つれづれに

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 今日のYoutube

今日は、長岡花火。 早朝の信濃川ポタリングでは、多くの
席取り客で、川西の長生橋の周辺では、数百人が屯をしていた。
 
写真はネットのものだが、こんな感じになるのだろう!

・・・・・・
1582, 変化について
2005年08月02日(火)

「変化、挑戦、戦い」が生物の成長のサイクルである。
環境の変化に対して、自らを変えることが成長ともいえる。
また自のサイクルに変化を見つけだすことも必要になってくる。
我われが直面している激変の現在、自分もその変化に合わせて変わっていかなければ、
変化そのものに自らが抹殺されてしまう。現代はインターネットなどの情報化の技術や、
グローバル化で変化のスピードが益々加速している。
ところが変化することは、非常に難しい。とにかく人間は変化を嫌う。
現状を根こそぎ否定しなくてはならないからだ。
それが出来なくなった時、脱皮できない蛇のように死ぬしかない。
自分の過去を振り返ってみると、その節々に大きな変化をしている。
その変化が止まった時に停滞が始まっていた。
起きた現象に対して、逃げずに直面して戦うことから
挑戦の第一歩が始まる。その中から変化が生じてくる。
特に激変の時代には、ただ変わればよいわけではない。
激変にあわせてより大きく変身しなくては何の意味も無い。
激変の時は、真似をしていては変化に追いつかない。
自らの脳で考えなくてはならない。
組織内では、とにかく配転しか能力をのばすことが出来ない。
出世コースは配転を繰り返し、キャリアを重ねさせる。
本人にとって重圧かもしれないが、行蔵として蓄積される。
変化は結果として竹の節のように自らを支える役割も果たす。
そのため、節は打たなくてはならない。世界が、日本が大きな節目にきている。
情報化が根こそぎ世界を変えようとしている。

・・・・・・・・
・・・・・・・・
2004年08月02日(月)
1217, 広松渉ー哲学について-25

広松渉の「新哲学入門」を読んで非常に難しいが、
今までの常識が、根底から崩されてしまった。
その後、「哲学入門一歩前」を取り寄せて読んだが、
むしろ「新哲学入門」のあとで読んでよかった。

広松渉は「もの」から「こと」の世界へのパラダイムチェンジを主張した。
「物的世界像」から「事的世界像」への転換である。

・旧来の世界像は
「世界、存在界をモノから成り立っているとみなす。
 まず独立に存在する実体があって、それら実体が諸々の性格持って
 お互いに関係する」
・これにたいして、「『事的世界像』は、関係規定態こそ第一次存在とみる。
 実体は、関係規定性の存在論的には独立自存体ではない。
 要するに関係があってこそ、存在がある」と考えた。

 広松は、日常意識で当たり前と思ってきたことを疑い、それは根底から違うという。
彼は近代哲学者が思索を重ねてきた疑い得ない「基盤」を、根底から崩そうとする。

「私たちが見ている現象が果たして真実なのだろうか。
 善悪の判断基準は何なのだろうか。
 美しいと思い込んでいるだけではないだろうか。
 等、今まで信じられてきた『真・善・美』とは、果たして何だ?」

今の時代は、幸福とか消費を基本的に、「もの」の充実とか消費だけでなく、
フィーリングとかサービスとかいう価値観でもとらえている。
別荘を持つことより、リゾートホテルの会員権を持つ時代である。
家を建てるより、旅行をしてまわるほうに価値をおく時代である。
そのサービスとかフィーリングに生活に必要なものと認知してしまっている。
この情報化の社会では、ますます広松哲学を知っておくべきである。

実際のところ、次代から次次代のTVは、実際の生の目でみた対象より
鮮明に映し出すという。カメラでは、その域に到達しているというが。

こういう時代には、近代哲学者がたてた哲学を根本から考え直さなくては
ならない時代になっている。
それが「事的世界像」への転換というのだ。
                       つづく
・・・・・・・・
・・・・・・・・

2003年08月02日(土)
850, ミッション・ステートメントー自分の憲法

ー原案ー

・死ぬ時に、「すべきことは大方してきた、見るべきものは見てきた、
 恵まれていたし、面白かったし、幸せな一生であった」と心から感謝できる
 人生を生きる。

・自分が自分の人生の創り手であることを認識し、自分だけの役割を果す。

・いついかなるときも、「積極的な姿勢とユーモアと誠実さ」を保つこと。

・私の隠された能力は人を癒すことだ、その能力をより磨きをかけることで 
 社会と周囲の人に貢献していく。

・何事にも囚われた生き方ではなく、自然の流れに沿って気楽に変化を
 受け止めていく人間になる。
 また何事も「一期一会」と真摯に向き合う。

・心の声に従って自分の価値観や信念によって行動する。
 それに対する批判・悪口は全く無視する。
 
・子供や孫たちから「これが私の父です。おじいちゃんです」と
 自信を持っていってもらえる人間になるー人生を送る。
 子供が「愛情と慰めと理解」を求めて、私のところにやって来てくれる
 ような人間になる。
 家内には私の伴侶として生きてきたことに満足をもてるように勤める。

