つれづれに

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 一昨日、スポーツジムで、ヨガのプログラムまで時間があったので、
長椅子に座っていたところ、時々、一言二言話をする70歳半ばの人が
隣に座り 「今年も桜は終わりですね」と、はなしかけてきた。
「今朝まで四日続けて、悠久山に行ってきました」と言うと、
「実は、先日、家内と京都まで行ってきました」とのこと。
その時に、『京都 都をどり』を見てきたとのこと。そう話しているうちに、
同行したと思われる女性が、「誘ってもらって有難うございます」と
嬉しそうに挨拶に来ていた。 よほど、良かったのだろう、顔面に笑みが
溢れていた。 そこで、『都をどり』と検索すると、成るほど、艶やかである。
 これによると、四月一日から月末まで、午後から夕刻にかけて一時間ずつ
何回か公演される。 動画をみていても、惹かれるのだから実際は
感動ものだろう! 

都踊り 
http://www.miyako-odori.jp/
http://www.youtube.com/watch?v=bPa0E3pkw2o
http://www.youtube.com/watch?v=jm--yxNLMFU


・・・・・・
1847, 安楽死について-2
2006年04月24日(月)
               (’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?
 昨日の随想日記の過去分(2002年4月23日)に、安楽死について書いてあった。
                (あとでコピー)
数日前の毎日新聞のー記者の目 ーで安楽死について取り上げていたが、鋭い論評であった。
私は積極的安楽死論であるが、この記者も安楽論のようだ。
両親や親戚の叔母などの死際を身近に見ていて実感したことは、
激痛を伴う終末の延命は無意味であり、カタチを変えた拷問の容認である。
 ーまずは、毎日新聞からー
射水市民病院の呼吸器外し問題」=根本毅(大阪科学環境部)
 ◇「医師が命の線引き」、嫌だ
 --延命治療、議論を尽くせ

 富山県射水(いみず)市の射水市民病院で末期患者7人が人工呼吸器を外され死亡した。
病院側や多くの医療関係者の意見は「越えてはならない一線を越えた」と、
6件の関与を認めた外科部長(50)=自宅待機中=に厳しかった。
しかし、病院周辺では「家族との信頼関係の中で外した」とする外科部長に同情する声が根強い。
どちらが正しいのか、現地で取材しながら悩んだが、偶然あたった主治医の死生観で
自分の死に方が決まるとしたら、納得できない。外科部長の取った行動は誤りだったと思う。
 医療技術が進み、意識の戻る見込みがない重体に陥っても、人工呼吸器や栄養・水分補給の
点滴などで延命が可能になった。今回、呼吸器を外された7人はいずれも末期患者で、
うち5人はがんを病んでいた。

 問題は昨年10月、別の患者の呼吸器が外されようとしているのを、
看護師長が院長に報告し発覚。院長は外科部長と話し合い、県警に届けた。
病院側は日本医師会が04年にまとめた「医師の職業倫理指針」に基づき、
延命治療の中止に必要な要件の
(1)回復の見込みがないという複数の医師の確認
(2)本人の意思表示--がなく、問題だとしている。
病院の別の医師は
「外科部長は呼吸器のスイッチを切る時に手が震えなかったのだろうか。
命の重さを考えたら、私にはできない」と話す。
 別の病院の外科医は「消極的安楽死という言い方もあるが、スイッチを切るのは
積極的行為。やはり一線を越えている」とする。
 大阪府内の脳神経外科医は「20年前までは医師の都合で平気でやっていた。
死亡日を決めることも可能で、実態は殺人と同じようなものだ。
そもそも人工呼吸器をつけるかなど延命治療について事前に聞かないといけない」と指摘した。
取材では、外科部長を擁護する言葉の後で「患者はまな板のコイ」(入院中の62歳男性)、
「医者は信頼するしかない」(妻のリハビリに付き添う84歳男性)という声も聞いた。
医師は、患者の命や健康について本人以上に知っている。患者は絶対的な弱者だ。
外科部長が主張するように、医師と患者・家族の信頼関係で治療方針を決めたとしても、
医師の説明で判断するほかなく、医師の能力や考え方が大きく左右する。
別の医師の意見を聞く「セカンド・オピニオン」が重要なのはこのためだ。

