つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=yKWoPlL2B8I

 隣が今日、住宅の地鎮祭。施主と、工事業者が挨拶にきたが、やはり三ヶ月という。
施工は大和ハウス。 それでも耳栓という小道具があるので、よいが・・・ 

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1600, 第三の時間
2005年08月20日(土)
ーやすらぎのとき
人間の流れている時間には、仕事時間、遊び時間、やすらぎ・ゆとり時間 の大まかの三つの時間がある。
私の人生を振り返ると、その一番大事なやすらぎ時間がタップリあった。
それが私の人生を豊かにしてくれた。朝のパソコンタイム、散歩、寝床前の音楽タイム、
そして海外旅行などがそれに当たる。海外旅行では、飛行場や飛行機の中で「待つ」ということは
苦痛ではなく、旅行中の待機という至福のときになる。
独りで散歩をしたり、夫婦で海外旅行にいそいそ出かけ、あまり群れないので付き合いの悪い男に見えるだろう。
しかし、この時間を意識的に創れるかどうかが人生を分ける。ここに重心を置くと、世間付き合いを犠牲にする
ことが多くなり、アウトサイダー的になる。そんなものは当人にとって如何でもよいことだが。
ところで、ある本にー沙漠の「とき」ー 中央大学総合政策学部教授 片倉もとこ
という文章があった。ふかい人生をこの文章の中に垣間見たようだ。
ー抜粋してみるー
 沙漠で生活すると、人間の存在が、きわめて小さく、しかし大きく感じられることがある。
それは、刻まれるものとしての時間が、天空に吸いとられてしまったような「とき」を経験する瞬間である。
遊牧民と一緒にいると、静かな長い長い沈黙がながれることがある。あるいは、彼らの暮らしの中では日常に
なっている瞑想の時でもある。それは、近代的な時間のなかで生活いなれた人間にとっては気まずい時間だったり、
非生産的だと思われ、ばつが悪かったり、何がしかの焦燥感を抱かせるものだ。しかし時間が消散してしまうと、
空間がクローズアップされてくる。時間に関する指標は、場所の指標でおきかえられる。
 彼らにとって場すなわち空間が非単位的であるように空間の一部化している
時間も非単位的である。時間が単位ではかることができないものゆえに、利息をとることの否定につながる。
たばこをのんで間をもたせる道具ではない。たばこ自体を楽しむ時間をたっぷりととる。
沈黙の時間に出会うと、近代的な私は、何でもよいから、おしゃべりを続けねばという焦りに似た気持ちが湧いてくる。
可視的、可聴的なもので埋めることが、生産的、つまり礼儀だと思い込みが近代人の習癖になっている。
しかし、彼らは泰然としている。

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2004年08月20日(金)
1235, 「こころ」の出家(2)-読書日記
ー「第1章 人生を振り返るとき―C.G.ユング
   「中年」の発見(ある「失踪」午前の人生、午後の人生)
中年真っ盛り、いや終盤に入った私にとって、この時期の心的風景は面白い!
今まで振り返らないようにしてきた過去が、いやに鮮明に思い出されてくる。
ーこの随想日記を書き続けていることも大きく影響しているが。
自分の人生とは何だったのか?あの時の判断は、考えは、果たして正しかったのだろうか?
あの時の、あの人の気持はどういう気持ちだったのか?この歳になって、初めて気がつくことが本当に多い。
そして、過去の、その時々の自分のペルソナ(仮面)が、よく見えてくる。
僅かしかない知識で、精一杯生きていた若い時の自分の姿が走馬灯のように、よぎっても来る。
ユングは、人生の午前と午後は、その優劣を比較するものではなく、全く違う意味と価値を持つものだという。
若いころの「発達中心のライフサイクル観」から、もう一つの座標軸の模索を勧めるユングの考え方を「出家」と、
とらえるのは自然である。人生を振り返ってみて思うことは、生きるということは「自分への旅」ということである。
四国のお遍路は「過去の自分に向かって歩くこと」だというが、生きるということは、
いま現に自分に向かっての旅をすることだ。そして、最後には無に帰っていくのだ。

