つれづれに

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昨夜は、新潟木黙クラブの忘年会が駅近くの万代町の近くの「曙」という
居酒屋であった。一年ぶりの新潟だが、日ごと変わっていく。 出席者は12名。 
 変わったところは、20歳の新大の医学部を一年間、留年してしたいことを、
今の内にしているという若者がいた。東大でも、そういう人が増えているという。
 若いうちにしておくべきことを、休学をしてでも、するのは面白いが・・ 
自分の直感を信じられるところが良い。 私は、イスラエルの旅を勧めたが。
あと、50年も、60年も生きられるのだから、うらやましい。
 必死に、それぞれの人から話を聞いていたが、求めよ、さらば、与えられんである。
ただ、若いうちに、あまり、老成した考えに感化されるのは、いかがなところもある。

 ところで、一年前に、以下の内容の文章を書いたが、一年もしないうちに、
案の定、ブラックスワンが襲ってきた。それも思いもよらぬ、内なるブラックスワン
余命??という、病の。 
 そう書いている私も、明日は我が身の可能性がある。

・・・・・・
655, 閑話小題 ーゴミ箱周辺で蠢く人々
2013年12月14日(土)
   * ゴミ箱のネズミとカラス
 言い得て妙の例え話に、「銀行をゴミ箱、行員をネズミ、借主をカラス」がある。とすると、
さしずめ金がゴミか。私の知人に、地元銀行から持込まれる飲食ビルを中心に不動産を融資付き?
で買いまくっている男がいる。B/Sの左右を脹らましているだけだが、本人も、周辺は、それが
分からない?「不動産を半値八掛にして、借入を差引いて何ぼ、で計算すれば、マイナスか、
せいぜい数億?だが、数百億の資産家気分。自他ともに資産と借入が膨らんだ現象しか
見えなくなるのがバブル。20年数年前のバブル期の自分に重なり、脂汗が出る。長期投資の
恐ろしさが分からない。当人、色?いろ、行き詰まっているというから、「哲学書を読んだら!」
と勧め、本人も入門書を買ったようだが・・「現時点での飲食ビルの買いは、大津波を前にした
海岸近くの料亭での大臣遊び」と、まさか面前では言えない。ミニバブルはカラスとネズミが
太るというが。現在は大津波の一波の引きの中、恐慌も、この程度と、水に浸かった物件を
買いに入り、B/Sの左右を膨らませている姿が見えてない。アベノミクスの首相と副首相は
歴史に残るトンデモ人物。今や国会も、こういう人達の貴族院に化している。現時点は
世界恐慌が本格的うねりの現象が出始めた1932年辺りに酷似。本格的恐慌は、これからが本番。
そして第二次世界大戦に入った。その時節に「東京オリンピック」の誘致をし、問題から
目を背け興奮している現実に、批判の声が聞こえてこない。2020年のオリンピックの立候補、
最悪の経済状態のグループの日本、スペイン、トルコが、最後まで選考に残ったのは、
先進国?が最悪の事態を予測し、尻込みしているため。 で、ネズミとカラスがゴミさらい。
私も最近まで、そのカラス!・・ 
戯言かどうかの判断基準は、「世界恐慌が既に起こっている」と見るかみないか。

