つれづれに

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 先日の、ブラジル対チリ戦に続いて。今朝のコスタリカギリシャ戦も、
最後はPK戦になって、コスタリカが勝利。負けと方にとって残酷だが、
見る方は、この上なく面白い。


・・・・・
1914, スペイン画家・堀越千秋-5
2006年06月30日(金)
              おっ w(゚Д゚)w ハァョ~
 この本を読んでいると、ところどころで日本の文化との違いに「そうか~!」と唸ってしまう。
アンダルシアに行ったとき、日本人女性の名前の墓を見たことがある。百年以上前のものだった。
「何の因縁でそこまで行ったのだろうか?」 人の世の深遠を見たような、感動があった。
その女性の寂しさが直に伝わってくるようだった。南アフリカでも、古い女性の墓を見たことがある。
またケープタウンの日本人女性の現地ガイドの話が生々しく印象的だ。「東京のイギリスの商社に
勤めているとき知り合った英国男性と結婚。イギリスに行った後、南アフリカケープタウンに来た。
若い時は外国暮らしは良いが、歳をとってくると厳しい。もし旦那が死んで、子供が独立をしたら
天涯孤独になってしまう。わたしの生きた証を子供の名前につけようとするが、
旦那も同じように考えていて、子供の名前を日本的な名前にするかどうかで揉めた。
出来ることなら日本に住んでいたかった」と。著者の堀越は、この本で国際人の特徴を
あげている。その中で哀感が迫ってくる言葉がよい。「国際人とは、長年の孤独になれたものである。
 スペインの墓地のことが書いてあった。何ともスペインらしい!
ーー
スペインの墓地というものは、横浜の外人墓地のようにロマンチックでない。
あたかも一戸建ての邸宅にたとえられる横浜のそれに比べ、こなたは丁度団地である。
7Fの、頭をこちらにむけた棺の入る室がずらり、ロッカーのように並んでいる。
 死人たちは焼かれもせず、棺おけごと生のままロッカーに収められ、ドアのかわりに
しっくいとレンガで固められてしまう。その表面の大理石の墓碑版を張りつけるという次第。
しかし死人も永眠というわけにいかず、7年経ってその先墓場代を払い続ける。
遺族がいなくなると、入り口をこわして中を暴き、永眠のつもりで寝ているものを棒で
かき出して、つまり棺おけの残骸だの白骨だの衣服だのの一切を、墓の隅に掘られている
大きな穴に捨ててしまう。
ロッカーの方は当然新しい死人が入居する。穴の方は惨憺たる墓穴である。
何しろ掻き出したままを、そのままゴミのように放り出したぐらいの状態にしておくのだから。
スペインのお墓には行かないほうがよい。  南無三宝
ーー
 まあ、以上だが、辛口のスペイン文化の紹介が、何ともユニークである。
これでもスペインに移住したと思う人がいたら・・・それはそれで、良いと思うが!        

・・・・・・・
2005年06月30日(木)
1549, 宇野千代


宇野千代が代表作「おはん」を書き終えた後に、一行も書けなくなってしまった。
そこへ中村天風
「今度ね、自分の頭の中に舞台をこしらえて、その中でいろいろ、あの女と
この男とひっつけよう、この男とこの男とこうしようというふうに躍らせながら
そいつを書いていったらいいだろう」「出来ないと思うものはできない。
出来ると信念することは、どんなことでも出来る」と言った。「いい事聞いた!」
宇野千代は、それいらいスランプを脱し、書く文章も変ったという逸話がある。
この天風の言葉を、スットンと脳に入れてしまう彼女が凄い。
彼女は中村天風の弟子であり、その教えの実践者である。
天風の言葉が、彼女の中で血肉になって明るく具体的に噛み砕いているところがよい。
ー「私は不幸に対してはなかなか凹まない自信がある。どんなところからでも、
私流に幸福を見つける自信がある。私は、勿論不幸は好きではない。
…自分を不幸だと思うことの方が、もっと好きではない。…」
ー「何事をするにも、それをするのが好き、という振りをすることである。
それは、単なるまねでよい。すると、この世の中も、嫌いな人がいなくなる。
このことは決して偽善ではない。自分自身を救う最上の方法である。」
ー「私たち人間は、何時でも、ものの考え方の方向を、絶対に明るい方に
もっていきたいものです。明るいところには元気が、暗いところには
病気が必ず宿っているのです。」など、
まさに、天風の言葉が彼女の体験を通して具体的に諭しているようだ。
また、彼女の「私、なんだか死なないような気がするんですよ。」という言葉もよい。
90歳半ば頃に発した言葉である。本心から出ているからよいのだ。「人生はいつだって、
今が最高の時なのです。」と語っている彼女の顔が目の前に浮かぶようだ。
人生を最大限に生きた人は、サッパリとして清清しい。   ーつづく

