つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=H0BdiiCP9FY

 台風、県内には、あまり影響はなかったようだ。
何時ものことだが、被害は、あったところ以外は、あくまで他人事になる。
  
 韓国の女大統領、明らかに人選ミス。 その最大の被害者は国民になる!
まあ、酷いもの。 能力の限界が、明け透けに見えてくるのが権力者の宿命。
これで、毎回、繰り返される韓国大統領の、末路が、既に見えてきた。


・・・・・・
2290, 「豊かさ」とは何か?、そして図れるのか
2007年07月11日(水)
        (。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
 豊かさとは、決して経済的な豊かさだけではないが、
しかし「経済的豊かさがあってこそ」というのも決して否定できない。
真の「豊かさ」とは何か?は、考えれば考えるほど難しい問題である。
 そこで「豊かさとは」と検索したところ、
去年の11月の「豊かさ指数」というネット新聞記事がでてきた。
 ーまずは、その記事のポイントを要約してみるとー
「豊かさ指数」というのがある。
この指数とは、国連開発計画(UNDP)が1990年より
世界177ヶ国・地域を対象に毎年発表している「人間開発指数」のことをいう。
「人間開発報告書」では国民の生活の豊かさは経済的な指数だけでは表せないとして、
健康、教育、所得(具体的には平均寿命、就学率、国内総生産など)などをもとに、
人間の豊かさを国別にランクしたもの。
ー2006年の報告では、
1位・・・・・ノルウェー(6年連続)
2位・・・・・アイスランド
3位・・・・・オーストラリア
4位・・・・・アイルランド
5位・・・・・スウェーデン
6位・・・・・カナダ
7位・・・・・日本
8位・・・・・アメリ
9位・・・・・スイス
10位・・・・オランダ
ーこのほかでは
韓国・26位、ロシア・ 65位、ブラジル・69位、
中国・81位、インド・126位、最下位ニジェール(前年同じ)
ー2006年11月ー
 国連開発計画(UNDP)は9日、06年版の「人間開発報告書」を発表。
経済力に教育や健康を総合して「人間の豊かさ」を示す人間開発指数で、
日本は177カ国・地域中7位だった。05年は11位で、初めて
ベスト10から転落したが、今年は景気の回復も反映して再浮上した。
 人間開発指数は、1人当たり国内総生産(GDP)のほか、
識字率や平均寿命などをもとに算出した。1位はノルウェーで01年から6年連続。
次いでアイスランド、オーストラリア、アイルランドスウェーデン、カナダの順。
日本が順位を上げたのは、大学院などの就学率や平均寿命、
1人当たりGDPがそれぞれ向上したためだ。
ちなみに日本は1990年,91年,93年ではなんと1位。
バブル崩壊でその後10位以下に。(1999年は4位)
2000年~4年間は9位
2005年11位
2006年日本経済の回復から7位になっています。
 ー以上であるが、
他のHPに 豊かな社会の構成要素を、次のようにあげていた。
1. 不幸がない社会
2. 自殺数
3. 最弱者の生活が保障される社会
4. 格差がない社会
5. セイフティネットがある社会
6. 選択肢の豊富さ
7. 時間的余裕
 これをみると、日本は到底豊かには思えないが、世界と比較すれば、
 まったくかけ離れて豊かということだろう。
-ーーーー
以上が検索から調べたことだが、
日本が1990年から3年間、世界で一位とは?