・・・・・・
4966,閑話小題 ~ある男の動揺
2014年10月19日(日)
   * 80までは生きれると思っていたけど!
 ある飲み会で一年ぶりに出会った男が、出会いがしらに、「最近、切腹をした。もう長生き
出来そうもない。片足、いや両足を棺おけに入った。80歳までは生きると思っていたけど!」
と悲鳴。やり手?だが、人の弱点を見ると見境なく攻撃をする性格で、三年半前の私の倒産劇
以来、三度の会で、続けて露骨な嫌味を言っていた。
 三度目の会で、悪いことに?目前の座席。早速、攻撃が始まった。「俺は学が無いので、
哲学などは分からないけどや~」と、薄笑い。その言葉には(その様は何だ)との皮肉が
込められていた。 それまでの二度は、聞き流していたが、この言葉にはカチッときた。 
 5年程前の話になるが、本人の趣味の茶器づくりが認められ、銀行のロビーに飾られ本人が
有頂天だった頃、その人と親しい知人から、「あの男、私生活も、茶器づくりりも、仕事もスランプ
らしい」と聞いていた。たまたまポタリングをしていると、車が停まり、当人が話しかけてきた。
それが偶然、本人の会社の前。「まあ、お茶でも飲んでいけや!」と誘われるまま、事務所に
行ったところ、応接室に茶器が並んでいて、素人としてはナカナカの出来栄え。
「何でもよいから一つ、くれないか」というと、快諾。その数日後、自慢の豪邸?に家内と
行くことになった。その時の茶器の御礼に何かと考えた時思い出したのが彼のスランプ。
初心者用に噛み砕いた哲学を説く池田昌子の「14歳からの哲学ー考えるための教科書」
を持っていった。それを逆手にとって、皮肉を言ってきたのである。
 酒の勢いもあって「茶器は、作者の魂の顕現そのもの。あなたが茶器づくりなどでスランプと
いうから、ヒントにと本をあげたのだ! スランプ解消には『魂そのものが何か』が分からなくては
ならないはず・・ 『魂を叩き込むとは、自分の持っている全てを作品に叩きつけることだろう。』」
と、怒鳴りつけていた。 其処にいた、ほかの何人かも、私の言葉に同調。その直後、幹事が
会の予算が足りないと当人に資金補助を頼みに来たところ、内ポケットの数万を私の前に
投げつけた。もし金に貧していたら深く傷ついただろうが・・あまり経験出来ない面白い遣り取り。
それから一年ぶりの再会で、これ。余命数ヶ月?に感じられた深刻な様相だったが、
それは恐ろしいだろう!
 哲学の最大の問題は「死」。 余命を突然告げられ、まず考えるのが、 
☆死ぬとは、如何いうこと?☆自分が本当に消え去るなど有得ない!☆自分の生き様は、
これで良かった? 等々、心は七転八倒。 最後の最後は当人の心奥の問題だが。 
去年の5月の随想日記、4429,ー「死ぬのが怖い」とはどういうことか?ー前野 隆司著の
「死の恐怖を克服する七つの登山道とは」を読めば、少し気が休まるだろうが・・ しかし、
こういう類は予習しておくしかない。他人事でないのが、この内なるブラックスワンの死の問題。 
 先日、ある30人位のデナーの席で、三年前に旦那を亡くした還暦過ぎの女性と、70歳過ぎの
マチュアカメラマンと、私の家内と同席をした時の話。還暦過ぎの女性が旦那を見送った
具体的話題をして、本人もガン持ちと告白した。その女性が私たちに
「変な話をして御免なさいね!」というから、「別に全く問題はないです。この年齢になら
言葉として表現するか、しないかですよ」と、答えた。70過ぎのカメラマンも奥さんを最近見送り、
自分も何時、再発するか分からない、と達観?した様子だったが、内面は穏やかではなさそう。 
即興になるが、「男は黙って、サッ、コロ、キエル」である。 そして誰も居なくなる。
死の問題、一に準備、二に準備!である。こういう話は、語りだせばキリがない!

・・・・・・
2445, ルサンチマン
2007年12月14日(金)
            (Оゝ∀・О)。+゜+。ォハョォ☆
   初め、ルサンチンマンという言葉をニーチェを読んで知った時に、
   その鋭い指摘に驚かされてしまった。
   弱者の怨念を宗教の巧妙な手口で利用したのがキリスト教の基本か?と。
   昨年の9月の読書日記に一部書いたが、更に掘り下げて考えてみる。

 *まずルサンチンマンを ーGoo辞書ーで調べてみた。
{ もともと恨みや憎しみが心の中にこもって鬱屈した状態をいう言葉だが,
ニーチェはこれを弱い者への思いやりや自己犠牲を説く平等主義的な道徳の起源を
説明するために用いた。 彼によればキリスト教道徳や,そこから生まれた
近代市民社会ヒューマニズムや人権の思想は,弱者の強者に対する恨みや復讐心を
道徳として表した奴隷の道徳なのである。 この延長上にある社会主義の思想も,
このような奴隷道徳の一部に他ならないと考えられる。
ニーチェはこれに対して強者の道徳,貴族的な誇りや勇気を讃える戦士の道徳,
君主の道徳を対置した(ニーチェ道徳の系譜』)。
しかしこれは結局ファシズムによって利用される結果にもなった。}
 ーー 
   あるブログの中では、
ニーチェは、人が「善悪」という言い方をする真の原因は現実世界の力関係にあると言う。
強大な民族が平和に暮らしていた弱小民族を襲い、征服したとしよう。
勝者は敗者の財宝や婦女を奪い、去っていく。
残された人々は、相手に害も及ぼしていない自分たちを襲い、悲惨な目に会わせた相手を
悪の権化として呪うだろう。 それに比べ、罪なき自分たちは善である。
「善悪」はこうして、カでは相手にかなわない弱者がせめて「道徳的」には
優位に立って、相手を見下そうとする心理、「妬み(ルサンチマン)」から発生する。
同じことは「正義」「節制」「勤勉」「清貧」などあらゆる道徳的価値に言える。
肉食獣に襲われた草食獣が円陣を組んで抵抗するように、弱者が強者から
身を守ろうとする「蓄群本能(ちくぐんほんのう)」から生まれたのが、
ローマ帝国の奴隷にまず普及した「奴隷道徳」としてのキリスト教である。}とあった。
 ーーーーーーー
 
