つれづれに

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 今日のYoutube

  ~以下の、9年前の同月同日の内容が面白い~
 実際に我が身に起こったことは、これ以上だったが、
ハイパーインフレ金利5~10%は、今だに起きてないが、
金価格が、2000円が、今では5000円。 この直後から
三井住友の貸し剥がしが露骨になった。
そして、一年後に、リーマンショックが起こり、4年後には
東北大震災と福島原発の崩壊と、私の経営していたホテルの
売上げが何と、当時の半分以下になり、会社整理にあいなった。 
 その前年には、リーマンショックの到来を予測した
テーマになっている。この頃から危機を予測していたが・・
実際には静かなる世界恐慌が進行しているが、誰も見て見ぬふり。

 ハイパーインフレにはなってないが、翌年から現在に至るまで、
アメリカのドル供給量が三倍に、日本の円供給量が二倍に増加。
しかし、ハイパーインフレになってないのは、マジックを使っている
ため。それも、何かのキッカケで・・・ まあ、小高い裏山に登って
下界を見ているのも、気楽だが・・・ それにしても、オリンピックの
お祭りを差し込んできた阿部ちゃん、どうするの日本を! と、
呆れる以前に、恐ろしさが先に立つ。 平成版『いいじゃないか、
いいじゃないか』 そのもの。まあ、見ものである。

・・・・・・・・
2006年04月27日(木)
1850, 2008年、日本は大きなクラッシュに? -1
        おはよ~!(*^ワ^*)i
昨日、池袋で開催された『資産防衛セミナー』での第一声の講師の言葉が
「平成20年に、日本は大きなクラッシュになる!』である。
そして「その対策を、具体的手順にふむべき時期がきている」という。

 二年半前に同じ講師で同じテーマのセミナーに参加したが、再び参加してみた。
 5回も参加している人もいるという。その衝撃的な内容は絶望度をましていた。
 景気回復など論外。 現在の日本の事態は生やさしいものではないという。
 
本屋で、数年前まで悲観的な表題の本が平台に積まれていたが、
最近は見かけなくなってきた。少し温かい微風がふいているからだ。
この講師の話を聞いていると、その絶望的な話は不変であった。
2~3年以内のクラッシュも、あながち有得ない話ではない。

ー印象的に残った部分を列記するとー
・金(ゴールド)など現物に替えておけ、グラム6000円も有得る(現在2000円)
ハイパーインフレはもう始まっている
・銀行閉鎖も最悪の場合ありうる(その場合は貸し金庫も閉鎖される)
金利が5~10?を覚悟をしておいたほうがよい
・日本はアメリカの植民地国家
三井住友銀行の貸し手に対しての、脅しもどきの取立て現場の生々しい話

 これからの日本の混乱の生々しい予測と現状の内容である。
 現在は明治維新時、第二次大戦の敗戦時、と同じ有事の時。
 それを明確に意識をして、ことに当たるべきだという。
 思い切った決断しか、これからの時代は生き残れない!ということか。

私が感じているより、遥かに事態は深刻のようだ。
日本は、これから何処に漂っていくのだろうか?
「日本という国は、潰れない。
ただ、国民の財産を根こそぎアメリカ資本に持っていかれるだけだ!
その防衛は、それぞれの自己責任で防衛するしかない!」が印象的であった。
                        つづく
              ε(´',_c')зβyё        

・・・・・・
2215, 買い物依存症の女
2007年04月27日(金)
       ^O^ノ  オアヨーン
       
海外ツアー、それも秘境に行く人は、心に大きな負担を持った人が多い。
ある年代になれば誰もが何らかの問題は抱えている・・・
特に刺激を求めてアフリカ、中近東、シルクロード、南米などに行く人は
人生の究極を求めている人が多い。
その中で、「買い物依存症」の人が何人もいた。
明らかに病的の、「やり手?ブランド嗜好の金ぴか中年女」である。
店側の尤もらしい口上、お世辞に金をばら撒いている姿が悲しく映る。
買物で心の空虚を埋めようとするとするのは究極の癒しである。

亡くなったが、何度かガンの手術の死線から生還してきた人と、
その直後、酒を飲んだことがあったが、その時の言葉が印象である。
「もう帰ってこられないと思っていた娑婆に戻って(退院して)、
何をしたいと思うか分かる?買い物だよ、無性に買物がしたくなるのだ。
セックスと思っていたら、そうじゃないんだ、何かを買いたくなるんだ。
何でだろうか、考えてみたんだ。
動物の本能が出てくるんじゃないか!ということだ。生きるということは、
何かを欲すること、それも女じゃないんだ! 物を得るという行為なんだ!」
なるほど、その通りなのかもしれない。

