つれづれに

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 今日は東京の都議会の議員選挙。 
参院選挙の予測が、これである程度は見えてくる。
地方ほど東京の景気は悪くはないのだろうが・・・



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1907, エピソードで読む西洋哲学史ー2
2006年06月23日(金)
         
 この本の中にフランスの教育事情があった。日本との違いに驚いたが、これでは不法移民が
暴動を起こすのも解らないでもない。自由・平等・博愛を標榜している仏国をエリート教育システムからみると、
徹底的な差別国家とも受け取ることができる。(エリートは、選抜された人である。
その背後には振り落とされた人が多く存在している)
自由、平等、博愛はエリート社会の仲良しクラブ内だけの合言葉でしかないのか?
「有得ないからせめて努力しましょう」ということだ。北朝鮮のように、漫画的な奴隷制度が残存している
国からみればまだよいが。 優秀な人を選んで徹底的に教育しなければ国は成り立たないのも事実。
ーー
P・310
高等師範学校(エコール・ノルマル・シュぺリウール)、
これがフランスの知識人世界を理解するキーワードの一つである。
フランスの高校生は大学に進学しよう思えば、
バカロレアと呼ばれる全国統一テストを受ける。
・これに合格すると大学入学の資格を得て、基本的にどの大學にも進学できる。
・フランスでは大學の授業料はタダ、無料である。
 現在のデータでは、ソルボンヌ大學の場合、年間二万円少しの「登録料]]を払えばよい。
基本的には欧州の大學は、フランスでもドイツでも、授業料はタダ。この点がアメリカとは基本的に違う。
アメリカは年間250万円が相場)欧州は大學授業料がタダなので、私立大学は殆ど存在しない。
しかし、フランスのエリート高校生は大学には進学しない。ソルボンヌ大學なんか行かない。
 何処に行くか? 高等専門学校グランゼコール)を目指すのである。
高等専門学校には様々なものがあるが、パリの「高等師範学校」は超エリートコースなのである。   
フランスの高名な学者の多くは、たいていここの出身である。哲学や文学だけでなく、物理、生物、化学、数学、
情報科学などのコースもある。しかし大學と違って、高等師範には入学試験がある。
昔のエリート度はアメリカのハーヴァード、イギリスのオックスフォードを問題にしないほどであったと言われている。
フランスは「自由・平等・博愛」というが、(それとも、そのためか)徹底したエリートコース支配の社会であり、
官僚支配国家である。高等師範、国立行政学院、理工科学校といったエリート専門学校の卒業生がフランスの政界、
財界、学界を仕切っている。そういうわけで、卒業生のネットワークがとても強固である。
イディオロギーに関係なく、お互いに助け合うということになる。
 当然、高等師範の入学試験は難しい。超難関である。普通に勉強しても受からない。
そこで優秀な高校生は高等師範のための特別クラスに入り、二年ほど勉強をする。
その中のごく少数が入学できるのである。
高等師範の授業料はタダである。タダどころではない。
そこの学生は公務員待遇で、月に20万円の給料が4年にわたって支給される。
もっとも、高等師範の学生の大半は、上流階級の子弟である。
彼らは、特にサルトルなどはソルボンヌ大學の学生や教師などを見下していた。
サルトルは、「彼らは完全な人間ではない」と思っていたと、告白している。
どこであっても、つねに特別扱いされる、またそれを当然と受け取る、それがフランスのエリート世界である。
ーーー
これを読んでいるだけ腹が立ってくるが、日本でも霞ヶ関では、そのままの世界が存在している。
東大、京大、慶応、早稲田と色分けをして、高級官僚のエリートの世界で選抜されて、特別扱いをされて、
本人達も当然として受け取って。  利権を貪って。
日本では、フランスほど露骨でないだけ! 天皇制とは、そういうことだ。
官僚からみたら、こんな都合のよいシステムはない。しかし情報化社会は、それらを含め根こそぎ破壊し始めている。
               i*^ワ^*)iバンザイ

