つれづれに

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 今日のYoutube
https://www.youtube.com/watch?v=4RvzY41FFlw

 ほぼ同じ日が、淡々と過ぎさっていく。
来週から、そろそろ近くの福島江の桜が開花、
そして、悠久山が、数日、遅れの花見になる。
これも、毎年恒例の催事。 それも楽しみの一つ。

 今朝は、雨で早朝のポタリングに行けず。このようすでは、
午後も無理? こういう時は、読書か、ネットサーフィンになるが・・ 

 外国に行って、まず感じるのが、白人社会での差別の視線。 
これも慣れになるが、少し考えれば分かることだが、人間社会は
元もと差別、階級で成り立っている。 資本主義社会、その基準が、
金の多少で、その人の価値を決めてしまう傾向がある。
 確かに、、多いほど行動範囲が広まるし、無ければ、家の中で、
ジッとしているしかない。 で、近所の噂話しか、するよしがない。
今では、TVとインターネットがあるので、これだけでも、結構、世界が
広まるが・・・ 

 結局、人は自分の知っている範囲でしか、物事を考え判断する
ことしが出来ない。 もしかしたら、全く違う考え方や、思いもよらない
世界があることが、現実的に理解できない。 それは、そうだ。
知らないのだから! だから、自分の方から、その範囲を、少しずつ
広げていくしかない! この年齢では、今さらと思った瞬間、
老いが進むことになる。 視点を多く持つことで、人生は豊かになる。
そのためには、非日常を意識的につくり、違った世界と接触しないと!
で、同じような日常が続く!と、ぼやいているが、それは老いの戯言。



・・・・・・
2193, やまあらしのジレンマ
2007年04月05日(木)
    オッ(*^○^*)ハ~ヨウ!

ショーペンハウエルの「やまあらしのジレンマ」の話が面白い。
 まずは、その内容から
 ーー
あるところに二匹のやまあらしがいた。
冬の朝、寒いので二匹のやまあらしは互いに暖めあおうとして身を寄せあった。
しかしあまりに近く身を寄せあった二匹のやまあらしは
自分の体に生えているハリで互いに傷つけてしまった。

そのため二匹のやまあらしは相手から離れたが、また寒くなった。
そこでふたたび二匹のやまあらしは身を寄せあったが、
また互いに相手を傷つけてしまう。
このように二匹のやまあらしは離れたり近づいたりを繰り返し、
ようやく「最適の距離」を見いだした。
 ーー
この寓話は、
我々の心は「寒さ」と「痛み」のジレンマの中でしか
「最適の距離」を見いだすことができないことを提示している。
やまあらしのトゲとは、人間の自我(欲望や、社会的立場、感情)をいう。
青年期は自我の一番強い時期、だから青春期の恋愛は、
トゲとトゲの刺しあいになり、愛しあうほど傷つけあうことになる。
その繰り返しの中から、お互いの最適な距離感を身につけることになる。
青年期は、傷つきやすい時期でもある。

その傷の癒しを他の対象に求め、そこで更に深く傷つくのがあたり相場。
癒しを他に求めること自体が次の傷をつくる準備をしていることになる。
そのこと気づかないのが若さからくる無知である。
孤独は人間の本質的なことであり、それをしっかりと自覚していないと、
傷口がどんどん広がり、化膿していく。 

夫婦関係にも言えることである。
トゲとトゲの差し合いを今だしているが、互いの皮膚が30数年の結果、
痛みを殆ど感じなくなってしまった。
適当の距離感とは、=あまり親密にならないこと!である。
青年期に女性も友人も、ある距離に近づくとトゲが全身から出るのを感じとった。
あれが、自我だったのだ。  今もそうだが! 
トゲは必要である! 自己を守るためにも。
しかしトゲの先は丸くしておかなければならない!     
                     ホンジャ、バアアイ 
                   ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪
----------------
2006年04月05日(水)
1828, ずっとやりたかったことを、やりなさい-5
        ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
               -読書日記
  ーアーティスト・デートー

「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており、今までの
経験や年齢等に関係なくアーティストとしての創造性を秘めている。
そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが)
その才能にアクセスする方法がある」という。

ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは
画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家といった俗にいう「アーティスト」
だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる「創造性」
の開花をいう。その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。
特にクリエイターの方々(デザイナー、各種コーディネーター、ライター)
には参考になる方法である。

机上の空論ではな、才能開花のための実践的なトレーニング法が
12週間という具体的なプランに落としこまれたトレーニングプログラム。
本を読みすすめていきながら書かれている通りに、一週間約30ページずつ、
作業を進めていけばよい。
そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と
「アーティスト・デート」。先々回はモーニング・ページを紹介した。
今回は「アーティスト・デート」である。

