つれづれに

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 はや9月だが、早朝のポタリングは、半袖では寒い位。
ご隠居生活に慣れてきたが、これはこれで面白いが刺激は少ない。
 
 このように、毎日、同月同日の13年分を読み返すだけでも刺激はあるが・・
残るのは、写真と、書いた文章だけ。 そこから、過去が垣間見えてきて、
何か奇妙な気持ちになる。 読書から得ることが、あまりに多い。


・・・・・・
2342, 「ある」ことと「あった」こと
2007年09月01日(土)
                 お|* ̄O ̄|は
『狂人三歩手前』 ー中島義道
ー「ある」ことと「あった」ことー

理屈っぽくなるが、「ある」とは「あった」があるからあるから「ある」のである。
「あった」があるから、その想起で現在が「ある」のである。
「私」も現在から過去を振り返ったとき、「私」が発生するのと似ている。
現在は過去にかこまれているのである。
かって旅先で暴漢に襲われて記憶を無くしてホームレスになって、
そして立ち直っていく男の物語の映画をみたことがある。
これこそ自己喪失である。そこに記憶も生活基盤を無くすことの恐ろしさを見た。
それは「あった」があるから「ある」という説明に、解りやすい物語であった。
その映画を見て、人生は「ある」ということと、「あった」ということで成り立っており、
その両者を大事にしなくてはならない!と実感をした。過去は消せないのである。

以下は『狂人三歩手前』から・・・
ーーー
世界についてでも、私自身についてでもいい、物体についてでも、心についてでもいい、
われわれは現在の知覚を基準にして、何らかの客観的対象が「ある」とみなしがちである。
書い換えれぱ、それを客観的認識としがちである。
だが、これはまったくの錯覚ではなかろうか? むしろ、物や心が客観的に「ある」
ということの基準は、過去において「あった」ということと現在「ある」ことの
両立不可能な二重のあり方のうちにあるのではなかろうか? 確かに、過去の出来事は
「うっすらと」しかないのに対して、眼前の光景は、「がっしりと」そこにある。
だが、あり方の強度と「ある」ことの原型とは別である。
現に見えているとか現に触れるということが、ただちには何かが(客観的に「ある」
ことの条件でないことはすぐにわかる。

第一に、世界のほとんどの客観的な事物や出来事を、私は現に見ていないし、
現に触れていない。第二に、動物でも赤ん坊でも知覚はしているが、
ただちに何かを(客観的に)「ある」とみなしているとは言えない。
では、何かが「ある」と言えるためには知覚に加えて何が必要なのだろうか?
何かが「あった」ということをとらえる能力としての「想起」である。

過去とは過ぎ去った擬似(薄まった)知覚的世界ではないのだ。
それは、ープラトンイデア界のようにーわれわれの知覚世界とはまるで異なった
意味世界なのだ。だから、そこには「戻れない」。
戻れるのは、何らかの知覚的世界だからであり、意味の世界に「戻る」ことは
原理的にできないからである。われわれはいかにも現在の知覚的世界だけに
生きているように見えるが、じつは刻々と過去世界に取りかこまれて、
いや浸されて生きているのである。

過去の事象を(客観的に)「あった」ものとして認識することは、
言語の意味としての過去世界を眼前の知覚風景にうまく関連づけてとらえることである。
現在の事象を(客観的に)「ある」ものとして認識することは、眼前の知覚風景を
言語の意味としての過去世界にうまく関連づけてとらえることである。
ということは、われわれは、常に現在に生きているのではない。
常に現在と過去に生きているのである。
過去に生きることができる者のみが、現在に生きることができる。
現在にのみ生きている、と言われる動物や赤ん坊は、
過去に生きることができないがゆえに、じつは現在にも生きていないのである。
これを言い換えれば、「あった」ということがわからない者は「ある」こともわからない。
あなたが自分のからだを観察しても、心の状態を観察しても「私」を
とらえることができない理由もここにある。
「私」とは、現在と過去という両立不可能な二重の世界に生きることが
出来るような者なのであるから。そして、我々は現在と過去とを一挙に
対象的にとらえることはできないのだから。
ーー
非常に解りやすい、深い内容である。
これを歴史に当てはめてみても、成り立つことである。
遡れば、ビッグバンがあったから、現在があるのである。
(その説が正しければだが)ありえない事が起こったのである。
そして、現在、私が世界を生きている!
これは偶然か、必然か?そしてビッグバン以前は何だったのか?
これを考えるのが哲学の一歩である。   バ━━ヾ(′ω`●)ノ━━イ
・・・・・・・・・
2006年09月01日(金)
1977, 三回目のケニア旅行ー2
        (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!
 10年前には日本人観光客が一万人だったが、現在では十万になってしまった。
以前はケニアに行ってきたといえば珍しい存在であったが・・・
また首都のナイロビからマサイマラへの道路では以前はあまり車が走ってなかった。
しかし現在では対向車が絶えることなく走っていた。

