スペインー闘牛







http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive
今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=iPdGYVNd2qQ
このところ、シルクロードの写真から始まり、リオのカーニバルなどを
ネットで検索して載せている。 このところ気づいたのが、最近のデジカメの
性能が飛躍的にアップしたため、素人の写真がプロ並み?になって、臨場感のある
良いものがネット上に溢れ出している。 特に10年以上前の写真はフィルムもあって、
性能と、良いショットを撮ってやれと意識するため、あまり良いのが撮れなかった。
ところが、デジカメの性能が飛躍的にアップしたこともあり、際限なく良いものが
撮れている。 それを見ていると、忘れた当時の記憶が、戻ってくるから不思議。
たまたま去年の同土同日がスペインの闘牛。で、調べたら、素晴らしいのが、
多くあった。 で、当分の間は、思いついた過去の行き先の写真をネットで拾って
掲載することにした。 これも情報化の進化の一つである。
闘牛の生々しさと、その迫力は現場でなくては表現し得ないと思っていたが、
このような写真を見ると、少しは、伝わってくる。会場が牛の血ふぶきに熱狂し、
興奮する様は、異様といえば異様。 ローマの時代に、剣闘士とライオンなどが
戦ったのをコロセウムなどで見ていた、一つの名残りというところ!
以前は、日常茶飯事に闘牛士が牛に殺されていたが、今では、闘う前に
馬に乗った男が、槍で、背中を刺して出血させ弱らせてから,闘う。初めて見たときは、
ビビって恐ろしかったが、二度目は、完全に観客の一人になって楽しんでいた。
2005年02月14日(月)
1413, スペインについてー2
ー闘牛の話
闘牛について何回か断片的に感想を書いてきたが、もう少し詳しく
闘牛について書いてみる。三回行ったスペイン旅行のうち、二回見ている。
マドリッドで初めて見た闘牛には、大きな衝撃を受けた。
帰りは下を向いて黙って帰ってきた。とにかく残酷なのだ。
その日、一人の闘牛士が牛に突き殺されてしまった。
牛の角に刺されて空中に放り出され、会場が異常にどよめいた。
こういう場合殆ど、闘牛士は亡くなるという。
死ぬと、闘牛の世界では大ニュースになる。
現地のガイドが興奮をして、「こういう場面に出くわしたことは、
不謹慎だが、非常に幸運です」と言っていた。
二回目に見た、パンプローナの牛追い祭りの最終日の闘牛が面白かった。
牛追いは、その夜の闘牛の牛を早朝街を追い上げる時に、
男達がその前を走って勇気を競うことから始った。
またヘミングウエーの小説の舞台にもなって、世界的に知られるようになった.。
延々と続いたパンプローナの最終日、興奮は最高潮に達して、
スペイン中がこの闘牛に注目する。
二回目となると、初めと違って冷静に見ることができる。
闘牛は、闘牛士と人間の殺し合いである。生と死のギリギリのドラマが演じられる。
興奮した牛の登場から、熱狂的な闘いの後、死体になって数頭の牛に
引きずられながら葬送のラッパと供に消えていくまでの全てを見るからこそ良い。
アンフェアなのは、牛に何回か槍を刺して弱らせてから、闘牛士と闘うことだ。
そのままで闘うと闘牛士が殺されるケースが多いからだ。
初めてみた時には、アンフェアと腹が立った。
が、二回目から「こんなものだろう」と楽しむことにした。
一晩、2時間以上かけて、前座から横綱クラスまで、
三人の闘牛士と六頭の闘牛の闘いがある。
闘牛士にもランクがあって、その実力は見ていても解る。
牛にも実力があり、闘牛用の牧場で人間に触れないようにして、
野性味を残してある。とにかく、逆三角形で大きく格好がよいのだ。
また、闘っている姿は、勇者そのものである。
気の強い奴、弱いくて逃げ回る奴、性格のクセのある奴、それぞれ違っている。
闘牛士も同じだ。気の弱い牛は途中でも退場させることがある。
相撲は僅か数秒の勝負に気を入れた仕切りを長々し、だんだん気合を入れていく。
そして立ちあいの駆け引きの後に勝敗が決する。
最後に負けた力士が、肩を落として帰る場面までのフルコースで成り立っている。
ダイジェストで勝負の一瞬を見ても何も面白くはない。闘牛も同じである。
地元の観客を見ていると、この殺戮をサンドイッチを食べながら家族連れで見ている。
最後に死んだ牛を、ラッパによる葬送と供にヒモを付けた虚勢した牛が引きづって
退場するのだ。そして、帰りに解体された牛肉が売店で売られている。
西欧文化と東洋文化は基本から全く違う。長岡近郊の山古志村の「闘牛」は、
牛同士の押し合いでしかない。中世にスペインが南米を占領したのも当然である。
今の、イラクとか、アフガンも同じ構図である。アルカイダの立場も解らないではない。
今の日本は、この闘牛の牛でしかないのだろう? 少し飛躍をしたが。