 外科部長は、外科以外の医療スタッフに相談せずに呼吸器を外した。
患者の当時の状態についてはカルテが残るだけで、その時点で本当に回復不能だったのか
という点などを第三者が検証することは難しい。手続きは不備だった。
 一方で、忘れられないシーンがある。
病院から出てきた男性(55)に声を掛けた時のことだ。
男性はうんざりした口調で「介護したことある? ないなら現実の大変さは分からないよ。
外科部長の気持ちは理解できる」と話した。私は末期患者をみとったことはない。
返す言葉がなかった。
 病院は13診療科、200床を有する地域の中核病院だ。外来は圧倒的にお年寄りが多い。
 女性患者(80)は「病院は外科部長で持っている、と言われていた。
外科部長を悪く言う人は一人もいない」と話し、入院中の男性患者(50)も
「殺人にはしてほしくない」と捜査の行方を心配していた。
 大阪府豊中市でがん患者の在宅医療を手がける「千里ペインクリニック」
の松永美佳子院長は「往診では『早く楽にして』と、毎日のように言われる。
呼吸器外しは日本では許されないが、外科部長の気持ちは分かる。
支える家族が費やす金と体力は大変だ」と説明。その上で、「呼吸器を外さなくても、
点滴を減らしたり止めることは現場で行われている。どこまでなら許されるのか、
線引きがあいまいだ。どこまで延命するかの判断は医師によって全く違う」と指摘した。
 取材をきっかけに、死について妻(32)と話した。妻はがんの姉の最期をみとった経験がある。
「延命治療をしなくていいからね」と話すと、妻は「あした、あなたがそうなったら、
私は延命治療を希望するわ」と言った。妻が望むならそれでもいい、と思った。
 人の死についてはさまざまな意見がある。
終末医療ガイドラインを一律に決めることは簡単ではないだろう。
しかし、個々の医師の考えで生死が線引きされる状況は、明らかにおかしい。
今回のケースも、「いい先生だから」といって、外科部長が免責されるようなことが
あっていいとは思わない。臨終の時をどう迎えるか。死をタブー視せずに、
まず広範な議論から始めなければならない。  (。・・)_且~~ お茶
  ーー
 以下は、4年前に書いた内容であるが、現在は、ますます安楽死論になっている。
 ^^
2002年04月23日(火)
385, 安楽死
 定期的に安楽死が問題になる。
今回の内容は、記事を見る限り詳細は解らないが、
私が知る限りのことを書いてみよう。
ただ誰が見ているかわからないので、ある程度は抽象的にしておく。
安楽死は実際日常的に行われている公然の秘密である?
 何処までを安楽死というかもあるが。
・末期癌で、集中治療室で最後の苦しみの段階で、身内の了解のもと
 筋弛緩剤をうつなどは当然のことと思っていたが。実際は医者の手で??、
 酸素呼吸器を外すことも。
・苦痛をとめるモルヒネは、死をいっきょに加速するのは公然の秘密だ。
 しかしそれより本人を楽にする方法はない。
脳死など、それをもって死と判断し移植につかう時の最後の
 「方法」は何だろうか。
・身内のなかで、悪意の第三者?がリークして自分に有利にする事が多い。
 TVドラマでもあった。