ーその一部を本文より抜粋してみると…
アーティスト・デートとは具体的に何なのか?
それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、
あなたの創造性の象徴である「内なるアーティスト」の育成に専念することだ。
もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、
あらかじめ日時を指定しておくデートであり、他人の進入を禁じた時間だ。

「アーティスト・デート」には部外者を同行させてはいけない。
行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、
つまりあなたの「想像する子供」だけだ。恋人も、友人も、配偶者も、
子供もだめ-どんな肩書きの人もお断りだ…
ーー
 以上だが、要約すると
「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは
 自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」ということ。
 私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に
「アーティスト・デート」と気づいた。

 ーそれ以外にこの本で印象的なことを抜粋してみる。
《 怒りは耳を傾けてもらいたがってる。
 怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。
 怒りは敬意を払ってもらいたいのだ。というのも、それは
 心の地図だからである。怒りは私たちの限界がどこにあり、
 私たちがどこに向かいたがっているか教えてくれる。また、
 自分が現状に満足できなくなっていることを知らせてくれる。・・
 怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。
 怒りは友達である。素敵な友達でも、やさしい友達でもないが、
 きわめて誠実な友達だ。それは私たちが裏切られたときや自分
 自身を裏切った時、かならず知らせてくれる。そして、自分の
 興味に従って行動するときであることを告げてくれる。
 怒り自体は行動ではない。行動への招待である。》

《アートとは、みずからを社会にさらす行為である。
 アートは物事に光を当て、私たちを照らし出す。
 そして、私たちの中に残っている暗闇に一条の光を当て、
「みえるでしょう?」と語りかける。
 あるものを見たくないと思っている人たちは、
 それを見せる者に怒りを覚え、徹底的に糾弾する。》
《真摯な表現はクロゼットを開け、地下室や屋根裏に新しい風を
 送り込み癒しをもたらす。》
 ーー
 ずっとやりたかったことを見つけ、それを時間をかけ
 やりなさい! ということか。
              ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
・・・・・・・・
2005年04月05日(火)
1463, 「虚構の王国」-NHKスペシャル

一月前ほど前、このHPで堤義明のことを書いた。
ところが、その内容についてTBSの記者から電話が入った。
自民党の歴代の派閥の長が首相になると3億の祝儀を彼が云々・・」
と書いたが、そのニュースソースを知りたいとの問い合わせで、
「翌日の、報道番組に取り上げたい」との内容であった。
キーワードで検索をして、知ったようだ。
「ヤバイことを書いてしまった!」と、少しパニック状態になった。

しかし、10年程前には誰も知っていた話である。
年代が変わったのだろうと、知人に何人か聞いてみたところ、
「現在はどうかわからないが、当時は流布していた」
と聞いてホッとした。

ところで先日、NHKスペシャル
「虚構の王国」ー西武鉄道土地神話の五輪計画とサミット
・闇の株式取引ーというテーマのドキュメントを放送していた。
 その最後のナレーターの言葉が印象的であった。
「虚構の王国の向こうに見えたのは、戦後日本の実像である」
この言葉は、現在の日本のバブルの崩壊の姿そのものである。

インフレ時代の勝ち組が、現在負け組に変わっている。
最後のバブル崩壊の象徴として西武が浮かび上がってきた。
担保に入れていた西武鉄道の株が上場廃止になってしまい、
実質債務超過になってしまった。
それをキッカケに、隠れていた事業のボロが露出してしまった。
その具体的な内容のドキュメントであったから、見ごたえがあった。
多かれ少なかれ、時代の流れの中で誰もが出会った現象である。

不景気の直撃がレジャー産業に直撃。
更に、海外にレジャーの鉾先が向かってしまった。
レジャーもグローバル化が生じたのである。
そのため西武ー国土の思惑が全く崩れ去ってしまった。
日本中の観光産業は、その直撃で生死の境を彷徨っているのが現状。

ここにきて、あらゆる分野で根底から変化の現象が現われてきている。
全ての国民にとって、他人事の話でないのが深刻である。
--
以下は、先月書いた西武鉄道の内容である。
あぶないところは、かなり書き換えてあるが。

ーーーー
2004/04/15  1108, 西武鉄道・堤会長の辞任

「西武の堤義明会長が辞任!」とニュースで報道していた。
随想日記で専務が逮捕された時「お笑い西武鉄道」という
文章を書いたが、所詮は悪口でしかないと、掲載を止めた。
しかし辞任ということで、ケジメをつけたということで書く。

西武の森元監督が講演会で、彼のことを「超ワンマンで、
西武の試合の采配に対して、口うるさく電話がくる」と言っていた。
監督にとって大きなプレッシャーだったとか。
テープだけはとらないようにと講演前に言っていたのは、
堤を恐れていたのだろう。西武鉄道の専務が逮捕された時
「彼が知らないわけがない!」と誰もが思ったはずである。
逮捕されないだけよかったのだろうが、やはり辞めて当然である。