とにかくスペインは、情熱と死と愛が、入り混じった文化が露出している。
芸術、建物、踊り、そして、闘牛。
以前書いた、「スペインについて」をコピーをしておきます。
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ー1998 10・05
スペインについて-1
私はスペインが大好きである。欧州で一番好きな国である。
一ヶ月後に北スペインの巡礼ロードに行く予定があり、
パンプローナのサン・フェルミン祭りの“牛追い”がそのメインである。
その前に、もう七年も前になるが、家族三人とアンダルシアを中心とした
二回目のスペイン一周ツアーに参加した。
三十数名のツアーであったが、女性添乗員が大のスペイン好きで、
それがツアー全員に沁み込んで素晴らしい旅行となった。
印象の強烈な順に書いてみる。
① まずは闘牛である。二時間たらずの間に、三人の闘牛士が二頭ずつ六頭の牛と闘う。
人間と牛の一対一の殺し合いである。
剣を突き刺すごとに血が噴水のように吹き出す凄惨な様をみて初めは正視できなかった。
ところが慣れてくると、その素晴らしさが判ってくる。
スペイン国内で5~6人の闘牛士が年間牛に殺されるというが、
その時に闘牛士が角で刺し殺されてしまった。本当にショックであった。
② 延々と続く南スペインのアンダルシア地方の‘日まわり畑’。
筆舌にかえ難いとは、この事であった。
(数時間延々とその景色が続くのである。)
③ ドンキ・ホーテの舞台にもなった小さな山頂に立つ数ヶ所の風車。
そこの360度の視界のアンダルシアの風景は“絵”そのものであった。
④ 遠く丘よりみたトレドの街と中世を思わせる街並み、そして大聖堂。
⑤ バルセロナにある聖家族教会..石づくりの為200年以上建設がかかるという。
まだ半分もできてないが、それがまたよい。
⑥ マドリッドにあるプラド美術館。現地の若い日本人ガイドの説明が面白く、
近代中世の画家の世界にひきこまれてしまった。
⑦ ジプシーの洞窟でみたフラメンコ。アルハンブル宮殿。
ゴルドバにあるメスキータ大聖堂。
スペイン人の生活の一部になっているバール(大衆居酒屋兼スナック)、
スペインは私にぴったりの国だ。
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2004年02月14日(土)
1046, ノンアルコールに切り替えて
ノンアルコールビールに切り替えて10日ほど経つ。
アルコール度は0.5㌫ほどで、普通のビールの10分の一程度だ。
500mmのビールを、350mmのノンアルコールしたのだから体調はよい。
紹興酒一合位を今でも飲んでいるので、一晩のアルコール量はオオヨソ
半分になったことになる。今のノンアルコールは一度ビールを造った後に、
アルコールを抜く製法をとっているためか以前のような不味さはない。
面白いもので慣れてくると、こんなものかと気にならないし普通のビールを
飲みたいとも思わなくなった。その代わり週に一度外で飲むビールが、
ことさら美味い。別に体調を壊したとか、糖尿病とかの対策でない。
知人が自宅での晩酌をノンアルコールに切り替えたと聞いて、
試してみただけだ。年齢からみて丁度よいタイミングということもある。
何時でも飲めるという気楽さと、駄目だったら元に戻せばよいという
余裕があったためか、スンナリとチェンジできた。
ノンアルコールに切り替えてから、2回外で飲んだ。
ビールは殊更美味しかったが、普段の外での酒量の半分?しか飲まなかった。
これが思わない収穫であった。家での酒量を半分にすると、外の酒量が
反比例でなく正比例することが解った。身体が受けつけなくなってくるのだろう。
40歳の記念に断酒をして、1年近くで挫折をした経験がある。
今から考えてみると、断酒でなく酒量を半分にする工夫をすべきであった。
それでも10年前から、自宅ではビールと紹興酒だけしか飲まないとか、
外での一人酒はしないとか、自分からは誘わないとかの工夫はしていたが。
日本ではアルコール依存症は7人に一人だという。本屋の立ち読みだが、
チェックリストをみて私はアルコール依存症ではない。
しかし酒癖が悪いことは間違いはない。
「私から酒をとったらクソ真面目な面白くない男が残るだけだ」
と勝手な理屈をつけているが、酒飲みの動機は大体こんなものだろう。
いずれにしても適量以上の酒は最大の害悪である。
適量以上の酒の味も、「たま」にはいいものだ。
注[たまー魂、霊、珠、田間]
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2003年02月14日(金)
681,「まれに見るバカ」ー 読書日記 ー1
「ぶざまな人生」が面白かったので、同じ著者のこの本をインターネット
で取り寄せた。とにかくスッキリする!「わが内なる馬鹿」というところか。
わたしも辛辣だが、ここまでひどくはない!
