つれづれに

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 今日のYoutube
https://www.youtube.com/watch?v=-69X6y2H6_U

 どうも、東北・北陸は、晩秋から冬場は、雨と雪が多く、
気持ちまで沈みがちになる。今では、シネマや、TVがあって、
結構、面白く気持ちを紛らわせることができるが・・ 
 
 オデンを含めると、3日に一度は鍋物の時節。
100M先に、チャンコのチェーンもあるが、最近、あまり美味しいものを
食べたいとか、店に行きたいとか思わなくなったのは、年齢のためで、
それも当然だろうが。
 
  http://matome.naver.jp/odai/2141509216242944001
サントリーの山崎が、ウィスキーの世界一位を受賞とあったので、
そのハーフボトル(1900円)を買って、飲んだが、これはうまい。
 ツアーの際、成田の免税店で、ミニボトルを買って機内で飲んだことが
あったが、その時は、さほど感じなかったが、あらためて、味わうと、
世界一位の味を納得する。
 こういうのは、数ヶ月に一度位にしておいたほうが良いのだろうが・・ 
今度は、ニッカの『竹鶴』のハーフを飲んでみたいが。 要は、アサドラの
影響もあるのか・・

 

・・・・・・
2062, モーニング・ページその後!
2006年11月25日(土)

今年の3月半ばから始めた「モーニング・ページ」を相変わらず続けている。
今年に入って新たに加わった習慣である。
何も難しいことはない、ただ起きざまに大学ノートに思いのまま書く。
ポイントは、毎日必ず書くことである。(以前にもかいたが)

 書き始めて8ヶ月、改善を重ねた結果、曼荼羅図のように
中央にハートの絵を書いて、周辺に9つの円を描いた中に書き込んでいく。
健康コーナーや、
随想日記のヒントコーナー、
読書コーナー、
つれづれにのコーナー等々、だいたい位置が決まってきた。

大学ノートを横にして上下のページを朝一番に書き、
昼や夜に思いついたことを、その上に書き込む。
内容が一人歩きするのかと期待したが、まだ脳の排水レベルで留まっている。

 書き連ねているうちに、思ったままのことを
スラスラかけるようになったのが一番の収穫だ。
それと毎日ほぼ同じことを書いている自分に驚いてしまう。
    
 MP(モーニング・ページ)の習慣を40年前に、
いや10年前に身につけていたら、
もっともっと豊かな人生をおくれただろう。
随想日記のように蓄積されていくうちに、
知らずに何かが生まれてくる可能性を秘めている。

起きて、真っ白の状態そのままで書くのが良いのだろう。
一種の座禅、瞑想である。

頭に浮かんだことを文に書き出すと、
浮かんでは消えている雑事を掬い取るのと同じになる
ー脳の排水を小まめにしていることになる。
その排水の中に時には砂金が入っていることもあるが・・
夜半みた夢と、前日読んだ本の印象に残った書き込みがよい。

 この一日一文と、モーニング・ページは
私にとっての生き甲斐?になっている。
それと( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪も
                (*^ワ^*)i  
・・・・・・・・
・・・・・・・・

2005年11月25日(金)
1697, 哲学マップ

  -読書日記
「哲学マップ」
 (貫成人 ちくま新書)が面白い。

哲学とはどんなもので,
  他の哲学とどういう関係を持っているかの
    地図を示そうというもので、
      切り口を変えた哲学史ともいえよう。

 最近、哲学がますます面白くなっている。
  極限の自己対話の本音の部分と、
    過去の哲学者の自己対話との重なりに、
      自分の練りを今という瞬間に突きつめる。
        それが日常の足下を掘り起こし、
        日常の外に出ようとすることになる。
   ∥┓  ((  
  (_)  匚P 
   ━┻         
       だから哲学は、常に日常の中でおこなわれなくてはならない。
     自分が鵜呑みをしてきたことが、どんな哲学の範疇であるか、
    そして、他の哲学からみたら、どういう関係にあるかしれば、
   その思い込みから自由になることができる。

