つれづれに

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今日のYoutube
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 この生活になって二年三ヶ月あまりになる。
深夜の二時ぐらいに目が醒め、二時間ぐらい半睡状態の後、起きる。
そして、随想日記の仕上げと、アップに一時間かけ、三十分の瞑想の後、
自転車で20分ほどの信濃川へのポタリング。そして・・・午前の日程が終わり、
午後と夕方へ・・・ 単調だが、充実している。習慣の力は大きいが、自分の
力量の範囲は超えることが出来ない。 今さら超えても同じことだが。
 精神的には、非常に軽くなり,ふわふわした感じが、よい。
物足りなさが無いのかと、家内に聞かれたことがあったが、それは全くなし。
歳をとったことと、人生の前半に多くの節目の経験をしたのが、そうさせている。


・・・・・・・・・
2004年07月16日(金)
1200, ロマン・ロラン
 ―哲学についてー16
学生時代、野田一夫教授の[経営学]の授業で、ロマン・ローランの
ーベートーベンの生涯ーを勧められ読んだ時の感激を今だ忘れることができない。
1967年6月中旬だった。
高度成長期の時代背景もあってか、彼の理想主義が大きく心に刻まれた。
彼は生涯をかけ人間の善意と崇高さを信じ、理想を求めたヒューマニズムの作家であった。
演劇作家から、しだいに偉大な天才たちの評伝を書くようになった。
『ベートーベンの生涯』の中で「ぼくの芸術は貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない」
と述べている。「第九」は作者ベートーベンの人生ー病苦、難聴、絶望―を投影している。
それでもベートーベンは生き抜く意思を込めた曲である。悲痛な心情とともに、それを乗り越えて、
芸術で人々に尽くすことに生きる意義を見いだそうと格闘する魂。その使命感が彼を救ったのである。
音のない闇の中、ベートーベンは光を見つける。
「これこそそうだ! 見つかった!! 歓喜!  
        われらに不滅のシラーの歌を歌わしめよ!」
(『第九』発表1年前、音楽ノートにつづった言葉)
「第九」は、第1楽章から第3楽章まで、あの「歓喜の歌」の旋律が断片的に現れては消え、
最終楽章に向かって苦悩し続ける。
そしてついに「おお、友よ。この調べではない」と、最終楽章でこれまでを否定する。
それは、これまでを全否定しているわけではない。
実は、現れそうになっては消えたあの調べ、あの旋律こそが主題の「歓喜」であり、
今までの苦労の中に「歓喜」はあったのだと劇的に展開していく。
 ーベートーベンの言葉がよい
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐えることができる」
「苦悩を突き抜け歓喜に至れ」
「私は善良よりほかに卓越性のあかしを認めない」
「諸君、喝采したまえ。喜劇は終わった」     (ベートーベン最後のことば)
「苦難の時に動揺しないこと。これは真に賞賛すべき卓越した人物の証拠である」
ロマン・ローランは、彼の音楽と言葉から苦痛と、それをのりこえた魂の偉大さを感じとる。
そしてその生き方と彼の理想主義がマッチしているのがこの本であった。
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐えることができる」
「苦悩を突き抜け歓喜に至れ」は、私の20代の心の芯になっていた言葉であった。
ロマン・ローランは、他にも多くの格言を残している。
ー彼の言葉を抜粋するとー
・愛はそれが自己犠牲であるときのほかは、愛の名に値しない。 ―「トルストイの生涯」―
・真理への愛のみが、我々を決して裏切ることのない唯一の愛だ。 ―「愛と死の戯れ」―
・三つの大きな性的異常のうち、
第一のもの《自愛》は、個人にもっとも害を及ぼす。
第二のもの《同性愛》は、人類種族にもっとも害を及ぼす。
第三のもの《近親同士の愛》は、社会にもっとも害を及ぼす。 ―「回想録」―
・諸種の主義のあいだの闘争がなんだというのか。
 唯物論、唯心論、社会主義共産主義といったところで、それはどれも繋いだ犬の首輪なのだ。
              ―「魅せられたる魂」―
・理想主義のない現実主義は無意味である。 
 現実主義のない理想主義は無血液である。   ―「先駆者たち」―
・英雄とは自分のできることをした人である。ところが、凡人はそのできることをしないで、
できもしないことを望んでばかりいる。    ―「魅せられたる魂」―
・男性は作品を創る。しかし女性は男性を創る。 ―「ジャン=クリストフ」―
・まさしく音楽こそ、精神の生活を感覚の生活へと媒介してくれるものです。―「ゲーテベートーヴェン」―
・大半の聴衆が興味を抱くのは、音楽ではなく音楽家である。    ―「ジャン=クリストフ」―
・多くの者は、自分達の階級を軽蔑するふりをしながら、自分達の階級から頭角を現わす機会を狙ってばかりいる。
               ―「ジャン=クリストフ」―
・自己放棄は偽善である。              ―「ジャン=クリストフ」―
・個人の権利は、国家の権利がなければ無為に等しい。
・恋は決闘です。右を見たり、左を見たりしていたら敗北です  ―「魅せられたる魂」―
・幸福は世界のリズムの一瞬間であり、生の振子が往来する両極の一つである。
 その振子を止めるには、それを破壊するほかないであろう。  ―「ジャン=クリストフ」―
・誰でも幸福について語るが、それを知っているものは少ない。 ―「断片」―
・《自然》は感傷主義には頓着しない。
 《自然》は自己の目的を達するには、人間の徳性をふみつけて通る。  ―「愛と死の戯れ」―
・新聞・雑誌は嘘の巣窟だ。そして読者の大半は、その嘘にまるめこまれる可能性がある。―「内面の旅路」―
・弱者達の貧血している生活は、神の信仰を必要とする。 だが、太陽と生命を自己の内部に有する人は、
自己以外のどこに信仰をさがしに 行くことがあろうか。    ―「ジャン=クリストフ」―
・人生は幾度かの死と、幾度かの復活の一続きである。      ―「ジャン=クリストフ」―
・人生は往復切符を発行してしません。一度出立したら、再び帰ってきません。―「魅せられたる魂」―
・人生は人間が共同で利用するブドウ畑です。一緒に栽培して、共に収穫するのです。―「魅せられたる魂」―
・知識人は政治家を軽蔑し、政治家は知識人を軽蔑する。     ―「ジャン=クリストフ」―
・真実の生活に根ざす唯一の真の道徳は、調和の道徳であろう。
 だが、人間社会は今日まで圧迫と諦めの道徳しか知らなかった。 ―「魅せられたる魂」―
・国家は祖国ではない。それを混同させるのは、それによって儲ける連中だけだ。
・秩序とは、したいことはさせずに、したくないことをさせることだ。
 片目でよく見ようして、もう片方の目を潰すことだ。
・今もっとも革命的な人々も、知らないうちに、おそらく一番古い伝統の人間となる。
              ―「ジャン=クリストフ」―
・悲しみは最良の友であり、人に法外な歓びを与える。      ―「ミレー」―
・人生はすぐそこに、 すぐ私たちのそばに、 まったく単純に やさしく静かに在るのですわ
             ー「愛と死との戯れ」
ーロマン・ローラン概略ー
フランスの小説家であり思想家。
トルストイの思想的影響の下に出発、人類への愛、理想主義の信念に基づき
創作や平和運動に活躍した。
ベートーベンの研究もある。
代表作は「ジャン=クリストフ」「魅せられたる魂」。(一八六六~一九四四)