車谷長吉「反時代的毒虫」の中の対談相手の一人、
中村うさぎの『買い物依存症』の内容の概要を以前書いた。
先日、図書館の返却コーナーで偶然、彼女の『女殺し借金地獄』を見つけた。
初版が平成9年4月だから、10年も前の本になる。
この本の中で自らを中村うさぎ自身『ブランド漁りのバカ女』と自認しているが、
心の空虚さを埋めるために借金をしてまで、買物や外食に勤しんでいる。
私の極至近に(誤解しないで・・、家内ではない)、似たタイプがいたが、
気の毒を通り越していた。見栄だけで生きている人が世の中にいるのだ。
 ・・ まあこの辺でやめておこう!
 ~~
ウェブ百科辞書「ウィキペディア」で『中村うさぎ』と検索したら、
以下の通り、彼女らしい紹介があった。
   ーー「中村うさぎ』履歴・人物ーー

住友系の繊維会社で経理をしていたが1年半で退社。
コピーライターや「イボンヌ木村」名義でのゲーム雑誌ライターを経て、
1991年ライトノベル作家としてデビュー、『ゴクドーくん漫遊記』で人気を博す。
その後、ライトノベルを中心に作品を発表していたが自らの浪費家ぶり
(ブランド物の買い物、ホストクラブ通いなど)を赤裸々に書いたエッセイ
『ビンボー日記』、『ショッピングの女王』が大ヒット。
現在は主にエッセイストとして活躍している。

2003年に豊胸手術をし、豊胸前・豊胸後のトップレス写真を女性週刊誌
グラビアで公表。2005年8月に「自分の女としての価値を確かめる」ため、
デリヘル嬢として風俗店で勤務。2005年に『笑っていいとも』のテレホン
ショッキングに出演するが、ゲストでは大変珍しく友人知人から花輪が
1個も届かなかった。しかもデスクの後にある大きな花輪も無かった為、
非常に貧相なスタジオ風景になった。
ーー

この本、期待どおり、いや期待以上に過激の内容である。
よく、ここまで書けるか!という、エゲツナイ本である。
先日、彼女がTVに出ていたのを見たが、やはり、この本を読んで
見るのと、見ないのとでは全く見る目が違ってくる。
先日は、まだ読む前だったが、ヘラヘラしていたのが印象的だった。
 
 次回は、この面白そうなところを抜粋してみる! 
 やはり、まずいか?気品ある、このコーナーでは??
  ーパリで、走りながらウンチたれた!ー
    などを、とうてい書けません!
                  ホンジャ \(__ )  バイバイ!

・・・・・・・
2005年04月27日(水)  
 1485, 24歳の日記ー3
 3月31日 1970年

昨日、最終的に実家の会社の一員になることが決定した。
恐らく三年後あたりが目途であろう。
それまでに、自分の力をつけなくてはならないのだ。
もう許されないのだ、いい加減な姿勢は。
息苦しい感じがしたが、それでもハッキリとしたものが見えてきた。
これからは、衣料店だけでなく他の事業も考えなくてはなるまい。
もう、サイは投げられたのだ。

これから大事なことは、「自分を自分の相談相手にすることだ」
この時期は二度とない大事な時期である。
足元を見つめなおして一つずつこなしていかなくてはなるまい。

ー私の現在思っている言葉の定義を、そのまま書いてみようー

・「贅沢」とは、他人の目を意識をして、そのために
意識や金や物を使うことなのか。
・「生きがい」とは、自分の価値を明確にして、
  その追求をするプロセスの一瞬に感じる満足感
・「言葉」は大事な要素である。しかし、それは行為にあとに出てくるもの。
 その行為は、生きた言葉、生きた人間そのものである。
・「神」とは、真善美の理想形として人間が創りあげたXである。
・「真」とは、ものごとの本筋・本質をいう。
・「決断」とは何だろうか?その裏づけになる理論と、
 その後の行為が肉付けされて達成に至るものだ。
・「善」とは、道徳のいや、価値の側面である。
 道徳は社会の中の規範であるが、その社会の規範は過去のものでしかない。
・「誠」とは、裏切りを知りながらそれを乗りこえて生きることである。
・「美」とは、美を感じる心が無くては。美を感じる心とは、対象の
バランスを自分の中のバランスとして受け入れる感受性である。
  それは、真善においても同じだろう。
・「克己」とは、自分の壁を乗り越えること。
 人に勝つ前に、自分に勝たなくては!
・「価値」について、それぞれの社会の固定化された欲求?
 それとも目標? 外部に価値を見出すべきではない。
 そうなった時は自分に迷いのあるときである。
・「力」とは何か、人間がただ頼れる一つのエネルギー?
 今の自分は自分自身を信じて自分の足で立つことだ! 
見えない未来に向かって。      おやすみ!