ーこの本の大筋はー     φ(・ω・〃) ♪

 哲学の発想法といえば,

  1.全体を問題にする,
  2.日常性から出る,
  3.形式的である,
  4.方法についても慎重であるべきである
         の4つである。

       また哲学的な「問い」を
    次のように立てている・・

(1) 「~とは何か」という問い
  (イデア:現実の二項対立でとらえる  プラトン

(2)「わたしとは誰か、なにを知りうるのか」という問い
   (自我/対象、主観/客観の二項対立でとらえる  デカルト

   (3)第一と第二の問い組み合わせ
     カテゴリーが人の認識メカニズムにアプリオリ-先天的-
      に組み込まれている、と考える
      (「経験に先立つ本質」 カント)

      (4)「なぜそれを問うのか」という問い
         価値を差異に還元して考えるニーチェである。
         (虚構、流動性  ニーチェ

簡単に言えば、
(一)は「真理」への希求に関する問いであり、
(二)は、人の「認識」についての問いといったところか。
  (三)については、「経験に先立つ本質」についての問い
  (四)は「超越的実体を否定し、すべての差異が諸力のせめぎ合いに
       よって生まれる流動性を肯定する」
       と書かれていることから、
         「流動性」(不確実性?)がキーワードになる。
                  
20世紀の哲学は,              (*´o)*ゞふぁぁ…
 現象学
 言語分析,
  言説分析,
  精神分析
    実存分析,
    構造分析
などの道具を使って行われている。
大雑把すぎるが、この本の大きな柱になっている。
          
                 (^┰^)ゞ
 ・・・・・・・
 ・・・・・・・
 
2004年11月25日(木)
1332, 23歳の日記-4

1969年
3月29日   四日市にて

勤めて、まだ一ヶ月も経ってないのに、既に壁に当たっている。
後方部隊の管理部は総員37名、そのうち30名が若い女性だ。
今年配属された男子4名の他に、課長と係長と肩書きのない古手の男子2名が男だ。
それにしても、肉体的の限界の激務である。

寮で同室の堀田君は本店から離れている郊外の食品スーパーに配属されているが、
話からみると、仕事の厳しさは本店の管理部は彼よりも数倍厳しいようだ。
部屋に帰ってきて、布団にバタッと倒れる状態である。

それでも、既に数回同期の4人と三回も居酒屋に行っている。
同期の仲間は西尾、桜井、渡辺、そして私の4人だ。
酒好きというのが共通点である。
いずれも地方の大學出身のせいか純粋であり、温厚である。
学生時代の寮の連中からみれば、地方大学出身の為かすれてないのがよい。

上司の松又さんは九州出身の純朴な好青年である。
高卒で8年目だが仕事が出来る。
我われ四人に、非常に気を使っているのが解る。

今の課題は、同僚としての女性に対してどう接してよいのか解らないことだ。
純朴な地方の擦れてない若い娘達の同僚としての対応の仕方である。
傷つきやすい敏感な年頃である。
全く難しい。
自分としても、どう気持を開いてよいのか解らない。
やはり、自分を取り払わないとわかっているが。
それと、寝る時間の前に本を読む癖だけはつけておかないと。

本店には、300人ほどの女子店員がいるが、息を呑むような美人が
7~8人はいる。
働く女性の姿が輝いている姿を身近にみるのは初めてである。
小説を見ているようだ。
それにしても良く働く、いや働かされている。

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4月2日

どうも、若い女性を扱うのは難しい。
他の三人は結構上手く、楽しそうなのに自分は駄目なのだ。
まず彼女らを人間として認めなくてはならないのだ。
何か焦りを自分に感じている。

取りあえず、問屋の名前を一つずつ憶えてみよう。
次に店内の配置図を頭に入れてしまおう。
そしてコード名を憶えよう。何か一日一日に追われているだけだ。

統一伝票の合理的なシステムには驚かされる。
4枚綴りの複写で、それが本部用、店用、取引先分類、そして最後の一枚は、
受領書として相手方に送り返される。
この伝票システムが、仕様書発注として内容がこと細かくないようが
伝票にギッシリ書かれるのだ。凄いと思わざるを得ない。

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2003年11月25日(火)
965, 悪口についての一考察 -1

  悪口については、随想日記の中では何回も書いている。
 しかしテーマにしたことは無い、一番イヤなテーマであるからだ。
 昨日、新聞を見ていたら‘メジャー’ヤンキ-スの松井は中学校二年生以来、
 悪口を言ったことがないという。
(所詮は勝ち組が言っているから注目している部分もあるが)
  