・会社に対しては、常に長期的視点に立って改革改善に努め、利益体質を保つ
 ように努力をする。
 存続は社長としての第一の義務であり、その為には常に新しい知識を導入
 するよう努力をする。

・健康には十分気をつけて80歳を大きい目標にする。
   
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ー 具体的には

1、ホームページは、これからの時代の最低必要な発信基地であり、
 情報の蓄積倉庫でもある。その維持発展に努める。
 見ていて自他共に面白く魅力に満ちた内容にする。
 特に、随想日記は重要な発信媒体かつ蓄積倉庫としていく。

1、毎朝の散歩は一日のスケジュールで欠かせてはならない健康習慣
 として必ず実行する。1万4千~5千は維持する。

1、年2~3回の海外旅行は可能な限り続ける。
 60歳までに50回の目標はこだわらないが、近づけるよう最大限努力する。 
 70歳までに70回を次の目標とする。

1、事業は65歳を大きい目安とする。
 そのための後進の育成を考えていく。
 デフレの中、借入金の圧縮に勤める。

1、常に新しい変化に注意を向ける。
 デジタル機器なども可能な限り新しいものを身近に置く。

1.人間関係はこれから大事ネットとして、広く深く創ることにする。
 但し卑しい人間は絶対に近づけない。
 我が内なる卑しさを判断材料にする。これはもっとシビアに徹底する。

1、純粋に助けを求めてきた時は、自分の力の範囲で答えることにする。

1、教養娯楽面では、読書や映画をレンタルやBS・TVを通して可能な限り
 吸収する。

1,80歳の誕生日にケニヤの高級ホテルで二人の子供と孫たちとサファリをしている。
 陽の沈むサバンナでシャンペンを掲げて家内と二人幸せな絶頂にいる。
 丁度海外旅行も100回目で、行きたいところはすべて行った満足感で
 満ちている。
 その後日本に帰ってきて酒飲み友達と銀座のスナックで昔を懐かしみながら好きな歌を歌っている。

 ーーーーーーー
 以上であるが、やはり大きな手直しが必要に思われる。
 現在の延長線上でしかないからだ。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

2002年08月02日(金)
475, ある老女の遺書-1

この文は「心に残るとっておきの話」第五集
に乗っていた話で、そのまま写し書きしてみる。

ー老人ホームで孤独に死んでいったある老女のロッカーの中から
見つかった詩、書き置きです。

「何がわかっているのです!看護婦さん、あなたは何わかっているの?
さほど賢くもない年老いた気難しい女、ぼんやりとした目付きをして
行動力も緩慢で、食ものをボロボロこぼしても返事をしない。
(努力して、やってみて欲しいの!}とあなたが大声でいっても、
そんな事少しも気にかけない様子で、靴下や靴はいつもなくしたまま、
何も逆らわず、何をしようというわけでなく、長い一日を入浴と食事で
埋めている。そんなふうにあなたには思え、そんなふうにあなたは
私のことを考えているの?

もしそうなら、看護婦さん、目を開いて、私を見つめてごらん。
あなたのいうままに、あなたにしたがって食事をし、私がじっと
静かにここに座っている間に、私のことを話しましょう。
私が十歳の子供の時、父と母が一緒に暮らし、兄弟姉妹は互いに愛し合い、
十六の若い少女のときはウキウキして、もうすぐ愛する人に巡り会えることを
夢み、やがて二十歳になろうとする時、花嫁になり心は踊り、
永遠に守ると約束した誓いの言葉。
                 ー続く
・・・・・・・・
・・・・・・・・

2001年08月02日(木)
[96] 旅行で出会ったー普段会えない人ー

・大手情報機器メーカーをリストラされ傷心の60前後の人

・三條の67歳位の夫婦ー自在で何もおくさない人ーそのまんま!-
 イグアスの滝でゴミ袋の底に穴をあけ首を通して雨具にしていた。

・一度も結婚したことがないという70歳半ばの品の良いおばあさん

・ヌー河渡りを見たいばっかりに日本興業銀行を辞め、
 外資の銀行に勤め始めたのをまた辞めてきた30代半ばの女性

・30数年前、ある当時?の代議士の娘、自由時間にパリ野郎に誘惑され朝帰り。
 青い顔をして皆が心配しているのをしり目に、ピンク色の頬、うつろな目