つれづれに

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 もう一つのブログ「随想日記」
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/diary.html
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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=hcj4dtR57Yg

 昨日は、リンカーンをみてくる。
南北戦争の最中、奴隷解放の法案を通す通さないの議会の政治的な駆け引きが
中心で、アメリカ国内向けの内容に思えたが、この戦争で60万人が死んだことは、
知っていたが、改めて、その凄ましさに驚く。 明治維新の無血に近い革命に対し
改めて、その偉大さに感銘する。  http://www.foxmovies.jp/lincoln-movie/
 
悠久山の桜も、あと2~3日後なので、今日は久々に信濃川ポタリング
帰りに栖吉川土手わきのサクラ絨毯をみてくる。


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1848, ローマから日本が見えるー5
2006年04月25日(火)          
              ー 読書日記
少し息抜きで、ークレオパトラは美人だったのか?ー 
という小題があったので、その部分を抜粋してみる。
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パスカルは「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史は変わっていただろう」と言っているが、
芥川龍之介は、それに反論して、「あのくらいの地位の女性なら少し鼻が低いとしても変わらないだろう」
と言っている。私は芥川に賛成である。肖像が彫刻で残っているが、それほどではありません。
女性の印象は何も顔だけでは決まるわけではありません。立ち振る舞い、内面の自信、あるいは自分を
どう見せるかの演出・・・ そういうものも大いに関係してくるものですから、多少鼻が高かろうが
彼女の場合、関係ないでしょう。 アントニウスに会ったとき、彼女は紫の帆を張った金色の舟に乗り、
愛の女神ヴィーナスに扮していたといいます。47歳のアントニウスが、この演出だけでのぼせ上ってしまった。
しかもクレオパトラの場合、リーダーにとって必要な知力はないとしても、教養があった。だから、
機智に富んだ会話もできる、女として稀な一人であったのでしょう。当時の地中海世界では群を抜いた
魅力的な女性であったと思います。
 一時はカエサルが、クレオパトラに惚れたというが?ー
いや、そうは思えません!カエサルクレオパトラに会ったときが、クレオパトラは21歳、
カエサルは52歳。彼女は若いだけで魅力があるでしょう。しかし、カエサルの方が一枚も二枚も上。
ほれ込んだと思わせたのです。彼女は、カエサルがほれ込んだと思い込んだ。
それが幻想と思い知らされたのは、カエサルが死んだあとの遺書が公開された時である。
その遺書の中には、クレオパトラのことも、カエサルとの間でできた子供のことも一切かかれてなかった。
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面白そうなところは、こんなところだが、美人も知性と演出で出来上がっている。
何時の世も、ど派手な奴がいるということか! それと、アントニウスのような純情な男も!
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2005年04月25日(月)
1483, 桜咲くーつれづれに -2
昨日、昼過ぎに栖吉川の土手を上流に向かって散歩をしていると
悠久山への道路が車で列をなしていた。
「まだ桜には4~5日早いはずだが」と思いながら土手を悠久山の裏山に向かって
上っていくと、遠くに桜が見えてきた。参道の桜並木が満開に近い状態である。
そこで悠久山まで思い切って行ってみた。参道まで行って桜並木の道を歩きだしてビックリしたのは、
その両側の石灯籠がことごとく倒れていた。江戸時代に献上された見事な大きな石灯籠である。
さらに子供のときから馴染みの竜神橋も落ちていて渡れなかった。お参りをした後に、桜の名所に
なっている広場に出たところ、近年見たことがないほどの花見の人で溢れていた。
連休直前の給料日前で、手軽にレジャーを楽しもうというのだろう。山の上はまだ3~5分咲でしかなかった。
瓢箪池まで行って、団子茶屋から長岡城の資料博物館まで行って、裏の山道を降りて帰ってきた。
ものはついでと帰路、福島江まで足を運んで花見をしたが、ギリギリの散りぎわで、桜吹雪の中を
歩くことができた。「例年並の桜の咲き具合」というのが今年の私の評価である。
所要時間は二時間半であった。カメラを持っていかなかったのが少し残念であった。
そして、今朝の6時過ぎに朝の花見に再び悠久山に行ってくる。一晩だけでも開花は進むようだ。
5~7分咲きになっていた。毎年の恒例になっている人気のない花見もよいものだ。
鶯などの多くの鳥の鳴き声が、何とも優雅な気持ちにさせてくれる。
今週の散歩は車で悠久山まで行っての花見の予定だ。