何を基準にしたのだろうか疑問が残るが!、といって現在世界で7番目というのも、
あながち外れているとは思えない? この上げられている殆どの国には行っているが、
順位は正しいようにも思える。(観光旅行でわかるのか?というが、観えている
部分の比較から垣間見ることはできる)デンマークが入ってないのが、少し不思議だが。
オランダとスイスは、なるほど豊かだが、イギリス、フランス、イタリア、ドイツは、
移民や南北地域の格差で民度が落ちている。
そこで「豊かさとは、どういうことか」と自問自答すれば、
まずは三つの側面から考える。
・空間的な豊かさ、
・時間的な豊かさ、
・金銭・物理的な豊かさ、
次は、
・人的側面、
・家庭的側面、
・教養的側面、
 をあげることができる。
時間的側面は、いかに自由な時間を持ちえるか。
空間的側面は、自分の置かれた空間がゆったりとしているか。
金銭・物理的側面は、自分の生活をエンジョイするに適当なストックとフローがあるか。
人的側面は、友人関係や職場で嫌な人より相性の合う人に恵まれているか。
家庭的側面では、両親や兄弟、連れ合いに恵まれていたか。
教養面では、自分の心を自由、かつ豊かに保つための知識を培ってあるか。
      またライフワークを培ってきたか。
ー以上を自分の心でよし!といえる人が豊かな人と定義する。
 これも、あくまで私の定義でしかないが・・・。
ところで私は豊かかな~? 豊かかどうかは捉えかた次第だが!
 まあ、豊かということにしておこう!
                       SeeYou**(○´ω`○)ノ
・・・・・・・・
2006年07月11日(火)
1925, シャイン
   \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
              -映画観想日記
 何げなくDVDレンタルショップで借りてきて観た『シャイン』という映画が素晴らしい。
今も活躍している天才ピアニスト、デビッド・ヘルフゴットの半生を描いた映画である。
そんなことも全く知らないで、観ているうちに『シャイン』の世界に引き込まれてしまった。
 この映画の成年期の主役の演技が素晴らしいと思ったら、何と彼は、この映画で
アカデミー主演男優賞をとっていたのだ。
 ジェフリー・ラッシュはこの映画の後、「レ・ミゼラブル
「恋に落ちたシェークスピア」「エリザベス」「テイラー・オブ・パナマ」などに出演していた。  
「それでも人生は続いていく」という主人公の最後のセリフが、耳の奥に残っている。
この映画の中で演奏された「ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番」が素晴らしい。
何度か聴いたことがあるが、これを演奏できるのは限られた天才のみ!である。
クラシックの良さが少しだが解るようになってきたのは、
一年以上の間、クラシックを寝る間際に一時間、聴き続けた結果だろうか。
映画の主人公の父親の、息子に対してスパルタ教育と異常な歪んだ愛。
そして二人の葛藤の何とも激しく、矛盾に満ちていた。
「愛情は自分のエゴでしかない」ことが自覚できない父親の愛が哀しい。
 多くの印象的なシーン
・小さなレストランでのピアノ演奏の場面
・ジャケットになっている、青空の下トランポリンで跳ねる場面
・冒頭の街の小さな教会でポロネーズを弾く場面、
・疲れきって噴水の前で寝ている場面 ・・・等々。
近くのレンタルDVDショップには、まだまだ気づかない名作が多くあるのだろう。
 それはどれか、見ない限り解らないから・・ 
 ーーー
「シャイン」の背景を、検索で調べたみたー
「シャイン」は、1996年のサンダンス映画祭で上映され、 もっとも注目された作品です。
「シャイン」は非常に大きな反響を呼び、一般公開前からすでに伝説の作品となりました。
すでにいくつかの国際映画祭で賞を受けたほか、主役のデヴィッド・ヘルフゴット扮する
ジェフリー・ラッシュが1997年のアカデミー賞で主演男優賞を受賞しました。
彼は、訓練を積んだ優秀なクラシック音楽のピアニストでした。
