イタリア ーポンペイ ~街並み

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ポンペイの街並み。 当時から区画整理がなされ、整然とした街並み。



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2529, 山田風太郎アフォリズム
2008年03月07日(金)

彼の本が好きで、何冊か図書館で借りて読んできた。
暗い中に何ともいえない温みがあり、2年に一度は彼の本を読んでいる。
また亡くなる前に朝日新聞に『あと千回の晩飯』が連載したことがあった。
なかなか文に鬼気迫る内容だったことを憶えている。
先日も、『人間魔界図鑑』を借りて読んだが、著作群の中からの警句やアフォリズムなどの
採集を、一冊にまとめたもので読みやすい。
手元に置いておきたい本と判断し、アマゾンの中古本を注文することにした。
以下の文章は 「人生(時間)のセイムスケール」というHPの中の
 山田風太郎アフォリズムなどを抜粋コピーしたものである。
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★「神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す」
★「我が命は地球より重い。他人の命は犬より軽い」

★「人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている」
★「みんないう。いつか死ぬことはわかっている。しかし、「今」死にたくないのだ」

★「---いろいろあったが、死んでみりゃ、なんてこった、
 はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆」

★「死が生にいう。〈おれはお前がわかっている。しかし、お前にはおれがわかっていない〉」
★「死の瞬間に何人も悟るだろう。--人生の目的なるものが、いかにばかばかしいことであったかを」

★「生きながらそれは、多少ともすでに神曲地獄篇の相を帯びている」
★「いかなる人間も臨終前に臨終の心象を知ることができない。
 いかなる人間も臨終後に臨終の心象を語ることができない。何という絶対的聖域」

★「生は有限の道づれ旅 死は無限のひとり旅」
★「幸福の姿は一つだが、不幸のかたちはさまざまだ、とトルストイはいった。
 同じように、人は、生まれてくる姿は一つだが、死んでゆくかたちは さまざまである」

★「女ほど世にも尊きものはなし、釈迦も孔子もひょこひょこと生む」
(「お血脈」という落語のなかの狂歌

★「死をはじめて想う。それを青春という。
★「人間は正視することの出来ないものが二つある。太陽と死だ」(ラ・ロシェフーコー

★「同じ夜に何千人死のうと、人はひとりで死んでゆく」
★「人は死んで三日たてば、三百年前に死んだのと同然になる」

★「人生の大事は大半必然に来る。しかるに人生の最大事たる死は大半偶然に来る」
★「君の骨も乾かぬうちに、君の名も行為も忘れられた」

★「もし自分の死ぬ年齢を知っていたら、大半の人間の生きようは一変するだろう。
 したがって社会の様相も一変するだろう。そして歴史そのものが一変するだろう」
★「臨終の人間〈ああ、神も仏も無いものか?〉。神仏〈無い〉」

★「また臨終の人間〈今、神仏が無いといったのはだれだ?〉。
 答え無し。 ---暗い虚空に、ただぼうぼうと風邪の音」

★「死は推理小説のラストのように、本人にとって最も意外なかたちでやって来る」
★「この世で最大の滑稽なことは、自分の死ぬことだ。にもかかわらず、
 およそ人間のやることで、自分の死ぬことだけが愚考ではない」

★「臨終の人間〈神よ、世界の終わりの日の最後の審判などいわないで、
 今審判してください。なぜ、いま、私が---〉。
 神〈では、いおう。最後の審判がいまだ〉」

★「あの連中も持っていることを承知の上で、
 それでも君は「死後の世界」があることを望むのか?」

★「最愛の人が死んだ日のも、人間は晩飯を食う」
★「死の一秒前の生者〈おれを忘れるな、忘れてくれるな!〉。
 死の一秒後の死者〈おれを忘れろ、忘れてくれ!〉」

★「生の快楽と死の苦痛は万人平等である。
 しからば、なぜそれ以上の平等を求める必要があるのだろうか」
 ーー
 次回は、『人間魔界図鑑』の中の面白そうなところを抜粋してみる。

後記)また二年前の今日、山田風太郎アフォリズムについて、書いてあった。
 偶然というより、必然か、ネタ切れか、同じことしか考えられないのか?
 その程度ということか? 死について心せよ!ということか!

