2014年の桜

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 昨日あたりから福島江と栖吉川の土手の桜が満開である。
今週末までが見ごろになる。今年は例年並みというところ!
 福島江の桜を写真を撮っていたら、30歳くらいの人が、興奮して、
話しかけてきた。 最初なら、驚くだろう。 新潟訛りだったから、わざわざ来たのだろう。
 数十年も見ていると、あまり感動しなくなっている自分に驚く。 
そこで、自転車から降りて、少し周囲を歩くことにしたところ、全然違って見えてきた。
 ジックリと見るのが、桜に対するマナーである。

・・・・・
1837, ローマから日本が見える-2
2006年04月14日(金)
  ー読書日記
 読めば読むほど、ローマ人のリーダーの面々に引き込まれていく。
彼らは自分達のありのままの姿を直視し、それを改善しようとする気概があった。
この書はローマ人が如何にして自己改革を行うことに成功したかの実例でもある。
それは、保守派と改革派の熾烈な戦い実例でもある。
改革が為されなければ、衰退か破滅の瀬戸際の中で行われるから引き込まれる。
そして、そこにリーダーとしての優劣が出てくる。 
  ーリーダーの本質についてー
 イタリアの高校の教科書には次のように書かれているそうだ。
「指導者に求められる資質は、次ぎの五つである。
 知力、 説得力、 肉体上の耐久力、 自己制御の能力、 持続する意志。
それをカエサルだけが、このすべてを持っていた」。
 著者はリーダーについてもローマ人の指導者からみて、重要な示唆をしている。
 日本で指導者の資質として取り上げられる決断力、実行力、判断力、
 ましてや「調整力」などということはまったく述べてない。
「経営者の決断力」などが課題になること自体が問題であると看破。
 決断力のないリーダーが多すぎるのが問題であり、
 リーダーであれば当然、決断力や実行力は持っていて当然のこと。
 毎年一冊の割合で発表される「ローマ人の物語」は、
 その中に著される多くのローマの興亡に携わった人物たちの
 生き生きとしたドラマとしての歴史読み物としての面白さにある。
 古くから、ローマの歴史を演繹することによって、有史以来の様々な国々の
興亡の要因を学び、又、自分達の生きている社会の問題点の解決方法を学んできた。
 現代においても、ローマの歴史は現代の政治的、社会的な問題解決の糸口にも
 なる上に、社会・文明批評の書ともなりうる。
 巻末にはアレクサンダーから、ローマの英雄、
 皇帝たちを含む歴史上の人物たちの通信簿が掲載されている。
            (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?              
 ーところでシーザーの『賽は投げられた』の詳細は、どういうことだったのか?ー
 腐敗堕落した元老院政治打破を叫んで立ち上がったユリウス・カエサル
 (ジュリアス・シーザー)は紀元前49年1月29日早朝、「賽は投げられた」と
 叫んでルビコン川を渡った。ルビコン川はローマ本国と北イタリア属州との国境。
 川岸に立った武将カエサルも幕僚も配下第13軍団兵士も身動き一つしなかった。
 川幅は狭く渡るのは容易だ。しかしこの川を渡るには勇気と決断が必要だった。
 ルビコンを越え、本国に軍団を率いて入ることは「祖国への反逆」を意味していた。
 クーデターと見なされ追討軍を差し向けられローマ人同士の内戦になる。
 「ここを越えれば人間世界の悲惨さが待っている。越えなければわが身の破滅」。
 カエサルは兵士を振り返り叫んだ。進もう。神々の待っている所へ、
 我々を侮辱した敵の所へ。 賽は投げられた
次回からは、目次にそって印象深い部分を抜粋しながら考えてみる。  
                  (*^▽^*)/ バイ~
・・・・・・
2005年04月14日(木)
1472, カリスマについて
 先日、少女暴行で朝鮮人の変態牧師様?が捕まった。
キリスト教の普及手段として、音楽を取り入れたりして現代風にアレンジした
ファッションが売りのようだ。しかし、見るからに怪しげな集団である。
宗教そのものも、本来怪しげなものであるが。といって、30人以上の少女を毒牙に
かけていながら問題にならないのもおかしい。