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2005年06月23日(木)
1542, バージン島にオフショア会社設立? 一昨日、取引先の保険会社の社長が、「面白い人を連れて行くから
会ってくれないか」という電話が入った。何回か、その面白い人?の話を聞いていたので、気楽に会うことにした。
菊池ファイナンシャルグループ代表の菊池重喜氏という人である。
持ってきたパンフレットによると、
1966年にカナダ移住。
現地で、伊藤忠商事カナダ、サンライフ生命保険を経て、
1980年に保険会社の菊池ファイナンシャルを創立、
2000年には現在の菊池ファイナンシャルグループを創立をしたという。
彼の話の要点は、
・日本そのものが危ない状態に入った、
・AAA格付けのカナダ国債アメリカ国債オフショア金融センターで購入しておけば資産が安全に育ちますよ!
そのお手伝いが、彼の仕事である。
今までは、海外のオフショア会社の設立など、全く別世界に思えていたが、手軽につくれるという。
このサービスは、日本にいながらにして、国際的オフショア金融センターである英国領のバージン諸島において、
オフショア会社の設立が可能となるという。
それにより、法人・個人の合法的節税対策に有効な手立てをこうじることが可能になるとのこと。
その設立費用は3000ドル、年間会計監査費用として、1500ドル必要とのこと。
最低ロットが2500万円という。決して胡散臭くはなさそうだが、解ったような解らないような話ではあった。
私の感想として、彼はアメリカが絶対に大丈夫といっているが、その前提の上で、アメリカ国債の買いを勧めている。
果して「今後10年~20年以上、アメリカが大丈夫!」かに対して、非常に疑問を感じる。5年すら疑問である!
彼があげていたアメリカが大丈夫という理由
1、軍事力が絶対的に優位
2、ドルが主軸通貨
3、英語が世界共通語である
4、金の保有量を世界で25パーセント保有
これが果たして絶対的な理由になるだろうか?
奇麗事の言葉の羅列でしかない!という仮説をたてると、
同じくらいの反対理由が成り立つ。信じるかどうかだが、 私は信じない!
半分恐喝的に、アメリカの国債を日本政府が買わされているのは、周知の事実である。
それを肯定することと一緒である。それと同じことを奇麗事で個人に勧めているに過ぎないのではないか?
彼が勧めているはカナダ国債だから、少し話は変わるが。ただ、オフショア会社の設立をして、その利益を
プールしておくのは、日本の個人国債を買うことから比べたら、リスクは少ないし大きなヘッジになる。
金融のグローバル化をまさに地でいっている事例としてみれば参考にはなる。
金(きん)を買って、銀行の貸し金庫に入れないで(銀行閉鎖の場合、金庫も閉鎖されるという)、
民間の貸し金庫に入れておけばよい話だ。自己責任とは、恐ろしい時代である!紙幣も国債みたいなものだが?
金融のクローバル化の一現象!
まだ私の頭が固いのか、それとも? それほどの余裕がないから、どうでもよいことだが!

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2004年06月23日(水)
1177, 「物語の主人公になる方法」ー読書日記

人生は一冊の小説のようなものというが、図書館でいつも見ているコーナーに新たに新刊本が追加されてあった。
さっそく借りてきて読んだが、実行しやすい手順が書いてあった。若い人が読みやすい内容だ。
人生ではそろそろ残された人生劇場の幕間もいくつかしか残っていない現在,
物語にどう落ちを入れていくかという面を考えていたので非常に参考になった?
以前、ミッション・ステートメントで粗筋は書いてはあるが。
誰も人生において自分の人生の主人公であるが、「物語を作家になってつくって、その主人公を自ら演じる」
ことを勧める自己啓発的な本であり、岡本太郎のように「生活はアートだ!」と唱える人生設計本である。
あまり考えずに日々を暮らして、その結果に対してストーリーを自分の都合の良いように修正するのが一般的だろう。
 具体的手順として
1、まずは作家の誕生―あなたの内なる作家を呼び覚ます。
2、そして作家としての心構えをこと細かく書いておく。
 ー駆け出し作家が決して忘れてはならないことや、空想世界の番人であることなどをー
3、作家はそれまでの過去と訣別する―  それにとらわれと平凡な物語になってしまう。
4、暗示の影響力を意識をして構想を立てる。
第一の診断―主人公の現状を把握する
第二の診断―お望みの主人公をイメージする
第三の診断―主人公の十二大特性をチェックする
第四の診断―不良プログラムを削除する
物語の主人公になるヒントは3つある。
・1つ目は、「自分のライフスタイル、その判断は良し悪しではなく、自分が満足すること」
 それが、スターティングポイントであると。
・2つ目は、「家族や周りの言うがままの人生、受動的なライフスタイルでは面白くないこと」
・3つ目は、「人生はひとつの物語です。自分の物語を作って、その中で主人公を作って、
 自分の日々の満足度をパーセンテージを出すこと」
人生は自作自演の人生劇場であり、特に大事なのは自分の中の作家としての能力である。
そこで忘れてならないものは、人生に何が必要かという冷徹な目。
人生が自分に何を求めているかに気がつくことだ。この本の著者は、そこまで到達していないが
人生設計を構想するには解りやすい内容である。
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「物語の主人公になる方法 」著者/訳者名 : パトリス・ジュリアン/著    
        
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2003年06月23日(月)
810, 「ありがとう」の言葉-5
 最近は殆んど見られなくなったが、石油スタンドが完全自由化になる以前は、まだ石油の価格が
暗黙のうちに規制されていた。その際の、ガソリンスタンドの差別化として、お客の車に対して深深と
頭を下げるのが流行っていた時期があった。
 30年前に千葉市千城台で「養老の滝」を始めたとき教えられたのが、「お客の後姿に頭を下げろ」
であった。帰ったお客ではなく、店内のお客に対して見せる為だ。ガソリンスタンドも同じことだ。
「頭を下げなくともいいから値を下げろ!」といつも思っていたが。
 長年メイン銀行の店長や次長が転勤する時、栄転祝いを贈っていた。
もう10年前のことで問題がないから書くが、ある支店長が転出の挨拶に来たときに、不思議な顔をして
「何も見返りがないのに何で祝い品をくれるのか?」と聞いた。その時に千城台で教わった話をした。
「こうしていると、直接関係のない、栄転祝いなど関係ない人もくる。この地を去る時に侘しい気持ちがあるが、
ここにくれば気持ちを含めて見送ってもらえる。その意味で直接の見返りなど全く期待してない」と。
一本やられてしまったという感じであった。彼が去ってから解ったことだが、金利変更時で当然上がるべき
金利が上がってなかった。彼の指示で、200万は金利が低かった。
「ありがと