つれづれに

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 昨夜は、恒例の飲み会。 連休明けの、給料前の金曜日のため、
どの店も、客の入りは疎ら。 帰ってみれば、午前様近く。 
 
 少し、二日酔い気味だが、何とかスポーツジムで、何時ものコースをこなす。
ヨガで、少し腹痛気味だったが、何とか持ちこたえる。


・・・・・・
2024, ある煉獄の中にて
2006年10月18日(水)
               才八∋ウ_〆(∀`●)
これからの内容は本人の同意を得て書いている。
(もし本人の同意なくして書いたとしたら、
本人を著しく傷つけことになる上に、裏切り行為になる。
本人曰く「母の苦労を多くの人に知ってもらえるから、書いてもよいです!」・・)
 そこには誰も悪人はいない、存在するのは人類最大の問題(嫁・小姑など家に存在する)
不条理である。
 Aさんの話を聞くうちに浮かび上がってきた奥行きの深い話である。
どこの家にも、このような問題はあるが、あまりにも複雑な構図である。
それを背景としてAさんの一人間としての素晴らしさが浮かび上がってくる。
        〔註〕煉獄とは、地獄と娑婆ー現世の中間にあるところ
ー女性Aさん(25歳)の視点で書くー
              (以下、敬称は略す)
・Aの母親F(48歳)が夫と離婚、Aと弟を引き取り中越地区にある実家に出戻った。
・実家にはFの両親B・C(80歳前後)と、Bさんの未婚の姉のD(80歳代前半)がいる。 
 家は、それほど大きな家ではない。
・Aの母親Fは、AとAの弟E(21歳)を育てるため身を粉にして働いた。
 そしてAは女子短大を卒業、新潟に就職して5年目になる。
 弟Bはコンピューター専門学校を卒業、今年から首都圏のソフト会社に就職した。
・ところが母親は立ち仕事で人一倍働いたため、腰痛が悪化。
 去年から働きに出れなくなり収入も途絶えた。
・そのため元々折り合いが良くなかった同居の叔母Dとの人間関係のバランスが
崩れてしまった。子供二人が家を出ていってしまったことと、母親Fが働けないため
収入が途絶えたことで、弱い立場の陥り、その結果として鬱病になりかけている。
・Aにとっては、そんな実家には帰りたくないが、そのままにしていたら母は重度の
鬱病になり廃人になってしまう。A一人の収入では母親を引き取れない。
 そこが地獄絵図の世界としても、その狭い家に帰らないと母は間違いなく潰れてしまう。
--
という内容である。
  露骨に言ってしまえば、
 ・「行かず後家」と、
 ・その実家に「出戻ってきた母」と、
 ・嫁の立場の「お祖母さん」と、
 ・その間でシドロモドロする「お祖父さん」が、
  織り成す小さな世界の蓄積された‘葛藤ドラマ’ということになる。
Aは華やかではないが、キリッとした美形で、浮いた話は全く無い。
この実家の4人の関係が、それぞれの立場が「針のむしろ」であることは明らか。
・「叔母E」にしても、頼るのは弟のBしかいない、
・「家長B」も連れ合いのCと、姉Dと、娘Fとの間で神経をすり減らし
・「嫁の立場C」も、小姑Dとの同居自体が地獄である上に、
  旦那Bと娘Fとの間に立って神経はボロボロのはず。
  小姑Dが生きている限り、80歳近くになっても嫁の立場は変わらない。
・母親Fは家をでて、娘か息子の元にいくと、
  お婆ちゃんCと小姑Dのバランスが崩れる。
 聞いているだけで、小説のような深い世界が見えてくる。
 おまけに、「長生きの家系で年寄り三人は10年は最低生きそうだ」という。
 更に、Bは‘独身?で外にいる息子’を呼び寄せるつもりだという。
結局は、本人Aは会社を辞め、新潟を引き上げ実家に帰って働く決断をした。
感心するのは、本人はアパートで質素な生活をしながら、母親に仕送りして、
短大時代の奨学金を5年かけて全て返したことだ。
赤貧の生活だったのではなかろうか?
 その上に、その実家に母親を助けるために帰るという心情である。
若い女性でなければ手を貸してやりたい位である。
現在彼女にとって必要なのは、「白馬の騎士」である。
その姿勢を貫いていれば、必ず現れるはずだが・・・
田舎に引っ込んでしまうとチャンスは狭まるだろう・・・
私が当人だったら、どうするだろうか?
生きの良いうち?に、理解してくれる伴侶を探すだろう・・必ずいるはずだ!
「今どき家に縛られるのはどうか?」などとかいう問題ではない。
それか難しいだろうが、母親の結婚相手を探すのも一案である。
 先日、一家を惨殺して投身自殺をした主婦の事件があったが、
永年の蓄積したドロドロしたものがガス爆発したのだろう?
あまりにも気の毒なFさんに心をこめて、
「明るく生き抜いて欲しい」と願うばかりである。
この状況で明るく生きるのは難しいだろうが・・
それより、「生きているだけでも幸せである」ことに気がついて欲しい。
 どこの家庭にも、このような話は親戚筋の中に幾つかあるが、
あまりに設定が・・・・ 
 そのために宗教がある。「生長の家」「天理教」あたりを勧める。
天の理や、仏教の教えを噛み砕いて教えてくれるからだ。
苦しみが深いほど、救いも大きくなる。 
 こういう場合に、「何で既存の仏教の寺は勧められないのだろう?」
坊様には、それが解ってない!
                (*^ワ^*)i  
                 バイバイ
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2005年10月18日(火)
1659, 北イタリア旅行記-8