  それでは「私の場合は如何だろうか?」と考えてみた。
 本音でいうと
 可能な限り言わないようにしている。その為には嫌いな人のいる場には
 極力行かないようにしている。例えば、ライオンズとか商工会議所などである。
 痴呆名士志向の子狐的人間である。
 
  地方で頑張っている人はこういう傾向が強いから始末が悪い。
 自分より肩書きや収入が多い人間には媚びへつらい、下の人間には尊大な人だ。
 まあ仕方ないのは解っているが。
「お前の姿でもある」といえば、そうかもしれない。
 
  人間にとって自分は善人であり他人は悪人なのである。
 自分を理解しろと必死になるが、嫌な人を理解しようとはしない。
 それは、怠惰という無精者に過ぎないことに気づいていないからだ。
 辞典には
 ー悪口は「他人について、劣っていると(事実に反し、また実際以上に)いう言葉」
 とある。
 ー陰口は「その人のいないところで、いう悪口」と書いている。
 悪口とは事実に反してと書いている。
 
 週刊誌などは、それで持っているいるようなものだ。
 大衆の一番弱いところを狙っているのだ。
 辞書のとおりならば、悪口の経験のある人は虚言罪で天国の門は間違っても
 叩かれないことになる。

 思いつくまま「悪口」について頭に浮かんだことを書いてみる。

・「悪口はドロボーより悪い!」と曽野綾子の本にあったが、まったく
 曽野(その)とおりである。ドロボーは人を殺さない、しかし悪口は時に人を殺す。
・悪口は結局は、自分の事をいっているに過ぎない。
 したがって根は深い。ただ自分で気がついてないのだ。
 悪口はその人の歪んだ心象風景といってよい。
・悪口にも色いろある。
 本人に面と向かっていう悪口と陰でいう悪口がある。
・宗親(居酒屋おやじ)「馬鹿野郎!これで俺等居酒屋が、
 商売でもっているんだ!でも酷いもんだよ!
 サラリーマンの悪口は耳を塞ぎたくなるより、
 『その対象の奴より、言っている本人を張り倒したくなるよ!! 
 まあ、そうでもしなくては精神のバランスが保てないのだろうがね』                 
                        ー続く
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591, ある時間の断片ー13
- 2002年11月25日(月)               
 ー 1968年 10月3日ー
9時半起床。
10時40分学校へ出発。
12時に図書館に行く。途中で石川と会う。
図書館で数人の人と話ばかりで、試験勉強が身に入らない。
試験は予想どおりで、簡単であった。
必死になったのが馬鹿みたいである。

帰寮後、床屋に行く。
夕食後TVを見る。
今の自分が何かあるべき自分とのギャップが大きい。
どうかしているのではないか?
石川に今日言われた。
「かなりいいかげんだ!」と。

そうだ、新潟の六日町の禅寺の雲洞庵にいこう!
これで遅れた分が取り戻せるだろう。
このままだと、その半分以下だろう。

この7日か8日にいこう。
そこで集中して卒論の大筋をまとめあげよう!
同時に人生の将来図ー目標とか理想をつくりあげよう。
イメージにまでにしてしまおう。

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 11月25日(火曜日)
      1968年

朝10時起床。
卒論のマトメをしたが中途半端であった。
部屋に米林がくる。
彼もかなりクールのようだが。
佐藤嬢との、あけすけな話をする。
他人にいうことでないのに、馬鹿な奴だ。
それより、他人のことに気を向けている時間が無い。
夜半の2時まで集中したが、まだまだだ。時間が足りない。

ところで冗談で言ったことが独り歩きをした。
今は、外に気がいってはならない時期だ。
仕方がないが、軽く考えて深入りしないことだ。
取ってつけたような相手捜しは止めにした方がよい。
何を焦っているいるのか。試験に、卒論に、ゼミに、
会社のレポートに、山積みなのに馬鹿な事をいった。

自分は会社を創りたいのだ。
そして二年勤めて、その後違う大学の三年に編入して
四年後に創業をしたいのだ。
流通か、貸しビル業が面白そうだ。

ゼミと人事管理は27日と28日までに。
26日には「価格理論」を。ということは明日しかないということだ。
そうすると明日の予定は中止か。約束はしているが、可能な限りやらなくては。