つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=erPXb8hAcqQ

 ブラックジョークのような、アベノミクス
まずは選挙までのパフォーマンス。その後、化けの皮がはげていくのだろが。
10年後に一人辺の所得が年に150万増という。 人口も減り、これまでの失政の
つけが回ってくるのに何を言わんか。 分かっていても、
「いいじゃないか、いいじゃないか踊り」をしなくてはならない哀しさ。
  自分の人生を振り返ってみても、同じようなものか。

 糖分ゼロの コーラを買ってきて飲んでいて、てっきりコカ・コーラ
思っていたが、「キリン メッツ コーラ」とあった。コーラは冷やして飲むため、
砂糖が多く入っているので身体に良くないというが、糖分ゼロなら消費者は飛びつく。
コカ・コーラも、盲点を突かれたということか。味は、同じである。
 
・・・・・・
2004年07月10日(土)
1194, ニーチェ(2)
   ー哲学について ー15
 ニーチェの最も受け入れられている考えかたとして、「人は自分自身にとってどんなに受け入れられない
不快な現実であっても、ひるまずに立ち向かい、それを直視すること、そしてその知識に基づいて、
人生そのものを目的として、それ以外の見返りを求めずに生きるべきだ」が支柱にあった。
当時、信仰心が薄れていた人たちにとって、まさに生きるべき指標となった。
これは儒教とほとんど同じ考えといってよい。人生を徹底して生ききろうとしたとき、人はその分だけ
争いに巻き込まれる。それだけ振動が大きくなるのだから当然のことだ。しかし、ニーチェによれば、
「争いの緊張感が、指導者としての力を最大限に引き出しその能力をさらに高めてくれる」と説いた。
反面、彼の思想はファシズムにも大きな影響を与えた。
ファシズム創始者ムッソリーニが彼の本を幅広く読んで、ヒトラーと1938年に
歴史的会談をおこなった時に、ニーチェの作品を贈呈している。
そのため彼の思想は大きく誤解されることになってしまった。
彼はむしろ、ドイツの民族主義を嘲笑し、反ユダヤ主義を軽蔑していた。
19世紀末から20世紀にかけて、ニーチェは芸術家にも大きな影響を与えた。
その一人バーナードショーはニーチェの思想をシェークスピアがリチャード三世に語らせている
次の言葉に要約されていると指摘した。
良心など臆病者の使う言葉しかすぎない。 そもそのも勇者を脅かすための計略なのだ
我々の力だけが良心、剣をもって法律とするのだ
ニーチェは特に文学的才能を持ち合わせていたのが特徴といってよい。
多くの人によって散文作家とみなされている
彼の文章は哲学者に見られがちな、主張と反論がつづく長い文章ではない。
格言や聖書のように短く区切られていた。
新しい視点でものごとを見てもらうために、心に残るイメージを利用した。
彼の主張は、暗示的であり、喩えから類推しなくてはならない。
[稲妻の閃光のあとで轟きわたる雷鳴]のように工夫してあった。
当時の人に直接大きな影響を半世紀にわたって与え続けた哲学者として、やはり特記すべき人である。


