いま」は、過去の上によって初めて成り立つ、と解りやすく説明している。
そして、「いま」は想起能力がなければ存在し得ない。
「いま」を大事にするということは、過去を大事にすることになる。

過去を想起し得てこそ、「いま」が存在をする。
それからみると、日記は「いま」にとって大きな要素になる。
文章として書き残すことは「想起のための楔としての記録」になる。

「いま」の意味を、もう少し納得するために記憶喪失を例に考えてみる。
先日レンタルDVDで観た[記憶のない男]の姿の中に[いま]の希薄をみた。
彼の「いま」は全く過去を持たないため、虚空を彷徨っているようであった。
その「いま」は小さな点ーエネルギーでしかないように見えた。
過去の「いま」の積み重ねをバックに持ってこそ、私の「いま」がある。
それは、未来に対しても同じことである。

深い過去をもってこそ、深い「いま」が存在をしてくる。
「いま」だけが全てではないのである。
                     ーつづく
・・・・・・・・・・
2004年05月07日(金)
1130, 「ライフレッスン」-11

 ー 許しのレッスン
誰も人生には、八つ裂きにしても許せない人間は何人かいる。
そして、自分も、他の人間にとって、そのうちの一人になっている。
相手を許すということは、けっきょくは自分を許すことである。

許すということは、自分の内面の魂の問題のかかわってくる問題である。
「ならぬ堪忍、するが堪忍」であり、それは自分を如何に納得させるかの
折り合いの問題でもある。許すというのは、ある意味で奇麗事なのかも
しれない。しかし、その奇麗事は最も大事ではなかろうか。
許しは、主体的なことである。許そうと努力していれば、そのうちに
忘却の彼方に消えていくものである。残ったとしても、自分の記憶には
「許し」という言葉が包んである。

ー以下は抜粋である

・人生まっとうにしようとするなら許すことを学ばなければならない。
許しは苦痛や傷を癒す方法であると同時に、ふたたび他者と自己を結び
つける方法である。わたしたち全員が、他人を傷つけたことがあったはずだ。

問題は傷つけたり傷ついたりすることよりむしろ、その経験を忘れられないこと、
それを忘れようとしないことである。傷の痛さはそこにあるのだ。
わたし達は傷をためこみながら生きているが、その傷を手放す方法はだれからも
教わっていない。許しを必要とされる理由はそこにある。

許す人生を選ぶか許さない人生を選ぶかは、その人が決める問題である。
許しは自愛的な行為といえる。
許さないということは、むかしの傷や怒りにしがみついているということである。
恨みの感情に栄養をほきゅうして、過去の不幸な部分を生かし続けることである。
許すことができなくては、自分自身の奴隷になるしかない。

・もうひとつ許しの障害になっているのは、報復してやりたいという欲望である。
報復という低次元な行為をした自分にたいして、あとで罪悪感をもつことになる。
自分を傷つけた人に対する攻撃的な行為が,けっきょくは自分を傷つけるのだ。

ーー以下は字数の関係でカットしてます。
・・・・・・・・
2003年05月07日(水)
763, 地方差別

 東京では、地方出身者は田舎者と露骨に差別される。
学生時代に東京に住んでみて、驚いたのが地方差別であった。
解らないでもないが、都会生活での初めてのカルチャーショックであった。
今でも海外旅行のパックの同行者の意識で驚く事がある。
それも強い負け犬の立場の人?に露骨に顕れている。

 一番面白かったのが「ケニアのヌーの河渡り」であった。
都会のハイミス・ゴールドミス(グランド・オールドミス)がすざましい
ひと達だった。具体的には書きたくないが、その傷口の血は濃厚だ!
もう二度と、その血を浴びたくはない!洗っても数年は落ちないほどだた!
自分のプライドを守る為に弱者を探すと地方差別が一番手っ取り早いのだろう。

 何処かのヨーロッパの空港の待合で、江戸っ子の職人風の父子がいた。
話しかけたら「貴方は地方?それとも東京出身?」と聞いてきた。
新潟と答えたら、一切話をしないで露骨な可愛い差別を始めた。
こんなものである。
学生時代に外国旅行に行った時、ある同行の女性が思わず本音が出た。
「最近帝国ホテルも、地方のお上りが多くって質が落ちていますわ!」
その一言で最後まで嫌われて、総スカンをくらってしまった。
「父親は同行の女性の会社の子会社の下っ端の役員でしかないないのに!」
とすぐに陰口が入ってきた。
結局はすべては「コンプレックスの隠しの芸の追求」が人間の本質なのだろう。

「お上り」という言葉が、典型的な軽蔑言葉だ。地方差別を書くこと
自体がタブーでもある。公平という意味でー平等でなくー差別をされても
仕方がないのも解るが!?毎日二つの街を通っていて、長岡と新潟で
さえもあまりに違いすぎるのは事実である。

都落ち」という言葉もあるとおり、特に都会で生まれ育った人間は
地方に住むということはアジアの何処かというくらいの響きがあるようだ。
アメリカのニューヨークなどは、もっと複雑に絡んでくるという。
民族や人種や宗教や収入や肩書きなどで露骨の差別があるという。

まあどうでもよい田舎者の話だが。

・・・・・・・・
2002年05月07日(火)
399, 末っ子はつらいよ

8人兄弟の末っ子である立場を書いてみる。
少年期まで、末っ子は上からの虐めがきつい。
特にすぐ上の2人のそれがきつい。
常に気を張っていなくてはならないのがその宿命だ。

食事も気を抜くと自分の食べ分がなくなる為、早食いが癖になってしまう。
常に周囲の情勢を把握していなくてはならない。

誰かに聞いたが、多くの兄弟で育った末っ子は社長に向いているそうだ。
他人の気持ちを常に読んでいなくてはならない事が、それに向くのだろう。

それと結婚の相手は長女がいいと最近聞いた。たまたま家内がそうだった。
そういえば知人のW氏も長姉もその組み合わせだ。上手くいっているようだ。

そういえば過去に惹かれた女性は長女で、A 型で、160cm、
おっとりしたタイプが多かったー今もそうだ。
末っ子は口が堅くなくてはならない。
それぞれの兄姉の秘密を知ってしまうからだ。

万一告げ口をしたら、袋たたきにあってしまう。
家族はまず出会う初めての社会だ。

・・・・・・・
2001年05月07日(月)
ユニクロが面白い

半年前に自宅の一^二分のところできたユニクロがますます面白い。
とにかく体形にフィットするー着心地がよい。それと安い。
土日曜は開店から閉店まで客のとぎれることはない。’服は服装のパーツ
である’という考えのもとの品揃えがはっきりしているのだ。
あそこまで客に支持されるのは、普段着と重ね着のサブに徹している
為もある。今まで腰まわりだけのサイズのズボンしかなっかた。
今は股下のサイズもヨウイしてある。ウエスト79のサイズの股下80
と70とでは当然形が当然形が違ってくる。
今まではそれだけ種類が増え在庫が増えてしまうという
川上の論法ででつくられなっかったが、売れ筋を 絞り込む事と在庫管理の
徹底で用意すれば安いコストでそれぞれの人が着やすい品を提供できる事が
彼らに解ったのだ。本当の意味での顧客サイドの商品つくりがおこなわれて
いなっかたのだ。その意味で当分ユニクロの一人勝ちは当分つつくだろう。

-以前書いた私の文をコピーしておきます。
H1211 事業百訓-ユニクロ現象について-
  ー字数の関係でカットしてますー