つれづれに

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他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive


 写真は、葉山蓮子のモデルになった柳原白蓮
http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/an/01.html

 NHKの朝ドラの「あんと花子」を、見ているが、 家内が、
「ここに出ている葉山蓮子、あの『白蓮事件のお蓮様』みたいよ」という。
私でも知っている、あの御方とは思いの他。 
そうみると、俄然と、このドラマが面白くなりそうだが・・・ 
何か、お蓮に花子がおされ気味だったが、これで納得。
 



・・・・・・
1867, ブログは社会革命 ー1
2006年05月14日(日)  (。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ ー読書日記

 HPを開設してまる五年経つが、
ウェブ進化論」と「グーグルGoogle」を読むまで、
ブログがここまで進化ているとは思ってもいなかった。
そして「ブログ進化論」を読むにいたって、
情報革命の行きつくのは,ブログだったのか? と考えてしまった。 
 とくに‘トラックバック’という革命的な
‘双方向リンク・システム’には驚いてしまった。
何じゃこれは!というのが実感である。
私も、この旧式?なHPはこれとして、ブログの世界に入っていくつもりで、     
その内容を如何するか熟慮?をしている。 自分の名前を出すか、
仮名でいくか?  別人生の自分をつくって、遊ばせるか?   

まずは「グーグル Google 」(文春新書)
第5章の中の『ブログについて』から抜粋してみる。

素人にはホームページ開設は敷居が高かったが、
2,002年を境に状況が劇的に変わってしまった。
専門知識がなくても、ブログのサービスを利用すれば、
誰でも簡単にHPをもてるようになったのだ。
 アメリカで、ブログが世間に認知されるようになったのは 2,001年のこと。
きっかけは、9月11日の同時テロだった。この事件をきっかけに、アメリカ市民の間に
『テロに対する自分の意見を言いたい』『お互いの気持ちを交換したい』という
情報発信に対する熱望が広範囲に広がった。
 そして、HPやネット掲示板で政治的な意見を発信する人が急増し、
ある種の『インターネット論壇』のようなものを形成するようになった。

丁度その頃、サンフランシスコで「ムーブバブルタイプ」というソフトが生まれた。
このソフトを開発したのは、ミナ・トロットとベン・トロットという夫妻であった。
この夫妻が作ったムーバーバブルタイプは、ブログを簡単に解説できるソフトだった。
日記を書くソフトは以前から存在していたが、他人の日記に対してコメントを
つけ加えたり、過去の日記の蓄積を簡単に検索して閲覧できるような使いやすいソフトは
皆無だった。妻のミナは自分のブログを書こうと考えて、
「もっと使いやすいソフトはないの?」とベンに相談し、プログラマーだったベンが
ムーバーバブルタイプの最初の版を作り上げた。

このソフトが2,001年秋に無料で公開されると、口コミで高まり、
あっという間にインターネット社会に広がってしまった。
このソフトはあらゆる面で革新的であった。
その中で最も革新的だったのは「トラックバック」という仕組みを持っていた。
これは、誰かがブログ上で別のブログにリンクを張った際に、
その相手のブログにも「リングを張りましたよ」というメッセージが表示される仕組みだ。
つまりブログ同士がお互いにつながりやすくなり、意見が活発にできるような仕組みを
用意したのである。

 これによって、インターネット社会が劇的に変化した。
それまでの「インターネット大陸」の狭間にあって孤立していた個人のHPが、
急速に他のHP群とつながるようになったのである。
これによって、ブログが「双方向リンクシステム」という
トラックバック・システムを整えていた。
これによって世界中のHPはお互いにつながり合うことになった。
これまで孤立していた個人のHPが、トラックバックによって劇的に
ネット世界のあり方を根底からひっくり返った。新たなパラダイムの出現であった。
 いま一つ劇的なポイントがあった。    それは次回に。
                    つづく                   
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2005年05月14日(土)
1502, サラ川

第一生命が毎年募集している恒例の「サラリーマン川柳」の入選作100句が
7日に発表された。18回目の今年は全国から2万1878句が集まったというが、
例年から見ると不況のためか職探しや会社の競争に疲れた話題を取り上げた句が多く、
サラリーマンには「逆風」が吹き付けている現状が、そのまま反映されている。
「帰宅して 妻の気嫌を 犬に聞く」など、時代に翻弄されている
庶民の実感が滲み出ている。

毎年、楽しみにして見ているが、それにしても川柳自体に勢いがない。
捻りもないし、面白みも少ない。
時代背景のためなのだろうが、せめて川柳で笑い飛ばしたいところだ。