 ー2005年4月27日5時半ー 記
 よくぞまあ、35年前にこんな難しい?ことを書いたものだ。
 難しいことというより自分の頭の中の言葉を引っ張り出して曝して
いるのが有効である。 深くは考えないで、その時に気ままに日記に
書いたものだが、言葉の重要性に気づいたのだろう。
 
 この一年で、情報と言葉の「切断」の重要性にも気づいた。
 カレーライスをつくるのにそれぞれ素材を目的に合わせて切断する。
 情報や言葉も同じであることに。
 この一年ほど、自分の一生にとって有意義な年はなかった。
 一見、無駄に見えたが基礎の再構築だったようだ。
 
 常に社会と一線を引くスタンスが、この一年で身に付いた。
 姉夫婦が、小さな城下町の価値観の世界を全世界と信じて疑ってない姿を
 身近で観察できたこともある。
 内海にいる魚は海そのものがどういうものか知ることがない。
 陸に上がって海そのものを見ることができない。
 まして、自分が内海にいることも知らない。
 人間全てにいえることだが。
 
 ・・・・・・・・
 2004年04月27日(火)
 1120, 「ライフ・レッスン」ー7
  ー時間のレッスンー

・時間のなかで、すべてのものは変化する。内面も変わり、外面も変わる。
外観も、内的自己も変化している。人生はたえず変化をつづけているが、
ふつう、変化を好まない。それに抵抗しようとする。
そうこうしているうちに、周囲の世界のほうが変わってしまう。
変化の速度は、かならずしもわたしたちの内的速度と一致しているわけではない。
たいがいは早すぎるか遅すぎるか、である。
変化とは慣れ親しんだ状況に別れをつげて、不慣れな状況に直面することである。
あたらしい状況そのものでなく、そこにいたる間の時間に不安を感じることもある。
「一つのドアが閉まっても、別のドアが必ず開いている。・・・
でも、それぞれドアにつうじる廊下にいるときが、いちばんつらい」
変化はたいがい、ドアがバタンと閉まってしまった場合始まる。
先が見えなくなり、人は不安な時間を過ごす。
この時期はつらいものだ。もうだめだと思った時、何か新しいことが始まり、
ドアが開く。変化に抵抗しようという人間は、自分の人生そのものに抵抗して
いることになる。必要なことは変化に乗じること、
少なくとも変化を受け入れることである。

・「西洋文化においては、歳をとることは尊重すべきことではなく、
しわは人生の勲章ではなく、隠すべきもの、避けるべきもの、除去すべきものだと
みなされている。ところが、青春時代の活力を懐かしみながらも、殆どの人は
まったく同じ人生をやり直したいとは思わない。
若き日の狼狽や混乱を、ありありと憶えているからだ。

中年になると人生のなんたることかも多少は解り、
ばかげたことをしている時間もなくなる。
中年期になると、いたずらに青春時代に戻りたいとはおもわなくなる。
若さの時期は、無垢の時期であると同時に無知の時期である。
青春の夢が中年の後悔に変わるのが、人生が終わったからでなく、
その夢のとおりに生きれなかったからである。

優雅の歳を重ねるということは、毎年、毎日を充分に経験しつくす生き方である。
人生を本当に生きた人は、もう一度生きなおしたいとはおもわない。
後悔する人生は、決まって、じゅうぶんに生きれなかった人生である。

人は何歳まで生きたいと思っているのだろうか。
もし200歳まで、あるいは永遠に生きるチャンスを与えられるとしたら、
いったいどれだけの人がそのチャンスを受ける人がいるだろうか。
そう考えてみれば、寿命というものの持つ意味が理解しやすくなる。
時代をこえて生きたとしても、何の意味もない。
愛する人が誰もいなくなり、もはや理解しがたい文明の中で生きつづけるのは、
空虚以外の何ものもないだろう。

・夜空をみあげるとき、私たちはじつは遠い過去の光りをみている。
星の光りは地上のいまの光りでなく、何百万年前の光りだ。
他人にたいしても、私たちは同じ経験をしている。
私たちはなかなか現在の目で他人を見ようとしない。それは自分に対しても
おなじである。ほとんどの人はいまの真の自己をみようとせず、過去や自分や、
そうなりたかった自分としての自己を見ている。
きのうの自分がきょうの自分を規定しているわけがない。
それに気づくことのなかに、すばらしい自由がある。
もし現在という時間に意識をむけ、あるがままの人生を見つめることが
できさえすれば、あたらしい自分になり、まっさらの新鮮な気分で今日と
という日をむかえることができる。