 以上を、更に噛み砕くと・・・
 たとえば、善を高貴で富んだ者とすると、
 悪は、その反対の、野卑で貧困で弱い人になる。 
 しかし一方で、この価値判断に対立する考えがある。
「貧困で弱い者は善である」という考え方である。
 これをルサンチンマン=怨念と考えた。

カントは、キリスト教の教義「神は貧しき者の味方なり」「貧しき者は幸いなり」
など、キリストの名を借りて、貧しいものが善で、富める者は悪であるという概念を
つくり上げた功罪を厳しく批判した。 弱者を正義に祭り上げようとした宗教は、
もう必要はないと、「神は死んだ」と主張。
まだまだキリスト教の教義にガンジガラメの当時の社会を変革しようとした。
キリスト教も、ユダヤ教が対象としなかった女や病人などの弱者の立場を擁護する教え。
そこにニーチェは、弱者善人、強者悪人という怨念の縛りを感じとったのである。
大部分の弱者である一般の人にとって、宗教は必要になる。
しかし、他の国や民族から、自国や民族を守るには強者の支配も必要なこと。
その結果として、左手に聖書(正義)、右手に剣が必要になる。
                   ヽ(゚∀゚)ノ バイバイ!
・・・・・・・・・
2006年12月14日(木)
2081, あたりまえのことばかり -20
                     才八∋ウ_〆(∀`●)       
    ここでは哲学という視点で、心の問題を取り上げているが、感情について、
    なかなか切れ味は鋭い。「激しい感情が、向こうからの訪れる」とは、
    なるほど!である。 向こう側とは何処なのか?
    学生時代に[情念の話術]という本を読んで、実際に自分で試したことがあった。
    喜怒哀楽を前面に出して、自分を押し出して、話しをする。
    車でいうと、感情というエンジンを前輪駆動にする。
    
    これをやりだすと、それまでと全く違った自分を見出せる。
    抑えている感情を逆に、エンジン代わりに言葉にのせて自分を奮い立たせる。
    これは性格改造にもなるが半面、非常に危険である。
    一つ間違うと、周囲を深く傷つけてしまう。
    これはヒットラーが大衆を煽動する手段として演説などに使った。
    よほど計算を緻密にしておかないと、自分が見えなくなる。
    しかし自分の感情を常に支配下に置くに、よい訓練になった。
    感情を道具にするのだから。傷つくということは、感情に支配さえていることだから!
    
 ー傷を癒すには傷とは何か、傷つく感情とは何かを、考えてみなければなるまい。
  虚構の自我に捕らわれている自分に気づいていない無知が、勝手に傷ついているだけ。
   要点を抜粋してみる。
ーーーーーーーーーーー
どうすれば癒されるのか -?
ーーーーーーーーーーー

私が私であり、私の心が私の身体の中に存在するという錯誤の世界像を
思い込んでいる人だけが、各種のグッズやセラピーによって「癒される」。
癒されたと思い込むことができる。

「本当」の傷を負った人々は、そのような単純な主客二元の処方箋では治療できず、
「本当か」の問いに直面するのではなかろうか。すなわち、傷ついている人は誰なのか。
「私の」意志を越えて立ち上がるこの感情の激しさとは何か。
「私の」運命はなぜこのようでなければならないか。私は私である、
すなわち私は自我であるとは明らかに虚構であり、しかも近代特有の虚構である。
それなら、病理として現れるその崩壊現象こそ、ある意味では、
近代以前の本来的のありようを示しているといえるかもしれない。

