つれづれに

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 昨夜半の暑かったこと。どういうわけか、冷房は、もう限界というまで入れない。
ケチっている訳ではないが、毎年、それが習性だからということか。

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1589,自民郵政解散の攻防-3
2005年08月09日(火)
 ついに郵政解散が決まった。戦後60年の最後の総決算の選挙になる。
亀井派と元橋本派の一部が、自民党から出て新党を創りざるを得なくなった。まあ、良いことである。
今度の選挙は、自民党が前の数字に近い当選で勝利するだろう。その勝利の勢いで郵政の法案を通すのが
望ましいが、予測不能である。歴史に残る選挙になる。民主党も、現状維持が精一杯だろう。
新党を結成した旧守派の多くは世論の攻撃で消滅していくだろう。
その意味で、今回の結果はむしろ小泉にプラスになる。もともと、消滅しているはずの自民党が、
小泉の「改革というお題目」で存在していただけである。
その本丸の郵政改革を潰してしまえば、自民は消滅するのが当然である。
但し、反対派を民主党と旧守派を敵対にすれば存続しえるはずだ。
それに、道路公団などの談合などが大きな追い風になる。情報化は、根本から世の中を変えてしまったのだ。
予想以上の自民党大勝か、民主党への政権移行か?
民主党は、郵便局の労働組合に縛られて正論がはけないのが致命傷だ。
 あの党首、首相の器?

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2004年08月09日(月)
1224, 広松渉ー哲学について(2)-26

広松渉の「新哲学入門」を、私が理解したレベルで書いてみるが、内容はかなり難しい。
しかし、これを理解しないかぎり現代の哲学を語ることができない。簡単に加工可能な
デジタル社会の現在、存在・認識・実践そのものを根底から考えなければならない時代になっている。
荘子の[胡蝶の夢]で、蝶になった夢から醒めた男が「醒めた自分こそ蝶が夢をみているのではないか」。
「蝶が人間になった夢が現実」とすると、見えている事実は脳内の作用でしかない?
TVドラマの世界に入り込んでしまい、現実をむしろ虚構と思い込んでしまう可能もある時代である。
この書は、認識、存在、実践の近代的世界観を根底から批判しているが、
最後の章の「実践するとはどういうことか」から、感想と印象的な文章を書きだしてみる。
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  第三章 実践するとはどういうことか
   第一節 行為の存立構造
 行為の存立構造の、糸口として、演劇(芝居)を喩えのモデルとしてすると構図が見えやすくなる。
社会学では、役割行為論がスポーツ・モデルが展開するケースが多く見られるが、演劇モデルを取り上げる。
                          *ー私の感想である
  ー人生劇場の舞台
人生劇には、舞台的場所や道具的与件があり、総じて幕場的状況がまずある。
--神といった超越的「劇作家」の存在を考える立場もありますが、
これは暫く括弧に収め、[即興劇]ということにしましょう。人生劇では[舞台]が大変に広く、
観客席や楽屋までが舞台であり、観衆や裏方も俳優に導入される。
舞台的場面は、自然的環境と社会・文化的環境とに二分して考えるのがふつうである。
*人生を徹底的に、舞台劇場として自分を醒めた目で書き出してみると、
全く違った見方ができるだろう。長期的将来の計画をたてるのは「劇作家」の
存在の視点であろうし、現在は過去の自分という劇作家の結果ともいえる。
何も考えず惰性に流されて生きている人もいるが。

ー行為の共演性と役割存在
行為という時、一個人だけで自己完結的であるように扱われるのが常套です。
いわゆる集団の行為といえども、個々人的行動の代数和のように扱われがちです。
確かに単独行為があるが、舞台的・道具的条件なるものからして、他人たちの介在によって
初めて成り立ちます。・・・・・・・・・
今、例えば、農夫が孤独に畑を耕しているとします。
 
ー役割行動と「内自的主体」
・あれこれの[[役柄]衣裳を脱・着する本体的主体とは、いかなる存在でしょうか。
さしあたり、[役割]を身にひきうけて所定の様式行動を演じる[俳優]本人です。
しかし、、芝居の俳優には舞台外の生活があるが、人生劇場の「俳優」には[舞台外生活]はない。
全てが[舞台生活]ですから話が厄介になる。裸の当の固体は、単なる肉体的・物質的固体ではなく、
‘魂’を内在せしめているいる個体と認めるべきかもしれません。が、しかし、‘魂'とやらを認めても、
直接的な外部観察では当人の‘魂’の個性的な特徴は見えません。
他の諸固体と区別をする特質を‘魂’とやらに求めるわけにはいきません。
役割的行動とは、図式化していえば、おのおの内自的特質を具えた人格的主体が、
幕場的情況の場において、終局情景的目標を設定して手段的行動様態をつくりつつ
[決意的起動]を遂行するが、当の目標行為は、ただ単なる対自的な[目的合理的行動]ではなく
、[共演者たち]によって期待されている行動[対他的「役割行動」]でもあるのが現実です。
そもそも[内自的に個性的な人格]とは何であるか、その人格性とは何であるか。
*要するに、期待に対する役割行動の中には演じる俳優が存在しているが、人生の場合はそれが同一の自分である。
 それ故に、多くの問題が提示される。俳優個人を‘魂’とやら、いうのか?
 といって、その俳優を‘魂’とみれば、その個性ー固体を区別ができなくなる。

