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昨日は、『ザ・ヘラクレス』をみてくる。 ー評価は、85点か。
ギリシャ神話のゼウスの子のヘラクレスを題材にした物語で、
内容は面白いが、いま一つ、リアルさに欠けるところがあったが、
決して、悪くはない。 



2348.ベナレス・・・4
2007年09月07日(金)
ベナレスー4
この街では私たちの世界と価値観が逆転しているとさえ感じられる。
そしてその不思議さは、私たちが生きる社会への、痛烈な批判なのかもしれない。
朝夕、スワループさんの僧院では神への祈りがささげられる。
そこには路地に暮らす数多くの人が参加し、スワループさんが唱える経典の言葉を聞き、
その後に繰り返し唱える。
集まってくる人びとの中には、たくさんの子供たちの姿もあった。
かつてスワループさんがそうであったように、聖地ベナレスに受け継がれてきた伝統が、
また次の時代へと伝えられて行くことを感じさせる光景であった。
街が人を生み出し、人が街の営みを支えて行く。
こうしてペナレスは聖地としての歴史を刻んできたのである。

スワループさんは月に数回僧院を離れ、寺院やほかの僧院の儀式などに呼ばれ、
祈りをささげに行くことがあるという。多くの場合、その交通手段はボートである。
数千年間続いてきた伝統の道に身を投じようとしているスワループさんは、
この街をどう見ているのだろうか。ここで両親を茶毘に付し、また二年前から
現世での生活を捨てるという視点からこの街を見つめ続けてきた彼は、
ベナレスの街並みが見えるガンジス河の上で、こたえてくれた。
「私にとって、この街は特別なところです。この街はすべてが本物なのです。
私は『死』のあり方だけを言っているわけではありません。
この街で暮らす人びとは、とても生き生きと活力に満ちて生きています。
それがベナレスの力だと思うのです。

みんな対岸から朝日が昇る光景が好きだと言いますが、
私は日暮れ時のべナレスがいちばん好きです。太陽が街の中心に沈んで、
この街にエネルギーが注がれる気がするのです」
「すべてが本物である街」ベナレス。スワループさんが言うように、
この街に太陽が沈む光景は、確かに陽の力が街に与えられるような
荘厳なものであった。人生の最期を家族と過ごす館「ムクティ・バワン」
に通い出してから二十日が経っていた。
その間四人の人が亡くなられ、希望通りマニカルニカマトへと運ばれて行った。
------

解)ベナレスも当たり前のことかも知れないが、やはり現地のあの雰囲気を
実際のところ味わってみないと、その意味は理解できないだろう。
それだけの迫力と、深さを感じ取ることはできる。
あれだけ、あの地で死ぬことを欲していれば、死そのものの恐怖は逆に
消滅してしまうだろう。その意味では、宗教の力を直接的に感じる場所と言える

・・・・・・・
2006年09月07日(木)
1983, 閑話小題
    Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
  ーウォーキングの道でー
先日の土曜日の9時過ぎに土手でウォーキングをしていると、
小学校の運動場で運動会が開かれようとしていた。
開会式のようで、マイクの声が聞こえてきた。
 ところが中学生の声で「何々中学応援団団長何某!」その後に、小学生の女の子の声で
「何々小学校応援団長何某!」と、宣誓の最後に締めくくった。
今どき、中学校と小学校の合同の運動会か?と、思いつつ通り過ぎながら見ると
小学生しかいない。中学校の応援団が、運動会の高学年の応援指導をしていたのである。
学生服を着て、頭に長い鉢巻をした10人ぐらいの中学生が大声で、高学年の生徒の前で応援の
手ふりをしていた。何とも微笑ましいが、生徒のほうはピリピリしているのが伝わってきた。
運動会全体がしまっていたようだ。小さな集団に小1のグループがあった。 
幼稚園の集団と間違ってしまうほど、幼さが残っていた。
  ー紀子様、男子出産の意味ー
「朝生TV]のテーマではないが、紀子妃の男児出産で、次の次の天皇継承問題が更に
複雑になってきた。過去の女系天皇の場合、結婚をしてない女性が天皇になっていた。
直径の血を薄めないためだろう。
 しかし、この時代まさか結婚をしない訳にはいかない。天皇制を緩める意味で、
女系天皇とその子供の天皇継承を認めるのもよい。しかし紀子妃の男子出産で、
次の次の天皇は紀子妃の男児に継承される可能性が大になった。
そうすると、次の天皇を皇太子が辞退ということもあり得る。雅子様もそれで
ノイローゼが軽くなるだろうが、その判断は皇太子本人の意思?になる。
こういう直後に、意外と雅子妃の懐妊があるもの。
どうなるか、時間が経たないと解らないが・・・
雅子妃もホッとしているのは、間違いないだろう・・・
  ー関敬六という喜劇俳優が亡くなったー
関敬六といえば、TVが出始めの頃から脱線トリオの一員として、由利徹
八波むとし、南利明等とトリオを組んで茶の間を笑いに包んでいた。
また谷幹一渥美清と三人のコントを今でも思い出す。
何とも人間味溢れた役者であった。新聞に、その彼の訃報が出ていた。
男はつらいよにも、端役としてテキヤ仲間としてでいていた。
これで渥美清も含めて、全て亡くなったことになる。
一つの時代の終わりを告げているのだろう。
             (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!        
・・・・・・・   
2005年09月07日(水)
1618, 楽しく生きるー3