カルトもオットセイ的絶倫教祖様が異常なハーレム世界がいきつく先だ。
この手合いは、現在でも世界中に満ち溢れている。ニーズがあるからである。
救いとしてのセックスもカリスマならストレートで効用があるのかもしれないが。
(もちろん皮肉である)
前に読書日記でカルトの教祖様について書いたことがあった。
コリン・ウイルソンの「カリスマへの階段」という本で、
初めから終わりまで息を詰めて読んだ。
教祖様の描いた天国の世界に、教徒は洗脳され、そして・・・の世界である。
共同体は、カタチは変われど似た側面があるが。
言葉を使った教祖様空想世界の夢商品の販売である。
信じるものは救われるのだろう。
以下は、以前書いた読書日記のコピーである。
 今度[カリスマへの階段]-2で、他にも幾つかの集団と教祖を紹介してみる。
ーーーーー
2003/05/08
「カリスマへの階段」
 いまマスコミで連日報道されている白装束の集団「パナウエーブ研究所」
を見ていて、誰もが「何故真っ当な大人?が、かくも幼稚な教祖様の御教えを
信じてしまうのだろ?」と首をひねる。
マインドコントロールというヤツで洗脳されてしまうのだ。
 7~8年前に『オウム真理教』が騒がれていた時に、図書館で
コリンウイルソンの「カリスマへの道」を借りてきて、あまりの面白さに蔵書として
買ったのを思い出して、また読み返した。何度読んでも面白いものは面白い。
9年前にスイスのカルト『太陽寺院』のメンバーの集団自殺がおき、
その前後して麻原の『オウム教』の問題が出てきた。彼らは決まって終末思想がある。
そして、その信者だけが救われるという教えを繰り返し教え込んでしまう。
 オウム教のそれは
『世界の終末は1997年に起き、オウム真理教の信者のみが救われる』と説いていた。
この白装束の主張は
・この5月15日に何処かの流星が地球に衝突する
・また共産ゲリラが彼らに電波で攻撃を仕掛けているという。
このような幼稚なカルトに何故ごく普通の人たちが、
 妄想にひた走る「メシア」様の命令を唯唯諾々と従うものか?
その原理を「カリスマへの道」では歴史を遡って書いている。
その中で一番面白く本質をついていると思われるところを以下に書き写した。
ーーー
 西暦1666年の初頭、全欧州が人類の歴史上の最大イベントを待ち構えて
いた。ユダヤ民族を昔日の栄光に導くメシア登場である。
この神の使者はサバタイ・ゼビという40歳のユダヤ人で、今はスルミナに住んでいるが、
やがてトルコのスルタン(皇帝)を打倒し、龍に乗ってエルサレムに入城する手筈に
なっている。そしてその後は戦いで次々と敵を倒して世界の王になる予定。
ユダヤ人が『我々が今にあなた方の主人になる」と言うと、キリスト教徒も心配を始めてた。
・・・ 大都市の多くではこの期待は早くも混乱を生みつつあった。
ユダヤ人社会が商売を止めて最後の審判の準備に入ったため、
まずは商業が機能停止になった。ハンブルグでは人々は家と土地を売り至福千年期に備えた。
・・・だが年も押しつまる頃に信じがたい噂がながれ,歓喜は落胆に一変する。
イスラムにサバタンが改宗したという。サバタンが若いメフメト4世の前に引きずり出され
イスラム教に改宗するか、さもなくば生きたまま串刺し」と二者択一を迫られた。
これに応じたメシアのサバタイは直ちにユダヤ帽を地に投げ捨て唾を吐きかけ、
これに変わって白いターバンが頭に巻きつけられるに任せた。
そしてスルタンー皇帝はこの改宗を優雅に受け入れと新しい名前と門番の職を与えた・・・
ーーー 
こういう新興宗教のメシア様の色いろな内容が次々と出てくるのだ。
神の名での教祖様のハーレムがつくられ、組織内での多くの殺人が繰りひらかれるのだ。
宗教ごっこならよいが、セックスと殺人が終末思想の元で日常になって自己破滅を
始めて行くのである。オウムのようなことは、宗教の創立期にはどこでもつきものである。
理想社会は教祖様にとっての意識下の世界でしかない。
95?の従順タイプの更なる他人志向を求めている人は、その理想社会の空想社会の餌に
ごく簡単に飛びついてしまう。そして全財産を剥ぎ取られてしまう。
世界中がそれに満ちているといってよい。精神的に傷つき癒されたい人が、それだけ多いのだ。
自分で本を読みつづける中から癒されるのが、一番効果があるのに! それしかないのに!?
・・・・・・・・・・
「カリスマへの階段」
コリン ウィルソン (著)

