つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=EpnERlsfBFc

金曜日を一週間の基軸日にしているので、その日が来るのがアッという間。
それでも、シネマの刺激が、緩んでいく精神に大きな刺激を与えてくれる。
50年近く、続いてきた緊張感も、やっと解け、心安らかな日々を過ごしている。
それでも、まだまだ、何?の残務整理が残っている。今年は、それが一度に
来そうだが、それもちょうど良い刺激になる。

 今では、就寝が20時半。 そして深夜の1時頃に目が覚める。
そして、半睡状態が4時ぐらい迄、続いた後に起きる。
御隠居そのものだが、これが私には良い。そういえば、家では、そうだった・・ 



・・・・・・
1764, 袖に涙のかかるとき・・
2006年01月31日(火)
「袖に涙のかかるとき」と検索をしたところ次のHPのコーナーに行当たった。  
リハビリに励んでいる人達の「名言・名句」だから深く魂に響いてくる。   
深い心の底から、人間を、健常者では知りえない世界を、見つめている。
そして、「生きている、それだけで素晴らしい!」ことを知っている。
実際に絶望の淵に立たなければ、その言葉の奥行きは解らない。
--
あるHPの ー心に残る名句名言集ーより
 リハビリに励んでおられる患者さん、家族の皆様から寄せられた
 ”心に残ることば”を「名言・名句集」としてご紹介いたします。
 同じ障害をもった皆様に、これらのことばが少しでも励みになることを念じております。
□病気になってみえてくる一番大切なことは、
 人間の生命が生きてそこにあることが実に不思議な、
 貴重なことだと気づくことである。     (西江孝之)

       そうです。生きているってこと自体がすごいことなんですね。
       これからは、 生きていることに感謝してまいります。
□言う言葉がないから、よく家内に頑張れ頑張れって言っていたが、
 失語症なった多くの人達の場合は、実は見えないところででも頑張っている。
                           (西江孝之)
       私もつい「頑張れ!頑張れ!」といっていました。
       そんな自分を恥ずかしく感じました。
□君は看よ。双眼の色。語らざれば憂い無きに似たり。(良寛
       ことばはでないけれど、主人の表情はとってもすてきです。
□世の全てを見るには目をつぶれ。
 全てを聞くには耳を閉じよ。
 全てを語るには口を閉ざせ。       (バーミヤンのヒワ遺跡)
       ことばに障害があって話すことはできないけれど、
       大切なのは心なんですね。
□「観自在」という言葉に出会うまで、毎日のリハビリや努力で
 一日も早く自由な元の身体になる事しか考えなかったが、その時以来、
 今の在るがままの自分から出発することが大事だと思った。(池田清彦
        あるがままを受け入れることって、とても大変なことです。
        でもとても大切なこと だと感じました。
□今日の一日を感謝しましたか? 
 ありがとうの気持ちと感謝の気持ちで、明日もまた頑張ろう。
        ある本に出ていたことばです。
        きょう一日を実のあるものにして、感謝する気持ちをもって、
        明日も実のあるものにしたいという気持ちです。
□神よ、変えられない事を受け入れる心の平安を、変えられる事を変える勇気を、
 そして変えられる事と変えられない事を知る英知を授けたまえ。
                        (ラインホルトニーバー)
        この神に祈る言葉が、どれ程私の心の平安を与えてくれたことでしょう。
□幸運は偉大な教師である。不運はそれ以上に偉大な教師である。(ハズリット)
        病気をまだ嘆いています。
        なかなかです。
□人間にとってただ三つの事件しかない。
 生まれてくること、生きること、死ぬことである。
 生まれてくるときには気がつかない。死ぬときは苦しむ。
 そして生きているときは忘れている。      (ラ・ブリュイエール
        生きているってことを忘れがちです。
        でも今は、生きていることを実感しています。
□名前なんか言えなくたっていい。
 名前はたまたま生まれた時につけた記号みたいなものだから、
 言えたのに越したことはないけれど、
 人間というのは生きてそこにいればいいのだ。(西江孝之)
        「名前さえいえないのか」と思っていました。
        このことばにドキッとし、そしてホットしました。
□寝る前に、今日一日を振り返って十の感謝のことばを思い浮かべてみましょう。(岡本峰世)
        今まで、何も考えずに寝ていましたが、岡本先生のことばを聞いてから、
        毎日感謝のことばを見つける習慣ができました。
□二人で睦まじくいるためには、愚かでいるほうがいい。
 立派すぎないほうがいい。
 立派すぎることは、長持ちしないことだと気付いているほうがいい。(「祝婚歌」)
        「祝婚歌」のはじめの5行の詩です。
         夫婦長く続けてまいります。
□落ちぶれて 袖に涙のかかるころ 人の心の奥ぞ知らるる。
        脳出血になってから7年が過ぎ、
        他人の心が理解できるようになりました。
□己に勝つ。(野村克也
        私の事故前に読んだのか、事故後に読んだのかはわかりませんが、
        今のその気持ちで頑張っています。
□憂きことのなおこの上に積もれかし、限りある身の力ためさん。
        50歳ころまで思っていたことに、今ぶち当たっています。
□青春とは、人生の或時期ではなく、心の持ち方を云う。
年を重ねただけで、人は老いない。
理想を失う時、初めて老いる。(S・ウルマン)
       新聞で紹介されていた言葉です。
       私もそうだと思う。
  ---
名言、名句に対するコメントも味わい深い!
そして全ての名言・名句が深く心を揺り動かす!
誰もが病に倒れしみじみと、この言葉を味あう日がくる。
そして、如何に人生の表面しか生きてなかったことを思い知ることになる。
他人事ではない!
 健常の今日という日々を噛みしめて生きなくては!
 http://homepage3.nifty.com/sanidai-nozomi/nozomi-meigen.htm          