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2003年08月20日(水)
868, 「ロバート・アレンの実践億万長者入門」ー1
  ― 生涯続く無限の富を得る方法
 全米でベストセラーのこの本、著者が長年にわたって蓄積したきたノウハウを読みやすく、解りやすく、
実践しやすく、具体的に書いてある。しかしちょっとしっかりした女性なら誰もが実行している内容が多い。
その当たり前のことが多くの人が解ってないのだ。だからこそ全米でベストセラーになる。
よく読んでいると「長期的に貯まる生活習慣をたてよ」ということだ。
その長期的合理的システムを生活習慣に組み込むことを具体的に説いている。私の両親が教えてくれたことだ。
 子供の時から大晦日、お年玉を兄姉全員が貰った。そして全員に貯金通帳をつくり、半強制的に預金をさせていた。
姉たちには結婚の基礎資金にしていた。結婚数年後に、それを元銭にして家を建ててやった。
 私の場合は特別に高校に入ると同時に株を買えと勧められた。
「何を買うか株の銘柄を調べて、自分で選択せよ」という事だった。自分は当時、ある持病を持っていた。
その特効薬ができたという新聞記事を読んでいたので、その会社の株を買った。
「科研」という会社であった。それから株式の欄を毎日見るようになった。
父の狙いは経済に興味を持たせ利殖をおぼえさせようということだった。。
株を買って以来、今日まで株のコーナーを見ない日は殆どない。
                                   -続くー
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2002年08月20日(火)
493, 女の盛り
 表面的のことだが
・女性の若いときの盛りは、やはり18歳から21歳。
・次は少し社会に揉まれた30歳あたりだ。
・最後の円熟の年増の最高潮が41歳である。 これは生命保険の偉いさんから聞いたが、
 正しくそのとおりである。 妙齢の年頃という頃だ。
・往年の大女優がエッセイで書いていたが、45歳を境に坂道を転げ落ちるように、衰えが激しくなる。
 姉や従姉妹など見ていると全くそのとおりになっていった。色が全体に黒くなってくる。閉経期と一緒だ。
 それに図々しさが加わると小母ちゃんになってしまう。その時こそ、本当のお洒落が必要になってくるという。
 それと教養が顔に出てくるから更に怖い。
 去年の同級会に出てびっくりした。 55歳の同級会であったが、見事おばさん化していた。
 男もそうだが、それでも女性ほどではなかった。 肉体の衰えが、精神を抑えることができないのだろう。
 そこに残るのは品性だけだ。 そういう意味で、品性は大事である。 その時にお洒落の意味が出てくるという。
 如何に老いをプラスに表現できるかである。けっして若く見せることでない。
  TVタレントや女優を見ていると、その良し悪しが見えてくる。

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2001年08月20日(月)
[114] メキシコ旅行記
現在旅行記のコナーが不調の為掲載できなかった旅行記仮にこのコーナーで載せておく。
2001/02 近畿ツーリスト
とにかくいいかげんな陽気な、しかし奥行きの深いラテンアメリカの国だ。
世界遺産だけで21もある遺跡の国でBある。文明はBC5~AC16にかけてさかえた。
メキシコの大半が1000メートルをこえる高原で、国土の4ぶんの3が荒地である。
今回の旅行は代表的な‘テオティワカンの遺跡’と‘チェチェンイッアの遺跡’と
ウシュマルの遺跡’と世界的リゾート地‘カンクン’のツアーであった。
1、まづはてオテオワカンの遺跡―  
  メキシコシテーの50キロの近くにあった。
  BC2につくられ当時20万の人口があった。
  高さ46メートルの月のピラミッドと65メートルの太陽のピラミッドと
  南北4キロを貫く死者の道があった。
  ここで不思議に思ったのはエジプトと全く交流がないのに、
  カタチと大きさが同じピラミッドがあることである。
  神聖なおおらかな感じがした。
2、次はチェチェンイツアの遺跡―
  チェチェンイツアは'泉の近くに住む魔法使い'という意味であるという。
  そこのピラミッドは365段の階段で出来ており、暦をあらわす。
  いけにえの泉も印象的であった。
3、ウシュマルの遺跡は都合三回建替えられたという。
  小人が一晩で造ったという伝説のある卵型の'魔法使いのピラミッド'
  が印象的であった。東洋的な神秘性が漂っていた。
4、カンクーンはこの旅行で初めて知ったが、世界に誇る大リゾート地であった。
  幅2~300メートル長さ数キロの半島に、100以上のリゾートホテルが立ち並ぶ
  カリブの別天地という感であった。
  メキシコの今の現状は思っていたよりずっと豊かであった。