2014年の桜 4月15日分

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 Yahooの検索に「福島江の桜」と入れたところ、素晴い写真が次々と
現れ出てきた。 ところが、気に入ったのが、ことごとく、以前、自分が、
このブログに載せたもの。 福島江の桜で自動的読み取り、載せているようだ。
それにしても、気に入ったのが、ことごとく自分の写真には驚いた!
 「Yahoo.blogsというのが、私の投稿したもの。
http://image.search.yahoo.co.jp/search?tt=c&ei=UTF-8&fr=sfp_as&aq=-1&oq=&p=福島江の桜&meta=vc%3D

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命二つの中に生きたる桜かな(芭蕉
山守の冷飯寒きさくらかな(蕪村)
夕桜家ある人はとくかへる(一茶)
観音の大悲(だいひ)の桜咲きにけり(正岡子規

夕桜あの家この家に琴鳴りて(中村草田男
夜桜やうらわかき月本郷に(石田波郷
さきみちてさくらあをざめゐたるかな(野沢節子)
満開のさくらを離れ安堵せり(田中鬼骨)
満開のふれてつめたき桜の木(鈴木六林男)
まだ醒めぬ山を幾重に遠桜{角川照子)
湯女(ゆな)が行く崖に道あり山ざくら(山口青邨
奈良七重七堂伽藍八重桜(芭蕉
海手より日は照りつけて山ざくら(蕪村)

清水へ祗園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき(与謝野晶子
うらうらと照れる光にけぶりあひて咲きしづもれる山ざくら花(若山牧水
夕光(ゆふかげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝(かがやき)を垂る(佐藤佐太郎)
ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも(上田三四二

散り初むるところもありてあえかなる桜いく片(ひら)土にはららぐ(山本友一
ものぐるふ心はもとな枝々のすべては醒めてさくら咲くなり(河野愛子)
上越の残雪のなか雪よりも冷ゆるひかりに山ざくら咲く(川口美根子
抱かれてこの世の初めに身たる白 花極まりし桜なりしか(稲葉京子
大輪にあらざるもののかずしれぬ花をあつめてさくらというは(平井 弘)
さくらばなちるちるみちるみずながれさらば風追う言葉とならん(福島泰樹

またや見ん交野のみ野の桜狩花の雪散る春のあけぼの(藤原俊成
春風の花を散らすと見る夢は覚めても胸のさわぐなりけり(西行
み吉野の高嶺の桜散りにけり嵐もしろき春の曙(後鳥羽院
みな人の春の心の通ひきて馴れぬる野べの花の陰かな(藤原定家
桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける(紀 貫之)
山桜咲きそめしより久方の雲居に見ゆる滝の白糸(源 俊頼)

面影に花の姿を先き立てて幾重越え来ぬ峰の白雲(藤原俊成
吉野山梢(こずえ)の花を見し日より心は身にも添はずなりにき(西行
このほどは知るも知らぬもたまぼこの行きkふ袖は花の香ぞする(藤原家隆
桜さく比良の山風吹くままに花になりゆく志賀の浦波(藤原良経)


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2005年04月15日(金)
1473, 指桑罵槐(しそうばかい)

ある知人が中国人の国民性を一言で表している表現としてとして、
教えてくれた言葉である。
問題になっている中国のデモは明らかに中国政府の政治的な意図が読み取れる。
日本も中国人の何時もの手法として、ただ蔑視を決めつけている状態といってよい。

中国内で起こっている暴動の目を逸らそうという意図と、尖閣列島問題などに対する
駆け引きが目的である。
チャイナリスクという言葉まであるが、都合が悪くなると問題を摩り替てしまおう
とするのは、いま始まった問題ではない。

15年ほど前、中国に行ったとき現地のガイドが何げなく
文化大革命のときは、地方の村に行くと死体の山があちこちにあった。
2千~3千万ほどの人が虐殺をされました]と、
平気で言い放ったのを聞いて、思わず耳を疑った。
まだ今ほど国内の開放が進んでない時のことである。
中国とは、そういう国である。いや共産主義か。

現在もそうだが日本のマスコミは中国の入国拒否を恐れて真実を報道しない。
都合が悪くなると、60年以上前の中国侵略と虐殺を言い立てる。
すでに17回も陳謝させているのに。