ー旅行雑感-1

旅行中に、色いろな思いや出来事に行き会うことが多い。
ただ、文章にするには如何書いてよいものかと、切り捨てている場合が多い。
しかし、むしろ面白いのは、知りたいのは、思い出として取っておきたいのは、
その方が多いだろう。

・一人、50代半ばの女性が参加していた。
百回近くは、旅行しているという。
娘の就職を有利にする為に、娘の学生時代に年13回も一緒に旅行に出たという。
プロテニスや、プロ野球、スケートなどの何ママとかパパは聞いたことがある。
(松井や、イチロウ。テニスの・・・・)
一流旅行代理店に入社させるために、旅行に徹底的に連れて出たという話は初めてである。
その努力が実って、めでたく大手航空会社に就職が叶ったという。
本人が、旅行代理店に勤めたかったので、娘にその夢を託したという。

・今回の旅行は、ヴェニスで雨がドリャブリ。
その寒さの為か腰痛になってしまった。
そして帰国後も、その腰痛がさらに悪化してしまった。
もう10日近く経つのに、全然よくならない。

・「欧州の豊かさは日本のゆたかさとは雲泥の差がある」と
バブル真っ只中、当時の東京相互銀行の長田頭取の手記にあった。
イタリアで感じたことは、3000年の歴史の蓄積の豊かさを実感した。
街の教会にしても、公園、家にしても、数百年も経っている。
それがすべて長年かけた先祖からの遺産である。

・どの国もそうだが、北が豊かで、南が貧しい色分けになっている。
イタリアも同じであった。
イタリア人は、自分の出身をイタリアとほとんどいわない。
シチリアとか、トスカーナとか、ローマという。
彼等は数百年もそれぞれの地区が独立国だったためだ。

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2004年10月18日(月)
1294, 県知事選挙ーつれづれ

昨日は県知事選挙。
実のところ、ギリギリまで誰に入れたら良いか焦った。
家内と誰を入れたらよいか消去法をしたところ、全てが消えてしまった。
共産党社民党、泡沫、泡沫、自民党
まず自民党を消去、次に社民党、そして共産党、そして泡沫、そして塗れ雑巾の元??、
誰もいないのだ。
今の「公務員型・現状維持・最?知事」で県民は白けている。
そのため、最悪の知事選びの選挙であった。
長野県のように、実際思い切った手術のできる体質とは新潟県は違うのだろうか。

最終的には、まだましな?自民党推薦の候補に結論を出す。
・全国最年少の42歳と若いこと。
・駅前再開発に対して、マイナスにはならないだろうこと。
・大化けの可能性もあると、儚い期待があること。 が理由である。

そして最終的に、その泉田という候補が当選した。
まあ、決まれば妥当ということか。

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2003年10月18日(土)
927, 「楽しく生きるには」-読書日記

 学生時代の日記帳を見ていて気がついたことは、「人生楽しく」をそのまま実行
していたことだ。その点では今と変わりはない。
 よく読むと、議論をしているか、本を読んでいるか、遊んでいるか、
酒を飲んでいるかだ。これは遊びのセンスと個人主義に関係しているようにも思える。
遊びと勉強の重要性が、この日記の中から読み取ることが出来る。
遊んでいなくては精神のバランスを保つことが出来なかった。
今の楽しい気持ちとは違うようだ。不安と期待と焦りが大きく背後にあった。

「楽しく生きるは」は誰にとっても、生きるうえで大きなキーワードだろう。
それでは、如何したらそれが出来るかを書いた本があるかというとほとんどない。
小さな既成概念に縛られて、その縄の存在すら気がつかずにストレスになる。
そして中年になって大きな挫折感を味わうのだ。
 