歴代の首相が就任をすると、3億の祝い金を払っている?
という話を聞いたことがある。一つの時代が終わった事件である。
堅実経営で、バブルにもたいして踊ることなく西武グループ
ここまで率いた力は大である。
最後をまっとうすることの難しさをつくづく感じる。
もっとも、辞めるのは本社の会長だけで他はそのまま留まる
というから、カタチだけなのだろう。

ーーーーーー
2005/03/04
1431, 「堤義明の逮捕」のショック

西武鉄道の会長の堤義明が逮捕された。
角栄の逮捕ほどでないが、大きな時代の変わり目の事件である。
JOCの元会長で、西武ライオンズのオーナーで、西武鉄道
グループの総帥で、日本では名実ともに経済界のナンバーワン
の実力者の逮捕である。健全になったとも言える。

私が客室主体の客室のホテルを考え出したのは、堤義明の言葉である。
「ホテルに利益の元は、あくまでシングルルームがベースである。
また全てのホテルの建設の基本設計は、潰しが効く(転用可能)
ようになっている。客室の壁を取り払えば事務所ビルになる。」
それならオールシングルのホテルにして、更に柱の少ない建物
(鉄骨つくり)にすれば良いと考えた。このテーマとは少し違うが。
彼の経営手法では成り立たなくなったのか、大きな判断ミスを
してまいったのか。
一時代を築いた、義明の兄・堤清二ダイエー中内功
ミサワハウスの三沢千代治、と次々と消えていく。西武鉄道
グループは、日本では最も安定した会社と思っていた。
いや安定していたのだろう。崩壊する時はこんなものだ。
ーーー

ー先日書いた、関連の内容であるー
西武鉄道前社長の自殺と、カリスマ失墜」

何回か堤義明について批判的な文章を書いてきた。
・突然ヘリコプターでホテルに乗り付けて、査察をした
・頭の良い奴は要らない、実直な人材の方が使える
西武ライオンズの森元監督の講演会で話で
「試合が終わると、その日の指揮の内容に細かい注意があった」
 等々、傲慢な噂を何回聞いたことがある。

昨日の毎日新聞の三面記事の特集に、数ヶ月前まで栄華を誇った
「堤王国」の崩れたシナリオを生々しくレポートしていた。
この記事によると、
・今回の事態収拾後に院政を敷くシナリオであったとか。
・その事実を、証券取引等監視委員会の側近が証言をしている。
・昨年の役員辞任後も、電話などで頻繁に指示を出していた。
有価証券報告書のほころびが、巨大グループの足をここまで
すくうとは誰も想像もしてなかったという。
・監視委員の幹部は「砂山に小さな針が落ちたら、
山が崩れてしまった」と証言。
・そして、その堤は
 「気持ちの整理もまだつけかねている」
 「逮捕に脅える日々をおくっている」という。

晩節を汚してしまったことを、彼自身いまだに信じられないのだ。
週刊誌に昨年の暮れ「3月に堤義明の逮捕!」とリーク?されたが、
そのスケジュールに入ってきたようだ?
総務部次長の自殺に続いて、前社長の自殺だ。
これで彼が逮捕をされないほうが不自然な状況である。
大いなる中小企業の崩壊から、地方の崩壊の序曲が
はじまるのだろうか?

せっかく逮捕されるなら、政治業界を何匹か道連れにしていくべだ。
この事態は一年前までは、考えられないことであった。
確固たる地盤がある珍しい存在に見えていた。
有価証券報告書への虚偽記載などが発覚した昨秋以来、
株価が3分の1以下になってしまった上に、上場廃止となった。
そのため株価が暴落、株式を担保に借金をしていた資金が担保割れ
の事態になった。そのため銀行の態度が一変せざるを得なかった。
一皮剥けば張子の虎でしかなかったのだが、
崩れる時はこんなものである。

この問題は、考えてみれば中小企業問題でもある。
これから始る解体は?、中小企業の行方に重なるところが多い。
ペイオフの時期と重なるから、尚のことである。
これからは地方銀行の合併と、解体が今後進む。
西武の問題は、形を変え中小企業、特に地方に押し寄せてくる。
他人事の話しではない。この数年の情報化で、何かが変わったのだ。

・・・・・・・
2004年04月05日(月)  1098, 拾い物

拾い物は殆ど無いが、それでも幾つか記憶が残っている。
10年ほど前になるが、池袋のサンシャイン・ビルで何かの研修で
行った時のこと。腹の具合が悪くなりトイレに駆け込んだところ、
カードと現金が数万も入った財布が忘れてあった。
現金だけを抜くという手もあるのかなと頭によぎったが、過去に
一回もそういう経験をしたこともないし、良心に対してマイナスになる。