    古代の人々にとって、感情の自律性とは、それ自体で神々の訪れだったようである。
    怒りの神が、嫉妬の神が、憎しみの神が、到来する、私の心に、このとき私の心が
    私の所有であるとは意味を成さないだろう。感情それ自身が神々である。
    あるいは魂が複数の人格から成るという世界観は、現代のわれわれの心的生活を、
    少なからず解放する。

ある強い感情に圧倒される時、これは「私の」感情ではない。
向こうからの訪れなのだと捉えることは、自己観察の距離を生む。
そして逆に、見慣れない感情、厄介な感情をもむかい入れ、
親しむ余裕すら生じるかもしれない。

    否定的な感情というのは厄介なものである。主客が分かれた世界においては、
    黒々とそこにあるそれは、目を逸らすにも抑圧するにも明瞭にすぎ、
    人は主観のうちに担い切れず、客観の側に犯人探しをして
    その責めを負わせることになる。

現代社会の構造が、人の感情を否定的にしていると思われがちだが、
話は逆で、否定的感情の処理の仕方を知らない現代人が、それを社会のせいに
している場合がおおいだろう。 主観と客観の狭間で、処理することができずに
膨張する一方の否定的感情に追い詰められて、自爆寸前の現代人にとって「魂」という
第三の存在の視点として所有することは、それ自体で対立に風穴を開けることになる。
それはあくまでも視点でしかない。

    主観と客観の対立が虚構であるように、魂もまたひとつの虚構である。
    しかし、それ自体が謎であるところの世界と存在の謎を見抜こうとする
    眼差しにとって、一切が虚構として見抜かれるとして何の不都合があるのだろうか。
    虚構は虚構として自覚されることによって、視点として有効になる。
    
 ーーー
この本も、この辺で終わりにする。池田晶子の本を、さらに4冊も読んでしまった。
1、「14歳からの哲学」 2、「知ることより考えること」 3、「人生のほんとう」  
4、「41歳からの哲学」で、良かった順である。
それだけ、わかりやすく鋭い切り口で、気楽に哲学の世界に引き込んでくれる。
年内は、池田晶子ワールドにドップリ浸かるのもよいだろう!
            おわり  (*⌒ヮ⌒*)ゞ  バイ!
・・・・・・・・
2005年12月14日(水)
1716, 絵文字が面白い!ー2
  ー喜怒哀楽の絵文字

絵文字の世界を一部垣間見たが、不思議な世界である。
 象形文字に似ている。文字の原始的かつ、初期的なものといってよい。
  それも、デジタル世界の原点の表現ときている。
   特に、感情面と下ネタ系が面白いほどリアルに表現できる。もちろん限界があるが。
若い世代の人は、これまでと全く違った携帯電話とパソコンという情報伝達手段を手にした。
   そして、今までの文字とは違った記号を使いだした。
    この記号?の意味と世界は思っていたより深い。世界は音をたてて変化している。
      それにしても絵文字を知れば知るほど面白い!
 以前は、「嬉しい」としか表現できなかった人が、
  以下のように、ストレートに自分の気持ちを表現できる。
  ーー
喜 
  (..)(^^)(^。^)(*^o^)(^O^)ウレシーーーー!!!
  o(^^o) (o^^o) (o^^)o キャアキャア♪
  (^Q^)/ ギャハハ  ぎゃはは   ~(^◇^)/ぎゃはは
  **** Ψ( `▽´ )Ψケケケケ♪
  d(-。^)good!!    (=^m^)クスクス
怒 
  (`_') (`´) 凸(`_')   (゛Å゛#)   (▼▼)  )`ε´(
  〇(>_<)〇  パンチ!( °▽°)=◯)`ν°)・;'.、
  ( `´)=0))××)   (ノ≧ロ)ノ<天然のばかやろぉ~~~!!!
  (ノ-_-)ノ ~┻━┻ こんな飯食えるか
  ふん !(●`ε´●)    ぷんぷん (*`θ´*)

  (~_~;) (~Q~;)   (--;) (;-_-;) (-。-;) (-o-;)
  ( ̄ω ̄;)!!    エルボ!o(”>_<)っ★(#’3’)痛!,
  Σ( ̄□ ̄;;;)!!   (>ε<)

 \(^o^)/  1∩11∩   (^_^) ノ111
 (^o^)J
 / \   o(^-^)o o(^o^)o    o(^^)o (^o^)
 v(=∩_∩=)v   ¥(^_^)¥   \=^o^=\

驚き 
 \(◎o◎)/! w(0o0)w オオー!   キャーq(|`驚´;;*)
 Σ(゚Д゚ノ)ノ おおぉぉぉぉ~  【゚Д゚】ハァ?!  ( ゚Д゚)y \_ ポロッ
 Σ(O_O;)Shock!!  Σq|゚Д゚|p ワオォ
 ёё≡ Σ(ω |||) エェェェッ!   ウソ━━Σ(-`Д´-;)━━ン!!

