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この2~3日、少し過ごしやすい日が続いている。明日と明後日も、雨が降りそうである。
とはいえ、温度計をみると、31度である。
ところで、何十年ぶりだろうか、「ミカンの缶詰」をドラッグストアの特価コーナーで見つけ買ってみた。
缶には「朝のデザート」とあったが、これが昔の味そのままで、美味しいのである。
それと一緒に買った「盛岡冷麺」も、美味い。 家内は銀座で、「盛岡冷麺の店」で食べたことがあるという」。
おぐら餡子を挟んだキャンデーとか、酒飲みのサケのツマミしか食べなかったのが、日常のカジュアルの
食べ物の旨さに、この歳で目覚めるとか・・・ 以前は、こんなことがあっても、その瞬間忘れてしまうが、
こういう何気ないことに気持ちがいくようになってきた。 要は、暇人だということか?
・・・・・・・
1602, 第三の時間 -2
2005年08月22日(月)
第一の仕事の中にも、第三の時間(魂に触れ合う時間)があるのではないか?
第二の時間の遊びと、第三の時間の差は何処にあるのだ? という疑問が当然でてくる。
第三の時間は心の深奥の魂に触れている時間である。
仕事に熱中して魂の領域まで到達している状態や、遊びでも、その領域まで到達しているものは、
第三の時間の領域といってよい。
第三の時間は静粛の祈りの時間や、音楽会で魂を揺すぶられる感動や、大自然の懐での感動は
魂の領域に入る。いかに多くの魂を揺さぶられる感動を経験するかが、人生の豊かさの基準になる。
私の経験からして、第三の時間は極限の向こう側にある場合が多い。
極限を乗り越えてこそ第三の時間の領域に到達できる。
感動と感激と感謝の極みを感じている時間、これが第三の時間である。
自分のやりたい事を喜んで全身全霊を込めてしている時間、これが第三の時間である。
意識をして第三の時間をつくることが可能である。特に日本人は多神教のためか、
日常の中で祈る時間を持つことは少ない。一人、神と向かい合う時間が殆ど無い。
現在日本が直面している混乱も突き詰めると、この辺りに問題があるのだろう。
・・・・・・
2004年08月22日(日)
1237.お笑いコーナー・・今日のお笑い1
今日のお笑い-1
・ある男、ブロードウェイで大ヒットした劇のチケットを一年待ってやっと手に入れた。
待望の日がやってきて劇場の席につくと、驚いたことに自分と小柄な老人との間にひとつ席が空いていた。
どうしてかと訊ねたら、その老人、これは亡くなった妻のために予約しておいた席なのだといった。
「……そうですか。でも、どなたか親戚の方が代わりに来られなかったのですか?」
「いいや、みな妻の葬式に行ってるよ」
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嵐の空を飛んでいた飛行機が落雷を受けて飛行不能となり、なんとか海の上に着水することが出来た。
機長の指示がアナウンスされた。
「誠に申し訳ありませんが当機には救命ゴムボートが搭載されておりません。
泳げるお客様は機内左側に、泳げないお客様は機内右側にお集まり下さい。
左側に残られたお客様は、直ちに海に飛び込んで向こうの小さな島まで泳いで下さい。
右側に移られたお客様、本日は当機にご搭乗いただき、まことにありがとうございました。」
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2003年08月22日(金)
870, 5回目の乗り過ごし
昨夜、5回目の新幹線の乗り過ごしをしてしまった、6年?ぶりである。
コンサルタントの林さんと新潟の沼垂で痛飲、22時16分の最終列車で寝込んでしまった。
気がついた時は既に長岡を通過してしまっていた。仕方がなく浦佐の駅前のビジネスホテルに泊まった。
最終に乗るくらいなら泊まると決めていたが、酔った勢いの判断ミスであった。
ホテルを始めた頃、東京からの新幹線で大宮で降りる予定のサラリーマンが新潟まで寝過ごしてきた。
財布は空で宿泊代は無し。「宿泊代と帰りの切符代を貸してもらえないか」と頼まれた当時の
大矢マネージャーが気の毒なのでその通りに応じたという。本来は警察に行けば何とかしてくるはずだが、
気が動転していたのだろう。他人事の話ではないが。
以前「乗り過ごしについて書いた文章」をコピーしておきます。
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2002/02/10
新幹線の乗り越しー4回!
通勤22年間に乗り過ごしの経験が4回ある。それぞれに思い出がある。たて続きに3回乗り過ごした。
いまから12~15年前で一番酒を飲んでいた時期であった。初めは湯沢で泊まった。
飲んでいた勢いで、ビジネスホテルの近くのスナックに飲みに出た。10時半過ぎであった。
大きい猫がいて手を噛まれた!中年のママさんがいた。湯沢の情緒が漂っていた!
その次は浦佐駅であった。やはり乗り過ごした2人と話し合い「割りかん」で帰ってきた。
長岡駅と思い歩いていて,何かが違うのでよく駅名を見ると[浦佐]であった。
3回目は本を読んでいて、夢中になりすぎて乗り過ごした。折り返しの新幹線で帰ってきた。
5年位前の乗り過ごしが面白かった。ウソみたいな本当の話である。正月の3日か4日であった。
乗り過ごした私と同年代の人と駅の改札で話し合い、どこかのホテルのツインを割り勘で泊まることにした。
そして近くのビジネスホテルで、乗り過ごしの事情をいい「値引を交渉!」
「自分には値引きの権限が無い,駄目!」酔っていて滅茶苦茶!面白くないので、そのまま出て歩いていた。
たまたま向こうから60歳すぎのの人と、40歳後半の男の人が歩いてきた。事情を話し、
「もっと安いホテルが無いか?」と聞いたら、ちょっと待てと電話をしてくれた。
そして安くしてくれるホテルがあるといいう。
助かったと思い感謝しつつ後をついていくと、何と初め値段交渉をしたホテルであった。
そしてその若い方がその社長であった。
そして飲みに行こうという。それならばこちらも乗りかかった船、その連れと付き合うこととなった。
但し値引いた分の金額を出せという。それは当然のこと二人で出した。その後、湯沢で一番の高級の
クラブで2時間、正月という事もあって大騒ぎ。ー後で知人に話したら、そのクラブを知っていたー
次の日4時間だけ寝て一番の新幹線で帰ってきた。
だんだん恥のさらけ出し?
「気違い水ー酒」を飲んだドラマがいろいろある。
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2002年08月22日(木)
495, 熊(現実)からの逃避-2
・1はセックスや酒などの遊びに逃げる。
・2は本を読んだり、自分の生き方や理想を再考再確認する。
・3は実家や故郷に帰るー過去に帰る。
・4は闘う
・他には死んだ振りもあるだろう。
私の場合は木に登るである。
「初め家に逃げ帰り、熊が去った後、木に登りくまの行方と様子を見定めた後、水遊びをする。
そしてある時期がきたら、再びそこを去る。そこは休む場所であって決して安住する場所ではない、
それだけは心しておかなくては」というのは如何なものだろうか。
IBMの理念の「鴨のはなしー残り鴨にはなるな!」を暗示してある。
またそこには子狐が様子を窺っている。たとえ話はより深く対象を深める。
人生という道には、曲がり角と行き止まりがある。迷ったら、今まで来た道を一度戻るのが最短の道だ。
人生には、本当にどうにもならない時がある。良寛がいった「災難にあう時は、あうがよい」
自然法爾ー受け入れて、あとは時間が経つのを待つのがよい。