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2005年01月31日(月)
1399, NHKと朝日新聞
 昨日の朝日新聞天声人語が時期が時期だけに、少し際どい?内容であった。
(後でコピー)
「政治的圧力の有無の報道の件」は、誰がみても朝日新聞の方が正しい。
予算承認という伝家の宝刀を自民党が持っていて、その時の権力者が口を出すのは当たり前。
と言って、修正前の番組内容も酷い偏向内容だったようだ。
問題は、政治的圧力をかけたことが悪い。しかし、今は時代が変わってしまった。
自民党の権力ボケどもが陰で左右しようとしても、今回のようなことになる。
政治屋どもは国民の直接の批判がアキレス腱である。あの??の二人が介入してないわけがない。
日本人は甘い。私もそのうちの一人だが。不払いが1㌫あまりしかないのが合点がいかない。
2~3割が不払いになるのが自然である。知人の銀行員が、「不払いの手続きに多くの客が来ている」
と言っていたが、それでこ僅か1㌫である。
NHKの歴代の会長の半分以上が不祥事の責任をとって辞めている。
島ゲジとかいわれた前の会長も不祥事で辞めている。
以前、何処かの秘境旅行で、NHKの偉いさんが夫婦で一緒だったが、
鼻持ちのならないエリート意識が漂っていた。これを契機に、NHK解体論が出てもよい。
少なくとも、分割民営化の対象にすべきである。

・・・・・・・
■《天声人語》      01月30日付
 「クレームが来るのではないかと予想はしていたが、こんなに大きな波とは」。
 NHK前会長らの顧問辞任を発表する会見で、橋本元一会長は見通しの甘さを認めた。
 NHKという巨大な船のデッキに立った新船長が、さざ波程度を予想していたとは
 思えないが、うねりぐらいならかわせると踏んでいたのだろうか。
  波は、時に予想を超える振る舞いをする。その一つが「一発大波」だ。
  気象エッセイストの倉嶋厚さんの「お天気衛星」にはこうある。
  普通、人が海岸に立って感じる波の平均の高さは、その時に現れた
 波を高い順に並べて、上位3分の1までの高さを平均した値に近い。
  天気予報の波の高さもこれだ。 しかし千波に一つは約2倍の大波になって、人や船を襲う。
  波に関する幾つかの本によると、世界で観測された最も高い波は、
  10階建てのビル並みの37メートルだ。 1933年2月、大荒れの太平洋上で、
  米海軍のタンカー「ラマポ」が報告している。
  巨船「NHK」は、これまでにないような高い波に囲まれている。
  視聴者の目は厳しく、操船を誤った船長の交代だけでは波は鎮まらない。
  前船長や取り巻きの口出しを許さない、本当の意味での新しい船出が必要だ。
  この船は不沈船とも言われてきた。
 受信料という、他の船には無い永久固定燃料の供給があったからだ。
 今度の波は、燃料供給の方法の見直しも求めているようだ。
  視聴者から見て、民放では得られない価値のある放送・報道がどれだけできるのか。
  かじ取り次第では「一発大波」を何発もかぶりかねない。