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2004年12月14日(火)
1351, 全日本相撲選手権

この時期の日曜日、全日本選手権が行なわれている。
全日本学生選手権か、この選手権で優勝すると、
多くが卒業をすると大相撲にいく。毎年、そのためか多くのドラマがある。
今年の見どころは既に学生選手権で優勝して大相撲の幕下から角界に入る事に
なっている学生横綱と、スケールでは一回り大きい高校横綱の優勝争いであった。
トーナメント戦と準準決勝で争い、高校横綱が連勝した。
これで高校横綱角界に入ると思われる。

今年は、思わない伏兵が優勝をした。
過去ほとんど予選で敗退してきた29歳の小手投げでしか勝てない選手が、
すべて小手投げで勝って優勝をした。
小手投げを相手も用心をするのだが、それで勝つのだから面白い。
小手投げは、捨て身の起死回生の技である。それが得意技というのも、珍しい。
今まで見てきた、この選手権では一番面白い内容であった。
この選手権の面白みは、一発勝負である。去年も書いた内容をコピーしておきます。
   毎日、面白いことがつづく。

ーーーーーーーー
2003/12/08
978, 全日本相撲選手権

昨日、TVでこの試合が放送された。 毎年、この時期におこなわれる。
学生と一般のアマチャュアが勝ち抜きトーナメントで優勝を決める。
学生で優勝すれば、大相撲の勧誘が待っている。
幕下の付け出しか、15枚目からの番付け保証される。
現在の学生出身の力士は、ほとんどが、この試合で優勝か準優勝をしている。
一発勝負の要素も強いので、見ていて面白い。
かなり個性的な選手が多く含まれているのも面白い。

TVでやるのは予選を勝ち抜いた出場選手32名の勝ち抜き戦である。
学生選手権や実業団などの優勝経験者ばかりである。
また「元学生選手」と「学生選手」との戦いでもある。
やはり学生の方が練習時間と若さの為有利になる。その辺の戦いが面白いのだ。

今年のベスト8は、学生4名、社会人4名であった。大体この辺りは、このバランスである。
決勝は社会人同士の戦いで、まもなく31歳になるベテラン選手が優勝をした。
現在の幕内上位の半分近くは学生出身力士で、高見盛、土佐の海、武双山などがいる。
以前は輪島など超大物がいたが、最近はあまりいなくなった。
相撲そのものの人気が無くなったこともあるだろう。
 これと全日本剣道選手権は毎年楽しみである。

・・・・・・・
2003年12月14日(日)
984, 電波時計

 電波時計を買って2年近く経つが、昨日のチラシに電波時計のフェアが載っていた。
安いもので1980円のものもあった。 昨年買って使ってみた感想を書いてみる。
 
 今までは1~2分位の誤差があったが、電波時計は自動的に時間の
修正をする為に、時間合わせが全く無くなってしまった。
時間に対する信頼感というものは意外と気持ちが落ち着く。
JRの時計は結構間違えていることがある。
もし信頼感がなければ、自分の時計が間違っているのではと思うが、
今では自分の時計の方が正確と確信がもてるようになった。
この絶対信頼感が意外な盲点であったようだ。

 これにソーラー機能の付いたものや、薄型デジタルなどが
チラシ広告に載っていた。 15歳の時、父親に時計を買ってもらった。
当時クラスで誰も持っていなかった。 隠すように腕にはめていた。
気持ちの中では凄く豊かな気持ちになったことを思い出した。
 今や時計も、100円ショップで買える時代である。

・・・・・・・・
2002年12月14日(土)
610,ある時間の断片-24
  10月24日 木曜日

6時半起床。 7時半に三浦さんが上京の為に、車で駅までおくる。
ホステラーが帰った後、一人で過ごす。16時半に寮の高橋君と佐々木弟を迎えに行く。
寮の難波嬢もくる。そういえば彼女と一年前に2時間位
散歩をしたのを思い出す。 ただそれだけだが。あいも変わらずキャキャやっている。