 楽しく生きるといっても、「絶望や諦めの中で孤独に向き合い、真の
自分の求めているものを見つけ出し、それを追求するプロセスを楽しむこと」
をいっているのだ。
ーインターネットで「楽しく生きる」と検索をしたら、何冊かあったうちの一冊が
詳細に書いてあった。
詳細に書いてあったから逆に取り上げたといってよい。
これまで何回も、これに近いことを書いてきた。
 ーーーーーーーーーー
・書名 / 「楽しく生きるのに努力はいらない 」
  副題 / 元気がわき出る50のヒント
  著者 / 池田清彦

・書名 / 「楽しく生きる」
 副題 / 私には「会いたいもう一人の自分」がいる
  著者 / 高橋和巳があった。
 
 さっそく図書館でー「楽しく生きる」高橋和巳ーを借りてきた。
この内容は後で読書日記で書くつもりである。
「楽しく生きるのに努力はいらない 」 池田清彦はインターネットで、
詳細を惜しげもなく紹介をしていた。
 
 私には個人主義の勧めと受け取れたが。
自分を構造的にとらえて、前向きに生きろということか。
以下はそのコピーである。

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著 者 プ ロ フ ィ ー ル
池田 清彦(いけだ きよひこ)
 一九四七年東京に生まれる。現在山梨大学教育人間科学部教授。
日本における構造主義生物学の理論家のひとりである。
『正しく生きるとはどういうことか』(新潮社)、
『分類という思想』(新潮選書)、『構造主義生物学とは何か』(海鳴社)、
『科学は錯覚である』(洋泉社)、
『さよならダーウィニズム』(講談社)、
『虫の思想誌』『構造主義科学論の冒険』(講談社学術文庫)、
『科学とオカルト』(PHP新書)ほか著書多数。

ー解         説 ー
 あなたの人生はあなたのもの。だから、あなたが決断し、あなたが納得すれば、
それが正しい生き方なのです。人には楽しくないことをしない自由があるのです。
「人には愛する権利はあるけれど、愛される権利はない」「道徳に従うも従わない
も、あなたの勝手」「アホな社会をあてにしないで生きる」など、一見毒のある発
言の中に、楽しく生きる50のヒントを小気味よく提示します。
ー目         次 ー
 はじめにまず、知ってほしいこと

第一部 気ままに、かつ「上品」に生きる

 1 道徳に従うも従わないも、あなたの勝手
  人は他人をバカにする権利、他人を愛する権利などをもっているが、他人にバ
 カにされない権利とか、他人に愛される権利とかはない。
 
 2 親切にされたからといって、感謝するいわれはない
  遅刻した人を待つのは自由だが、その相手に対して怒るのはお門違いだ。遅刻
した人も、相手が待っていると期待するのはいけない。
 
 3 臓器移植は下品である
  人の命は何より大事である、というセンチメントは医療資本に利用されるだけ。
  あなたが死でもかわりはいくらでもいるんだよ。
 
 4 あなたの命はあなたのものではない
あなたの命はあなたが働いてつくったわけでも、自分のお金で買ったわけでも
ない。だから、あなたが勝手に処分してはいけない。
 
 5 アホな社会をあてにしないで生きる
重要なのは、あなたが最もこころ楽しく生きることである。国家も法律も会社
も学校も、そのための道具にすぎず、道具は利用すべきもの。
 
 6 昔の考えに見切りをつける
  夫であれ、妻であれ、職であれ、見切る時には見切らなければならない。それ
があなたの将来を左右するといっていい。
 
 7 人は中途半端に生きて、それでよい新しいことを始めようと思ったら、
  思い立ったその時に始めたほうがよい。何も知らなくとも、何も準備して
  いなくともよいのだ。
 
 8 援助交際はいけないことか
  「援交でも売春でも、したいやつはすればいいじゃん。それはその子の勝手じ
ゃん」というのが、まっとうな女子中高生の正しい答えである。
 
 9 恋愛というゲームで、よいプレーヤーとなるには
  死ぬほど相手が好きだからといっても、そのことによっていかなる権利も発生
しない。ふられても相手をうらむ筋合いはまったくない。
 
 10 セックスは運動である
  あらゆるゲームやスポーツと同じように、セックスにおいても大事なのは果敢
  な判断と見切りである。
 
 11 楽しく生きられるのが、一番重要な才能である
  才能がなさそうなのに、楽しそうに生きている人がいる。世界の見方をちょっ
と変えれば、あなたも人生を楽しめるだろう。
 
 12 美人になれば本当に楽しいのか
  美人も不美人も人生を通して見れば、幸福の程度はさして変わらないかもしれ
ない。そう考えるのが楽しく生きるコツである。
 
 13 天才でなかったことを喜ぼう
  天才には凡人に想像のつかない悩みがあるのかもしれない。その間、あなたは
ノホホンとして人生を楽しむことができるのだから。
 
 14 結婚のメリット、デメリット
  結婚は法的な制度であり、場合によっては足枷(あしかせ)になり、場合によ
っては保護になる。あなたがどちらをより多く望むかで結婚を決めよう。