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2004年01月31日(土)
1032、「リクルートナレッジマネジメント
   読書日記ー1    
 図書館で、この本を買ってきて読んでみて、さっそく会社で3冊を買った。
 それだけインパクトの強い内容であった。現場からの視点でつくりあげた
 イントラネットの一つのカタチとしての凄みを感じとることができた。
 「普通の会社なら、3日で首でしょうね」と役員がいっていたのもうなずける。
 サブタイトルが「やれるものなら、やってみな」もよい。
 下の子供が勤めている外資系の会社のホームページに、
 丸ビルにある本社の事務所の写真が何枚か貼り付けてあった。
 優秀事務所デザイン賞と書いてあった。 机と椅子とノート型パソコンがあるだけ。
 ペーパーレスだけでなく、個々人のセクションのコーナーがない。
 正月に帰省してきた息子に、「自分のデスクは、どこまで昇進したら
 もらえるのか」と聞いたところ、「取締役」だという。
 全てはコンピューターの中なら、自分の机など必要がないのだろう。
 ナレッジマネジメントも、現場の知恵・情報の蓄積と活用を中心にしたものと、
 経営戦略を中心にしたものがあるが、この本は現場の情報や知識の活用を中心にした内容である。
 以下はインターネットで検索をしてコピーした。 これだけでも、何回も繰りかえして
読む価値は充分ある素晴らしい内容だ。
    ーーーー
     限りなく金髪に近い茶髪の女、
     森本百々子が
     営業がよろこぶために必要なものは
     ナレッジだったと気づくまでのこと。
   
    営業がほしいと思う情報を
     役に立つ形で提供する
     「都合のいい方法」をみつけるまでの
     試行錯誤と悪戦苦闘。
  
    単にシステムの問題ではなく、
     ナレッジが共有され、
     利用されていく組織を描いた。
   
    なによりもまず、
     画面を開いてもらう
     楽しんで使ってもらう
     そのためのシステム運営。

    住宅情報のナレッジマネジメント
     その担い手たるメンバーは、
     なぜかお人好しぞろいだった。
   
    きびしい「教師」と
     暴れん坊の「生徒」は
     「鉄則」を引き継ぎ、
     泣きながら!? 自分たちだけの
     ナレッジマネジメントを形にした。
   
    最大の成果は、
     「ナレッジマネジメントをナレッジ化したこと」
     人の顔が見えるシステムが
     いろんな場所に拡っていく。
  
    お客様サービスセンターを生んだのは
     挫折した新規事業のプランナーと
     マーケティング好きの元経理担当だった。
  
    「お宅の営業、あれなんなの?」
     役員の前でテープが流れ、
     顧客フォローの「仕組み」は
     共感とともに認められた。
  
    リクルート全社に通用する
     アウトソーシングモデルの確立は
     「リクルートらしさ」との
     戦いのなかで実現した。
  
    HRの事業企画を考える
     ナレッジマネジメント
     コンセプトとは?
   
