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* 昨日は、シネマの日。 『オール・ユー・ニード・イズ・キル』を見てきた。 評価は90点。
  日本の漫画本のハリウッド映画版 というところ。同じ場面が何度も出てきて死ぬたびに、
  スキルと情報を加えて強くなり。 そして・・最後は?になる。
       https://www.youtube.com/watch?v=zuYexT62V_M#t=57
       http://heartattackannex2013add.web.fc2.com/12/13121201/
 * 台風は、地元では何事もなく・・・ マスコミが、少し騒ぎすぎ? 
 

・・・・・・
1926, 教養について
2006年07月12日(水)
            おっ w(゚Д゚)w ハァョ~
先日のTV「田舎に泊まろう」という番組の中のできごと、
お笑い芸人の一人が、ある田舎の家に泊めてもらうことになった。
(この番組については、今度チャンスがあったら書いてみる。
たまたま泊まった家に14歳の少年がいた。
番組が進むうちに、その子が不登校ということが解った。
ところが、少年と打ち解けてくるうちに、
そのお笑い芸人(現役の広島大学生)が、その子に説教を始めた。

 その内容が良い。
表現は違うかも知れないが、趣旨はこうだ。
「学校は行かなくてはいけないよ。
学校に行かないと、それだけで自分の選択の余地を自分で小さくしていることになる。
さっき自分は何になりたいか希望がないといったね。これから自分で何かになりたいとか
思うようになるだろう。その時学校に行ってないと、何かになりたいという幅が小さくなる。
チャンと学校に行ってな、勉強をして幅はつくっておかなければ!」
その子は、何かハッとするところがあったようだ。両親は「何をいっても聞かない!」
と嘆いていたのが嘘のように素直に聞いていた。
人生を振り返ってみると、特に中学生時代に何をしていたかで、ほぼ決まってくる。!
大人になっても同じことがいえる。教養は一生ついてまわるだけでなく、子供にも
そのまま影響してくる。歳を重ねると、そのことが身に沁みて解ってくる。
 そこで教養について、考えてみる。こういう場合、インターネットはよい。
幾つかのHPを読むうちに教養の大枠が見えてくる。
・「教養」概念は、英語では「文化」を意味するculture、
  ドイツ語では「形成」を意味するBildungに対応している。
・ 豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験。
・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。
  古代ギリシア人にとって教育の目的とは、
  一人一人が教養を身につけることであった。
  それは専門知識の集積ではなく、
  市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。
・「世間」とは、建前の無教養に重なる。
  世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。
  しかし、概して知識のない人種のコントローラーとして
  機能している場合が多い。
  それを知るのが教養である。
 なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくのだろう。
何が大切で、何が大切でないかが、経験を通して見えてくるのだろう。
見えてない人が殆んどだから始末に悪い。それが世間とかいうヤツだが。
だから娑婆は面白いのだが・・・
 面白すぎる、人間というのは!
もっとも、一番おもろいのは自分だが!!  へ( ̄_ ̄へ)(ノ ̄_ ̄)ノ ♪
 私にとっての教養とは、「感動すること、感激すること、感謝すること、
その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を蓄積すること」
「知ること、愛すること、創造すること、そしてそれらを楽しむこと、
このために必要な知識・経験」である。
「お前を見ていると、どうしても教養があるように思えないが・・」
という声が、何処かから聞こえてきそうだが・・・まったく、もう。
  自分でも、そう思っているから間違いないことです。
            バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))(((((ノ ̄ー ̄)ノ
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2005年07月12日(火)
1561, わたしの酒中日記 -13
ー岐阜-1
1975年 9月末日

初めての仕入れで岐阜に来ている。高校の二年の時に父の仕入れの鞄持ちで
来たことがある。あのときの感覚を頼りに生まれての初めての仕入れである。
まずは、東京の現金問屋街で仕入れ、その後に名古屋廻りで岐阜に入った。
今回は婦人服である。生地の素材さえ知らない、まして流行など知る由もない。
しかし、全く経験のない「養老の滝」「ベーカリー」を立ち上げたことからみれば、
遊びでしかない。学生時代の合気道の経験が役に立つ。
ただ虚心に対象と立ち向かえば、プロより強いということを信じればよい。
とにかく情報を仕入れること、それしかないのだ。そのためには歩き回るしかない。
それと自分の人間性を前面に出せば相手も反応する。一回目にしては、上手くいったようだ。
そして父と昔、泊まった宿に入る。懐かしい、本当に懐かしい。
そこで夕飯を軽く食べた後に、街に出てみる。
知らない街で赤提灯を探すのは、何とも愉しいものだ。
しかし疲れのせいで、直ぐ近くの「なまずや」という鰻屋に入る。
鰻をここでは、むかしは「なまず」といったのが由来とか?
一人カウンターでまずは鰻を肴に酒を飲んでいると、小座敷で飲んでいた二人づれの一人が
話しかけてきた。今日、行ったメーカーの人だ。一緒に飲まないかということで、彼らの席にいく。
昔、父にお世話になったという。父のことを、一時間ほど彼らから聞かされる。
その後、彼らと柳ヶ瀬のスナックに行く。私の学生時代に大ヒットした「柳ヶ瀬ブルース」
発祥の地である。彼ら二人はかなりの遊び人のようだ。
とにかく疲れたので、早々帰ってきた。緊張した一日であった。
反面、面白いのだ。買う立場は売り手からみたらお客様なのだ。
何か仕入れとはこういうものかと、少しは解りかけてきた。
明日は大阪に行って、その日のうちに広島だ。
未知な世界は、全てが冒険である。我ながら、よくやるよ! 
                      ーつづく