以下は指桑罵槐を検索で調べた内容である。
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指桑罵槐
ー桑(くわ)を指さして槐(えんじゅ)を罵るー

桑は、蚕の食べる桑の木のこと。
槐は、えんじゅの名で知られ、街路樹や庭木として植えられる喬木を指します。
つまり、似ても似つかないものどうしのことです。
本当の怒りの対象とは全く違うものを攻撃する、という意味だといいます。
「鶏を指して犬を罵る」というのも同じです。

中国人は当事者を直接批判することはほとんどなく、この「桑を指さして槐を罵る」
というやり方をするという。
ある相手を攻撃しているように見せているけれど、実は別のところにいる人を
批判していることになっているというのです。
中国が激しく批判などしてくる問題があったなら、マに受けて腹を立てるのではなく、
彼らが真に攻撃したいのはどこなのか、誰なのかという視点で思いを巡らして
みるのがよいらしい。

中国産冷凍ホーレンソーから基準を超える残留農薬が検出され問題になったことが
あるが、中国当局は記者会見で、
「日本の野菜に関する現在の安全基準が非科学的で不合理なところに問題がある」
と、逆に日本の検査手法を非難してきた。

指桑罵槐で読み解けば、中国国内の検査方法や検査担当者たちを非難している、
と見るべきなのだろう。

「言いたいことがあるなら正面切って言ってこい」とか、
「陰でこそこそ言ってないで本人に言いなさい」など、
正々堂々を良しとする日本のメンタリティーとは違った面があるようです。


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2004年04月15日(木)
1108, 西武鉄道・堤会長の辞任

「西武の堤義明会長が辞任!」とニュースで報道していた。
随想日記で専務が逮捕された時「お笑い西武鉄道」という文章を書いたが、
所詮は悪口でしかないと、掲載を止めた。
しかし辞任ということで、ケジメをつけたということで書く。
西武の森元監督が講演会で、彼のことを「超ワンマンで、西武の試合の采配に対して、
口うるさく電話がくる」と言っていた。監督にとって大きなプレッシャーだったとか。
テープだけはとらないようにと講演前に言っていたのは、堤を恐れていたのだろう。
西武鉄道の専務が逮捕された時「彼が知らないわけがない!」と誰もが思ったはずである。
逮捕されないだけよかったのだろうが、やはり辞めて当然である。
歴代の首相が就任をすると、3億の祝い金を払っている?という話を聞いたことがある。
一つの時代が終わった事件である。
堅実経営で、バブルにもたいして踊ることなく西武グループをここまで率いた力は
大である。最後をまっとうすることの難しさをつくづく感じる。
もっとも、辞めるのは本社の会長だけで他はそのまま留まるというから、カタチだけなのだろう。

・・・・・・
 2003年04月15日(火)
741, デフレと対策 -2

ー 前にもこのテーマで書いたが、今一度書く。

 今の日本はデフレである。
しかしそれでもアメリカの物価より物価は実感として、2倍3倍高い。
それが修正過程に入っているだけである。
戦後の実質社会主義制度による統制物価が、その崩壊とグローバル化
世界的な物価への平準化プロセスに入っているだけである。

 家具のニトリにしても、イタ飯屋のサエゼリアやマクドナルド、100円
ショップが好調なのは、グローバルな物価の追求を実践をしているためだ。

 世界的な物価に下がるまでデフレは続くのが当然である!
それで恐慌になっても仕方がないことだ。
ジタバタバタしないで、このデフレの中で自分を変えるしかない。
政治頼みや批判をしても、仕方がないのは自明の事。
やるべき事をキッチリやってそれで駄目なら退場するしかない。
やるべき事もしないで仲間内で愚痴をいいあってもどうにもならない。

 先日の日経流通新聞に、箱根の湯本の二番目に古い、370年の歴史を持つ
温泉旅館の『一の湯』が一面トップ記事で出ていた。
半値から三分一のプライスー一泊二食つきで6800円をうちだして、
低価格旅館グループを拡大しているという内容であった。
親父が高級旅館をつくってしまったが高プライスの為に不振になった。
座して死を待つよりよいだろうと、25000円から9800円に期間限定で、
この値段に下げたら、お客が殺到した。
それで延長延長で、この値段を固定にしたとか。
その代わり徹底した合理化を図ったという。
最近は一泊4500円の旅館も始めたとか。
潰れた旅館を買い取れば、これも可能になるだろう。
こういうのを「高級を高度に切り替える」という。
 