ーー以上が、行為の存立構造の概略である。
人生を、人生舞台に例えて、そこで演じる自分の役割と舞台における幕場(シーン)で
人間の実践における行為を解りやすく、説明をしている。女の人生をみても、幼女、少女、若い女、妻、中年、
老女と、その時々変わっていく。そして役割(学生、ギャル、妻、母、祖母)も、その都度、変化をしていく。
そして、同時に共演者も変化をしていく。それが人生である。
この[新哲学入門]を読んでいると、覚せい剤を飲んだような?意識が覚醒してくるような気分になる。
次は、[実践と価値評価]についてである。

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2003年08月09日(土)
857, 閑吟集-チロリチロリチンチロリ

 よのなかはちろりに過ぐる ちろりちろり (49)
 何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波の一葉よ (50)
 何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なり(51)
 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に
                        あじきなき世や(52)
 夢幻や 南無三宝 (53) 
 くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して (54)
 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55)

 ー 大意ー
世の中は、ちらっと、瞬く間に過ぎる。
ちろり、ちろりと。
浮き世は「風波の一葉」でいいじゃないか。古希まで生きられる人間が「古来まれ」
でもかまわない。「水の泡」「露の間」のようなはかない「夢幻」の世。
「夢の夢の夢の」ような世間だからこそ、すべてを肯定して「狂へ」ばいい。

ー数年前にこの「閑吟集」の一節を読んで、この歌の中に流れている諦念と反面、強烈なエネルギーに
ショックを受けた。その翌年の年賀葉書に書いて出したりもした。またコピーをして、知人に配ったり、
手帳にはさんで、この一節を暗記をした。、そして数ヶ月間近くいつも口ずさんでいた。
たまたまモロッコ旅行の飛行機やバス移動の中で一人口ずさんでいた。
その時の自分の気持ちをそのまま歌にまとめてあるようだった。
 一種の無常観を歌っているし、「ちろりちろり」には茶化したユーモラスな感じが漂っているのがよい。
「ちろりちろり」と人生はあっという間に過ぎていくものよと、諦念混じりに笑っているのが心の琴線に触れる。
 反面、強烈な現世肯定の歌にもとれた。「狂う」とは常軌をいっした行動ととれるし、ある物事に集中する
意味にもとれる。びくびくと、したり顔をしてつまらない一生を送るより、ただひたすらに「狂う」
ように集中して生きろと。この世の儚さをそのままに受け止め、一期の夢と見切る
覚悟があればこそ、人は「狂う」ことが出来るのだ。
読み人知らずの作者が5百年近くの時間を越えて語りかけているようだ。
「世間」を「男女の仲」の意味もあり、そう解釈するとまた意味が違って来る。
「ちろり」は、昔、酒を暖めるのに使った、「銚釐(ちろり)」という道具を
連想すると、男女の交わりを暗示していることになる。

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2002年08月09日(金)
482, 毎日が刺激的
 下の息子に一昨日、家内が電話をしたら自分の会社が買収されて、近くIBMになるという。
Pwc-プライスウオーターハウスという、世界最大のコンサルタント会社で、ナンバー2を2倍以上
引き離している優良会社。まさかと思って知人に聞いたら、日経新聞に8月1日に出ていたそうだ。
アメリカ最大の倒産のエンロンに関連して、あのアンダーセンが消滅寸前。会計部門と
コンサルテング部門の二つの部門を持ってることが、今回のエンロンの事件を引き起こした。
その轍を踏まないように、コンサルテング部門をIBMに売却するという。
全世界に12万人の従業員を抱え、IBMより上と見ていたのに。二分割して吸収される。
入社2年目で本人には全く影響はないだろうが。外資系は劇的なことを平気でする。
初めからIBMに入社したと思えばよい。しかしあくまで吸収先という事実は変えることはできない。
しかしまたゼロから再教育は最低必要条件である。本人は長い目でみたら、よい勉強になる。
外資を短期間で二つも経験できるのだから、最大の教育だ。
考え方一つだ!直接本社か、子会社か、関連会社か。今回IBMのホームページを見て、
初めて知ったが100㌫出資が子会社で、関連会社は出資比率で書いてあった。

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2001年08月09日(木)
[103] センチュリーベーカリー
-昭和50年3月~8月31日ー
ほとんど他人に話した事がないが、焼きたてのベーカリを立ち上げた事がある。
千葉千城台のビルと養老の滝1122号店を立上げ一年、空きビルを埋めるべく何がいいかみた時、
当時団地では全くなっかった‘焼きたてのベーカリー’に目をつけた。
冷凍生地を主体とした焼き立てパン屋である。商社の東レの子会社の蝶理という会社が、
このフランチャイズをやるという新聞記事をみて早速やることにした。
東十条にある関連のパン屋に朝4時に起きて、二カ月オープン!
何時ものように、パニックそしてーーー。
素人は初めは良いがある時期がくると、応用が利かない弱点が出てくる。
その時期、長岡の実家で問題が生じ帰ることになった。第三者の経営委託に切り換え急遽長岡へ。
恐らくあのままやっていたら3~4年で行き詰まったのではないかと思われる。
しかし若さか今考えてみると良くやったと思う。苦し紛れで‘開発型委託経営ビル’を造った事になった。
考えてみれば、ジャスコ、いとはん(北陸ジャスコ)、ビル開発(飲食フランチャイズ+ベーカリー立上げ)、
実家の衣料デスカウント・ハ