「楽しく生きる」にも、色いろある。「ドラックをやって、目先の快楽を追い
求めて人生をボロボロにしてしまっても」と、いう意味で言っているのではない。
目先の楽しみだけを求めると、長期的に問題がでる。何ごともバランスである。
前回書いた「楽しく生きる」精神科医高橋和巳著の一部をさらに書き写してみる。
ー人生の「動」と「静」を楽しむー
私たちの生活のあらゆる動きを生み出しているのは「欲求」である。
それは無限のエネルギーを生み出したりして、人生の全体を創造している。
欲求が生まれ、動き出し、目的を達成すると、一つのサイクルが終わり、動きは止まる。
すると、次の欲求が生まれ、新しいサイクルが始る、この繰り返しが生命活動である。
その生命の欲求サイクルが始るところが心の奥底の透明な「意識」である。
ただ私がそこに「いる」だけの場所である。
欲求は心の奥底の何もないところ、無から生まれる。
「欲求」は、生まれるとすぐに自分を実現しようと動き出すが、欲求を生み出した
「意識」はその動きに巻き込まれることなく、いつも欲求から離れている。
この「欲求」と、「意識」が私と私の人生を動かしている。
 意識は動かない 「静」で、
 欲求は動きまわる「動」である。
楽しく生きるということは、欲求を満たす過程を楽しむことである。
そのためには、いつも「動」と「静」の二つが私たちを動かしているのを忘れないように。
いつも変わらない「静」があるからこそ、「動」を楽しむことができる。
「動」の欲求と「静」の意識が対になって、この世の花を楽しませてくれる。
楽しく生きる。 今、人生を楽しむ。 純粋の遊びこそが、遊びの真髄である。
ー私には「会いたいもう1人の自分」がいる欲求とその成就は、本来、単純である。
このような欲求を邪魔をしている唯一のものは、私たち大人が身につけている「思い込み」である。
この「思い込み」が、本来の欲求不満を自分から隠してしまうのである。
「思い込み」という間違った解釈を自分で与えることで、私たちは自分の欲求不満をそらす。
この自分の思い込みを解除することは、実はもう1人の自分に出会うことでもある。
思い込みが積み重なって出来あがる最大のものは、私たち自身の「自己像」についての
思い込みであるからだ。この思い込み、特にネガティブなイメージの取り除いて本来の
自分に出会うことが、「もう1人の自分に出会う」ことである。
あったはずなのに気づかなかった素直な自分の欲求に気がつく。
素直な自分が嫌いな自分のすぐ傍にあったことに気がつく。
人生は、その素直な自分の欲求を満たしていく時間である。
ーー
以上が、この本の概要である。
<自由とは、その周囲から植えつけられた「思い込み」からの解放である>
秘境ツアーに来ている人の中に多いタイプに、
思い込みに気がつき、真の「自分探し」の人を多く見かける。
そのタイプを要約すると、
ー親と世間の常識を信じて何も疑うことなく、何時の間にか歳をとってしまった。
ふと気がつくと、あと数年しか時間的に自分の残された人生しかない。
このままでは、死ぬに死に切れない。
そのために捨て身で世界の果てに来て、自分の心の渇望を埋めようとしている。
もう少し早く気がつけばよかった。余白はあまりにも短い! 等々である。
「楽しく生きる」も、深い心の底からの欲求の充足でこそ意味がある。
その辺のカラオケで騒ぐ、軽いものをいっているのではない。
 魂が入っていれば、それでもよいか?