 話は変わる。
マサイマラでの出来事。サファリカーが5~6台終結しているところに
若い雄ライオンが二匹寝ていた。
ところが何分経っても寝たままなので、その場を去ろうとすると、
突然隣の車が二台が交互に、そのライオンの鼻先に車を突進、
寝ているライオンを飛び跳ねてしまった。
若い現地の運転手が笑いながらからかっているのだ。初めてみるシーンである。
自然動物に対して絶対してはならない行為と、ただ驚いてしまった。
後ろの席にいた若いツアー仲間の女性が、それをみて突然泣き出してしまった。
彼女の気持ちが痛いほど理解できるが・・・
しかし考えてみれば、現地人にしてみればライオンなど野良猫のようなもの。
もし抗議したとしたら
「御前ら観光客こそサファリーカーで勝手に排気ガスを撒き散らして、
奇麗事を言うんじゃない!」というのが本音だろう。
ただ、長い年月を通して、動物とサファリカーはお互いに危害を加えない
暗黙の了解を作ってきた。その意味でやはり問題だろう。
 今回の旅行でアフリカが遠い存在から、ごく近い存在に感じ取ることができた!
それにしても7年前のヌーの河渡りの印象が、あまりにも強烈過ぎた。
野生のライオンや、豹を見ても感激しなくなった!
もうサファリは最後か!いやタンザニアがある。
まだまだ、深いアフリカは!添乗員から、マリが面白い!と聞いた。
 地方経済がもっと回復してくれば大手を振ってもっと出かけるのだが・・・
絶望的か!もう年一で充分だが・・
                      (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
                      バイバイ!
・・・・・・・・・
2005年09月01日(木)
1612, ハワード・ヒューズ

先週の日曜日にアメリカの大富豪ハワード・ヒューズ半生を
描いた伝記ドラマの「アビエイター」のレンタルDVDを観た。
学生時代に、彼の自伝を読んで感激をした憶えがある。
当時は、彼は神秘的な経営者として多くの人に知られていた。
映画監督として、また飛行家としても、その名を残していた。
 この映画はハリウッド女優たちと華麗な恋愛遍歴を重ねた男のロマン
物語を巨匠マーティン・スコセッシ監督が映像化したもの。
主演はレオナルド・ディカプリオである。
ー内容は、
18歳で亡き父の石油掘削機の事業を引き継ぎ大富豪となったハワード・ヒューズの半生を
1人の男のドラマとしている。1927年、21歳の彼は、その莫大な財産を全て注ぎ込み、
航空アクション映画「地獄の天使」の製作に着手。
30年に同作を完成させると大ヒットを記録し、ハワードは一躍
ハリウッド・セレブの仲間入りを果たす。
人気女優キャサリン・ヘプバーンと出会い、と恋。その後も次々とヒット作を生み出す。
その一方、航空会社TWAを買収し、自らの操縦で世界最速記録を次々と更新する。
大空への夢も実現させて順風満帆な人生を謳歌するが…。
ーー
なかなか、見ごたえのある内容であった。
特に、細菌恐怖症の状態など、成功すればするほど、その反動が神経に
出てくる様がリアルである。成功するには、狂気がなくてはならない。
その狂気を、上手くコントロールできているうちはよいが、どこかでバランスを崩す。
その視点て観ても面白い内容であった。
ーーー
ハワード・ヒューズ略歴
1905年、ヒューストンで生まれる。資産家
1925年、ハリウッドに転居
1928年、映画「ラケット/The Racket」公開。アカデミー最優秀作品賞ノミネート
1930年、映画「地獄の天使/Hell's Angels」公開
1947年、世界最大の航空機「H-4ハーキュリーズ」完成
1950年、「トランス・ワールド航空(TWA)」に改名
1966年、TWAを5億ドルで売却
1966年、買収したカジノホテルデザートインの最上階スイートルームに閉じこもる。
1970年、「エアウエスト航空」を買収
1976年、腎不全で死亡。遺産は90億ドル