まず
1位は、「オレオレに 亭主と知りつつ 電話切る」
 と‘振り込め詐欺’と妻に利用され、

2位、「ペと言えば 母はヨンジュン 父加トちゃん
 と韓流ブームも反映、

3位、「『振り込め』と 言われた その額もってない」
 と自嘲し、

4位、「ヨン様かあ オレは我家で ヨソ様さ」
 といったペ・ヨンジュンのネタや、

5位、「有害だ 『混ぜるな危険!』 嫁姑」
 という、家庭内の事情も加え

6位、「オレオレは マツケンサンバ だけでいい」
 など松平健もあり、

7位、「『残念!』と 俺の給料 妻が斬り」
と投げパッチになる。 

ー他には

「妻パート 俺は日当で 子はニート
 など世相を反映したもの、

「父踊る マツケンサンバは 千鳥足」

「飯あるか!! 少しあるわよ 猫の分」。

「娘には ゴルフと卓球 覚えさせ」
 と“アイちゃん”ブームに便乗した句も目だった。

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2004年05月14日(金)
1137, 「ライフ・レッスン」-14
ー明け渡しのレッスン
ー抜粋ー
・自分を明け渡すためには、毎朝、目がさめたときに「『わたしの意思で』ではなく、
『汝の意思で』」といえばいい。 そして、こういうのだ。
「きょう、なにがおこるのか、わたしにはわかりません。
 きょうは自分がすることの計画はあります。 仕事に出かけ、芝生をかり・・・。
 でも、その計画は青写真でしかないという現実に対して、わたしは自分を明け渡します。」
  ーーー
-明け渡すとは仏教でいう、諦念に似ている。
死ぬとは、この世にすべてを置いて消滅することである。
定年で会社を辞めることも、自分の仕事を明け渡すことである。
 宗教の言葉に「死後残るのは、愛情だけだ」という言葉があるが、
両親からは深い愛情を残してもらった。
 明け渡しのとき、すべてが空ということが解るのだろう。
そして、残るのは無心の愛情だけである。
愛は言葉だけでない、その裏づけの明け渡しの中にある。
人生には最後のイベントとして、死がある。
すべてを明け渡して‘無’に帰さなくてはならない時、虚無の真っ只中で、
自分の人生とは何だったのか、この人生で何を学んだのだろうかを振り返ったとき、
愛情と感動こそが、すべてだったと気がつくのだ。
 感動はじゅうぶん経験してきたが、
 無心の愛を残してきただろうか?
  いや、残せるだろか?
 ーいい日は幾らでもある。
   手に入れるのが難しいのはいい人生だ。  -アニー・ディラード

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2003年05月14日(水)
770、 私が二十歳の頃-時代背景

20歳の頃の話は、半年前に「学生時代のこと」のテーマで書いた。
今回は、その時代背景はどんなであったかを書いてみる。
・二十歳の前年の1965年、米軍がベトナムの爆撃を開始、
 ベトナム戦争が二年目であった。
 ベトナム戦争反対運動と学生運動がピークに向かっていた。
 また中国で文化大革命運動が始まっていた。
 高度成長の始まりもあり、騒然とした雰囲気であった。
アメリカ大統領がジョンソンで、日本は佐藤栄作が首相二年目に入っていた。
ビートルズが来日。
・尺貫法が廃止される。
・TV では『おはなはん』が放映、『笑点』がこの年に開始された。
 他には『サンダーバード』『ウルトラマン』『銭形平次』があった。
・漫画では『巨人の星』『意地悪ばあさん』があった。
・流行歌では、「星影のワルツ」「君といつまでも」「夢は夜ひらく」
 「霧氷」「バラが咲いた」「こまっちゃうな」「思い出のワルツ」
 などポップスの全盛期であった。
 翌年は「ブルーシャドー」「小指の思い出」相良直美の「世界は二人のために」
「夜霧よ今夜もありがとう」「女の波止場」など、名曲がつづいた。
・スポーツでは巨人は堀内恒夫が入団で、44イニング無失点の記録をつくった。
 君原がボストンマラソンで優勝した。
 社会人ラグビーでは、八幡製鉄が4連覇を果たした。
・新宿に西口ができた。西口の浄水場の近くをバイトで何回か通ったことが懐かしい。
 こう書いていると次々と当時の記憶が蘇ってくる。
振り返ってみると、高度成長期の真っ只中で日本が未来に向かって
光り輝いていたようだ。音楽も漫画も夢のあるものが多い。

半年前にこの頃の事を書いたものをコピーしておきます。
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2002年11月08日(金)
574, つれづれに-学生時代のこと

学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」という題で書き写している。
そのときは34年の時空を飛び越えて青春真っ只中の自分に立ち返っているようだ。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。
現在と変わらない自分と、全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。
学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど
結構多くの構成が重なっている。この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れないほどの
ことがあった。脱皮脱皮の連続線上にいたようだ。
20代30代は誰でもそうだが、私の場合創業を目指していたこともあり、
刺激の強い20年間であった。

