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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=WCqZcpuBAYk
そういえば、3~4日前のこと。就寝とベッドに入って、
少し寝付けないでウトウトしていたら、奇妙な心持ちになった。
ヨガを続けてきた影響か? 何か分からないが、絶対的、主観的思いが
精神を占めた。秘境で、感動した時の心持ちと同じ、あの感覚である。
今度、こういう精神を、気楽に持ち得る訓練をしてみようか?
あの感覚が、成功要素を引きづり出して、プラスの積み重ねを
自動的にさせていく。 今日の写真のような光景に我を忘れ、
対象に一致している、あの感覚である。
http://www.geocities.co.jp/noboish/case/index-c.html
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1367, 酒についてー2
2004年12月30日(木)
ー作家が書いた「酒の名言」ー
ある本を読んでいたら、作家の酒についての名言を集めたコーナーがあった。
この随想日記の中で、酒にまつわるテーマで十数編も書いてきた。
この「分類・引き出し」の中の検索で「酒」を打ち込むと、出てくる出てくる。
数多くの文章が書いてあった。その全てをコピーするわけにいかないから、
「酒について」を、このテーマにした。酒乱一歩手前?も、色いろの経験がある。
だから、酒についての真髄は、心の奥に染みる。
私の人生から、旅行と酒をとったら何が残るだろうか。
さすが作家が随想や小説の中で書いている「酒」についての言葉は含蓄が深い。
あの作家が酒について、こういう感想・実感を持っていたいたと思うと、
感慨が深くなる。特に多くの経験?を重ねたせいもあるからだ。
ーその幾つかを書き写しておきます。
・酒飲み人はただ酒飲む人それのみであることはできない。
酒を飲む瞬間は、生きつづけたその人の到達したある一点である。 -武田泰淳
・<狂酒>から<酒悲>の段階に移行すると、こんどは自分が無限に小さな存在にかんじられはじめる。
つまり酒によって己みずからを知ってしまうのだ。・・・ 「いいお酒ですな」と人に感心されるような
のみかたが、あんがい静かな絶望の表現であったりする。 -高橋和己
・酒飲みというものは、どういうものか酒のこぼれるのだけは非常に惜しがる。
あやまってお膳にこぼしてみたまえ。十人が十人「もったいない」と唇をつけてすするから。
-サトウハチロウ
・酒飲みは判官びいきであって、かならずといってよいほど、小さな醸造元の酒を推薦するものである。
-金子兜太
・酒を飲んでいて次第に拠ってくるその移り変わりが一番の味はひである。 ー内田百聞
・酒好きにとって、酒というものは、どの一口もうまいにはちがいないが、わけてもうまくなるのは、
ちとすぎる頃からだ。 ー堀口大學
・酒と旅・・・本当に不思議なものだ。どうして旅に出ると、うまい酒に出会うのだろう。
東京でどんなに高級なウイスキーを飲まされても、あの旅情に浸りつつの酒にはかてない。-赤塚不二夫
ーつづく
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2003年12月30日(火)
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35~40が合わない。
調べてみると206~222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、
また「遺言」のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。
自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が間違いなく変った。
一日一日が本当に充実したのだ。50人位の人に毎日読まれていると思うと、誰かに見守られているような
感覚になる。作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。
死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。
いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。
そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
ところで実感としていうと 一番勉強になり良いのが、自分であることだ。
・テーマ探しに46時中頭が1杯
・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し
・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。
ス~と書ける日はよいが、全く書けない日がある。それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。書くということは、考えるということであり、
考えを纏めることになる。書き続けることは、書き重ねることになる。
書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなってきたが。
来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿んだり、土日を休むとかして、
今のエネルギーを半分にしようと思っている?このまま続けると、ある日突然「や~めた!」
ということになりそうだ。千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。
来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に切り替え集中しなくてはならない。
それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか? どうなるか?自分でもわかりません。
ー本当に読んでいただいて有り難うございました!
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2002年12月30日(月)
626, 葬式仏教の由来
現在の日本の仏教は完全に成り下がっている事を随想日記で何回も書いている。
葬式仏教の集り体質である。その成り立ちを、ある仏教学者の本に明快に書いてあった。
・その発端は徳川幕府がキリシタンを弾圧した江戸時代にある。
キリスト教徒を撲滅する為に、お寺に監視機能を持たせた。
お寺の檀家にならないと、キリシタンにみなした。
-具体的にはお寺に宗門人別帳という登録権をもたせた。
そこで布施や付け届けをもってこないと宗門帳から抹殺すると、
脅して間接賄賂ー布施や付け届けを強要した。それにより自ら堕落をしていった。
・更に徳川幕府はお寺に葬式を命令した。
キリスト教の葬式をやらせない為だ。本来坊主は出家をしている為、家族の代わりに坊主仲間がやっていた。
一般人は家族が出していた。そこで葬式を命令されたので、一般人を死んでから出家した事にして
葬式をあげることにした。戒名はその為に作られた風習でしかない。 弟子の葬式をやってやる建前にした。
在家の葬式を坊主が始めたのは江戸時代の幕府の命令で行われたに すぎない。
本来それは本物の宗教とかけ離れたものだ。
先祖を弟子にしてあるから、先祖供養をネタに葬式業としての職業化を図ったのが実情だ。
それが現在になって壊滅を始めているのが彼等葬式仏教界の深刻な問題だ。
もっとひどいのは現世利益を約束している新興宗教団体だ。
戦後、宗教団体に免税したのが最悪の状態にした。
それを利用してドンドン大きくなって政治まで利用して国家を動かしている
何とか学会とかいうカルト教まで出てきている。ここまでくるとエログロである。
毎朝おまいりをしていると、逆にそういう集りが見えてくる!
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2001年12月30日(日)
285、フィジィ‐について
地理的にみるとオーストラリアとハワイの中間点、
日本より飛行機で7^8時間位か。もう9年なる。
この世のパラダイスという言葉が似合う小国である。
ハワイの観光化する以前の、何ともいえないのどかさを残している国である。
人がいい!のだ。、フィジアンといって無垢な温かい素朴な人なつこい国民性。
世界にまだこのような世界が存在していたとは!NHKでも‘フィジーの特集’をしていた。
一度行けばその魅力にとりつかれるはずである。今でも映画館が男女別席である。
小さい島国なのにまたその周辺に、多くのミニの島よりなりったている。
島そのものがホテルになっているところもある。
他の南国はハワイとニュージーランドしか行ってないので、他と比べる事はできないが、
華やかな観光がない分、海と空の素晴らしさを満喫できたのかもしれない。
そこで行ったカーマ島がよかった。小さな島で一周一時間ぐらい、1人で海岸を一周してきた。
おとぎの国に迷い込んだようであった。たまたまその日が日曜日。住民はホテルの従業員と
その家族が、小さな教会でお祈りをしていたのが印象的であった。
会社の社員旅行で行ったが、そのうちの1人が新婚旅行で行ったと聞いた。
そしてあらためてその素晴らしさを知ったと風のたよりで聞いた。
南洋の楽園とはよく言ったものである。
もし海の綺麗な、静かな天国のような島に行ってみたいならフィジーがいい。
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ある時間の断片
12月30日 1968年
12時に起床する。正子さんと母と食事をとる。正子さんが、今の私が陰鬱という。
前の私の方がよいという。何か頭だけが先走っているようだ。
社会に出ることに対する不安による動揺が陰に振れているのは解っているが。
14時に大手通りにいく。気持が晴れる。ただ塞いでいただけか。18時に帰ってきて食後に
TVを見て23時に日記を書いて一時に寝る。三日からジャスコに出す論文を書かなくては。