・・・・・・・・・
2004年09月01日(水)
1247, さよなら!五十嵐恭一さん
    -五十嵐恭一さんへの弔文
友人の五十嵐恭一さんが8月21日の夜半の11時過ぎ、
長岡西病院で亡くなった。 享年57歳であった。
その日はオーストリアの旅行の為、日暮里に前泊していたので、
旅行から帰ってきた翌日の30日になって初めて、その事実を知った。
朝日新聞系の「朝日広告」の営業で、高校の後輩ということもあって、
公私の付き合いがあり、私の弟分であった。
かなり激しい躁鬱症で、間接的だが私がカウンセラーとコントロール役をしていた。
支局長までなったが、その病のため平社員に降格された。
それでも過去の経験を買われて、そのまま同じ職場で仕事を続けていた。
盆暮れを含めて年数回、20年以上飲み続けていた。
アポ無しで事務所で直接来ても、抵抗感を持たせないキャラクターがあった。
気持ちが純粋で、面白いミニ情報を多く持ってきてくれていた。
三年前から、唇に腫瘍ができ、それが原因で転移して末期癌になっていた。
この5月に自宅に見舞いに行ったところ、苦痛に呻いていたのをみて、
末期医療の長岡西病院のビハーラ病棟への入院を勧めた。
躁鬱病の重症の時も、私が入院を勧めると、直ぐに従った。)
自宅への見舞いの三日後に、即入院をした。
そして最後に見舞いに行ったのが、亡くなる10日前であった。
一緒に見舞った人が、五十嵐さんの知人で、先に亡くなった人の名をあげて、
「私も直ぐに行くから、彼らと待っていてくれ!」と慰めた。ところが、
「まだ、早い!」と絶叫をしたのをみると、マダマダ生に未練があったようだ。
死ほど、自分と他人の差が大きいものはない。苦痛は想像を超えていたようで、
「24時間の拷問にあっているようだ」といっていた。
奥さんに苦痛の為[殺してくれ!]と、懇願したそうだ。
私の身辺で多くの末期癌の壮絶な死を見てきたが、彼のそれは悲惨で
見るに耐えないほど激しく厳しいものであった。
本人しか知らない想像を超える辛さがあったのだろう。
オーストリアの旅行先で、行く先々の観光地で、バスを降りると雨が降ってきた。
そして、バスに乗ると雨が止む。 それが三度目に、虹が出たとき、
「ああ、五十嵐恭一は亡くなった?!」と、思ったのが事実と知った時、
なるほど、彼らしく自分でお知らせをしてきたのだと思ってしまった。
知人縁者の死は、自分の死でもある。
しかし自分の中では、より身近になって何時までも生き続けることを実感する。
さようなら、五十嵐恭一!そして、ありがとうございました!
ご冥福を!