・・・・・・・
2004年09月07日(火)
1253, 死について再び考える

過去に死について多く書いてきたが、五十嵐恭一さんの死で改めて
死について考えてみる。毎晩、何気なく寝ているが、そのまま目が覚めないと
仮定して、深い長い夢をみながら死んだとしたら、その夢と現実とは
さほど変わりはしないのではないか。
死んでしまえば、重油をかけられ燃やされ、灰に帰す。
骨は墓に入れられ、一年もしない内にほとんどの人から忘れさられる。
人生とは何なのだろうか?ー意味
その行蔵の中味は何か?ー経験
何を成しえたのか?ー達成
何を成しえなかったのか?ー挫折
それを成し得たとして、それが如何ということだろうか?
人の苦しみ、喜び、快楽、達成とは何か?
精一杯生きたのだろうか?
答えは無いと思うが、それでもヒントは以下の格言に
多く隠されている。
ー生死の格言ー

・死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。
                  byレーントン・ワイルダー
・墓場は、一番安上がりの宿屋である。
                  byラングストン・ヒューズ
・僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ
                  byマルロー
・虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。保険に入っていれば金を残す。
                  by吉行淳之介
・あたかも良く過ごした一日が、安らかな眠りをもたらすように、
 良く生きられた一生は、安らかな死をもたらす。
                  byレオナルド・ダ・ビンチ
・命とは、セックスで感染した病気である。
                  byガイ・べラミイ
・誰でも死ななくちゃいけない。でも私はいつも自分は例外だと信じていた。
 なのに、なんてこった。
                  byウィリアム・サローヤン
・立派に死ぬことは難しいことではない。立派に生きることが難しいのだ。
                  by映画『無防備都市
・人間、死ぬときは死ぬのがよい。
                  by白隠
・どのみち死なねばならぬなら、私は、なっとくして死にたいのだ。
                  by梅崎春生
・死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。
                  by村上春樹
・昨日まで 人のことかと思いしが おれが死ぬのか それはたまらん
                  by蜀山人            
・死の恐怖は、解決されない生の矛盾の意識にすぎない。
                  byトルストイ
・不幸な人間にとって、死とは無期懲役減刑である。
                  byアレクサンダー・チェイス
・死の持つ恐怖はただ一つ。それは明日がないということである。
                  byエリック・ホッファー
・もっとも偉大な人々は、人に知られることなく死んでいった。
 人々が知るブッダやキリストは、第二流の英雄なのだ。
                  byロマン・ロラン
・墓は、運命の嵐を防ぐ最良の砦である。
                  byリヒテンベルグ
・死ぬよりも、生きているほうがよっぽど辛いときが何度もある。
 それでもなお生きていかねばならないし、また生きる以上は
 努力しなくてはならない。
                  by榎本健一
・私は生きているときに、死以外のあらゆるものに対して備えをしていた。
 今、私は死なねばならぬ。 そして、まだなんの備えもない。
                  byチェザーレ・ボルジャ
・人間的に言えば死にもよいところがある。
 老いに決着をつけねばならないからだ。 byラ・ブリュイエール
・人間一度しか死ぬことはできない。
                  byシェークスピア
・臆病者は本当に死ぬまでに幾度も死ぬが、勇者は一度しか死を経験しない。
                  byシェークスピア
・自分の命を愛しても憎んでもいけない。
 だが生きている限りは命を大切にするがよい。
 長く生きるか短命に終わるかは天に任せるがよい。
                  byミルトン
・生まれた以上死なねばならぬ、ということ以外確実なことはなし。
                  byクリティアス
・私たちは死の心配によって生を乱し、生の心配によって死を乱している。
                  byモンテーニュ
・我々は、大人も子供も、利口も馬鹿も、貧者も富者も、死においては平等である。
                  byロレンハーゲン
・死のことは考えるに及ばない。死は我々が手を貸さなくても我々のことを
 考えてくれているのだから。    byシェンキェーヴィチ
・人間はまだ十分に幸福ではなかったからこそ死を恐れるのである。
 最高の幸福に恵まれれば、すぐに死にたいと思う。  byエンゼ
・死を恐れることは、自分が賢くもないのに賢いと思うことと同じである。
                  byクラウディウス
・生まれたことは確かに我々の結果なのである。
 死ぬということは問題外である。
 生きることが我々の喜びであり、法則なのである。  byサローヤン
・我は生きようとする生命に取り巻かれた生きようとする生命だ。
                  byシュヴァイツ
・人生は素晴らしいが、人生の終わりは死である。
 これは、いかなる人の望みの究極でもある。     byスウィンバーン
・何故死を恐れるのか?――人生で最も美しい冒険だから。
                  byフローマン
・・・・・・・・・
2003年09月07日(日)
886, 「ありがとうの言葉」ー8