しかし、天賦の才能をもつそのピアニストが世界の舞台から姿を消します。
ストーリーは、それから10年後にパースのあるレストランで再び
ピアニストとして復活するまでの夢と苦悩の日々を描いています。
・・・・・・
2005年07月11日(月)
1560, トヨタ流 仕事の哲学
               ー読書日記
       若松 義人 (著)
著者は、この書で一番いいたかったことは
「当たり前のことをトヨタほど徹底的にやり続けるは、何と難しいか」である。
「日々改善、日々実践」を50年以上も積み重ねこそ現在のトヨタがあるという。
トヨタ流の基本は「人間はすごい」であり、「人間の智慧に限界はない」である。
トヨタの強さの源泉は、創業以来脈々と受け継がれてきた暗黙知にある。
この書はトヨタ式の物の見方、考え方、行動の仕方が解りやすく書いてある。。
トヨタといえば、「かんばん」や「ジャスト・イン・タイム」
など経営手法ばかりが注目されてきた。
この本はトヨタの精神性ー「哲学」が明らかにされていること。
換言すれば、「トヨタそのもの」がテーマになっている。
外から見ている限り、トヨタの哲学は見えてこない。
この書はトヨタのブラック・ボックスの部分を、
トヨタ生産方式の生みの親である大野耐一氏の直弟子で、
トヨタ式の伝道師」とも言える著者が、自らのノートを紐解きながら語っている。
本書を読むことで、トヨタの強さの源泉が、その「行動規範」「価値観」「組織文化
」にあることを知り、また読者はそれを自らのものとして吸収できるだろう。
この本の中には、たんなる一企業の理念を超えて、多くの企業、
そしてビジネスマンにとって有効な「普遍性」を有しているからだ。
以下、それぞれの章ごとに印象に残った部分をメモ代わりに抜粋してみた。
●1章 トヨタ流 改善哲学
  ー成功地図を明快に描こう 
・変化は「現状」を敗者にする
・大切なことは「一気にやること」より「一番にやること」
・負けたということは伸びる余地があるということ
・「変えないために変える」哲学
 日々改善することこそが強さを維持する秘訣だ。
●2章 トヨタ流 問題解決の哲学
  ―「システム」が能力を引き出す 
・「わかっている」をまず疑おう
・精神論は問題を見えにくくする
 五木寛之
「簡単な答えに真実はない。一言で断言できるような現実など、あるわけがない。」
 と言っていたが、その簡単な答えの奥にこそ本当の真実がある。
・自分の60点は他人の100点に勝る。
●3章 トヨタ流 行動哲学
  ―「今までは」に軸足を置くな 
・不可能はあきらめの別称である 
・敗者のように発想せよ
  最善の行動は最悪に備えること
トヨタの生産方式の基本は「限量経営」にある。
売れるものだけをつくって、売れないものはつくらない。
限られて量を、良くて、早くて、安くつくる方法を徹底的に
追求した。
●4章 トヨタ流 失敗の哲学
   以下4~6章までは字数の関係でカットしました。
ーー
以上であるが、システム的なものは前書きにあったように、ほぼ書いてなかった。
何度も何度読む必要性のある本である。

・・・・・・・・・・
2004年07月11日(日)
1195, 授かった不思議な力

ー鈴木秀子の本を何冊か読んだことがある。
先日図書館で借りてきた対談集を読んで、その中の臨死体験の話に興味を引かれた。
何かこの世には私の窺い知れない何かがあるような気がする。
何回か書いたことがあるが、私の場合何回か幽体離脱?の経験がある。
歳を重ねれば重ねるほど「不思議」という言葉の奥行きの深さを感じるようになってきている。

私自身「自分の接した人の運勢が良くなる」話しは、かって聞いたことがない。
神憑りである、いや今風にいうと「上げまん」だろうが、これは結婚した場合である。
有能な右上がりの人は、周囲に似た現象が生じるだろうが、全ての人の運勢を
良くはしない。やはり、何かの特殊能力が臨死体験以降身についたのだ。
人間には、本来持っているが退化して隠れてしまった能力が多くなるような気がして
ならない。あるキッカケでそれが飛び出してくるのだ。
以下は、ある対談集を書き写しました。 まずは、ごらんあれ!