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2004年04月14日(水)
1107, 大逆転ー2
 昨夜の巨人戦が久々に面白い内容であった。
一昨夜は、世界ヘビー級の劇的逆転KOに驚いたが、
昨夜は7対1で負けていた巨人が8回の裏に9対9の同点に追いついた。
たまたま逆転の場面からTVを見たので,一番面白いところを見ることができた。
そのうち、安部が二本のホームランで6点の打点をあげた。
まさかと思っていたら、いまの巨人はそれをやってのけるから凄い。
最後は12回裏に阿部の押し出しでファーボールでサヨナラ勝ちをした。
その時は寝てしまっていたが。あれだけのバッターを集めるのだから、
こういうことがおこるのだろう。昨夜の対戦相手が中日であるが、
今年から監督になった落合監督が飄々として面白い。
長年の構想を練って監督になったのが見ていてよく解る。
長島元監督とは全く違うタイプである。
阪神の岡田、中日の落合、巨人の堀内という新しい監督の個性が
これからの試合で、出てくるだろう。過去に蓄積されたものが
どの程度であったか、あからさまになるのだから監督業も大変な仕事である。

・・・・・・
2003年04月14日(月)
740, 深夜特急
 沢木耕太郎の「深夜特急」という小説がある。
彼が若い時にロンドンへ貧乏旅行をしたときの深夜に移動する乗り継ぎ
バスからとった小説の題名である。TVドラマにもなった。
 昨夜の十時半に京都の桜見に出かけた。
一万円パック・バスツアーで、翌日の21時半に帰ってくるのもであった。
天気が良かったが、先週に桜のピークは過ぎていた。
しかし、この桜の時期のパックのシステムが良い。
・朝6時に、京都の清水寺の開門に合わせて到着するコースが組んであっ た。
・その後7時に嵐山に行って、あとは解散してそれぞれが嵐山・嵯峨野めぐりを
 して11時に集合して、オプションの食事
・その後、一般公開の最終日の京都御所をみて14時半に帰ってくる内容であった。
ハイライトは自転車を借りて周った、嵐山周辺のお寺周りであった。
印象順に書いてみると
愛宕念仏寺の羅漢仏の群れがよい。
 写真では何回もみたが、実際にみたのは始めてであった。
 人間臭い像が多くあちこちに郡をなして並んでいた。
・壇林寺の多くの仏像と仏画が印象的であった。
・祗王寺の小宇宙を思わせる庭とその中の家もすばらしい。

 最近は殆ど国内旅行はしなくなったが、こういうパックシステムに
参加して、効率的に行ってくるのもよいことが解った。
こういうシステムに参加して嵐山だけに絞って周り最終地で待ち合わせて
帰りのバスに乗るいう方法もある。43人の参加で添乗員がついていた。
新発田、新潟、三条、長岡と参加者を拾っていくのも効率的である。
深夜特急?が意外と疲れないのを知ったのも収穫であった。

・・・・・
2002年04月14日(日)
376,新潟駅前界隈
 新潟の駅前で事業を始めて21年になる。場所柄、いろいろな商売をみてきた。
本当に商売の難しさを思い知らされる。意外と潰れてないのが驚きだ。
半分は生き残っている。しかし多くの潰れていく店も多い。
数年たつといつの間にやめている。その共通点は私生活の乱れが多い。
それといつの間に「唯我独尊」になってしまうことだ。
店が悪くなると、すぐ客単価を上げようとする。
お客は「お値打ち」を求めて店に来ているのが解らなくなる。
こと値段に対して厳しい査定をしている事が見えなくなる。
そういう危なくなっている店が、ここにきて多い。
おかしくなる数年前に、何かその種をつくっている。
お客は一度離れたら二度と戻ってこない。いろいろな事情と思惑で、商売を始めている。
しかし原理原則が商売にきっちりある。その原則がわかってない人が多い。
大きい本屋を数軒回れば幾らでもあるが、気がつかないのも仕方ない。他人事ではないが。
特に飲食店がよくない。
原因は
・一人当たりの可処分所得と小遣いが減ったこと。
・出張と社交費が激減したこと。
・自宅近くのチェーン店に行くようになった。
・TV のハードとソフトがここにきて格段によくなった。
 その為、家でビールを飲みながら、TV を見ていたほうがずっと価値がある。
・そして最大の原因は不景気である。
デフレと売り上げが減っている為、客単価を下げる事が出来ない。
商品の質を一ランク上げ、価格を一ランクか二ランク下げなくてはならない。
客が来ないため鮮度と質が落ち、客単価を上げてくれば客は減って当然だ
お客は食べ物には敏感である。
おまけにデフレの為スーパーやファーストフードは合理化を進め、値段を下げてくる。
「誰がそんな不味いものを高い金を出して食べるか!」と黙って行かなくなる。
それでもまだ店を出したがる人がいるのだから。