読んでいて私など可愛いものだと思ってしまう本である。
こんな本を書いてみたいものだが、無理だ。
下手な書評などより「まえがき」と「あとがき」を抜粋した。
ー表紙裏ー
人の世に一定程度のバカがいるのは常識である。
「浜の真砂はつきぬとも、世にバカの種はつきまじ」と。しかし、そうは知りつつも、
平成の世にわが日本につぎつぎとバカが異常発生している驚くべき事態をいったいどう
考えればいいのか。性別も年齢も、収入も地位も関係がない。さらには有名人・無名人も問わない。
なぜ、こうした事態がこの国に出現したのか?「バカ」の生態と由来とその現状を
あますところなく伝え、読む人に不思議なことに、生きる勇気が湧いてくる「当世バカ」
生態図巻。
まえがきー「バカが幸福になると手がつけられない」
わたしはバカがきらいである。なぜなら、バカはバカであるからである。
と、厚顔にも公言するくらいなのだから、当然わたしはバカでない。
と、自分で否定する奴に限ってバカだという説があるが、でもバカでない事を
主張する。二回否定するする奴もまたバカだという説を聞いたことがないから、
これでわたしは非バカは証明された、と納得していただきたい。
50年も生きていると、さまざまなバカに遭遇するものである。
だが、幸いなことに、バカのかたまりという全身バカには意外と出会わなかった。
そこそこのバカ、「折々のバカ」、時々発症する季節バカには随分とであったが。
わたしもかってはその一員っであることはあったが(30歳まで)。
しかし広く世の中を見渡してみると、感動的なことに、正真正銘のバカはやはりいる。
長ずるにつれて、全身バカも少なからず存在するものだ、ということがわかった。
本書は、そのようなまれに見るバカ(だけでない)の生態に関する物語である。ーつづく
著者: 勢古浩爾 出版社:洋泉社
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2002年02月14日(木)
331,、お見舞いの手紙-堀井正子さんへ お見舞い申し上げます。
どう見舞ったらよいか?私の仕方で最善と考えてこの本
(フランクルの<生きる意味について>)を贈ります。
非常に深い内容のある本です。
今度の貴女の病、あなた自身にコペルニクス的大転換
(人生に何を要求するかより、人生そのものが貴方になにを求めるか?)
の問いの大転換のチャンスです。この本を読んでいるうちに、
何かが見えてくるのではないでしょうか。<過去の総てを肯定し、容認すべし>
父が死を目前にした時「もう一度、同じ人生を・・」と言っていました。
これは非常に深い言葉だったと思います。
それも知識より触発された言葉でなく「苦しみの底より掴んだ言葉」
だからこそ父のこの言葉を素晴らしいと思います。
貴女の場合「池津屋とともに生き、そしてそこを去り倒産、そして音楽の先生
という人生」はそのまま安穏とした人生より、はるかによかったという見方です。
自分の人生の総てを肯定する見方です。この数年父の心境が判りかけています。
「社会的自分を一度すてて、真なる自分」を今一度じっくり見つめ直す時期です。
「過去の総てを肯定する視点をもつべし」これは私が言った言葉でなく
フランクルがいっている言葉です。神が一日だけ、この世の中にある人を
呼び戻したそうです。総てが光輝いて見えたそうです。
娑婆の人間に「何故それが見えないのか?」
「どうでもよいこと、娑婆の表象」に流されているからだと思います。
そのゴミの中で生きているからです。それを餌の種にしているからです。
これを機会に真実に生きてください! ご自愛のほど!
ー魂の言葉ー 2000年11月30日
ー 八郎
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2月14日 金曜日 1969年
10時起床。
17時に、池袋の松山寿司で行われるゼミの「我々の追い出しコンパ」に出席をする。
和やかな時間を過ごすが、石川と雲行きが怪しくなった。同期の田島も出席をしていた。
卒論を出せなかったのでやめたといっていたが、やはり寂しそうな顔をして
いた。武澤先生と話をしながら泣いていたようだ。
私も気が緩んだのか、好き放題のことを先生に言ってしまった。
そんなことを言えた柄でもないのに。先生の最後の贈る歌が感動的であった。
三年生からの贈り物で電気スタンドをもらう。武澤ゼミに入って本当によかった。
自己疎外に陥り、反発も感じ、苦しんだ。
しかし、それもゼミに対する私自身の能力不足が原因である。
これだけの思い出を、このゼミに入ったおかげで得ることができたのは
青春の財産になる。本当によかった!その後、2次会で私が幹事をする。
そこで先生の前に座り込んでクダをまく。先生に見得を切ったのだ。
バカもいいところだ。最後の最後、石川と殴り合いをしてしまった。
どういうことか、過去に一度も乱れたことのない自分が今日は本当におかしい!