・・・・・・・
2004年06月30日(水)
1184, ‘私は幸せ’
 あるホームページをみていたら、福田純子さんの講演が載っていた。
この人の本を読んだこともあって、さっそく読んだが、奥の深い内容であった。
そういえば母の口癖に、「わたしの幼児期に亡くなった父が、自分の守護霊で、いつも
私を見守っていてくれていて、時に助けてくれている。だから何があっても大丈夫なの」
があった。そう信じていれば、潜在意識の中で父親が自分をコントロールしてくれるのだろう。
  まあコピーしておきます、ご覧あれ!
ーーー
始めての方に“私は幸せ”って話を一つだけさせて下さい。
よろしいですか、10分だけ 山岸さんの時間を頂きます。
名古屋から博多に帰る時です。新幹線で指定席を探して歩いていると
向こうからキラっと光る奥様がいてとても気になったんです。
“オー素敵”気になった奥様の隣りの席が私の席だったんです。
会釈をして座りました。20分ほど無言状態です。
正式には私がお弁当を食べつづけていた時間ですけどね。(笑い)
食後にコーヒーが欲しくてすみません、コーヒー下さい。
すると横の感じの良かった奥様が口火を切られました恐れ入りますが、
私もコーヒーを頂けますか。オー、ゾクッとしましたね。
第1印象が良かった上に、又、声が良い。根がインタビュアーですから昔から、
気が付いた時には、又、インタビューに入っていました。
奥様どちらからお越しになったんですか
はい、私は千葉に住んでおります。主人が広島の支店長として単身赴任して
おりますため、10日間ほど主人の世話に参ります
というAさんと言う方でした。色んな会話を交わす内、奥様の余りの
笑顔の美しさにインタビューらしからぬインタビューをしたのです。
奥様ーどうしてそんなに笑顔が素敵なんですかー
とても答えにくいインタビューです。ところが奥様は見事に答えてくれました。
奥様ーどうしてそんなに笑顔が素敵なんですかー
まあーありがとうございます
まず感謝、
とっても嬉しいです
自己表現、しかも次
あなた様がそのように言って下さるのであるならば、私の母の生き方が偉大でした
とおっしゃいました。
お母様ってどんな生き方をなさったんですか
はい、私の母は一生涯を通じたった二つの事だけをやり抜いて大往生した
二つの事ってなんですか
・一つは朝起きて、一番に鏡に自分の姿を映し出してこう言うそうです。
 今日もこの笑顔で頑張りましょう、私さんって約束する事が一つ。
・もう一つは一日何十回となく、口癖をお持ちだったそうです。
 その口癖は「私は幸せ」。
娘も息子もケンカが無く育ち、理想的な結婚をし、立派なお子さんお孫さんが
全員に誕生。一人の女性の生き様としてこんな理想的な生き方はないと思う。
それもそのはず私は幸せとお念仏のように唱えたお陰なんですよね。
おばあちゃんになると大体、ご長男のお家に行く事が多いですよね。
その方そんな事関係なく長男長女と転々と巡るのが老後の暮らし振りだった
そうです。邪魔になるはず有りません。ご長女さんの家にはお舅さん、お姑さん、
ご主人以外のお父さんお母さんがいらっしゃるにもかかわらず
待っていたんですよー、おばあちゃん、お羊羹買って待っていたんですよー
って向かえいれられる、喜ばれる、しかも何時もニコニコニコニコ、
お孫さんの帽子なんか作ってあげながら、誰言うと無く う~ん私は幸せ
転々と作り物が残っていたそうです。自分から失礼しますと言うことはないそうで。
ちゃんと兄弟から電話があってもしもしおばあちゃんずいぶん長くそちらにいらっしゃる
そうですけど、そろそろこちらにも回って頂けないでしょうかねとお呼び出しが
かかるとハイハイと転々と娘と息子の家を巡るのが老後の暮らし振りだったそうです。
80歳おめでとう誕生日を迎えたそのすぐ後、初めてと言って良い入院でした。
えーおばあちゃん入院だって親戚一同連絡を取り合い、何と2日目にはベットの
回り中親戚だらけで、全国から駆けつけたそうです。
おばあちゃんはとても嬉しそうでした。 よー来たなー、よー来たなー、あー私は幸せー
スーとこの言葉を最後に天上に召されたんだそうです。
最後の“言葉が私は幸せって涙が止まらなかった、感動した。
でも奇跡はその後又、起きたんですって。息を引取ったおばあちゃんの顔が
どんどんピンクになり、若くなり観音様そっくりになった時、みんな手を合わせて
あーあんなおばあちゃんのような顔で死にたい、だから、おばあちゃんの
ような生き方をするのだ私たち親戚一同の願いなのですよー。
そう聞いた時、私はもう涙を止める事が出来ませんでした。
色んな所でこの話をしていまして、新潟で清水先生って町作りの先生がいらして、
その話をするととっても感動してくれて 純子さん良かったよ、感動したよー
男の方も感じられましたか
いやー、良い話だね、僕も小さい時おやじと風呂に入っている時の事を
思い出したんだ それがどうしたんですか あんまりお風呂が気持ちよくて、
おやじの言う言葉が小さい時はいやでね なんておっしゃってたんですか
湯に浸かりながら良く言っていたな。あーナンマンダブ、ナンマンダブ(笑い)
おやじって抹香臭くっていやだ。
でもね、その僕が40を過ぎておやじがナンマンダブってお風呂に入る意味が」
分かる様な気がしたんだ。分かる様な年になったんだよ。
だけどね今ナンマイダブと言えばナンミョウホーレンゲキョウも有るじゃないか。
宗教がある人も無い人も誰でも使える現代の念仏はもしかしたら“私は幸せ”
かもしれないよって言われたんですね。
この言葉を全世界に広げようと思って、私は幸せ、ありがたい事です。
これは素晴らしい、良い事をしてくれました、よかったよかった、
五つの合い言葉を作りまして、それを作詞し作曲をし振り付けをしてCDを出しました。
“笑顔で幸せ、3曲詰め合わせ、行きはよいよい私が恐い”という(笑い)
あとで踊ります。皆で踊り出してビデオ発売までしている変な集団なんですけど。
なんかねあなた変わっていますねと言われたら言って下さいね
あなたまだ変わっていらっしゃらないんですねって。
変わっている事が恥ずかしい事でも何でもなくて、本当にありがとうございます
とか、幸せとか、嬉しいとか、楽しいとかニコニコしながら言える私がもしいたら、
それは私を超えた神様の世界で遊ばせて頂いているとおもってます。