 銀座のクラブも三分の一以下で、商品価値を落とさない店
が好調だと先日このコナーでかいた。  
昨日いって来た京都は深夜にバスに乗って、宿泊なしで翌日の深夜に帰ってくるパックさえ出来てきている。

これで京都に一万円でいってこれるのだから、価値がある。
凄い時代である。

http://www.ichinoyu.co.jp/
以前書いたのをコピーしておきます。
 
 ーーーーー
デフレと対策 ー1  2002年10月01日

 現在上手くいっている店を見ていると、やはりデスカウントの
業態の店である。
それも思い切って、20年前か25年前のプライスを打ち出しながら、
現在の嗜好を取り入れた店や会社だ。

 衣料品は20年前の半値以下の商品が多くなってきた。
自転車も、半値か四分の一だ。電気商品もしかりだ。

 落ちないのが公共料金だけである。ホテルの値段もその様相になった。
ラーメンの値段も落ちてない。過去の三次産業の異端は価格破壊である。
そうすると落ちてないのが狙い目である。

 先日TVで180円のラーメンチェーンを紹介していた。
マクドナルドのように、徹底した機械化を厨房で図っていた。
吉野家松屋の牛丼も400円を280円に下げた。
そうすると他の甘いラーメン屋とか何でもや食堂のお客が流れてくる。

 先日に法事で帰ってきた姉が、面白い温泉旅館にいってきたと教えてくれた。
関東圏の温泉旅館で、4名以上で一泊二食で4500円という。
予約をすると東京周辺のJR駅の近くの三箇所の指定した場所に,マイクロバスで
迎えにきてくれるという。更に食事のときは従業員が即興の演劇をしてくれたり、
とにかく飽きさせないようにしてあるとか。
社長はつなぎを着て陣頭指揮にあたっているという。
先ずは安く、そして価値があればお客は殺到する。
「もうそういう時代だよ!」とつくづく言っていた。

 何かどこかで聞いたことがある話だと思ったら、
そうアメリカの航空業界の異端児で大不況の中、飛躍的に伸ばしている
サウスウエスト航空を温泉旅館版に換えただけの話である。
斜陽産業の温泉旅館が良くぞ考えたものと驚いてしまった!!
(こういうのをベスト・プラクテスという)

 客の立場にたてば,全く違った設定ができるのである。
淘汰されている所は、ただ不況と仲間内で傷を舐めあっているだけだ。
発狂してベスト・プラクテスをするか、廃業するかどちらかだ。
今更発狂はできないか??!!
(発狂とは、出来ない人の目から見たベスト・プラクテスのプロセスを
踏んでる姿)

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2002年04月15日(月)
377,「知ったかぶりをするな」

「到知」という雑誌に出ていた文章で、今でも強烈に残ってる言葉だ。
誰かに聞かせたい言葉でもある。

ーその人が社命をかけて、ニューヨークにセールスに行った。
ある製品を売り込まなくては、会社が潰れる瀬戸際である。

まともに英語も話せず、どのセールスも上手くいかない。
英会話さえ出来れば何とかなるが、その時間もない。
どうにもならず、公園で途方に暮れ泣き出してしまった。

その姿をみて近くの老人が事情を聞いてくれた。
その人は事情を聞いて「よし解った。明日からここで英語の特訓をしよう。
ただし条件がある、けして知ったかぶりをするな。わからないことは正直にいえ」

それから公園で英会話の特訓が始まった
そして数ヶ月もしないうち、英語がだんだん話せるようになった。
そしてセールスを始めると、見る見るうちに上手くいくようになった。
以上である。

この話の中に多くの教訓がある。
・ぎりぎり追い詰められた状況ーゼロからの出発になった。
・その老人がかなりのレベルの人であった。
・本当にそれが必要であった。
・真剣なぶつかり合いになった。

実際事業の立ち上げは、この状態からの出発といってよい。
赤裸々の対話の積み重ねである。
それもぎりぎりの。

いつでも立上げはそうであった。
みしらずの人を集め、どうなるか判らない事を始めるのだから。
しかし新しい事業を興す時は、そのほうがいい。

真っ白から始められるからだ。
ゼロからの出発は、新しい材料で始めるほうがいい。