・・・・・・・・
2003年09月01日(月)
880, 敗戦の時 ー有事の時代に突入 -2

 彼が新宿のビルの上から東京を見ると、
 「大震災の後の無残な街の姿に見えてくる」という。
 このセミナーを聞いていて、その無残な国の真っ只中に置かれて、
 何も手をうってこなかった自分の鈍さに、背筋が凍る思いであった。
 99?の人や会社が手をうってないとしても、大震災から疎開する1%で
 なくてはならないのが経営であり、時代を生き抜くということだ。
 
 この内容を一ヶ月かけて熟慮して、手順に一つずつ落としていくつもりだ。
 去年からの対策を含めて戦略は進行中だが、装置産業はこの有事では大きいハンデになる。
 返済能力が10~15年以内なら「良い借金」の範疇というから、一応大丈夫だ。
 四棟のホテルのうち2棟が新潟駅再開発の道路拡張にかかる。
 ついているのだろうが、しかし有事である。
 ある日売り上げが半分ということもあり得る。
 今は返済能力が100年や500年はざらというが、
 その仲間内に入ってしまう可能性も無いとはいえない。
 逆に考えれば、大チャンスである。
  
 その為には、自宅などの全ての資産を売払い、その全てを
 金ーゴールドに換えておく位の覚悟がいる。
 頭の固まった私に果たして、それができるだろうか。
 できれば今の大震災を軽く乗り切ることができるはずである。
 どこまで決断できるかであろうが。
 全てを賭けたゲームとして割り切っていけば面白いだろう。
 
 このセミナを再度聴きに来ている人が数人いた。
 何かわかるような気がした。凄い時代なのに、普段の生活の中では実感がわかない。
 多くの資料を貰ってきて、何度も何度も読み返しているが、
 考えれば考えるほど 日本の惨状に驚きざるを得ない。『今は有事なのだ!!』
 「今頃わかったのか?」という声が聞こえてきそうだが、
 実をいうと実感として、正直そうである。 有事の意味の捉え方もあるが。
 
以前に書いた読書日記をコピーしておきます。
 ・・・・・・ 
「財産を無くす人、財産を残せる人 」
     ーデフレ経済下21世紀の日本型蓄財術-
ー読書日記ー 清水洋/著

ー私のマトメタ内容ですー
時代を見極めよ、そして早く決断を!

 その為に日本の現在をどういう時代かを整理してみると
・「デフレ基調」に変わった。
・官僚型社会主義システムの崩壊過程にある。
・市場原理が支配する自由競争になるー競争の激化。
・レース型競争社会からゲーム型競争社会になる。
・圧倒的な「勝ち組」とその他大勢の「負け組」と分けられる。
・これから5年間は「最悪期」に入る。
国債の暴落とハイパーインフレの可能性が大である。
その結果
 ・不動産価格は5分の~10分の1
 ・株式は5分の1から20分の1
 ・ゴルフ会員権は5分の1から1000分の1
 ・失業率は15~20?
 ・消費税は15~20? になる。
以上はITなどの情報化や、それに伴うグローバル化が起因としている。
更にこの動きは拍車がかかるだろう。

企業としては、この流れに対して
・総資産の圧縮と借入金の圧縮
・知的集約の企業形態に変身
・固定資産を手持ち流動資金への変換
 ー手元キャッシュフロー流動性を高める。
・不良部門を徹底的に切り捨て、優良部門に集中する
・公的部門の民営化時代に先手を打つ
等への変身への決断をしなくてはならない。

以上であるが、以前この人の経営セミナーのパンフレットをみて
さっそく取り寄せて読んだ本である。
これを元に会社を変身しないと遅かれ早かれ消滅してしまう運命にある。
以前書いた随想日記をコピーしておきます。

・・・・・・・・・
2003年01月17日(金)
649, 損切り

ある経営セミナーの案内のパンフレットが送ってきた。
題目が 「会社と個人の資産防衛策」
副題が ーいま「損切り」してこそ新しいチャンスがつかめるー
その内容がなかなか面白い。このパンフレットに殆ど90?が含まれている?