ー感想ー
「時間がすべてを解決をする」ということを長く生きてきた人は
誰でも実感することである。だいたい深い傷でも3年が目安である。
ただし、深いところで自分で手当てをしておかなくては後々まで引きずるが。
振り返ってみる時、時間と供に自分も変わっていくので、
客観的にその変化をみることができる。
時間が経つと同時に、何が大事で何が大事でないかもみえてくる。
冷静に屋上の上から見ている自分が「魂」である。
その時々に思い悩み、笑い楽しんでいる感情が「心」といってよい。
時間と供に魂の目を、その時間に伴って上方に上げてくれる。
ただ今日、今という時間に意識を集中しなくては魂は上方には上れない。
一期一会とは、すべてにいえることである。

・・・・・・・
2003年04月27日(日)
753, 孤独について考えてみた

 自分の強みは何だろうと考えてみた。
「孤独に強い事」である。あまり人といなくとも平気である。
若い時の都会の生活や勤めの時代に鍛えられたことと、8人兄姉の末っ子だった
こともある。一人でいつも遊んでいたという。
創業を独りで何回か経験をしてきたのが、さらに孤独の訓練になった。
孤独をポジティヴに前向きにしなくては、無から有は創れない。
青年期はそれほど強くはなかった。実際は空元気であった。

「孤独を恐れるのは、ひとりそのものではなくて、孤独であることを責める自分
の中の内在化された他者の声である。それが多くの人の心を責めさいなまし、
安らかな心を破壊してしまう・・・」とある本に書いてあったが、私の場合そのような
内在化された他者の声は全くない。
独り事業を何回か立ち上げてきた為に内在化する余地がなかったのだろう。
それと行蔵が整理?されていたこともある。
あとは幼児期に両親や姉兄にタップリと愛情をそそがれた事が大きい。

 日本というのは孤独を白眼視する、同調的で画一的、群れや集団に属さないことを
忌避する、個人が自立できない幼稚な社会である。
これは仏教と島国が長年の間に影響してきたのだろう。
現代のように人から嫌われることを極度に恐れ、他人に従順になりすぎる大多数の
人には、逆に「人から嫌われる強さ」が必要である。
群れていれば安心している輩があまりにも多い、まあ如何でもよいことだが!
孤独をきっちり確立した上で、寂しさを紛らわしたくなったら、そういう場に
行けばよい。独身時期はきっちりとその組み立てをしていた。
居酒屋に行けばいくらでも、癒してくれる店主やママや飲み仲間がいた。

 本当に孤独に対して訓練されてない人が多い。
そういう人が仲間になって群れてしまうから更に悪い。
今回の青年会議所仲間同士の殺人事件など、そこがバカや低脳児の集まりの場で
しかないことの証明でもある。本人たちは全く気がついてないのが哀れである。
仕事の手段として群れているつもりだろうが、手段が目的にすりかわってしまうのだ。
手段の遊びが、目的になってしまうのだ。
 過去を考えると他人事ではないが!??

ー孤独を失った時の損失を考えてみると
・独創性や創造性であり
・夢や目標や目的の喪失であり
・自我の確立であり、また自己の心の成長であり
・自分らしさや個性、独自性、心の自由、行動の自由、趣味の自由などである
群れや際限なき仲良しゴッコはそれを補ってあまりあるものなのか疑問である。
たえず友達や仲間といっしょにいる人は、群れの奴隷となり、自分を失っている。
私の嫌う子狐があちこちで群れているが、「和して同ぜず」ではなく、
「同じて和す」ということか。その「同じる」が恐ろしいのだ。
「個性個性、孤独孤独といって石のカタチの違いこそ大事だといっても、
所詮は砂利は砂利でしかないのに、解ったことをぬかすな!」
という心の奥の声がする。

・・・・・・
2002年04月27日(土)
389, どういう時代に?

今年来年はどういう年になるだろうか?
・今年はブロードバンド時代の新しい形が、
 製品や社会現象で新しい形で出てくる年である。ー孫正義
 携帯TV電話、液晶TV、BSハイビジョンTVなどの普及

・何を発信できるか、するかの時代になってきている。-堺屋太一
 ホームページは発信の窓か
・嵐の年、そして来年もビッグバンを間接原因にした倒産の嵐、
 失業の増大 身近に失業者や倒産廃業が増えてくるデフレの進行
・テロの続出と社会不安の増大
  新たな戦争?イラク北朝鮮
・身近に具体的に危ない事件の続出
・思いもよらない大事件が生じるー社会的にも政治的にも

ますます殺伐とした時代になっていくことは間違いはないだろう。
しかし面白いことも事実である。
20世紀的のものの崩壊と、21世紀的の出現が同時に見れるのだから。

時代の変わり目である。こういう時こそ、戦略の練り直しが必要だ。
一人で考え抜かなくては生きていけない時代だ。