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007年03月07日(水) 2164, 宮城まり子
    (~Q~;)  おはよう~~ サム!

3月の日経新聞の「私の履歴書」は、
「ねむの木学園」園長の宮城まり子である。 まだ6回目だが、なかなか面白い。

 宮城まり子といえば私の小学校の頃から映画などに出ていたが、
甘っ2007たるい声が印象的であった。
その後、芸能界をやめて「ねむの木学園」を開いた。
もう二十年前のことになるが、TVでその「ねむの木学園」を放映した。
その時の子供の絵を見たときの衝撃は今でもハッキリと憶えている。
ピカソのような絵だが、絵から純粋な子供の心が直に伝わってきたからである。
役者をやめた後からも、人生の舞台の「役割り」を正直に生きている人である。
「人生を思いのまま生きている人がいる!」というのが当時の感想であった。
私の履歴書」の一日目に書いてあった、 学園を開設するにあたっての、
愛人?の作家・吉行淳之介との3つの約束がよい。
1.愚痴はこぼさないこと。
2.お金がないと言わないこと。
3.君を信じてくる子のため、やめてはいけません。
     その時、宮城まり子は「ハイ」と答えたという。

三回目の、彼女の母の教えの「感じたまま」の言葉が印象的である。
ーそこを抜粋してみるー
私は母と並んで絵を描くのが好きでした。小学校に入って間もない頃でした。
並んで描きながら私は母に聞きました。
「お母さまはどうしてそんなに絵がうまいの?」すると母は
「まりちゃん、人の絵をうまいなどと思っていけません。
人は人、自分は自分。自分の絵をお描きなさい。」と少し厳しい口調で言いました。
「お母さんは大人になってしまったから、あなたのような素直な絵は描けなく
なってしまったの。あなたにはあなたの絵があります。好きなように描きなさい」

大きくなったら絵描きさんになりたい。私の初めての夢でした。
しかし母の言いつけを守ると学校で叱られました。
絵の時間にラジオ体操をする人を描いたときのことでした。
その人がとても気持ちよさそうに見えたので、感じたままに描いたら
腕が背よりも長くなりました。先生は「真面目に描きなさい」といいました。

「ねむの木学園」では私は絵も担当していますが、一度も「上手ね」と言ったことは
ありません。「うれしいわ」と言っています。
だって「上手ね」と言ったら子供はそれで安心をして満足してしまいます。
    ーー
 書き写しているうちに20年前のTVの内容を再び思い出してきた。
「ねむの木学園」の知恵足らすの子供がピアノ演奏をしたが、
鍵盤に魂を込めたピアノの音に気持が引き込まれてしまった。
感動のあまり、その番組のビデオを何人かに見せた思い出がある。
    
    今月は、毎朝彼女の魂と出会うことができる!

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2006年03月07日(火)
1799, 風太郎の死ぬ話   (○´・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ
              -読書日記
山田風太郎の「死」に関する本を読むと、色いろの人の死に様が面白可笑しく書いてある。
そして読み終わって「死」が軽く思えてくるから不思議である。
また「死」を考えることは、「生」を考えることになるのに気がつく。
死に様が、そのまま生の完成といえるということだろう。

これまでも山田風太郎の『死』について取り上げてきた。
暗いと言われるが、お経を読んでいるようで逆に安らぎを感じる。
私が風太郎の死に対し一番好きな言葉がある。
「・・・いろいろあったが、死んでみれりゃ~、なんてことった。
   はじめから居なかったのと同じじゃないか皆の衆」である。
この本の中にも強烈な言葉が次々と出てくる。

・信長は本能寺で死んだからこそ信長であり、
 西郷隆盛は城山で死んだからこそ隆盛なのである。
 あるゆる欲望を満喫し、大往生した死に方は、その人の人生が誰の同情も
 関心も共鳴を買わないという点で、芸術的に失敗作である。