ー以下の抜粋の言葉の中にニーチェの思想がことごとく入っている。
彼の言葉は、難しく体系化されてないところが、逆に解りやすくなっている。

・私は君たちに、君たちの官能を殺せと勧めるのではない。私が勧めるのは官能の無邪気さだ。
・独創的――何かの新しいものをはじめて観察することではなく、古いもの、古くから知られていたもの、
あるいは誰の目にもふれていたが見逃されて いたものを新しいもののように観察することが
真に独創的な頭脳の証拠である。            ―「人間的な、あまりに人間的な」―
・善とは何か――人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
 悪とは何か――弱さから生ずるすべてのもの。     ―「反キリスト」―
・生きるとは何のことか――生きるとは、死にかけているようなものを
 絶えず自分から突き放していくことである。      ―「華やかな知識」―
・真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。
・誰であれ、若いうちは、思う存分遊ぶべきである。
 長いあいだ活字の森にばかりいると、そこから抜け出られなくなるものだ
・人間のみがこの世で苦しんでいるので、笑いを発明せざるを得なかった。
・人間は深淵に架けられた一本の綱である。 渡るも危険、途上にあるも危険、
  後ろを振り返るも危険、身震いして立ち止まるのも危険。  ―「ツァラトゥストラ」―
・狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。
                     ―「善悪の彼岸」―
・自殺を想うことは強い慰謝剤である。これによって数々の悪夜が楽に過ごせる。
                     ―「善悪の彼岸」―
・怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくては
 ならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
・私は隣人に対する愛を諸君には勧めない。
 私が諸君にすすめるのは遠き者に対する愛である。 ―「ツァラトゥストラ」―
・苦しみを共にするのではなく、喜びを共にすることが友人をつくる。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―
・我々のうちでもっとも勇気のあるものでさえ、自分が本当に知っていることに対する
  勇気を持つのは、まれなことだ。        ―「偶像の薄明」―
・人間は行動を約束することはできても、感情は約束できない。
 自己欺瞞なしで永遠の愛を誓うものは、愛情の見せかけを永遠に約束するものだ。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―
武装平和とは、自国と隣国を信頼せず、半ば憎悪、半ば恐怖から武器を放棄しかねる
  意向上の平和である。         ―「人間的な、あまりに人間的な」―
・どちらも相手を通して自分個人の目標を何か達成しようとするような夫婦関係はうまくいく。
 例えば妻が夫によって有名になろうとし、夫が妻を通して愛されようとするよう場合である。
・地球は皮膚を持っている。そしてその皮膚はさまざまな病気も持っている。その病気の一つが人間である。
                           ―「ツァラトゥストラ」―
・男が本当に好きなものは二つ――危険と遊びである。
 そしてまた、男は女を愛するが、それはもっとも危険な遊びであるからである。
・人間とは神の失敗作に過ぎないのか、それとも神こそ人間の失敗作にすぎぬのか。
・たくさんのことを生半可に知っているよりは何にも知らないほうがよい。
・脱皮できない蛇は滅びる。その意見をとりかえていくことを妨げられた精神も同様だ。―「曙光」―
・高く登ろうと思うなら、自分の足を使うことだ!
 高いところへは、他人によって運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない!
                     ―「ツァラトゥストラ」―
・到達された自由のしるしは何か?――自己自身に対して恥じないこと。
・話題に窮したとき、自分の友人の秘密を暴露しないものはまれである。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―
・多く考える人は党員には向かない。というのは党派などを突き抜けて考えてしまうからである。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―
・事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。 ―「権力への意志」―
・善悪において一個の創造者になろうとするものは、まず破壊者でなければならない。
 そして、一切の価値を粉砕せねばならない。         ―「この人を見よ」―
・悪意というものは他人の苦痛自体を目的とするのではなく、われわれ自身の享楽を目的とする。

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2003年07月10日(木)
827, アラスカ旅行記ー2

ーデナリ国立公園ーa
 今回のハイライトは、なんといってもデナリ国立公園のワイルドライフツアーであった。
デナリ国立公園は四国を少し大きくした位の大きさで、アンカレッジから3百数十㌔、車で6時間の距離にある。
このデナリに二泊をした。ワイルド・ライフツアーは朝5時過に出発して午後の1時過ぎに帰ってくる、
野生動植物や自然を堪能する内容だった。グリズリーベアーやヘラジカ、ムースカリブー、大型鷲、
山岳羊、雷鳥などが多く見られた。アラスカの大地を背景にした動物が自然に溶け込んでいたのが印象的であった。
なんといってもビューポイントからみた、マッキンリーの美しさに息を呑んだ。
スイスのマッターホルンと、パタゴニアのパイネ山の夕景に匹敵する神々しさであった。
ツアー客の全景をみれる確率は20㌫と、パンフレットに書いてあったが、
その20㌫にあたったのが幸運であった。
 更に幸運が続いた。偶然、有名な日本人ガイドの伊藤さんがガイドについたのだ。
彼の年齢は63歳、顔中髭だらけの現地のエスキモーそのものといってよかった。
ーこのバスは40人乗りで、幾つかの日本人のグループが乗り合わせていたが、その一つのガイドが彼であった。
その彼がバスのガイドをかってでたのだ。彼のことはミッキーハウスの坂本さんの本でしてっいた。
またその本に「三億円事件の犯人」疑われた人と書いてあったが、本人も嬉しそうに、その逸話を話していた。
3億円事件当時、ハーレーダビットソンを乗り回していたのが疑われた理由という。
日本からアラスカに渡って30年経って、アラスカのエスキモーとの外見の差は全くない。
「アラスカン・ハイ」という言葉を聞いたことがある。人里離れた人がたまに街に出てくると
スナックなどで話しまくる姿が見られるという。発語(専門用語でさかりのついた動物の発情と同じで、
溜まった言葉を吐き出す)が伊藤さんの特徴のようで、マイクを持って話しまくっている姿が何とも自然でよい。
イスラエルの老添乗員もそうであった。めったに来ない日本人に自分の生き様を全て話すのだ。
自己承認を求めているのだろう。色いろな人生があるものだとつくづく思う。
 彼は星野道夫の友人で、彼とのエピソードを色いろ話してくれた。NHKで彼のドキメントタリーを
数年間にわたってシリーズでやっていた。また地球シンフォニーという映画にも出ていた。
旅をする木』『森と氷河と鯨』など何冊かを読んでいた。数年前にグレズリーベアに食べられてしまった。
そのためか伊藤さんの一言一言が胸に突き刺さるようであった。
 マッキンリーで亡くなった冒険家の植村直己とも親交があったという。彼が死んだのは日本では、
クレパスに落ちて死んだと信じられているが、アラスカでは風速100㍍の突風で飛ばされたといわれている。
アラスカに遊びに来る変わった人のエピソードも中々だ。沖縄の裏世界の実業家の話も面白い内容だ
ーその人が舌癌になったが、足の肉を切り取って舌の再生手術で、また味が感じ取れるようになった
人間の身体