シルクロード ―ポータン

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=FJBtujXM5cQ

 写真は、シルクロードのツアーでのホータン。
前日と、前後したが、ここも異国情緒という点で、異境である。
中国とロシアとパキスタン系の血が混じって、何とも言えない風貌の人が多い。
 ここでも、ネットで写真検索をしたら私の撮った写真が出てきた。
どこで拾ってくるのだろうか? 行けるうち、行けるところに行っていて
本当に良かった!と、実感。こうしてブログに載せようと調べていると、
旅の続きをしていることになる。それにしても、凄い旅であった。



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1410, 新潟駅前飲食店事情
2005年02月11日(金)
事務所近くに面白そうな全国チェーンの居酒屋が17日に開店をする。
「かっぽうぎ」という名前の店だ。中高年狙いの2000円の価格ラインの店である。
表看板に大きく、多くのメニューと価格が書いてある。私の好きな商法だ。
店相も明るくサッパリしていて、店として成功するだろう?
酒のつまみが150円・250円・280円・380円に絞られている。
家庭料理をカウンターに並べて、注文を受けると温めて出す店である。
何処にもあるが、飽きられて何時の間にか無くなるケースが多い。
不景気の為、飲み客が駅前・駅前と移動して新潟駅前も面白くなってきている。
昨秋に、事務所の至近距離に3Fの大型居酒屋ができた。
2F、3Fには10~20人の個室や、ステージのあるスナック風カラオケルームがある。
それぞれの特性を盛り込んだ新奇な店を傍で見ている限り、居酒屋戦争は面白い。
新潟のダウンタウンの古町などの飲食街が廃れ、新潟駅前に移動している。
一軒の店に2-3時間滞在して、3千円あたりで済ませたいのがサラリーマンの本音。
その本音を狙ったスナック、キャバクラ、居酒屋などが、2千~5千円の客単価を
狙ってどんどん出店をしている。
もう一つの流れは、隠れ居酒屋である。
客同士が顔をなるべくあわせないで済むような席作りをしてある。
最近できたキャバクラ(安価なクラブ)も、3~4千円の店とか。
短時間アルバイトの若い娘を多くおいて時間制で、客を回転させる。
席が店内にビッシリ取ってあり、それがエキサイテングになっている。
お客は30~40代のお客で金・土曜日は溢れているという。
他に面白そうなところが無いから、そこに集中しているようだ。
去年の11月に、「路上でのピンク系店の呼び込みの禁止の法律」
が成立をしてから、立ちんぼの姿はホボ見えなくなった。
また21時を過ぎると連れ立ったサラリーマンの姿が消えてしまった。
時代は変わってしまった!かくいう私も本当に飲む回数が減った。
家でカウチ族をしていたほうがよほど面白い。昨夜は御前様であったが。

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2004年02月11日(水)
1043, 随筆はプロが書くもの! -3
6-文章のヘソ
 一番大事なのは、書き出しである。 そこで「つかみ」が重要になる。
 テーマで興味を持たせて、書き出し部分でひきこむようにする。
 テーマがピッチャーなら、ヘソの部分がキャッチャーになる。
 そして最後に捻りを入れる。
 書き出しと締めくくりの間に 3っのキーワードを置くとよい。
 書き手は同時に自分の文章に対する「冷酷な読者」である。
 一年・二年前の同月同日の文章を毎日貼り付けながら読み返して、
 文脈のいい加減さを自分で見て、再び添削をすることがある。
 文脈の甘さを見るのは気持ちのよいものではない。
7-文章の訓練
 私の場合は、この毎日の日記が文章の訓練になっている。
 また一年二年前の文章も、最近になって添削を始めた。
 一度書いた文章を何度も添削するのが私にとっての訓練である。
 重ねれば重ねるほど、短く良くなるから不思議である。
 本当は良い文章をどんどん盗作するのが一番良い訓練になるというが。
 そこまでは自分に要求していない。
8-文章の品格
 文章は品格がなくてはならない。そういわれると、どう書いたらよいか迷いが出る。
 ただ具体的な下ネタとか、不快になるような話題は避ける。
 「それは・・・、彼の趣味」「これは私のおもてなし」とか、こういうような
 体言止めはあまりしないほうが良い。まして一つの文章に二つ以上使うのは禁じ手である。
 流行語とか紋切り型の言い方、いわゆる手垢のついた表現はやめておくこと。
 どうしても文章には、その人の人格がでてしまう。
 人格の悪い人は、ついつい悪口が出てしまう。
 評論家で片っ端から政治家や経営者の悪口をいう人がいる。
 当たっていればいるほど、その人の人格を疑ってしまう。
 批評は悪口になりがちである。
 ストレス解消になるが、あとで読んでやはり反省をする。
9-文章とユーモア
 品格に関係するが、ユーモアも大事な要素だ。
 ユーモアは、文章を楽しく読ませるための調味料のようなものである。
 しかし、これを下手に使うと品格を失う。 ユーモアは自分が楽しんではならない。
 相手を楽しませるセンスが要求される。 私の場合は、ブラックジョークになってしまう。
10-悪口は書くな
 過去の文章を読み返していて悪口を書いた内容は、いい気持ちがしない。
 それが国家や社会であったとしてもである。
 読み手の心の中は、誰も、決して嫌なことは読みたくない。
 良いこと楽しいことを読みたいのだ。書いていると、ついついそのことを忘れてしまう。
 目先書いていると楽しいが、やはり他人に曝すことになる。
 
