つれづれに

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 台風の本体の端が到来してきたが、雨の量が問題だが、心配ないだろう。
それにしても、避難勧告が、あちこちで出されているが・・・ どうなんだろか?


・・・・・・
2357, ギリシャエーゲ海の旅 -3
2007年09月16日(日)
ー旅行の雑感ー
*今回の旅行で、地中海と中近東一帯でイラン・イラクを除いて、エジプト、ギリシャ、ローマ、オスマントルコ
メソポタミアイスラエルの遺跡を巡ったことになる。そうすると数年以内にイラン・イラクに行くのが目標になる。
更に、遺跡といえばビルマアンコール・ワットになるが、まだ行ってない。それでは、この外にあとは何処?
といえば中南米マヤ文明と、インカ文明、中国の黄河文明、そしてタクマカラン・etc など挙げれば切りがない。
旅行を続けていると、それなりに行き先の選定の意味が出てくる。
 世界四大山脈、四大滝、有名氷河めぐり、飛び石世界一周とか・・・
*話は変わるが、前回(家内だけだが)に続き、ビジネス・クラスがあたった。
 成田の飛行機の受付コーナーで、私達の航空券にトラブルが起きたようで、受付にいた飛行機の
パンサーらしき人と何か相談をしていた。何ごとが起きたのか心配したら、「お二人がダブル・ブッキングで、
エコノミーが満席のためビジネス・クラスに席変更をさせていただきます!」とのこと。ラッキーである。
 前年も家内一人だけだが、やはりダブル・ブッキングでビジネス・クラスに座席変更した。
 これまでの旅行で席がガラガラの時に、特別に無料でビジネス・クラスの変更してもらったことがあったが
(添乗員が偶然スチュアーデスと知り合いだった)。やはり快適である。席がエコノミーの1・5倍の広さがよい。
 私の場合、エコノミーでも何の不自由を感じないが、タダであれば快適な方が良い。ビジネス・クラスといっても、
食事内容が少し良くて、1・5倍のスペースがある位。私は、慣れたこともあるがエコノミー席で何のストレスも
感じないのである。帰りはエコノミーだったが、席が2・3・2のサイド側の2人席のためストレスは最小。
 それにしても、ついている時は、そういうことが重なるものである。
 その逆が前回であったが、やはり代理店の選定段階のミスが大きい。
*秘境系の参加者は、癒しを求めている人が多い。その分、癖のある人が多い。
 それに対して、クルーズや欧米ツアーの参加者はレジャーの楽しみを求めている。
 実際は秘境系の素晴らしさを知らないだけだが。大自然が与える大迫力は魅力である。
*今回、エジプト航空を利用。
 帰りは搭乗日が9・11の9月11日。
 エジプト空港についてから実際の飛行機に乗るまで5回のチェックを受けた。
 まずは飛行場に入る時に、パスポートと荷物チェック。 次に入国審査に入る直前のパスポートと荷物チェック。
 そして、搭乗の控え室に入る時の両方のチェック。 控え室から搭乗券チェックの時のパスポート・チェック。
 そして飛行機の搭乗階段の前のチェックで、つごう五回である。 それだけ、チェックは必要なのだろう。
 そういえば、初日にギリシャへの乗り継ぎのためエジプトに深夜に入国、空港至近のホテルに一泊した時も、
旅行バックと手荷物のチェックを受けた。ホテルの入館のチェックを受けたのは、これが初めてである。
 最終日にエジプトのギザのピラミッドに行ったときも、十年前に行った時と、様相が一変していた。
 とにかく警官がアチコチ警戒しているのである。
 数前にルクソールのハトプシュトの遺跡で、観光客を狙った原理主義者よる殺戮があってから、
 観光地の警戒が一変してしまったのである。エジプト考古博物館も同様であった。
・・・・・・・
2006年09月16日(土)
1992, デジタル一眼レフカメラ -3
一番肝心の「写真の具合は?」ということに言及していなかった。写真は見ての通り全く別物である。
例え話でいうと、ハイビジョン液晶TVと、今までのブラウン管の地上放送Tvの差と同じといってよい。
デジタル一眼レフの写真を見なければ、これが普通と思うだろうが、一度撮ってみたら、もう前の写真では
我慢できない。この写真を大型液晶TVを通してみたら、そのよさは更に際立つのだろう。
一眼レフで、どんどん撮りたいが国内旅行も行く気がしないし、といって、海外は回数が限られてしまう。
とにかく量をこなさなければ腕は上がらない。しかし、そうそう一眼レフカメラを使う機会などあるわけがない。
せいぜい、近くの桜の季節ぐらいである。 探せば機会は幾らでもあるのだろうが・・・
ところで、今回の旅行で、一眼レフカメラと一緒にエプソンの「ポータブル・フォトストレージ」を買った。
現在も常に鞄に入れて、列車や自宅などで見ている。パソコンにも繋げて見ることもでき、便利極まりない。
一番良いのは、タグのボタンが付いていて、気に入った写真を押すと、タグのコーナーに複写されることである。
タグも幾つか分類してあるので、その場で気に入ったものを選択・分類できる。
そしてタグのファイルをSDカードに逆入力して現像に出すことができる。
画面もケッコウ大きいので、過去のデジタルカメラで撮ったものを入力して、携帯アルバムとしても使える。
各家庭に光ファイバーが入り、インターネットとブログが普及したことが、デジタル一眼レフの爆発的な
人気になっているのだろう。時代は音をたてて変化している。
しかし、既に新しい機種の販売のため生産中止という噂もあるとインターネットの書き込みがあった・・・ 
 写真は対象の数百分の一、数千分の一瞬を切り取るのだから、対象を鋭くとらえる。そして・・・
     
