ノルウェー登山列車 ー2

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世界最高の眺め」と賞されるノルウェーのフロム鉄道。途中にあるショース滝駅では
数 分間停車し、ホームのすぐ脇にある滝を鑑賞することができます。滝のすぐ脇から
なぜか女の人が出てきて音楽に合わせて踊ったりとショー的な要素もあったりします



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2005年04月07日(木)
1465, なんじゃい、こりゃ!


またかい!このホームページを見ている常連なら、
オーバーな表現と思うだろう。
ただ実感でいう正直な話で、その時書いた文章である。
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たまたま日本酒を取引先から貰って飲んだ感想をそのまま書く。

「これは今までとは全く違うほど美味しい酒ですよ!」
といって置いていった酒である。
その人から、普段は飲まないような極上の酒を数回か貰っていたが。

そのことも忘れて口に含んだと同時に、その美味さにビックリ仰天。
新潟の土地柄もあり美味しい酒は数限り飲んできたが、これが特別なのである。

早くいえば、今まで飲んだ日本酒で一番美味しい。
「嘘だろう、今まで日本酒に関しては美味しい酒は飲んできたのに。
自分が変ではないだろうか」と、飲んで何回も口に含んでみた。
しかし美味しいのである。

日本酒に関しては、この随想日記にも書いたことがあるが、
美味しい酒が飲める環境にあった。
地元の人がみている前提で書いているが、美味しいものは美味しい。

そこで、その酒の箱を見てみたら、ヤッパリ仰々しい印刷があった。
「ロンドン開催ー第12回国際酒祭り酒類審査会ー世界第一位受賞」と書いてあった。
天領盃 大吟醸」が、酒の名前。
メーカーは佐渡の「佐渡吟醸株式会社」。
このラベルにつられて、美味しいと思ったのではない。

口に入れた瞬間、ただ水を飲んでいるようで何の味もしなかった。
そして二口目を口に入れたとき、何ともいえない香りと味がしてきた。
朝日山の久保田(万寿)や、吟醸古酒を少し薄口にした味というと、
かなり大雑把な表現になるが。

酒の世界の深さを殆ど知らないが、底の知れない世界があるのだろう。
そういえば先日TVで、メーカー名は忘れたが四号瓶で数万円もする日本酒を紹介していた。
数十年かけて醸造したものであった。
どんな味がするのだろうか。

ワインなどは、もっともっと深い世界があるのだろう。
ー酒通がこの文章を読んだら、この程度でと鼻先でわら笑うだろうがー

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2004年04月07日(水)
1100, 撃墜王の秘密

ある本の「撃墜王の戦法」がなかなか面白い。
そのまま書き写してみる。

第二次世界大戦で「独特の戦法をとった」二人のパイロットは、ハルトマン少佐と
その師であるロスマン軍曹。ハルトマンは確認されているだけで敵機352機、
ロスマンも80機以上も撃墜している。

その戦法を最初に考案したのはロスマンである。
彼はパイロットになりたての頃、完治不能の傷を負った。

普通、接近戦になると体力が勝っている方が有利であった。
そこで普通の戦法ではとうてい生き残れないと悟ったロスマンは、考えつくした末、
自分の体力を補うテクニックを編み出した。

彼は体力戦勝負の接近戦をやめて、計算しつくした戦法に切り換えた。
一つ一つの攻撃に、それぞれの計画を練り上げた。

敵に実際に銃弾を浴びせることを考えないで、どうチャンスものにするか、
さまさまな情況を分析することに多くの時間を費やしたのである。

彼が攻撃に出るのは確実に勝利が取れるポジションを取れたときだけだった。
理想的な標的となった相手にだけ、ありったけのエネルギーを使って
集中攻撃をしかけるのだ。

ハルトマンは、ロスマンの「相手をよく見極めてから集中砲火を浴びせる」
戦法が優れていることを、自らの戦果で証明をした。ー


ー以上のことより学ぶことは、
完治不能の腕を持ったことで、考えつくして全く違った戦法を自ら作った
ことである。色いろな情況の研究に全てのエネルギーを入れたことだ。
 孫子の兵法と同じである。

普通のパイロットは、接近戦の銃撃の手法を研究したのに対して、
確実に勝利の取れるポジションとりの研究をしていたのだ。
チャンスが来るまでエネルギーと知識の保存を充分に蓄積していたのだ。

過去に上手くいったケースを考えると、大体がそうである。
勝てるポジション取りであったのだ。
人の真似とか、表面を見て準備不足の事業は失敗をしてきた。

といって、この時代ジックリ準備といっている間にチャンスは一瞬で消え去る。
難しいところだ。

一病息災というが,一つ病気を持っていたほうが健康にとってよいのも
事実である。
 
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2003年04月07日(月)
733, 30年間着ている礼服

現在も着ている礼服は忘れもしない記憶がある。
ちょうど30年前になる。
父が「あと2週間の命」と医者に宣告された直後に母にいわれて、
「村田仕立て屋」に、父に解らないように出かけて、つくったものだ。
今でもしっかり冠婚葬祭に着ているが、全く古い感じがしない。
私が子供の頃に注文服も扱っていた頃から出入りしていた仕立て職人で、
腕がよい人だった。

 年に4回位、平均して着ているとしても、120回でしかない。
それも大体が半日だから、そういたむものではないが。
しかし身につけるもので30年も使っているものは勿論これだけある。
まだまだ十年以上は使えそうなので、一生ものである。
ということは体形が30年変わってないということだ。
当時は体重が56キロ、ウエストは76センチ。
現在は60キロ、ウエストは79センチだ。
ズボンの腰周りを20年前に直したが。こうなると愛着がわくものである。

 話は変わるが、
その時もしかしたら、「父は勘で注文にいっていることを知っていたので
はなかろうか?」とこの文章を書いていて気づいた。
何か生々しい話になったが、私が死んだ時にお棺に入れてもらおう。
嬉しいとき、悲しい時に着ていたものだからだ。

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2002年04月07日(日)
369,植民地経営

西アフリカに行った時聞いた話しである。

未文明国を統治する方法として、次の3つがある。

1、直接統治
2、間接統治でそこの王族と手を組み統治
3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治

大体がこの3つである。
まずはフレンドリーに入って行き、徐々に統治していく。

その前にキリスト教の宣教者を派遣して、内側から攻めていくのが常套手段だ。
秀吉がそれに気づき、キリスト教禁止令を出したのは賢明だった。

戦後の日本も戦犯の天皇や官僚をそのまま温存させたのも、
王族の間接統治を狙った為だ。
今の日本は王族を飾り物に、戦後から続く官僚の支配がそのまま続いている。
そして悲しい事に、間接統治をされていることに全員満足している。

この不況は「1986年のアメリカのバブル押し付け政策」の結果である。
そして、直接支配に今露骨に入ってきたのは周知の事実だ。

今回の9・11テロは、
この間接支配の露骨のアメリカ世界戦略に対するテロである。

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[ターザンの最期]☆☆☆


ターザンが木から落ちて死んでいた。

土に書置きがしてあった。

「誰かがツタにー」

調べたら、いつも通るツタに油が塗ってあった。

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  ーここで一句
 
 ターザン殺すに刃物は要らぬ ツタに油を塗ればいい