http://www.egao-kyowakoku.co.jp/
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2003年06月30日(月)
817、「神話の力 」 -2
ー私の感想
この本は、私にとって過去に読んだ本の中でベスト5に入る本である。
随想日記でも何回か取り上げてきた。自分とは何かを考える時、神話に大きい
ヒントが隠されている。日本のような島国の神話は「中空」思想が物語の中に隠されている。
左右に相対立するものを配置して中央に中抜きの存在を置いて、ガス抜きの役割をさせている。
今も天皇制が中空としての役割として存在しているのが面白い。
西部劇もそうだ。ある町にふらりと現れた主人公が、そこの悪役と対決して苦難の上に、
倒して英雄になり、何処かに帰っていく。これが神話のストーリーと同じである。
男は無意識のうちに英雄願望を持っており、女は誰もがシンデレラ姫コンプレックスを
持っているという。結婚して10年も経った姉が「今でもシンデレラコンプレックスある。
白馬に乗った王子様が何時か迎えに来てほしいという」と私にうちあけたことがあった。
人間なんてのはそんなものだろうが、これも無意識の中の刻印があるためだろう。
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ーレビュー
神話はわれわれに何を語ろうとしているのか。
神話が人間の精神に及ぼす見えない影響を明らかにし、
全米に神話学ブームを巻き起こしたベストセラー。