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2004年07月12日(月)
1196, 口ぐせ

先日この随想日記で書いた「私は幸せ」ではないが、普段のつかっている言葉が
いかに大切かつくづく実感する。
中村天風も、繰り返し述べているが、
世の中マスコミなどでマイナス言葉を蓄積されていて、
その毒が我々に大きく影響を与えている。
従って意識的に除外し続けてないと、その毒に侵されることになる。
それが自分の運命に影響していることに自ら気がついてない。
ー私が気をつけていることを書いてみると
・何気なく飲み屋や普段話す内容に気をつけること
・普段の思考としての内語に気をつけて、マイナス用語を使わないこと
 とくに布団の中では、マイナス用語に注意している
・マイナスの人の近くには寄らないこと
 ーマイナスの人-常に他人のうわさ話をネタにして生きている人ー
・あまり過去の話はしないこと
 楽しいこと以外、考えないことにしている
・まず一番身近な家内とは、他人のうわさ話や悪口の話題をしない
・一年前に「幸せの宇宙構造」という本に出会ってから、
「ありがとう」という言葉を 繰り返すようになった。
 とくに散歩の時間は「ありがとう」を五百回はいうようにしている。
私の過去を振り返ると、実感として
・恵まれていた
・ついていた
・面白かった
 であるが、そういえば昔から繰り返し自分に言い聞かせていたところがあった。
経験から、噂や陰口の多い人の末路を見てきたこともあるが。
やはり中村天風の影響が大きかった。

私の口癖に
「おいしい!」というのがある。
実際美味しいのだから言うだけだが、口に出すと美味しさが倍増する。
少し不味くとも、美味しいと何回か言えば不思議と美味しく感じるのだ。
逆に、不味いと口に出すと数倍不味くなるから言葉は本当に不思議である。
最近意識して使っている言葉は
・うれし、たのし、しあわせ
・ありがとう、だいじょうぶ、ついている
・おいしい、よかった、すばらしい
・おもしろい、めぐまれている、悔いはない
すべて、心の底から思うようにしている。
しかし、知らないうちに、マイナスの言葉を多用している自分がいるが。
 
・・・・・・
2003年07月12日(土)
829,アラスカ旅行記ー4
ー26氷河クルーズ
アンカレッジからバスで一時間半のところにある港街ウィッティシア。
ここよりクルーズ船に乗り、プリンス・ウイリアム湾に流れ込む大小26もの氷河が
密集するフィヨルドを巡るクルーズがよかった。
氷河といえば昨年の12月にいったパタゴニアモレノ氷河などと比べたくなる。
この対比でアラスカ氷河をみると、この26氷河に限っていうと、
・一つ一つをとってみれば、氷河そのものはモレノ氷河の方が奇麗で大い。 
 また流氷の大きさや数、氷柱が倒れる迫力などもモレノ氷河の方が格段良かった。
モレノ氷河は氷河自らの水で湖をつくっている。
 その為、湖には冷たすぎるためか生物は一切いない。
 これに対し26氷河は直接海に氷河が流れ出ている。
 温度も海水と調和をして、多くの海の生物が棲息している。
・空と海を背景とした氷河の美しさがアラスカにはあった。
 それと5時間のクルーズの間、どこかしこに愛らしいラッコが海に浮いていた。
 またアザラシや鯨やオウムに似た鳥のパラフィンも見ることができた。
 アラスカ・クルーズは、地中海クルーズやカリブ海クルーズと並ぶ世界三大クルーズの一つ。
特にカナダのバンクーバーからのクルーズは有名だ。
丁度我々の目の前をその大きな客船が横切っていった。
客船サービスで、氷を引き上げてお客に配っていたが、さっそくウイスキーオンザロック
飲んでみたが、何ともいえない数億年の味がしたようだった。
当たり前のことだが、アラスカにはアラスカの氷河があり、パタゴニアには
パタゴニアの氷河がある。 対比するのはよいが、どちらが良いとはいえない。
 旅行をしているうちに、いつの間にか世界各地で多くの氷河を見ることができた。
スイス、パキスタンニュージーランドパタゴニア、そしてアラスカなどなどだ。
氷河だけ追いかけても、その自然の美しさと壮大な営みの一部を見ることができる。
氷壁が崩れ、数億年の旅を終える姿を目の当たりみると、人間の小ささを改めて思い知る。
 ホテルから港まで往復3時間、車の運転をしてくれた佐久間さんという人の話も
なかなか面白い。20年前サラリーマンが嫌になりアメリカ本土に渡り各地を転々、
その後ハワイに3年いて、2年前にアラスカに流れてきたという。
50歳ぐらいだが、なかなか話の内容が深く面白い。
そのままサラリーマンの一生も人生、自由気ままな生き方もまた人生である。
但し人生の真髄をどちらが深く考えているかというと前者であろう?!
アラスカの広大な自然の中で、いろいろ考えさせられる事が多かった。

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2002年07月12日
旅行中
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2001年07月12日
旅行中