 ところで私がその事態になった時は、
 「モルヒネはどんどんうってくれ、さっさと積極的安楽死をするように」
  と常々言っている。
 「苦しんで死んでいった」という話を聞くと、周囲にそういう経験者がいなく
 「モルヒネは死ぬから、うたないで」と望む為、最後の最後までノタウチマワッテ、
 死んでいくケースが多い。 こういう事について、あまりにも議論ないし、
 理想論が勝ちすぎだ。駄目なものは早く死なせてやるべきだ。
 生まれる前に戻るだけなのだから。どっちも管を巻かれノタウチマワル事は一緒か。
 出来たら死ぬ時はそれを回避してほしいものだ。
                   ヾ(^ω^*) バイ
 ・・・・・・
 2005年04月24日(日)
1482, ラジウム岩盤浴-2
 スモールビジネスとして岩盤浴経営も増加しつつある。
新潟市内にも、先日郊外に開店をした。
数年前に流行したアカスリブームや、足マッサージに似ており、
一時的ブームも可能性も充分考えられる。三~四年が目安であろう?
料金は一回600円~1500円。天然ミネラル風呂と併設されているところもある。
女性の利用が9割ということもあり、女性専用のところが多い。
最近は男性も利用者が増えつつあるという。
取引先の社長が、この岩盤浴に興味を持って岩盤温泉サウナを準備をしていたが、
開店直前に失火で全焼してしまった。現在、違う場所で開店準備に入っているという。
失火した店を、その数日後に社長と見てきたが、見るも無残であった。
その時にラジウム石?を一部譲ってもらって風呂に入れたり、枕の下に入れたりしている。
特に風呂に拳大の大きさの石を入れたが、身体に保温効果が出ている。
風呂のタイルに付いていたカビや水垢も不思議なことに自然と消えていた。
また、この素材でできているカップでコーヒーを飲むと一段と美味しい。
また酒やワインも、この小石を入れて飲むと味が一段と美味しくなる。
最近はラジウム石のブレスレッドや、ネックレスも身に着けている。
パソコンに集中しているためか目が異常に疲れるが、その疲れが減っている。
ーあるHPのこぴーです。
 ルルドの泉って何?
フランスのスペイン国境近く、ピレネー山脈の麓にルルドという村があります。
1858年2月11日、この村に生まれたベルナデッタ・スビルーという13歳になる娘が、
たきぎにする流木を拾い集めている時、彼女の前にマリア様が姿を現しました。
それから7月16日まで18回にわたってマリア様は彼女の前に姿を現しました。
2月25日の9回目に、マリア様がお告げになられた場所から湧き出た泉が、
後に数多くの病人を奇跡的に治したと言われる”ルルドの泉”です。
1879年4月16日、35歳という若さで昇天された聖ベルナデッタは、現在ヌヴェ-ルの
ギルダー修道院の聖堂に安置されています。昇天されてから120年以上経った現在も、
そのお姿は腐敗しておらず、‘もうひとつの奇跡’がここにあります。
この村にある泉の水を飲んだり、身体に接触させると、近代医学では不治の病と
考えられている病気や身体の不調・障害が急速に回復していくという実例があります。
ローマ法王庁からは奇跡と認定されています。後の研究の結果、泉の中には、
実は驚くほどの多量のゲルマニウムが含まれていることがわかりました。
現在この奇跡の泉には年間300万人を超える病人が世界中から訪れています。
また東洋でも評判の良い漢方植物にゲルマニウムの含有が知られています。
ルルドの泉の奇跡が全てゲルマニウムで説明がつくわけではありませんが、
現在医学界ではゲルマニウム(元素番号32)は予防医学の切り札として、
大変な脚光を浴びています。

・・・・・・
2004年04月24日(土)
1117, 「ライフ・レッスン」ー6
ー罪悪感のレッスン
・罪悪感は自己の判断に根ざしている。自分が何か悪い事をしてしまったという意識である。
それは自己の信念体系に抵触をしたときに生じる、内側に向かう怒りである。
多くの場合、その不幸な判断基準は、幼児期に受けた教育によって形成されるものだ。
それもしばしば「売春婦」になるべく育てられたということが原因になっている。
不穏当な表現だが、これは事実である。象徴的に売春婦とおなじく、われわれは
他者の親愛の情を得るために自己を売るべく育てられてきた。
自己のためのアイデンティティを強化するよりも、他者の願望実現の為に専念するのが
いい子であると教えられてきた。真の独立や相互依存よりは、共依存すべく訓練されてきた。
われわれは自己の幸福実現のために自己の欲求を満たす方法を知らないままに育ったのだ。
適切な時に「ノー」といえることを学ぶべきなのに。
・罪悪感は時間とも密接に結びついている。
罪悪感はつねに過去から生じ、人は過去に生きつづけさせるものである。
罪悪感とは、現在というリアリティを見ないようにするための方法なのだ。
それは過去にまでひきずっていく。過去の罪が未来の罪をつくりだす。
罪をてばなした時、人ははじめて過去を手放すことができ、あたらしい未来創造ができる。
人は罪に値するものではなく、許しに値するものである。
そのレッスンを学んだとき、われわれはまったき自由になるのだ。
ーー
笑い話に「こどもの嘘」を思い出した。
あぶらげを隣から貰ってきた子供が、思わずかじってしまった。
それをとがめらると「トンビが下りてきてかじっていった!」この類だが。
良心という問題が出てくるが、両親ー良心ーの姿が一番影響する。
自分も両親ー良心ーの片割れだ。