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2004年04月25日(日)
1118, 寝るほど楽はなかりけり

「世の中に寝るほど楽はなかりけり、浮世の馬鹿は起きて働け」という、人間本質を笑った川柳がある。
人間の本質は、実際のところこんなものだろう。
「仕事ほど私を魅了するものはない。私はそれを座ったまま何時間でもみていられる」ージェローム
これも面白い。人の仕事を割り切ってみているほど魅惑されるものはない。
「私はマゾである。その辛さが快楽だったため、仕事に熱中でき出世することができました」
という本音を書いている人がいるがこれも真実をついている。そう思って仕事をすれば、
辛さも辛くは感じないだろう。また出世する人間は、仕事マゾの傾向があるのでは?
私の仕事観は父親の影響が大きい。
「より働き、より楽しめ、仕事の中にこそ本当の楽しみがあり、真実がある」
大体が、その思想のようであった。適職にあえるかどうかが、その人の人生を左右するといってよい。
とはいっても、目先の話ではだれも働きたくないし、先ほどの川柳が本音である。 といって、
生きていくためには仕事をしなくてはならない。一部勝ち組以外、ほとんどが負け組みになってしまう時代、
仕事をどう捉えていくか難しくなってきた。ふて寝時代の時代になってきた?

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2003年04月25日(金)
751, 不思議-シンクロニシテー
 以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。
不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。先日も葬式から帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を
散歩をしているコースで初めて大きな虹を見た。ああまた出たという感覚である。
 その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時である。
葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も次々に出て、その下を通ってきたのだ。
曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論はじめてである。
 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる従兄が自死した時のある現象である。
納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が舞い込んだのだ。写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。
そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、
納棺の時間が偶然に一致したのだが。死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。
こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」といっている。
 涙雨というのは昔からある。晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。それなら大都会では毎日
降っていなくてはならない。地方におきやすいのだろう。人知のはかれない何かがあることは間違いない!
以前書いたものをコピーしておきます。
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H0407霊的体験
 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。
死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。
そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。いや私自身(父自身)生きている!
という妙な不思議な感覚である。夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に
“念”が自身実感できたのだと思う。それが夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという
不思議な実感。恐らく経験した人間ではないとわからないはずだ。また死後二~三日後の夢も強烈な
夢(?)であった。何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが“おやじ助けて!”
と言ってしまった。と同時に廊下の向こうにある仏間より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。
そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたがその時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがり
トイレに行った。全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。

 H0511妙な夢―(Ⅰ)  ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。
泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!起きよう起きようとしているうちに
スーッと身体が起きて廊下に出て居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団に入る。
ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。まずいと思い反対側にねがいって
自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて(そのまま水平にいて)
下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずいと思い下にもどろうとするがもどれない。
かなりうなされていたと思うが?何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
こんな事もあった、これは夢ではないが部屋の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。
はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、しかし夢では
なかった。ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。
H0511妙な夢―(Ⅱ)  秋葉原ワシントンホテルに泊まった時の事、夜半、何かのケハイに
横を見ると女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕をつねったが痛い、これは面白いと、
メガネをかけじっくりとみた。全体が白光色の黒髪の27~28才位の、のっぺらした美人であった。
別に恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと憶えている。ところが何年か後に会社のある人に
その話をしたところ、“それってみんな同じ顔をしているんだよね!”といわれた時、はじめてゾーッとした。
 またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて、 ウトウトした頃、
急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと中断した。あの別空間は“別宇宙”
ブラックホール”的イメージであった。その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという、
これも乗ったら危険と直観し去けた夢である。あれに乗ったらどんな景色がみえたのだろうか?
単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。

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2002年04月25日(木)
387, 習慣ー極限
人間が極限の時にする行為が、健康法にいいと聞いた事がある。それを習慣化してしまえば良いという。
頭を掻き毟る。顔をこするーマッサージする。ため息を吐く。喚くー叫び声をあげる。身辺の整理をする。
これを普段から習慣ですればいいと。そのとおりである。遺言もそうかもしれない。
死ぬという極限の状態を常に忘れない。毎日は無理かもしれないが、毎年の年末に書くこともそれに似ている。
末期がんで死を宣言されて、写経を始めるケースがある。それなら普段から、暗記をして