ー以上目次に要点を書き足した。
 普段の何げないことを、面白おかしく、品格をもって、そして味付けをして
 毎日書くことはそう簡単のことではない。
 しかし、それでも書いていると止められなくなるのも事実である。
 
以下の詳細は次の機会に書く。
ー特別講義
 リンボウ先生のコンピューター文章術

コンピューターで書いたほうがよい文章が書ける。
コンピューターはキーボードの方が書くのは断然早い
コンピューターは推敲の名人
コンピューターはもろ刃の剣
横書きか縦書きか

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2003年02月11日(火)
678, 聞く耳持たぬ人
以前は「話しまくる人」というテーマで書いたが、似ているが少し違う。
喋り捲る人は、相手の反応をみてフィードバックしながら話す(違う人も多いが)。
しかし聞く耳持たぬ人は、相手の言おうとしている事に元々関心もない。
何を言っても耳の中に石が入っているとしか思えないほど、人の話が聞けない。
逆に相手の言わんとすることがストーンと入る人がいる。
耳から脳にストレート入ってしまう人だ。
ストーンと入る人が20㌫、全く入らない人が20㌫と大体大別できる。
全く入らない人をみわけるのは意外と難しい。一見聞いている風なのだが。
相手の意見をただ薄ら笑いして聞いているふりをしているからだ。
会話にも対話にもならない。その人の声(いや音)位にしか思ってない。
「相手は何を言おうとしているのか、それに対して自分の考えは如何か。
それを吸収して・・・」など全く考えられない。20㌫いったが、もっと多いかもしれない。
以前はそうでなかったが、年とともに聞く耳を持たなくなった人がいる。
(自分もだが)読んでいて自分ではないかと思ったら、そう貴方のことだ!
まあそれはいいとして、自分もその傾向が強いと思ったら聞き手側になる事を意識して
日常の生活の中で訓練する事だ。もっともそれすら聞けないだろう。
心を閉ざしているのとも少し違うのだ。性格だろうか。そう本を読まないのだ!
読まないから、何故読まなければならないのかが解らない。
読んでいても、その言わんとする中心からずれたところしか理解できない。
まあこの位にしておこう、20㌫の人も見ている可能性がある。いや見ていない!
聞く耳を持ってないのだから。

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2002年02月11日(月)
328,マ~コ 
 -堀井正子に捧げる
マ~コとは昨日亡くなった(4人いる姉の一番上の)姉・正子の幼少年期に
呼んでいたニックネームである。彼女の話である。
ー供養も含めて書く。
声楽家になりたかった」が口癖であった。
「家の犠牲になり、それを断念せざるを得なかった」とも。
プロのソプラノ歌手の「中沢桂」と高校の新潟県大会で負けたのが人生の分かれ目。
兄がたてつづきに亡くなり家業の為(婿養子の)芳朗さんと結婚。
家族の間に立ち、気苦労をした一生だった。
長岡社会から一歩も出たことがなく、その卑小性・特異性を全く
自覚できないのが特性であった。「城下町の特性」をそのまま価値観にして生きた。
性格は自己顕示の強い、自分を常に「ヒロインにしたて演じている可愛い人」でもあった。
常に人に気を使い、その場を常にパフォーマンスで盛り上げる事に全神経を使っていた。
その面では母に似ていた。「波乱万丈長岡版」の人生を充分に生きた。
独り芝居のパフォーマンスを会話だけでなく、人生で演じきった。
人に好かれ、彼女の居るところは常にオーラが輝いていた。
もって生まれた才能であろう。
後半ー40歳過ぎは事業で失敗。それからは音楽の先生として、200人を越える弟子がいた。
好きなことを仕事にできたのが「彼女への神の贈り物」であった。
おそらく彼女のこと、あの世でも歌を歌い周囲を笑わせ、独り芝居を演じているのだろう。
           安らかにお休みください!       さようなら。
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2月11日  1969年

14日の最終コンパの件で河村、石川、田口君のところへ電話をいれる。
あと武澤先生に電話をする。現在の自分は混乱をしている。
今を支えるのに精一杯である。特に今年に入って色いろあったが、
この数日その反動がきている。あまりに激しい一日一日の刺激的な日が続いた。
振り返ってみると、この二年間は自分の人生とって大きな分岐点の年になった。
それまでの20年分を圧縮した二年間だった。
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