フィリップ・アリエス
 「昔の死は、人が死にいく人物を演技する喜劇的な悲劇であった。
 今日の死は、人が自分の死ぬのを知らない人物を演技する
 悲劇的な喜劇である」を取り上げ、これによって、著者の風太郎が
「人は管につながれて生まれてきて、管につながれて死ぬ」というアフォリズムを作ったという。
 
・「 臨終の人間『ああ神も仏も無いものか?』
  神仏『無い』」
 「また臨終の人間『いま神仏が無いといったのは誰だ?』
  答え無し。
  ー暗い虚空に、ただぼうぼうと風の音」
---    
 ここからはこの本(風太郎の死ぬ話)から少し離れる!
死といえば宗教学者であり東京大学教授だった
岸本英夫の「わが生死観 」の言葉が深く響いてくる。
十年間の死と闘いの中で冷静に死の恐怖の心理を克明に書いている。   
 父の死に際をみていたので、その恐怖感が理解できた。   
ーその一部を紹介してみるー
もう一度くりかえしていえば、死後の生命の存続を信じない私が、
癌というような思いもかけない病気のために、生命飢餓状態におかれ、
死の暗闇の前にたたされたのである。天国や浄土などの理想世界を信ずるものにとっては、
死後の世界は、暗闇ではない。 一つの実体である。しかも、輝かしい世界である。
 しかし、私にとっては、それは、真黒の暗闇であった。
私は、その絶望的な暗闇を、必死な気持で凝視しつずけた。
そうしているうちに、私は、一つのことに気がつきはじめた。
それは死というものは、実体ではないということである。
死を実体と考えるのは人間の錯覚である。

死というものは、そのものが実体ではなくて、
実体である生命がない場所であるというだけのことである。
そういうことが、理解されてきた。生と死とは、ちょうど、光と闇との関係にある。
物理的な自然現象としての暗闇というのは、それ自体が存在するのではない。
光がないというだけのことである。 光のない場所を暗闇という。
人間にとって光にもひとしいものは、生命である。
その生命のないところを、人間は暗闇として感じるのである。
死の暗闇が実体でないということは、理解は、何でもないようであるが、実は私には大発見。
 これを裏返していえば、人間に実際与えられているものは、
現実の生命だけだということである。人間は、日々の生活をくり返して生きている。
これは、疑いのないことである。
人間にとって生命は実体である。
しかし、人間にとってあることは、今生きているということだけである。
人間には、生命がある。
 五十年か六十年か生きているが、その寿命の中の一日一日は、どの一日も、
すべて人間にとっては同じように実体としての生命である。
どの一日も同じように尊い。寿命がつきて、死が近ずいたとしても、
その死に近い一日も、健康の時の一日と同じように尊い
そのいのちのなくなる日まで、人間は生命を大切によく生きなければならない。
死というのは別の実体であって、これが生命におきかわるのではない。
ただ単に、実体である生命がなくなるというだけのことである。
このような考え方がひらけてきた後の私は、人間にとって何よりも大切なことは、
この与えられた人生を、どうよく生きるかということにあると考えるようになった。
 いかに病に冒されて、その生命の終りが近ずいても、人間にとっては、
その生命の一日一日の重要性はかわるものではない。
つらくても、苦しくても、与えられた生命を最後までよく生きてゆくよりほか、
人間にとって生きるべき生き方はない。
このようにして、死の暗闇の前に素手でたっていた私は、このギリギリの限界状況まできて、
逆に、大きな転回をして、生命の絶対的な肯定論者になった。
死を前にして大いに生きるということが、私の新しい出発になった。
 それ以来、私は、一個の人間として、
もっぱらどうすればよく生きることができるかということを考えている。
 しかし、そう生きていても、そこに、やはり生命飢餓状態は残る。
人間は、一日一日をよく生きながら、しかも同時に、
つねに死に処する心構えの用意をつずけなければならない。
 ーー
岸本は死の告知を受け、   ガ━━Σ(゚Д゚|||)━━ン!!
「身の毛がよだつほどおそろしい」と実感を述べている。
その恐怖を乗り越えて、「いま」を生きることの尊さに目覚め、
「今が最後」とつねに思いつつ生きるところに、
自分の安住をおいた。
             ☆~~ヾ・ェ・)o尸~死んじまえばそれまでよ!