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2005年09月16日(金)
1627, 自分の死ー日野敬三 対談集 -1
 先年、亡くなった日野敬三の対談集「創造する心」が深い内容である。
癌から脳出血まで、次々と死に至りかねない病の中で書いた文章は一言一言が胸に刺さるようである。
秘境ツアーの代理店「ユーラシア旅行社」が毎月送ってくるパンフレットの冒頭の旅行のエッセーを書いていた。
これを編集した一冊の本が出ている。それぞれの旅行先のエッセイが深く対象と一体になっている。。
「創造する心」を読んで、生と死の狭間の中で今生の地球を見つめていたのが解った。
著者心の奥行きの深さには敬意を払う。 言葉は、意識化をするはたらきがある。
そして、言語にすることによって第三者に引き継ぐことが可能になる。
「死」を、いや「死の恐怖」の意識を冷徹に言語化をして、第三者に伝えている。
6人の対談者の一人、柄谷行人との対談の中のー自分の死ーという内容が死に直面した心理を深く語っている。
死に直面し、追い詰められた一人の生の声がそのままリアルに響いてくる。
ーまずは、その内容を紹介してみよう。
 ー柄谷 
死ということについては、どう感じましたか。
 ー 日野
凄く理不尽な、確固たる実体だという気がしました。
あいまいな現象ではなく。
人間は誰でも、生き物は何物も死ぬんだということは子供の頃から知っているはずです。
でも知っているはずのことが、自分の身として、今、自分の身体に起こって、たぶん三ヶ月か一年とか
ー意識を持ったまま、毎月毎晩そのことを考えならが、だんだん取りつくしまのない実体へと押し出されていく。
いったい誰が、何者かがそうきめたのか、とにかく死ななくてはならない絶対の事実を、今、パスしても、
いずれ近くに必ず来るという理不尽さ。ただ物質に帰る、自分というシステムがバラバラになって物質に返る。
この物質的世界の荒涼とした事態。これは、今まで観念的に頭で考えていたのとは違う、凄みがある。
そういう自然の荒々しい感触のようなものが、じわじわと迫ってくるわけ。何か、納得できないような、
本質的な屈辱感があったね。もうそれに対してこちらは何も、ほんとうに何の知識も役に立たない。
それを、どう理解しようたって、理解しようがない状態が一日何回かあって。もうこの時だけは、
前からもらっていた精神安定剤を飲んだ。まあ、卑怯のようだけど、それしかできなかった。
あとになって、手術後のモルヒネ系の鎮痛剤のおかげだと思うけど、自分の病室の隣の、別の棟の屋上にね、
ぞろぞろ、ぞろぞろ、色んな人間が出てくるのを見た。三晩位続けてね。
男ばかりで、全然見知らぬ人たちばかりなんです。ただ、その人たちがとっても懐かしかった。
トテモ慰めらた感じがしてね。それは夢とは違う。夢の場合は、かなり解るよね。あの人この人って。
それが全然ない。純粋に他人がいるということ。
この私という私的でしかない次元のことは,意外と重要でなくなって、荒涼と巨大な「自然」に、一人で直面する。
あなたの言う、単独性ということをリアルに感じました。あくまで単独性という荒涼たる事実の感触である。
 
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2004年09月16日(木)
1262, 書いてなかった旅行記 -1
ーカナダ旅行記
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2003年09月16日(火)
895, 超一流選手の共通項
 ー世界柔道選手権とプロボクシング世界タイトル戦-
 この五日間の世界柔道選手権が面白かった。
昨日まで5日続けて男女の八階級と団体戦の試合がおこなわれた。
2年に一度おこなわれるもので、オリンピックと同じ位の権威のあるものだ。
 何といっても井上康生の強さが目立った。背の低い棟田と大柄の外人との勝負も面白い内容であった。
二日目と三日目は、殆ど目に付く内容は無かった。個人戦の最終日は、無差別級の鈴木桂治の強さと、
女子の田村亮子の安定感が印象的であった。
 また一昨日は、ボクシングのスーパーウエルター級の世界タイトルマッチがあった。
5階級を制覇したオスカー・デラ・ホーヤと、3年前に負けているシェーン・モズリーの因縁の試合であった。
デラ・ホーヤは前人未踏の6連覇を目指しており、デラ・ホーヤの有利といわれていた。
しかし結果としてモズリーが僅差で勝った。二人とも、スピードと高度のテクニックが売りの選手。
見ていても、玄人好みのする稀にみる好試合で、最後の最後の瞬間まで息の抜けない試合であった。
ここまでお互いの技が磨かれていると、芸術の域に達しているといってよい位だ。
 柔道にしても、ボクシングも世界の一流選手には共通項がある。野球のイチローもそうだが、
身体が相手の動きに自動的に反応するまで、練習を積み上げてあるのだ。
間一髪で、お互いの技を外すことができ、攻撃もできるのだ。見ていると、優勝をするのが、
いかに至難であるかがわかってくる。一つの技に反応するのに頭で考えていては勝てない。
特に優勝候補の場合、弱点を徹底的についてくるし、得意技に対する防御に全てをかけてくる。
それでも、その得意技で勝つのだから、普通の練習では不可能。科学的に徹底して鍛え抜かれている。
 この二試合に、メジャーリーグの試合と、大相撲に、『お笑い』にと、一日TVの前に釘付け。
これに3時間の散歩に、スーパーに、図書館に、パソコンに、居酒屋(あかちょうちん)にと、根を詰めた、
しかし充実した一日であった。