去年ここでホステラーをしていた時に、夜の話の中で
確か4人のうち私だけが外国に行く予定がないのに疑問をもった。
そして、その夜のうちに旅行を決定した。 両親を口説いたっけ。
まず母を篭絡して、母と父の篭絡の相談をした。
母が「私が反対すると、あの人は賛成に回るから」と言ってくれた。
そしてその通りになり、その後その計画に父は気づいたが、うれしそうな顔をしていた。

19時の列車で寮に向かう。22時前に部屋に着く。
ボクシングで原田弟がノックアウトで勝ったところだ。
その後駒村と米と語り、零時まで明日のゼミの予習をして就寝。
追文ー軽井沢はスランプのためによかったが、気を取り戻して卒論をやらなくては。

・・・・・・・・
2001年12月14日(金)
269,再開発の愚

過去に書いた再開発の愚の文をコピーしておくが、懲りずまたもや
新潟駅前で始まった。それと万代橋の近くの再開発もである。
理屈はわかるが、民間がやるべき事だ。どうしても権力を持つと
自己証明をつくりたくなる。そしてやり逃げをやる。
逃げるところがあの世だから、更に始末が悪い。
再開発だけには関係するな!これが鉄則である。
役人と政治が絡んでくる分、計画が甘くずさんなってくる。
万代の再開発、死にかけたモウ?ク社長の墓か!長岡の?さらしだ。
言い過ぎじゃない!それだけ馬鹿が多いということ!
確信を持ってノーといえない。 岡目八目というところか!

駅前のそれも然り!どこの銀行が金を出しているか知らないが、
好い加減にしろである。こちらが腹を痛めるのでないから、知ったことはないが。
過去の再開発失敗から何も学ぼうとしない。ようするに銀行はバブル時に審査部門が崩壊!
今もそのことに気づいてない。崩壊したのは、銀行にとって経済だけでない、審査能力だ!

ーーーーーーーーー
H0511 高級化と高度化
             ー再開発の愚
・ ペガサス・Cで印象的な言葉で“高級化と高度化を勘違いするな!”がある。
バブルでは、この勘違いで多くの業界が大ヤケドを負った。
ペガサスの会員はほとんど、大きいケガがなかったのは渥美先生が当時よりこれを、
くり返していた。システム・科学等を駆使して高級風にみせる。
それも低コスト・低プライスで、これこそ高度化だ!新潟のホテル業界でも
漫画みたいな話が本当にあった。
高級ビジネスホテルが、それもアメリカのホテル・システムで駅南で計画があった。
(一泊一万円)それに対して、周辺住民が大反対であった。
その理由が計画者よりスジが通っていたのだ。
・ “こんな馬鹿な計画はおかしい。必ず失敗する!そうすればラブホテルに
転用しなければならなくなる。だから反対だと!”そして中止となった。
その会社は住民運動のお陰で助かったのだが、しかし今はつぶれかかって??。
百貨店業界も、この程度の原則さえ判っていなかった無知業界(渥美先生)
というのが今や現実にさらされている。 再開発がこれに陥ってしまう

ー失敗事例を書いてみるとー
a,古町に“ネクスト・21”という高度?の建物、
b,“新潟ふるさと村”
c,“ロシア村”
d,古くは“プラーカ”
e,柏崎の本町再開発?と、トルコ村
f,そうそう古町に腐りかけたローサ  
誰があれをやったのか!一発屋のイベント屋と組んだ政治屋の??の結果が、
ああいう形で残っている 。

・・・・・・・・・
12月14日 土曜日  1968年

12時に、同級生の雨宮のフォーソングのライブを聞きに行く。
以前、長岡の自宅の遊びがてら泊まりにきたことがある友人だ。
ーその見返りに茅ヶ崎の旅館に泊まりに行った。
知り合いでは彼と角田などがいる。
想像をしていたより、ズット上手いのと生き生きしていたのに驚いた。
それと堂々といていたのも新しい発見である。しかし途中で飽きてしまった。
わざわざ池袋まで行ったのにと思ったが中座をして帰ってきた。悪いことをした。

 18時から寮の忘年会である。
全員が楽しそうであったが気持ちの奥で、何か白けている自分がいた。
何げなくその会場から出る。 先輩の文夫さんの言っていることは何だ!
先輩だろう、情けない!自分で考えることのできない人間だ。
何も考えないできたのだろう、気の毒の一言である。
同僚のいや同寮の水野君と新宿のクレージキャッツに行き、踊り狂う。
汗ビッショリである。しかし気分がすっきりとした。
0時半に帰寮。毎日何をしているのだろうか。