    ナレッジマネジメントを測定しよう
     という試みは
     「共通の夢について語り合う会社」
     というところにたどりつく。
  
    そして北陸へ
     リクルート流の解釈は、
     野中先生の前で披露された。
  
    46の設問をもとに
     4000人の従業員が
     「職場」について考えた。
  
    横浜アリーナに集まった
     3192人の従業員は、
     酔っぱらいたちの
     ”経営に意見す”に笑い転げた。
  
    共通言語を持たない
     リクルートの従業員に
     伝わる言葉を
     探していった。
   
・・・・・・・
2003年01月31日(金)
667,「成功する読書日記」-読書日記
 ーこの本の引用とレジェメー
これに、書き込んでファイルに溜め込む。大学ノートに一冊読んだごとに書き込めばよい。
引用やコメントは初めは無理して書なくてよい、そのうちに自然と書き込むようになる。
 とりあえずこれを続けることに意味がある。
・量がたまってきたら,しめたものである。
・その為には無理をしないで、事務的に書き続けることだ
・遭遇時情報も大事である。新聞で見つけて買ったとか、図書館で何時借りて何時返したとか。
・その評価の☆とりも大事の一つ
・レジュメー特に自分がここが印象的という主観でよいから書き留めることー写す
・本選びは、自分の気に入った本屋を数軒決めて、定期的に行くこと。 図書館もだ。
・トイレ、書斎・居間・通勤電車などの本を、そのつど決めておく
・飛ばし読みOK
これを続けていくと、たんに読んだ本を書きとめているより、むしろ「収集」しているのでは
ないかという感覚になる。ある程度の量になるとそれがジャンル別になってくる。
そうすると体系化への志向が生まれ、、それ自身が意思を持ち始める。
コレクション的になってきて喜びが生まれてくる。読書日記や映画日記を続けていると、
何時しか、コレクションが「開かれる」という現象が起こってくる。
一つに集中していたジャンルに、ある日そこに夾雑物が混じりこんできて、
その夾雑物が次のジャンルを導く。これが繰り返されて色々なジャンルが
できると、ジャンルそのものの比較検討が可能になる。
SF小説、冒険小説、推理小説、時代小説などなど。
そのジャンル相互の類似と差異が目に付くようになる。
そして「小説」そのものについて、批評意識を抱くにいたります。
量がある域を超えると、「質」という問題を意識にのぼらせる様になる。
この量を超えて「質」を掴めたということは,そのまま「抽象」を行ったことを意味する。
「量」というのは、思っているよりはるかに重要である。これを軽んじるものは「質」で躓く。
「量」をこなしてない批評家は信用できない。随想日記を書き続けていて、その感覚は解る。
 理想をいえばー
自分では一切本を持たないで、図書館の本を徹底的に利用することである。
図書館から借りてきた本から必要部分をすべて引用しておき、読書ノートを
書庫代わりにすることだ。但し図書館がすぐ近くにあることが条件だ。
・・・・・
ーコメントー
以上が大体のこの本のレジェメだ。これを読んでいて、私の旅行に似ているのに驚いた。
アフリカ大陸、ユーラシア、南米、インド・シルクロードオセアニアイスラム世界と
いつの間にかジャンルができてしまう。そして今度はどこのジャンルのどこにしようか
という見方で選択を始める。
そしてジャンルー南米とアフリカの類似と差異を見たり、
アフリカだったら、ケニアタンザニアの差異と類似が見えてくる。
その為には、とりあえずある量ー回数をこなさなければならない。
この本を読んでいて、何でこれだけ量を読んでいながら読書日記や
映画日記をつけなかったか今更悔やまれる。こういう本の存在を見つけられなかったからだ。
実際に何回か挑戦したが、ノートに引用しているうちに、書く事に気をとられてしまい、
そのマイナスが大きく足を引っ張ってしまった。でも、読んだ本と、著者、出版社、
買った動機、借りた図書館、日時位とちょっとしたコメントは書けたはずである。
この習慣は必ず身につけることを誓う!!

・・・・・・ 
2002年01月31日(木)
317,あだ名
中学の同級会に出るとは、男は全員あだ名で呼び合う。
私は「ハチ」である。小学校は「八ちゃん」である。
ある男が「よく巧いあだ名をつけるもんだ」といった。
全くない男が「今考えると、あだ名をつけて貰ったほうがよかった」
そして特に、「おいら」というあだ名の話題になった。
無口の愚直の味のある男で「おいら」というあだ名がピッタシであった。
誰がつけたという話になった。無口の男が重い口を開いた。
おいら「おい堀井お前だ!」
私「エー!・・・嘘だ!」
おいら「中学の一年のときの、皆既日食の時、理科の時間にしき版に墨を塗り、
それをとうして見ようとした。うっかり落としてしまったのをお前が拾い
‘落ちてるぞ、誰んだ?’と聞いた。思わず‘おいらんだ’と言ってしまった。
堀井がその時‘おいら’とつけた」
全く忘れていたが、それを聞き記憶が戻った!
40年ぶりの記憶が一瞬で戻る快感であった。
しかし、その人にとってトラウマー心の傷?ーで残っていたのだろう。
罪なことだ?参考のため同級生のあだ名を他に挙げてみる
「カボ、ボラ、せ~の、六角・・・」
考えてみれば「ハチ」と言われることが一番いやだった。
あの年ごろは一番気位が高い。

・・・・・・
1月31日 金曜日 1969年

8時に起床。起きるのがやっとであった。最後の授業の人事管理である。
武沢先生の授業はこれでおしまいである。
ゼミの高木と喫茶ウィーンに行く。彼はこのところ角が取れてきた。
面白い奴であった。スウェーデンに恋人がいて、一緒にヨーロッパに行ったとき
別行動で彼女の家に泊まってきた。その後、どうなったか聞いてないが、
この男の行動力は凄い。
午後はゼミ。私の人生の最後の授業である。途中、川崎がきて頼んでいたコピーを置いていく。
武澤先生が比較社会主義的発想と問題中心主義的発想について語られた。
面白い内容でよく理解することができた。
これで終わったのだ、ああ素晴らしい学生時代が!感慨無量であった。
これからは、いままで培ったものが全て試されるのだ。
それを前面に出して発揮しなくてはならない。
面白そうな反面、友人達との別れも辛いものだ。
一歩足を出す為には、捨てるべきは捨てなくてはならない。
栄光の未来と前途に行こう!さて、今日は事務管理しかできなかった。
明日は価格理論と事務管理である。予定として、10時起床、2時まで人事管理。
15時から18時まで人事管理。