つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=w5Km2YNPguc

 昨日の金曜日はシネマの日。
GIジョー Ⅱをみたが、これが思いのほか面白い。90~95点。
Ⅰは、TVで先日、放送していたので見たが、画面の広さもあるのだろうが、
さほど面白くはなかった。しかし、これは面白い! CGなどの技術アップで迫力がある。
http://www.youtube.com/watch?v=xUsbWilCvWo

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1169, 秘境・異郷ツアーレッスン -1
2004年06月15日(火)

過去にいろいろ秘境・異境ツアーを書いてきた。
この随想日記の引き出しのコーナに「秘境・異境コーナ」をつくる予定だ。
そのための前段として、このテーマで書いてみる。
このツアーから得たもの学んだものは、あまりにも多い。

今まで書いてきた文章を読み返してみると、想像をはるかに超えた自然や遺跡や文明に
出会い、感動をしてきた痕跡が記録してあった。
実際にこの目で見て肌で感じ取ったことは心の奥底に残るものである。
「うあ~、何じゃこりゃ!、この地球上にこんな世界が実際にあるんだ、知らなかった!」
と何度も何度も思ったことか。

そこで何よりも感じたのは、世界の広さと、自分の小さな世界である。
自分の満足や不満のことなど、この広い世界からみれば些細なことでしかないと実感できる。
世界では人間の占める立場が、いかにささやかなものであるかをつくづく悟らされる。
旅行は人間を謙虚にさせてくれる。

10日から半月の旅行でも、秘境に行くには莫大のエネルギーをつかう。
一回の旅行の経験ごとに、間違いなく自分が成長していくのがわかる。
自分の世界が広がり、それだけ内面が深耕していくのがよく解るのだ。
そこの大自然に感動するのは、自分がそこに同化したことであり、自然の中にある
霊性と自分の霊性がつながることになるのだ。
それが精神の若返りの秘薬になる。
といって、多くの旅に出かけたところで人生観が変わっても、人格は変るわけではないが。

「世界は一冊の本と喩えると、旅をしないものはその本を一頁しか読めない」
という。まだまだ、これから先のページが多く残っている。
旅をするのは到着するためではなく、そのプロセスこそ意味がある。
そのすべて楽しみに引き上げることだ。人生と同じである。

秘境旅行という本を1ページごと読み続けている限り、連続線の旅行を
していることになる。それだけ、私にとって強烈な体験でもある。
成田で、飛行機に乗ると逆に「ああ旅行に帰ってきた!」と思ってしまう。
それだけ私にとってインパクトの強い経験である。

ー10年前の文章をコピーしておきます。
この時16回と書いてあるから、現在41回とすると、10年で25回も旅行したことになる。
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H0603
海外旅行について

 二年前まで五年つづけて年二回ずつ海外旅行に行った。
さすがこの二年は一回ずつだったが合計十六回になる。
私の大きな趣味の一つといってよい。
海外旅行より得た感激は私の人生を非常に豊かにしてくれた。
それぞれ全てがすばらしい。違う“とき”が流れていて、その中にはまりこむ、
その広がりと深さの味わいは旅行し、現実にその場に立ち感激しなければ理解できない。

初めて旅行したのは昭和四十二年、たしか海外旅行が自由化された翌年だった。
大学の海外旅行研究会が募集した三〇日間世界一周というコースであった。
当時はまだ年間二十万人しか旅行者はおらず、旅行先で日本人と出会う事はほとんどなく、
オーストリアなどでは見ず知らずの日本人を平気で自宅に招待してくれたり、
英国では留学生が日本人が恋しいのだろう、どこまでも市内を案内してくれた。

欧州の文化文明に大きなカルチャーショックを受けた。
帰国して数ケ月はただ呆然としていた。
二十才という年齢もあろうがオーバーに言えば人生の一大転機のきっかけになった。
それだけ感激とショックは大きかった。

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2003年06月15日(日)
802, サッカー観戦記

 先日、知人からサッカーの招待券を貰った。
アルビレックス新潟サガン鳥栖の対戦である。
こういうチャンスはめったにない、行くことにした。
昨日ー6月14日、場所は新潟市の駅裏から数キロ先である。
去年のワールドカップの為につくった新潟スタジアム、一度見てみたかったから
丁度よかった。雨が気になったが終了後、車に乗ったと同時に降ってきた。
もっとも雨よけがあったが。