武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と
結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。

当時の日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう生き方を
しようかという内容と、その批判である。
未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。

そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。
如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。
何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった
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2002年11月09日(土)
575, つれづれに学生時代のこと ー2

現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあるように思える。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。
その価値観はまるで違う物差しになる。
今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの
午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。

若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。
午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを自分の中に見出していく時期だ。
そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
コペルニクス的視点の大逆転人生に何を求めるのでなく、
人生が何を求めているかの追求」である。

人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。
午後の人生を余白でなく、新しいページの書き込みの過程として捉えると解る。
その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。
可能な限り行動し、知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が必要ということだ。
その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。両親がそれをしっかりやって死んでいった。

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2002年05月14日(火)
406, 倒産の後先ー2 -失敗の条件

倒産にもいろいろある。
特に自分で事業を立ち上げて失敗するケースである。
実際経験しなくては解らないのが経営である。
早くいえば、実際は博打に似ている。
博打は多くは場数を踏まないと上達しない。
遵って、経営管理と経営は全く別物である。

経営に無知?の社長が大手の幹部を社長にスカウト。
そこまではよい、経営を全面的に任せる?
その間違いという事に気づかないケースが身近にあった。
「飾り」ならいいが、あるいは叩き上げならまだよい。
それをカバーするには、準備を何処まで周到にできるかにかかっている。
自分が22年前、今の事業を立ち上げた時、
「500?の成功確立」が、自分の信念の中にあった。
そしてそれだけの準備を、15年間ー20歳よりーかけてきた。
その15年の中身は誰もわからない。そして表面を見て「運」と思ってしまう。

ある人と飲んだ時、かなり深酒の後、ふと横を見ると私の顔を不思議そうな
眼でじっと見ていた。「何でこんな奴が、事業の創業ができるの?」
何処でも捨てるほど失敗事例がある。起業、起業と最近いわれるが、そう甘いものでない。
それだけの充分の準備が必要だ、それも周到の。
もう先年亡くなったが、以前地銀の次長として長岡の店にいた人が、
支店長として私の会社の取引店に栄転できた。
いうことがずばり「たまたま上手くいったの?それとも周到の計画の上で?」
たまたま上手くいった奴と、勝手に決め付ける人よりよいが。

失敗した人はいっぱいいるが、彼らは「たまたま失敗した、運が悪いだけだ!」
と思っている。その上に、失敗の共通点は、私生活が崩れる場合が多い。
打つ買う飲むに溺れてしまう。自己管理ができない人が、経営管理ができるわけがない。

二代目では、変化対応ができないで失敗するケースが多い。
青年会議所のトップ?になってるが、自分の会社は潰れそう。
それと商工会議所の部会長とか?
あの街、この街の現在進行形?のパターン!

ゼネコンとか集り政治家に煽てられ、再開発とか。
何処かの街の話だが、厚生会館をつぶし2Fの大駐車場を造ればよいのに
地下駐車場を数十億かけつくり、一台あたり20万~50万で、
できるのに確か??00万の経費をかけ、地下駐車場を再開発。
こういうのをマフィアという。利権の為の犯?的行為だからだ。
一桁の差でもありえないのに、二桁は歴史に残る話だ。

その??人形に使われて、娑婆はだから面白い!
少し問題がずれた。潰れるまでに、こういう体質を永年かけてつくっている。
会社は一瞬にして潰れるが、しかし反面まともに?
経営をしていれば、そう簡単には潰れない。

経営に向かない人が成り行きや、立場上なってしまう。
他人のことでないかもしれないが!
明日はわが身か?

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2001年05月14日(月)
つれずれに‐変化の中で

数年ぶりにここにきての‐連休明けー客数の極端の減少で感じた事を書いてみる。
あまりこの(当社ホテル)辺りは、露骨な客引きや売春婦はいなかったが、
急にここにきて増えてきたという。
売上ダウンで撤退したあとの店にあらての風俗系の店が入れ替わった結果であろう。

私も飲むときは決まった店で恒例の会か、10年20年飲んでいる気のおけない
飲み仲間としか行かなくなった。そしてその時は1期1会 徹底的に楽しむ。
要するに安くいかに楽しむか、断るか。中途半っぱの飲み会は出ない。
でもこれは私だけでない傾向のようだ。

TVもインターネットもますます面白くなってきているし、
1日の中身がより濃くなっている。
大相撲も野球の巨人戦も全くつまらなくなった。
格闘のk-1とかアメリカでの野茂や一郎の大リーガ‐戦等の為である。

時代が変わってきたのだ。
情報化が今までの感覚を知らぬ間に変えてしまったのだろう。
この変化を面白いと言っていられないのが今の日本であり、
我々各々の当面の課題である。