つれづれに

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 いや、昨夜は異様に暑かった。二度も起きて、水を飲む。
扇風機のせいか、身体の節々が痛い。 




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2004年06月14日(月)
1168, 笑いについてー2

笑いについて、度々この随想日記で書いている。
動物のなかで笑うことができるのは、人間だけである。
人間はちょっと工夫すれば、いつでも笑うことができるし、
笑いの習慣化も可能である。

とくに、自分を笑うことができれば、その効果が倍増する。
自分を深刻に考えている時ほど、可笑しいことはない。
深刻な出来事も10年も経ってしまえば、どうでもよい出来事でしかない。
いや、むしろ滑稽とさえ思える事だ。
笑いは陽気な客観化をしてくれるし、自分自身の癒しになる。

また笑いは周囲の笑いを引き出すことができる。
自分が笑っていれば周囲にも笑いが広がる。
笑いは神が与えてくれた最大の贈り物である。

私の場合以前にも書いたことがあるが、日曜日を笑いの日にしている。
特にTVのお笑い番組みを効率よく使っている。
「新婚さん、いらっしゃい」
笑点
「からくりTV]
 前日に録画した「BS笑点」である。
笑ってやろうと、待ち構えていると倍は笑える。
笑うから、可笑しいということが実感できるのだ。
笑えば心が軽くなるし、消化もよくなる。

同じ時間を過ごすなら、楽しい時間を過ごした方がよい。
とくに笑っている時間は人生で最も貴重な時間帯の一つである。
「笑え、笑え、もっと笑え!」
笑ってさえいれば、肩に背負った重荷は半減をする。
すべての悩みは、いずれは時間が解決をしてくれる。

どこの国でも「ジョーク」がある。
日本では落語があったし、川柳もあった。
これは笑いを国民レベルで創作をしていたのだ。
この随想日記にも「ジョーク」のコーナーがある。
最近は書き込みが少ないが。

まあ一番の笑いは、いい歳をして「お笑い」を見て大笑いしている自分だろう。
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以前書いた笑いについてを貼り付けておきます。
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笑いについてー 1

2001年12月22日(土)

私の最大の素質は腹から笑える事だ!
昔からいろいろあったが、これは子供の時からの特技である。
激しい真ん中(商家)に生きていたからだろう。
笑っていなくては、やってられない!

TVの漫才をみて笑っていたら、親戚の叔母が見ていて不思議そうな
顔をして「どうしたらそうして笑えるの?」と学生の時聞いたことがあった。

笑うとは何だろう?もちろん理屈はある程度解かっている。
でも実感としての(笑)とは何?と考えた事があるか?

人生から笑いをとったら、残るのは何だろう?
笑う為に生きてきたみたいなものだ。それだけで人生元を取ったように
思える。いや感動・感激もいえる。

魂の顕現化といっていい!それでは落語家か、漫才家になればよい。
しかしそれは商品でしかない。

実際の(笑)は違う。心、いや魂の緩みだ!
どういうわけか、過去を振り返ってみて、笑いだけは常にあった。
笑えない時期でも(笑)は別腹であったことは事実である。
その理由は今でも解かってないが、結局は背後に豊かさがあった為だろう。

家内に言わせると、どんな時期でもTVの「落語や漫才」を見て、
大笑いをしていたらしい。
でも本当にそうかと自問してみるとそうでもないか!
「凍りつくような時期」ではどうであろうか?笑いはなっかった!
 
やはり結婚をして,家庭を持ってからはどんな時期にも笑いだけはあった。
それが家庭の効用?か。


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2003年06月14日(土)
801, 一期一会 「一語一会」-2

「一期一会」それは元来、お茶の世界のこころとして
「すべての客を一生に一度の出会いとして、悔いのないようにもてなしなさい」
という意味である。

 私が酒を人と飲む時に常に「一期一会」で飲むことにしている。
そうすると、飲み方が変わるのだ。
ある会が面白かった、といってそれはそのTPOS がたまたま良かっただけと
割り切るのだ。一回ごと徹底的に割り切って飲む。
店でもそうだ、一回こっきりと常に割り切って楽しむ。
そうすると酒の味も、その場の感じ方が全く違ってくる。
スナックなどでボトルを入れる人の気持も解らないでもはないが、私は絶対に入れない。
従ってあまり飲み屋のママにはいい顔をされないが、明日から二度と来ないかもしれない、
という緊張感が良いのだ。
 
 そういえば一期一会の酒を数限りなく飲んできた。
そして、その全てが思いで深い、よい酒であった。
桜と同じである。一回性だからこそよいのだ。
年齢を重ねてくると、この意味が今更のように思い知らされる。
「べき時に、べく事を、べくすべし」を常に意識してことがよかった。
これは酒席だけの事を言っているのではない。

 言語学者西江雅之のー「ことば」の課外授業ーという本に
「ことば」はその場、その時、一回限りである、という趣旨のことがあった。
ー以下に少し書きうつしてみるー
現実の場では、人はことばを二度と同じようには言えない。
すべての発言は「一回限り」である。
たとえば「これは何ですか」と、同じ調子で二回言ったら、二回目はくどい
と思われます。怒鳴っていったり、これも当然違ってきます。
また何か言う場合には、必ず前後関係があります。それによって嫌味になったり、
単なる質問でしかなかったり、・・・・・・・・・

以上のとおり、ことばも一期一会である。
もじれば「一語一会」といえる。
その意味では「ことば」にもっと注意をして話さなければならなかったと反省している。
それと感銘した「ことば」こそ一語一会と言える。
その意味でー事業百訓というカタチで、その時々に書き残してきたことも一語一会を
記録してきた事になる。
この随想日記もそういうことになる。

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2002年06月14日(金)
437,地球に気が満ちている

朝散歩をしていて、今までにない全身に気が満ちていて驚いた。
何故だろうか、そうだサッカーのせいだ。

一球に地球上の多くの人の気が集まっている、それを毎日見ている為だ。
ワールドカップはサッカーを通した国家間の戦争ともいえる。

オリンピックは多くの競技で行われるが、
サッカーはその時間帯では一試合か二試合である。

それも自国の試合だけでなく、他の国も微妙に関係してくる。
少しのミスが取り返しのきかない致命傷になったりする。
数億いや10億人以上が全神経を集中してみている。

庶民レベルでは、今地球上のイベントでは最大の催事といってよいだろう。
地元で行われることにより、私のようなあまり興味のない人間でも
俄かファンになってしまう。

その為か見ている自分にまでも、そのエネルギーが流れてくる。
地球上がこの期間、人の気で満ち溢れる。
これからは勝ち進んでいく国にそれが集中していくのだろう。

フランスが前回優勝した時のフランスの気は、満ち満ちていただろう。
これとオリンピックが隔年で行われるのだから、丁度よいバランスである。

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 2001年06月14日(木)
[52] つれづれに

情報化社会がもたらしている時代の変化をつくずく感じる。
共産社会‐ソ連も東側ベルリンの壁も、遅くなったが自民党ー経政会?も
壊してしてしまった。

情報端末の究極は携帯TV電話だという。
これが普及はじめる3~4年先は想像不能だ!

この秋玩具メーカーから7~8万円で撮影機のついた移動式ロボットが売り出されるという。
これだとTV携帯電話に連動すれば家の移動式防犯カメラになり、警備会社の存亡の危機
になりかねない。

ホームページに連動して個人や情報の公開や、お店なども家にいながら観て回れる。
あらゆる場所に固定して置いて、自由に公開しておけば世界のあらゆる場所に、
視界と言う意味で自由に何処でも飛べるようになる。