 キックオフが14時、その30分前に着くように出かけたが、車の渋滞で開始後30分後
席に着く。初回は一時間前につく予定を立てるべきであった。

やっとたどり着くと会場から、唸りのような歓声が聞こえてきた。
観客席に座った時には、アルビレックスがすでに一点を取られていた。
何とも会場の大きなウネリのような歓声が凄い。
その世界に一瞬に吸い込まれてしまった。 
招待席は相手チームの席、といってほとんどが地元の人たちであった。
若い人ばかりかと思っていたが、年代層は広い。
3万4千人の入場者と場内放送でいっていた。

 試合は一点リードされていた新潟が後半に逆転、2対1で勝った。
攻めまくった新潟がなかなか点が入らず会場が苛立っていたが。
それでも試合の後半に新潟が2点を入れて逆転、非常に面白い内容であった。
これで引き分けを挟んで四連勝である。
サポータが熱くなるのも解るような気がした。
あの熱気の世界も一度経験しておくと良い。

 最近は何事も経験と、チャンスがあれば何でも参加するよう心がけている。
今度は後楽園で巨人戦にいってみたいと思っている。

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002年06月15日(土)
438, 因縁についてー与三八さん

私の仲人の名前である。
私が八郎ー兄が三郎。
兄は男で3番目、私が兄姉の8番目で八郎になった。
多くて最後の方は面倒だったのか、戦時戦後のドサクサで
じっくり考えている余裕がなかったのだろうか?
シンプルだ・

兄も私も嫁さんを与三八が紹介してくれた「仲人」である。
三八に与えるで与三八である。
そのことに気づいたのは、結婚して数年経ってからである。

本人に「自分の名を宿命と考えてか、ブラックジョークと考え意識して
紹介したのか」と聞いた。
本人はエヘヘと笑って答えをはぐらかした。
まあ面白いものだ。

話が変わるが
最近はあまり行かなくなったが7~8年までは、よく経営セミナーに行った。
会場の席とか食事等で隣席の人と話すと何処かで因縁がある事が多い。
またかと思うほど何処かで繋がっている。
確率から考えて異常に多い。何かがあるのでは?目に見えない??

あるセミナーで聞いたが、「集まりで同じ姓名の人が集まる確率が、
理屈ぬきで多い」という。また誕生日も月単位で同じ人が集まるという。

会社も斎藤だったら斎藤が集まるという。
以前プロ野球国鉄で、
「田」のつく人が異常に多くて話題になったことがある。
金田投手のいた頃だ。

自分の名前は大事だ。
名前で無意識で縛られている事が多い。

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2001年06月15日(金)
[53] 北欧ロシアに決定!

朝スイスに決まっていた旅行、急遽‘北欧・ロシア’に変更。
理由は「迷った場合は今先に行っていたほうがよいほう選定基準にする」である。
スイスも捨てがたかったが、‘モスクワとサンクトペテルブルグエルミタージュ美術館’と
‘北欧の大自然’が捨てがたかった為だ!
ぎりぎり迷い判断するから、後で後悔が少なくて済む。

ぎりぎり迷うのも旅行前の楽しみの一つだ
それだけ多くの情報を真剣に探し、その世界に入るからだ。
あと三週間今からが呼吸を整える時期になる。

たまたま朝、決断後書いた文章で、一度ホームページに載せた後削除した内容である。
  
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 スイスーアルプスに決定
 6月15日(金)06時52分33秒

かなりハードな10日間の旅行になりそうだ。
スイスの三大明峰(マッターホルンモンブラン・アイガー)や多くの湖をめぐる。
ミニハイキングも織り込まれており、想像を絶した景色に出会えると期待できる。

ヨーロッパは60過ぎてから集中的に行く予定だったが、今回はどういう風のふきまわせか、
スイスに決まった。一度決めるてしまうと、このコースの、いやヨーロッパアルプスの
素晴らしさがわかってくる。

実を言うと初めての欧州旅行の時と、10年位前のライン下りの旅行でユングラウヨッホは
行っている。特に初回のそれは、非常に印象的であった。

登山列車から見たパノラマは絵に出てくる世界そのものであった。 
‘楽しみだ!’