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カナダといえば、湖と広大な山脈のコントラストである。
青の空と湖面と、澄み切った空気である。
もう金曜日である。その中で、静かだが、様々のことがある。
天気晴朗なれど、波高しである。それでも、淡々と日が過ぎていく。
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1806, 秋葉原再開発
2006年03月14日(火)
先日、東京・秋葉原にたち寄って、その変容に驚いてしまった
三十年以上前から秋葉原のワシントンホテルが定宿で、年数回は電気街を歩いていた。
しかし5年ほど前から日暮里のホテルに変えてしまった。
久しぶりに秋葉原の電気街など駅周辺を散策したが、駅周辺の再開発で街が一変していた。
最近になり、電気・電子機器などの世界の秋葉原と注目されているが、
猥雑な感じが残っていて、街そのものが面白い。
昨年、筑波都市と列車が直結したこともあり街が萌えているようだ。
IT宅族にとって、この街は魅力のある街だ。
立ち寄った当日(3月9日)に、秋葉原UDXが開業したが、
その事実を知らなかったため見学できなかったのが残念である。
再開発地区「秋葉原クロスフィールド」に オフィスや飲食店街などの
複合ビルが立ち並んでいる。
秋葉原文化の発信地としての役割が期待されているようだ。
東京に行く度に、エネルギーを東京にとられ地方がマスマス弱体化して
いっているのが手に取るように分る。
東京駅や新橋周辺だけでなく、神田界隈、秋葉原、上野・アメ横、
日暮里と下町の個性の集積が出来ているようだ。
特に東京駅再開発が2011年に完成予定というが、
日暮里、上野、秋葉原、東京、新橋と駅周辺の再開発が進んでいる。
これに地下鉄と結びついて、足の便が非常に良くなっている。
これがバブルなのか、本物なのか十年先には判るだろう。
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2005年03月14日(月)
1441, 星野富弘ー詩画展 -2
先週、近くの長岡中央図書館に行ったところ星野富弘ー詩画展が2Fで開催されていた。
3年前に新潟市に隣接している豊栄町で見ていたこともあって、
今回は見るのをパスをしたが、いま一度見ておけばよかったと後悔している。
画家から見たら、星野さんの絵に対して違う見方をするだろが、
絵からは花に対する思いと、美しさへの感動が直に伝わってくる。
花という儚い一瞬の生命の光りが、そのまま絵にこめられている。
花が自分で星野さんを通して、その姿を刻印しているようだ。
首から下が麻痺で動けない状態で、口だけで描くのだから、
「念写のような」という表現の方が正しいのかもしれない。
誰もが感動するのも納得する。
反面、あまりに波動が強いこともあって、少し不自然?の感もするが、
絵は、それで良いのではないだろうか!
いかなる状況でも、人を感動させる道があるものだ。
以前、書いた文章をコピーしておきます。
ー文章に書き残していると、その時の感動、感想が残るからよい。
絵に残すのは、もっと残るだろう。
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2002/06/28
星野富弘ー詩画展 -1
先日、新潟近郊の豊栄の公会堂で彼の詩画展に行ってきた。
数百人が来ていて,何ともいえない熱気に包まれていた。
ー彼の概略は
・私と同じ年の1946年生まれ。
24歳のとき教師をしていたクラブ活動で、首の骨を骨折して手足の自由を失う。
・入院の2年目より口に筆をくわえて文や絵を書き始める。
・9年後の退院の年に前橋で絵画展を開く。
・その後国内やアメリカ各地で花の詩画展を開く。
・1991年に生地の群馬県勢多郡東村で村立富弘美術館を開く。
毎年40万人が訪れるという。
彼のことを知ったのは十数年前の「到知」という雑誌である。
対談だったと思うが、その中で「傷口よりあなたの優しさが沁みこむ」
という文が忘れられない。
早速詩画集を買って絵を繰り返し見た。
口で、これだけの絵を書くエネルギーに別世界を感じ取った。
今回の豊栄の「花の詩画展」で彼の絵を同じ目線で直接見て、自分が彼(星野)
そのものになって、自分の絵を見ているような気持ちになってしまった。
何か悲しい、しかし底から突き上げてくるような暖かさを感じとった。
更に動けない自分と花が一体化したような。
花も星野という一つの生き物が自分と一体になっていることを喜んでいる感覚。
見方によっては、反対に不自然な絵でもある。
これまで一人の人間に見つめられた花が過去にあっただろうか?