 15 切なくも苦しい、しかし楽しい不倫の醍醐味
  不倫するのはアホだ、不道徳だ、淫乱(いんらん)だと非難する人は、人間が
わかっていない。不倫は奥の深い文化なのであろう。
 
 16 非日常の楽しみはエクスタシー
  人は脳で快感を感じる生物であり、非日常の楽しみによって生み出されるエク
スタシーは一種の中毒症状を引き起こすのであろう。
 
 17 嫉妬するのは楽しく生きるための出発点
  人はかないそうな欲望にのみ嫉妬する。だから、嫉妬を努力に転化して頑張れ
ばかなうかも。ダメなら、見切りをつけてあきらめる。
 
 18 人生に目的など本当はない
  ボーッとしていることが楽しい人は、ボーッしていればよい。本人が楽しけれ
ばそれでよく、趣味に高尚もヘチマもあるもんか。

 19 検診を受けてオロオロするのは愚の骨頂である
  人間は生きている限り、必ず病気になる。ガン検診を受けるくらいなら、酒を
飲んで遊んでいたほうがよほどましであろう。
 
 20 人は死んではじめて一人前
  人生はいつか死ぬから楽しいのであって、永遠に死なないというのは石ころと
同じで、そもそも生きていることにすらならない。

 21 その日暮らしの快楽があるから、老人は楽しい
  息子の嫁に文句言われても、ヘラヘラ笑い、無一文になった時にピッタリ死ぬ
のが、正しい老人の生き方である。
 
 22 年寄りには、もはや未来がない
  ムチャクチャなことをして死んでしまっても別にどうということもないのであ
る。そう考えれば、年寄りも楽しいかもしれない。

 23 生きがいは、他人に依存しないほうが長続きする
  生きがいが仕事そのものでも、仕事の結果出世することでもいいが、ただひた
すら努力することが生きがいというのは感心しない。
 
 24 人生孤独なのはお互いさまである
人とのつき合いで‘ふり’をすることは大切だ。決して不まじめではない。
‘ふり’をしているうちにだんだん本気になっていく。
 
 
より詳細は「分類・引き出し」のコーナーの「読書日記」に書いてあります。
ー文字数制限でここまでです。
分類コーナーの検索に「楽しく生きるには」を打ち込んでください。

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553, 基調色
- 2002年10月18日(金)

私に着こなしの事を語る資格はない。
しかし、実質的合理的な着方なら話せる。

背広やブレザーは自分の基調色を決めておく。
背広は細かいストライブの濃紺である。
ブレザーは茶か紺で今は紺だけだ。

背広は7~8年前から、同じに見えるものにしている。
古くなってきたら上下を換えても第三者には解らない。
実際は換えてきたことはないが,昨年は同じ背広を2着買った。

カジュアルのジャンパーやセーターも黒か紺に決めている、
白やネズ色とも合わせられるからだ。

海外旅行ではあまりみっともない着合わせはできない。
ある程度はチャンとした服装でなくてはならない。
欧米人は白と黒を基調にして、あまり派手な色は着てない。

パーテーや外食の時は着飾っているが、昼のカジュアルは質素で
シンプルである。日本人の団体をみると、チンドン屋の集団だ。

自分の基調色の必要性に気づくのに30数年かかった。
基調色を決めておけば、靴下やネクタイや鞄も色を絞るれる。

若いうちは何でも似合うからよいが。
歳を重ねたら、みっともない格好だけは避けたい。
それが色の組み合わせで出てしまう。

最近気がついたが、ネクタイと靴下の色の組み合わせが
重要とのことだ。濃紺なら黒でよいと思っていたが、
ネクタイの色に合わせてもよい。

ネズの靴下を葬式やお歳暮などで貰って履いていたが、
ネクタイを知らないうちにネズの入ってものにしていた。
これは無意識であった。

おしゃれとは本来自分の欠点をカバーするのが目的という。
若い時は長所を引き出すと良い。

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[182] 偽悪
2001・10・18

この言葉を聴いたとき、‘へーえこんな言葉もあるんだ!’と驚いた。
また言葉のもつ深さと魅力もその時感じた。しかしその時はそれ以上深く考えなかった。
そこでその意味を考えてみた。
この言葉から考えられる言葉は露悪、偽善、露善というところか。
善悪はそれぞれの価値のプラスマイナスの表現でしかない。
偽善もしかり、うけるイメージはその価値観のプラスを演じること、いや実際は
マイナスだがプラスに表面を見せておこうという時に使う。
偽悪はその対極にある場合に使う。
その価値観に捉われないために、むしろマイナスを演じる事をいう。
それを意識して演じて、その価値観がいかにつまらない事をジェスチャーして
見せる為にする行為か。