目次
第1章 神話と現代の世界
第2章 内面への旅
第3章 最初のストーリーテラーたち
第4章 犠牲と至福
第5章 英雄の冒険
第6章 女神からの贈り物
第7章 愛と結婚の物語
第8章 永遠性の仮面
・・・・・・・・・
<いま生きているという経験>
  神話は人間生活の精神的な可能性を探る鍵である。
「人々はよく生きることの意味を探していると言いますが、
人間が本当に探求しているのは<いま生きているという経験>です。」
この本は、神話学の世界的な権威であるジョーゼフ・キャンベルが、
世界各地の詩人や賢者の言葉を使い、私たちに「人生は素晴らしいことだ!」
ということを伝えてくれる。
古代の神話が失われつつある現代において、今求められている神話がどういうものか、
そしてその中で生きる私たちはどのように生きるべきかを導いてくれる本である。
宗教学や神話学に興味のない人であっても、
必ず彼の言葉には自分と共通する物語が探せるはずである。
・・・・・・・・・
アメリカ東部で生まれたキャンベルは幼少時代に訪れた、
ニューヨークのスミソニアン博物館でエジプトやインド等の古代の様々な展示物に強く感銘し、
天命とでもいうべき神話の探求という彼独自の道を踏み出した。
カトリックの厳格な家庭に生まれ育った彼であったが、その枠に留まることなく、
ネイティブ・アメリカン(インディアン)の歴史、伝統と儀式に多大な興味を持ち、
研究を重ねた。そして、双方の宗教の中に、そして他の宗教にも現れる、共通の概念、
例えば処女降誕や、聖杯伝説というものを発見し、その意味を読み解いた。
アメリカの名門、コロンビア大学で学び、ヨーロッパへも留学した彼は、
神話をただ単に昔話の絵空事と考える人々の概念を大きく覆し、神話を読み解く事を通して、
神話が、現在生きている我々に生きる道しるべを提供してくれていることを証明してくれた。
彼の神話の探求は、ほぼ全世界の神話の研究に広がり、ただ机上での研究だけではなく、
現地に赴き、体験し、遠く離れた地域での神話の共通点を発見し、
神話比較学とでもいうべき新しい分野を開拓した。
また、キャンベルは、心理学者のユングとの交流により、
時代を超えた人間の普遍的な心理の探求にも、彼の仕事の領域を広げた。
そして驚くべきことに、20世紀の偉大な画家、ピカソやクレー、また、
トーマス・マンやジェームス・ジョイスという小説家、
ドイツの哲学者ショーペンハウワーというような人々の作品にまでも彼の領域を広げている事は、
前代見聞の偉業とも言える。映画“スターウォーズ”を製作した、ジョージルーカスは
キャンベルの英雄伝説の解釈を参考にしたとも言われている。
この本は彼が他界する少しまえの彼の仕事の集大成とも言われるもので、アメリカで
有名なインタビュアーであるビル・モイヤースとの対話をテレビ放映されたものの翻訳版である。
最後にキャンベルは神話は時とともに、人々とともに変わり、作られていくもので、
現在の我々の次の神話の概念は、「国境線がない宇宙からみた地球に想いを馳せ、COMPASSION
(思いやり、慈悲の心を表現する」ものであるというメッセージを残してくれている。

・・・・・・
2002年06月30日(日)
453,世界で一番に貴方の味方

「大都会の超高級クラブの裏側」というドキュメントがあった。
-お水の青春ー女心の裏表ーが副題であった。
印象順に順不同で書いてみると
・大都会のクラブの「ママとナンバーワンホステスとタイとフィリピンの
 混血のホステスの3人」の内側レポート。
・会員制でお客の情報がパソコンで完璧に把握されている。
 その相手のホステスも決まっており、 気配りを徹底的にしてある。
・指名ナンバーワンーベストスリーを発表、お互い競わせる。
・ナンバー1の女性が店が終わった後、必ずその夜のうちにその日のことを
 ノートにきめ細かく書き込むー書く事でいろいろな気づきとか、
 話題を記憶にとどめる。
 その人の話題書き留めるーそのうち重要な事を情報はパソコンに打ち込む。
 ポイントはその日のうちにやることだという。
・メールと電話をする。
 食事に誘う。事前の準備をきめ細かくしておく。
・銀座などの高級クラブのシステムは世界で日本しかないシステムである。
・男は夜の世界でー嘘と誠の世界を楽しむ
 ホステスは自分総てをかけて男女の際どいゲームを楽しむ
ホステス教育で其処のママが言っていた、
「自分のお客に、世界で一番に貴方の味方と自分を認識して下さい」
「一番大事なことは人格であるーそれを磨く事」
なるほどと思った、そういう店が有ったら行ってみたいものと思った。
一晩10万以上も払ってけして高いと思わせない何かがあるから行くのだろう。
その一片を見たようだった。
以前にも書いたが、銀座ホステスの対談を読んで驚いたことがあった、
15年ほど前か。要旨はー店に出る前に準備を完璧にまで終えている。
孫子の兵法そのものを実行しているだけだ。あと男は威張りたい動物だそうだ。

・・・・・・
2001年06月30日(土)
[69] 夢について-1
 夢分析も非常に奥行きの深いテーマだ。年に一~二回熊に追われている夢を見る。
熊に追われて二階‐三階の部屋に逃げるが、どこまでも追いかけてくる。
そこで目がさめるという内容である。
熊は現実の問題の変形、逃げているのは恐怖心・不安である。誰もが経験ある夢である。
一度凄い夢を見た。10年以上前に社内報に書いた文章をコピーしてみる。
霊的体験‐                      
        平成4年 7月
二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。
死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。
自身実感できたのだと思う。父が‘なんだ自分はこうして生きているではないか’
という内的実感。夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。
恐らく経験した人間ではないとわからない。また死後二~三日後の夢も強烈な夢であった。
何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが“おやじ助けて!”
と言ってしまった。と同時に廊下の向こうにある仏間より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。
そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが、
その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。
全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。