ーー
臨死体験後、不思議なことがありました。
結婚式に招かれて待機をしていたら、背広を着た人が男性がいらして、
「あなたのような人にようやくお会いできました」っておっしゃるんです。
自分は高野山の系統の住職で、生まれたときからひとを見ぬく特別の能力がある。
そして、あなたの授かったような能力を自分も欲しかったけれどもらえなかった。
どういう能力ですかと聞くと、大きな大宇宙の力が私を通って出会う人に伝わって、
どんどんその人の運勢が良くなる能力だというんです。
私も最初はその能力をまじめには信じませんでしたが、それだけ色いろなことが
重なると信じざるを得なくなりました。今では人に会うのが楽しみになりました。
そのたびに、その方の運勢がこれから良くなると思うと、人に会うのがうれしい。
だから生きていくことが、とても楽しくなったのです。ー
ー人間は地球上にみんなバラバラに住んでいるような気でいて、実は根っこでは
繋がっているということです。自分の手にたとえると良くわかりますが、
人は指の部分、見える部分だけを見てこの人の学歴がいい、お金があるって
お互い比較するんです。でも手のひらの部分、根っこの見えない部分では
平等で,全部繋がっているんです。
何が平等かというと,命をもらって生かされている存在であるということ。
誰もいつか死ぬということ。大宇宙の大きな慈しみに満たされて生かされている
大切な存在という三つにおいて平等だと思うんです。だから臨死体験をしてつくづく、
あの至福の世界が本物で、この世は経ていく世界だっていう感覚があるんです。
やはり人間の本分、ビーイングと、現実社会での自分の役割、ドゥーイングの
つながりに意識を向けていかないと虚しくなっていくのではないかと。
人生のテーマを考える時、ビーイングの世界にまなざしを据えてこそ、
充実したものになるのではないでしょうか。
  ーその臨死体験の講演をまとめてみるー
奈良での学会に出席するため、友人のいる修道院に泊めてもらっていた。
その修道院は、宮家の立派な屋敷を改造した建物で、二階の客間から下に降りる
階段は高く急であった。その夜、寝つかれなかった彼女は、何となく夜中に起き出し、
暗がりの廊下を壁づたいにそっと歩いた。曲がり角らしきところで一歩足を踏み出したが、
実はそこは廊下ではなく、その急な階段だったのである。
 踏み出した瞬間、足は空をつかみ、体はバランスを失った。恐怖を感じる暇もなく、
一気に下まで落ち、床に叩きつけられて、そのまま気を失ってしまう。 ふと気づくと、
私のからだは宙に浮かんでいます。そして、空中にまっすぐ浮いている私を、
高いところから、もう一人の私が見つめているのです。
空中に浮かんだ私 の足の周りを、なぜかたくさんの筍の皮のようなものが
覆っていました。 それが蓮の花びらだとわかったのは、ずっとあとのことです。
台湾のさる有名なお寺を訪れたとき、仏像の足の周りを筍の皮のようなものが
包んでいるのを見て、あ、これだったんだと思いました。
それは蓮の花びらでできた台座でした。
その筍の皮のような花びらが足もとから一枚一枚散っていくのです。
高いところからそれを見ているもう一人の私は、花びらが散るごとに、自分が
一つひとつの苦しみから解放されて、自由になっていくのがわかりました。
一枚落ちると「ああ、これでもう人の言うことに煩わされなくてすむ、私は自由になった」  
 と思い、さらにもう一枚落ちると、「もう人に気を遣い、不安に脅かされなくてもすむ、
私は自由になった」とつぶやいているのです。限りない解放感と喜びが胸に溢れてきました。  
花びらが最後の一枚になり、これが落ちたら完全な自由になれると思ったとき、
最 後の一枚の花びらは落ちることなく、からだがすっと飛翔しました。
そのとき、見ている自分と見られている自分が一つになりました。   
一瞬のうちに高さの極みに飛翔し、私は今まで見たことのないような美しい光に
包み込まれました。白っぽい金色の輝きに満ちた、いちめん光の世界にいたのです。
まばゆい輝きでしたが、まぶしすぎるとは感じませんでした。  
それは人格を持つ命そのものの光であり、深い部分で、自分とつながり、