早速、案内嬢のところに持っていくと、係わり合いになりたく
ないというのがアリアリ。警備の受付のところに直接持っていけという。
電話をして呼べばよいのに、本人はタダタダ面倒でイヤだという態度。
(西武系は流通・鉄道系両方ともお客に対して不遜のところがある)
言われたところに行っても、その事務所がない。
乗りかかった舟、聞き歩いてやっとのことで警備事務所に届けた。

本人からは礼の葉書が一枚届いただけだが、なるほどと思った。
30分以上も歩き回り、その上書類にこと細かく内容を書かされた
相手の好意がわかる由はない。
数年前の、通勤の新幹線で高崎と小田原の回数券を10枚近く拾った。
これも新潟の駅前の交番に届け出たが、彼等は直ぐに権利放棄書に
サインしろといわれ、何か釈然としない嫌な感じを持った。

そう考えると拾い物は殆どないということだ。
そういえば新幹線で皆が降りるのを待っている人がいる。
そしてキョロキョロ見て回っている。週刊誌の面白そうなものを
漁っているのだろうが。もし悪意があるなら、忘れ物を2両でも
探したら一年に一度は何かに行き当たるだろう。
考えること自体が卑しいことだ。

・・・・・・・・・
2003年04月05日(土)  
731, 前提を疑ってかかるという事
 「縦社会の人間関係」

「縦社会の人間関係」という中根千枝の本を学生時代の
ゼミで読まされ、それに対する議論をした事を思い出した。

ー要旨は
「日本社会は蛸壺のように縦社会になっている。
これは島国特有の社会であると同時に、江戸時代の藩体制が
それぞれの縦社会をつくった。西欧社会はそれに対して資格
社会であり、横社会である」であった。日本社会の人間関係は、
個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。
「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会
構造にはどのような条件が考えられるか。「単一社会の理論」に
よりその本質をとらえている。日本社会の人間関係は、個人主義
・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせているー等々。

なるほどそのとおりであると納得したが、そこで問題にして
いたのがその縦社会という視点そのものが、はたして正しい
のだろうかという提示。「何々それってどういうことなんだ??」
私が考えていたのは、それぞれの部分の成否でしかなかったのだ。
根底ー前提から、それがはたして正しいかどうかを疑う姿勢こそ
科学の第一歩である。日本社会こそ「横社会ではないだろうか?」
という仮説である。

逆に資格社会ー横社会であるという仮説をたてると、縦社会と
同じように説得力があるのだ。「士農工商」という身分社会が
大きく社会に残っている日本こそ、縦社会でなく横社会とも
いえるのではないだろうか。
その中でも殿様,家老、老中などそれぞれの階級があった。
そしてその資格は日本のどこでも通用するものであった。
インドのカースト制度は5百数十種類の身分が細かく決められている。
横社会そのものだが、個々の立場に立てば縦社会といえる。

この時に、なるほど前提を盲信してしまう自分の無知の限界を
初めて知った。常に前提を疑ってみる必要性をこの時より
身につけた時だった。

・・・・・・・・・
2002年04月05日(金)
367,「携帯TV電話」は究極の情報機器。

5年前、マスコミで聞いた内容である。それが今年から始まった。
「携帯電話」が我々の生活を劇的に変えた。いや社会を変えて
しまった。 空間の溝を取り払ってしまった。
それ以上に「携帯TV電話」が社会のありようを変えてしまうだろう。
これにそれぞれの場所にカメラが設置して、それにリンクすれば、
一瞬にして世界中の何処でも見ることが可能になる。

現在でもそのサイトが多くある。これにデジタルTVをリンク
させれば、想像を超えた使い方が可能になる。インターネットを
使っていて、こんな時代が来るとは思ってもいなかった。
それが更に劇的な「携帯TV電話」が普及する時代とは驚きだ。
昨日もソニーの出井会長がNHKノインタビュウで、情報機器の
進歩により、この10年後は世界が劇的に変わっていると言っていた。

これに期待しすぎて、先行投資で電気メーカが苦境に
陥っていることも事実だが。

・・・・・・・・
ースナックジョーク
(ママかホステスをからかうジョーク)ひとつ
  
森に一匹のメス鹿が迷い込んだ。
向こうからきた狼に森の出口を聞いた。

狼「ひとつヤラセテクレタラ教ええあげる」
もちろん断り、向こうからきたトラに聞いた
虎「ひとつヤラセタラ教えてあげる」もちろん断った。
熊も狐も同じ答えだった。 それでも何とか森から出ることができた。

そこでママ(かホステス)に
「どうして出ることができたか知ってる?」
ママ「・・ ??」
「ひとつヤラセテクレタラ教えてあげる」