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2003年07月16日(水)
833, 孤独について -2
 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。 
 経営者は孤独でなくてはならないとか、孤独であるという。
特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。お互いの距離をおくことである。
ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。
1 独想
2 独学
3 独行
4 独遊
5 独創
6 独楽
 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。
独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで嘲笑のなか行動開始、
途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。そしてその起承転結を楽しむ。
しかし実際はつらい孤独業である。つらさと楽しみは裏表であることを知る。
二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。
 孤独に耐えるためには、宗教が必要である。日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルで
見たときとんでもないことだ。欧米では自分が気違いだと言っているに近いことになる。
スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚していない為である。
                   ーつづく
  ーーーーー
 2002年09月01日(日) 506, 孤独について
人間は独りで生まれ、独りで死んでいかなくてはならない。本質は孤独である。
学生時代、名僧いや怪僧?の新井石龍禅師との問答で、禅師は、[禅は一言でいうと何ですか?]の私の問いに
「字のとおり単を示すことだー宇宙に自分が独りということに気づくこと」と答えられた。全くそのとおりである。
若い時に大都会に出る必要性は、大都会の中で、凍りつくような孤独の経験をしておくことである。
圧縮された大都会の真ん中での孤独な生活である。
じっくりと孤独の厳しさを知ると
・仲間の大切さを知る事ができる、但し真っ当な人だが!
・本を通して数千年前、数百年前の人物と出会うことができる。
・独り遊びの大切さ知るー音楽会や映画に独りで行くとか。
・自分のアイデンテティーが見えてくるー自己の確立。
・孤独の賑やかを知る。
それを若い時にじっくり経験してないと、「何処かの子狐?」のように中年期・壮年期を迎えたとき、
どのようにしてよいか解らないで、そのレベルでベタベタ群れるしかないのだ。
それか濡れ落ち葉になるしかない。失敗の人生である。
地方にはこういう人が大部分だ。仕方ないことだが?

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2002年07月16日(火)
458,一期一会
 以前にも書いたが、旅行の楽しみの一つが色々の人と会えることである。それも字のとおり「一期一会」である。
殆んどの人が初めて会い、2度と会うことがないことが解っているから、 全てを曝け出し、そして別れていく。
「天国?に行く途中の舟で一時隣り合わせた人たち」に喩えることができる。
平気で自分を曝け出せる場でもあり、人生の学問の場でもありうる。お互いの人生の通知表を見せ合える場であり、
 人生の決算書を携えて来ているともいえる。
色々な人生があるものとつくづく思う。 遠藤周作の「深い河」というインドのツアーの参加者のそれぞれの
人生を描いた小説があったが、