・・・・・・
2003年04月24日(木)
750, ある人生
 先日親戚の葬式で、故人の息子の一人に30年ぶりにあった。
2歳年下で、中学を卒業したと同時に日本橋蕎麦屋に勤めにいった。
といっても出前持ちである。一度その店に行ったこともあったが、将来自分の店を
持ちたいといっていた。大人しい無口な、あまり機転が利かないタイプで、
店を出せるタイプでない典型の人と思っていた。
 その彼が何と店を持ったという。そして数年前に7年やった店を閉鎖をしたと
聞いて驚いた。涙がドッと出てとまらなかった。大小にかかわらず創業がいかに大変かを
身にしみてわかっているから、彼がまがりなりにも新潟で単身で店を出した苦労が解るのだ。
 20数年働いた1千万で、誰の力も借りないで新潟市で、あの大人しい彼が
開店から閉鎖まで自分一人でやったという。
彼の性格からいって、人の数倍の苦労があったのが想像できる。
若い時の甘い顔は一仕事をやり遂げた野武士のような面構えに変わっていた。
そして自分のやってきたことに自信を持っていた。この自信こそ人生で一番大事なことだ。
 一心は岩をも通すというが、正に彼はその人生を貫いたのだ。20数年かけて一心に働き、
店の営業を含め合計30年以上のワンクルーを一心にやりとげたのだ。
隣で、その兄が「凄いことだ!」といっていたが、それを聞いてただ涙が出て止まらなかった。
「それが如何したことか?何処でもある話ではないか」というストーリーかもしれないが、
彼の純粋な大人しい性格を知ればこそ感動したのだ。それも独身で!
 彼の30年以上のスパンで、やり遂げた一心さは,どんな成功者より凄いことだと思う。
少しオーバーかもしれないが、「山田太一の世界」といってよい。
人生の何たるものかをこの人に教えてもらったようだ。私の尊敬する人が一人親戚にできた。
 今は柏崎の実家で母親と住んで、掃除会社に勤めているといっていた。
この経済の暴風の中やる気をもらった。

・・・・・・・
2002年04月24日(水)
386, 宗教的タカリ
 オウム教はとんでもない犯罪行為をしたが、一つだけよい事を、いや結果的に良いことをした。
宗教の怪しげな一面を浮き彫りにしたことである。その一つが現在の仏教界の集り体質である。
葬式仏教の陥っている偽善体質である。数百年かけ巧妙に、そのシステムを作っていったのだ。
彼らも商売?のだから仕方ないと、誰もが疑わないのもおかしい。仏を盾に集っているのだ。
彼等の法事等の話など聞けたものでない。こちらの知識の数段下レベルである。
プロの素人化の典型といってよい。戒名料とかなんとか、勝手に値段を決め金をせびる。
彼らも生活をしなくてはならないのは判るが、豪奢な生活が問題である。
幸福の科学にしろ、創価学会にしろ、その怪しげな一面を見ると、もっとその共通点を洗い出し、
白日にさらけ出さなくてはならない。信じさせて金を騙し取るという点で、
詐欺師のテクニックとほぼ同じである。特に結婚詐欺に似ている。
夢を売って金を騙す、お布施と称して。