愛情と言葉とエネルギーに包まれ一体化して、絵として表現されたことが。
絵の世界ではあったのか知れないが。
決して幸せでない、動けない自分に対する苛立ち、諦め,怒り、そして
愛がそのまま絵と文を通して迫ってきた。
地方の女性が一生、因縁に縛られ他の世界を知ることなく終えようとしている。
そういう人にとって、その絵と文は、いま流行の癒しとなるのだろう。
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2004年03月14日(日)
1075, スペインのテロ
・スペインのテロがあったが、次は日本と連想をしてしまう。
「大国?で、60年近く戦争が無いこと自体が異常」と考えたほうがよい。
何かが起こるのは必然と考えておいたほうがよいだろう。
北朝鮮が仕掛けてくる可能性もある。
イスラエルやシリアでは、生の虐殺のすざましい話を聞く。
シリアの前首相のサダトは、テロリストの潜伏している町の住民全て殺して、
町ごと埋めてしまったという。それ以来、シリアではテロは無くなったという。
旧約聖書を読んでいると、預言者が「この町をの虫一匹残らず殺せという神の
お告げがあった」いえば、そのとおりにしてしまう世界である。
一神教は仏教とは違う世界なのだ。
それに対抗する為に「マホメット」がアラブ人ようにイスラム教を創作した。
その争いから、グローバル化になってしまった現在、逃れる事は不可能である。
中国のウイグル地区でイスラムに滅ぼされた仏教国の遺跡を見てきたが、
仏教とイスラム教では(戦いという点で)次元が違う。
だんだんアルカイダの術中に引き込まれているのかもしれない。
これはテロというより戦争のゲリラ戦と考えたほうがよい。
日本は新幹線か山の手線をバズーカ砲一発で大混乱だろう。
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2003年03月14日(金)
709, シンプルー2
-ワンプライス・ショップ
私の経営するホテルはワンプライスホテルである。
ホテルは値段を数種類にしておいて、繁盛時期ー夏期や連休や、
週間単位では火水木曜日に高い値段の比率をあげて売るのが常識であった。
それを一切無視してお客本位にしたのが当ホテルだ。100円ショップもそうだ。
スナックでも、時間性で3千円とか5千円という店がある。
九州の境内の土産物屋で、中学生がいっぱい入っている店があった。
千円均一の店であった。修学旅行の中学生に一番手ごろの千円に絞って品揃えを
してあった。土産物屋でも業態が可能であったのだ。
居酒屋で300円か400円の均一の店を出せばと思うのだが。
料理や酒すべてワンプライスにすればよい。おそらく多くある筈だ。
おでん屋もよいのではないだろうか。
今なら不況なので200円均一にして、ビールなら生ビールだけにして、
千円のセットー5品から出せばよい。
格安なセルフの讃岐うどん屋が流行っているが、これも100円ショップにすればよい。
素うどん100円、トッピング100円とか。
すべての事にいえるのは「絶対に例外を認めない!」ことだ。
一つでも認めれば意味がなくなる。100円ショップで「200円コーナー」
をという誘惑にかられそうになるが。例外なく均一100円だからよいのだ。
値札をつける必要もないし、値下げの必要もない。ヘドロ商品は2個100円に
すればよい。メーカーも問屋も分かりやすいし、お客の方もそうだ。
ワンプライスでなくても、ファミリーレストランや居酒屋チェーンでは値段を
3~5種類に絞っている。「シンプルイズベスト」の典型である。
駄目な店ほど多いアイテムの商品と値段の店が多い。
無知の涙を地にいっている。こういう眼で見ていると、飲食店ウォッチングになる。
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2002年03月14日
旅行中につき書き込みなし
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お笑い
「どっちもどっち 」
アメリカの軍隊で将校が中国人のコックに
「お前は一生懸命料理を作ってくれる、チンコロと言っていたが
今日から名前で呼ぶことに決めた」
コック
「ありがあとうございます、それなら今日からス―プに小便を入れるのを止めます。