その概要を書くと以下のとおりである。
・大清算時代ー含み損を吐き出してしまえ!
・個人も会社も、いまは「損切り」をしないと生き残れない。
 いまは有事の時、平時の常識を捨てなさい。
 -不採算部門の切捨て
 -不良資産の切捨て
 -不良幹部ーヘドロの切捨て
 ー倒産を恐れるな
・不動産は「短期の流動資産」と考えよ、決め手は利回り
 -まだまだ不動産の大放出が続くと思え
 -より安全で、より高利回りのものに切り替えよ
・銀行取引の全面見直し
 社長は先手を打って資産を守るべし
 ー次は地銀・第二地銀信金・・・金融機関の大編成が始まる。
   -貸してくれない銀行には返さないこと。
   -手元流動性資金の確保が絶対に必要
   -絶対に応じるなー追加担保と追加保証人
   -担保に入っている社長個人の不動産を会社に売却
・5年先を読むと先手必勝である。
 -国債の暴落から始まる大マネー戦争になる。
 その結果金利上昇・円安そしてハイパーインフレ・・
 -不動産の金融商品化が本格的に始まる。
 -円資産だけでは危ない時代。
  ゴールド・円でドル建て預金
 -事業こそ最大の資産だ。
  その事業を良くしておく事
  それはデフレに勝ている事業だ。

ー以上がその内容であるー
「処分すべきは処分をして、徹底的にスリムな体質にすべきだ」という事だ。
去年から、個人の事業用資産を会社に譲渡して損だしのプロセスに入った。
次に、会社のデフレからきた損だしのプロセスに入るが?
ここで思い切ってやらねばならない時期が来たようだ。
体力あるうちに先手を打ってやるべしということだ。
先行きはもっと悪くなるのは自明のことだ。
こういう時代は知恵を絞って乗り切るしかない。
この数年は負け組みの最後の整理が控えている。

・・・・・・・・
2002年09月01日(日)
506, 孤独について

人間は独りで生まれ、独りで死んでいかなくてはならない。
本質は孤独である。
学生時代、名僧いや怪僧?の新井石龍禅師との問答で、
禅師は、[禅は一言でいうと何ですか?]の私の問いに
「字のとおり単を示すことだー宇宙に自分が独りということに
気づくこと」と答えられた。全くそのとおりである。

若い時に大都会に出る必要性は、
大都会の中で、凍りつくような孤独の経験をしておくことである。
圧縮された大都会の真ん中での孤独な生活である。

じっくりと孤独の厳しさを知ると
・仲間の大切さを知る事ができる、但し真っ当な人だが!
・本を通して数千年前、数百年前の人物と出会うことができる。
・独り遊びの大切さ知るー音楽会や映画に独りで行くとか。
・自分のアイデンテティーが見えてくるー自己の確立。
・孤独の賑やかを知る。
それを若い時にじっくり経験してないと、
「何処かの子狐?」のように中年期・壮年期を迎えたとき、
どのようにしてよいか解らないで、そのレベルでベタベタ群れるしかないのだ。
それか濡れ落ち葉になるしかない。 失敗の人生である。
地方にはこういう人が大部分だ。仕方ないことだが?

・・・・・・・・
2001年09月01日(土)
[128] 地獄の舗装

地獄の舗装の砂利は善意でできている。
日本の裁判の何割かは善意が発端だ。
あれやってやったのにー善意だったのにー本人の為と思ってやったのにー

請け判はその典型だ、連帯保証人という言葉に勘違いをして
一生を棒に振った人を何人も見てきた。
身近の親戚が、目の前で手形を出そうとしたこともあった。
私の目を見てヤバイと引っ込めた。

他の親戚までが「そんなに苦しいなら押してやりな」とかいう。
ーそういう奴ほど自分では絶対に押そうとはしないが
善意という名の悪行が、善意という甘さをねらって行われてきた。
正しく冒頭の「地獄の舗装の砂利は善意でできている」である。
これでいかに人が人を傷つけてきたことか。

現実に仕事をしていて、善意という相手の甘さを狙ってくる人間のいかに多いことか。
仕事をしているとこの絡みのくもの巣である。
しかしそれは現金をただ呉れてやると、全く同じことだ。
「何で貴方に現金をあげなくてはならないのか、現金にするとこの金額を呉れと
言っているのですよ!」というと、きょとんとする。
全く他意がなかったり、利害を抜くのが善意である。

対価を求めるのは打算でしかない。
結局べたべたした関係がその巣窟である。