交流している生きた光なのでした。
これが至福なのだ、完全に自由なのだ、と私は感じていました。
不思議なくらい、五感も思考もすべてが生き生きと冴えわたっています。
オリンピック選手がベストコンディションで世界記録を破る瞬間とは、
こんな状態のときなのでしようか。
からだの全機能が最高の状態に保たれ、調和し、研ぎ澄まされているのです。
その冴えわたった意識の中で、私ははっきりと理解したのでした。
 「この命そのものの光の主に、私はすべてを知りつくされ、理解され、
受けいれられ、許され、完全に愛しぬかれている」 これが愛の極致なのだと。
もし愛の究極の状態というものがあるのなら、こういう感情に貫かれることでは
ないかしらとも思いました。真に満たされた状態とは、こういうことを言うのでしよう。 
しかもその満たされた光の世界には、時がないのです。
あっ、これが永遠なんだと私 は思いました。
心は愛に満たされ、知性は冴え、能力のすべてが最高の状態で調和しています。
 そんな至福感に包まれていたとき、どこからか声が聞こえてきました。
「癒してください、癒してください」  
 その声には、少しつたない感じの独特のアクセントがありました。  
その声が聞こえてきたとき、光であり命そのものの主が「現世に帰りなさい」と言いました。
それは言葉ではなかったのですが、そう伝えられたのがわかりました。そしてさらに、
「現世に戻ったとき、いちばん大切なのは、知ることと愛すること、その二つだけが大切なのだ」
というメッセージを私は受け取ったのです。  

・・・・・・・・・
2003年07月11日(金)
828, アラスカ旅行記-3
デナリ国立公園ーb
 ーマッキンリー遊覧飛行ー
一度ホテルに帰ってきて、3時間ほど休んだ後にオプションのマッキンリーへの
遊覧飛行に参加をしてきた。230?と少し高いオプションで他のメンバーは誰も行かないが、
ここまできて行かないてはない。「食事抜きのコース」を選択、朝夕食は部屋で近くの
スーパーで買ってきた果物や持っていった食料で食いつなぎ昼はスナックで済ました為に、
その分の振り替えと思い、迷わずに参加した。そして大正解であった。
 ホテルまで迎えに来た車で小さな飛行場まで行って、他の白人3人と供にオモチャ
のようなセスナに乗った。20分ほどマッキンリー山脈の峰の間をフライトして
マッキンリー山まで行き、北米大陸最高峰の6194?ある山頂を、下から螺旋状に
30分もかけ5~6回も旋回をしたのだ。その雄姿だけでなく、山頂付近の広大な氷河の世界や、
どこまでも広がるアラスカの大地が,この世のものとは思えない景観で、今回の旅行のハイライト。
植村直己もこの風景を見た後亡くなったのだ!」という思いがフト頭をよぎった。
ギアナ高地テーブルマウンテンの遊覧飛行に匹敵する感動感動の連続。
マッキンリーの山頂に200??近くまで接近をして、数十の山々を従えて神々しく
聳え立つ姿を至近でみている時間は「至福の時間」であった。
思わず『ありがとう』という言葉を口ずさんでいた。
この遊覧で、この旅行の価値が数倍になったといっても過言ではない。
いつも旅行で経験するのが「あと一歩を踏み出すかどうか」である。本当に人生と同じである。
ヨルダンのぺトラに行った時のこと、翌朝疲れきっている中、更にぺトラの奥にある遺跡まで
行ってきた。家内はダウン、早朝に同じグループの元気の良いオバサンと二人、3時間かけて
エド・ディル(修道院)まで行ってきたが、その遺跡とそこからみた景観がまた素晴らしいのだ。
またぺトラの朝日に染まった朱色の輝きが言語に絶するものであった。
あと一歩踏み出したお陰であった。
 何事も経験、帰ってきて同じ星野道夫の写真集を見ても、全く違って見えてくる、
もちろん文章もである。特にガイドの伊藤さんが星野道夫の親しい友人で、多くの逸話を
多く話してくれたこととアラスカの大地のこの目で見た為だ。
 また行蔵のお宝が一つ増えた!ような気分である。

・・・・・・・・・・
2002年07月11日
スイス旅行中
・・・・・・
2001年07月11日
北欧旅行中