昨日の散歩で何回『ありがとう』をいえるか試してみた。
8500回であった。 今日は1万回に挑戦をしてきたところだ。
1万回は2時間以上ふるに言い続けて初めて可能になる。
言い続けるにしたがって、忘我の境に入っていくのがわかる。
7000~8000回が、その入り口であった。
回りが全く遮断され「ありがとう』の言葉に一体化してしまう。
 カウントを間違わないように指先に集中するのがポイントだ。
そうしないと、すぐに何かを考えてしまうからだ。
右指を十単位、左指を百単位で折ってカウントをする。
カウントも、時間で計る方法と、距離で計る方法がある。
今の私には指折りが最適のようだ。
慣れてきたら時間か距離の計測に変るつもりだ。
散歩の歩数は、初めは万歩計であったが、今は時間で計っている。
 散歩に「ありがとう」を言い続けるのが一番良いようだ。
 この随想日記を読んで一番初めに反応してきた、ある社長は一日
平均6000回言っているという。
また彼が紹介した知人の数人が、「幸せの宇宙構造」を10~20冊買って
周囲に配っているという。 ありがたいことだ。
反対に一週間の約束で貸して、2ヶ月以上経った今も返してこない人もいる。
「ありがたい」と思えば約束を守っているはずなのに。
読んでないのか、馬鹿なのか。
「貸したら帰ってこない」と思わなくてはならないのは解っているが。
「幸せの宇宙構造」を読んで、『ありがとう』を言い始めて3ヶ月が経つ。
気持ちが安定をしたことが何よりの成果である。
それと、人に対して寛容になったようだ??
ミニ瞑想を繰り返しているようでもある。否定語は相変わらず
使っているが、すぐに「ありがとう」という言葉で消してしまうのが良い。

・・・・・・・
2002年09月07日(土)
512,パンプローナ牛追い祭り

今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。
もし神様が一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、
4年前のこの祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。
今年は例年になく多くの負傷者が出た。
今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、
毎年放映される中でも特に迫力があった。
初めから最後まで手に汗を握る内容であった。
この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界
に一躍知られるようになった。
この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
赤いネッカチーフをつける。パンプローナの出身者の多くが帰ってくるという。
毎朝6頭の闘牛とそれを先導する虚勢牛6頭の合計12頭が闘牛場に
向かう街の道路に放たれる。
毎日異なるドラマを生みながら熱狂を8日間重ねていく。
その6頭の闘牛が毎日おこなわれる。
4年前その最終日の闘牛をみたが、会場が異様な熱狂に包まれていた。
その牛の前を走るエニシエロが、勇気試しになる。19世紀半ばから
この祭りが始まり、闘牛とか牛追いは途中からその祭りに加わった。
ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の前の4階の部屋から
ファイナルギャザリングと牛追いが見れる。
 4年前の「北スペインの旅」-より抜粋ーの内容をコピーしておきます。
 ーーーーー
・・・その中で一番のハイライトがパンプローナ
牛追い祭り”であった。延々8日間にわたって毎夜、闘牛が行われる。
その牛を毎朝、市役所から闘牛場へ、町中を追い上げる。
その前を街の若者が走って、度胸試しをする。死人が出ることがあるという。
我々が着いたその日が最終日の為、最高の盛り上がりであった。
その夜の闘牛もその為か異常な熱狂を会場にただよわせていた。
これこそ正しくスペインと思われた。深夜の十二時に向けたファイナル
ギャザリングが、一生の思い出になる感動的場面であった。
市役所前に数千の群集がロウソクを手に持って集まり、
ロウソクをかざしながら歌い踊るのだ。
彼らが心の底からパンプローナを愛しているのがよくわかるのだ。
民家の4Fの一室を借りて見たのだが、光の海を見ているようであった。
トランペットやバイオリン・タイコの楽団の演奏にあわせて歌を全員が歌っている。
キリスト教で祭りを集団で祝うのはスペインだけといわれている。
イスラムキリスト教が融合して、神聖かつ感動的・熱狂的な祭り騒ぎなのである。
このような宗教的感動的場面に出会ったのは初めての経験であった。
この場面に出会っただけでもこの旅行は充分の価値があった。
一生の心の財産になった。