つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=ikq0P7U0x4Q

 大きな時代のウネリの中で、色いろな現象が起きている。
地震津波独裁国家の破綻。テロ。グローバル化と情報化。
それらが大きく一人ひとりに大きく覆いかぶさっている。
互いが繋がっているようで、逆に孤立化を深めている。

 チェチェン人のボストン爆弾テロ、背景に宗教と思想問題かある。
何だろう、これは? 何ゆえに、あれだけの大量テロをするのだろう。
おいていかれた底辺の人たちの怒りだろうが、大量殺戮をするとは
何かがあるはず。底知れぬ闇の世界の怒り。北朝鮮が関係しているのか、どうか。
関係してないとしても、北の現在の挑発は、核ミサイルテロを恐喝の手段に
しているところは同じ。 その意味で、北にとって、非常にマイナス。

 


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1844, ローマから日本が見える-4
2006年04月21日(金)
 第二章 かくしてローマは誕生した。
以下は、ウィキペデェア百科辞書から「ローマ誕生」について抜粋したものだ。
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ー建国伝承ー
狼の乳を吸うロムルスとレムスの像ローマ建国までの伝説は、次のようになっている。
トロイア戦争で敗走したトロイ人の末裔(アエネイアスの息子アスカニウス)が、
イタリア半島に住みついた。この都市をアルバ・ロンガという。
時代がくだり、王の息子アムリウスは兄ヌミトルから王位を簒奪する。
ヌミトルの男子は殺され、娘レア・シルウィアは処女が義務付けられたウェスタの巫女とされる。
ある日シルウィアが眠ったすきに、ローマ神マルスが降りてきて彼女と交わった。
シルウィアは双子を産み落とすが、怒った叔父の王は双子を川に流した。
双子は狼に、その後羊飼いに育てられ、ロムルスとレムスと名づけられた。成長し出生の
秘密を知った兄弟は協力して大叔父を討ち、追放されていた祖父ヌミトル王の復位に協力する。
兄弟は自らが育った丘に戻り、新たな都市を築こうとする。しかし兄弟の間でいさかいが起こり、
レムスは殺される。 この丘に築かれた都市がローマであった。
ー王政ローマの制度ー
初代ロムルス王以来、多くの一族を抱える有力者は「貴族(パトリキ)」
として終身の「元老院」を構成させ、王の「助言機関」とした。
人類の社会史上ローマにのみ見られる特徴として、他国から一族郎党を引き連れて移民してきた者や、
戦争で破った敵国の有力者も一族ごとローマに強制移住させ、代表者を元老院議員にすることで
味方に取り込み勢力基盤とした。
 これは、エトルリア人都市国家やアルバ・ロンガなどのラテン族都市国家に囲まれた小さな
「寒村」ほどの規模から出発した新生ローマでは、最大・喫緊の課題は「人口増加策」であり、
人口が増えないことには、自衛のための兵力すら維持できないからであった。
さらに、奴隷や一時居住者以外のこれら自由市民は「ローマ市民」として王の選出を含む
国家最高議決機関である民会で投票する権利を与えられた。もっとも、この市民による王の選出は
共和政期に共和政の歴史を古くに求めるために作られた伝説とする説もある。
 ローマ建国の王であったロムルスも治世の途中で、この民会の選挙で選出(この場合信任)され、
改めて選挙で選ばれた王となった。王の任期は終身。しかし原則として世襲制はとらない。
王の最大の責務はローマの防衛であり、そのため自由市民が「輪番」で兵役を勤めるローマ軍
全軍の指揮を担当した。(全軍とはいっても草創当時は2,000名程度であったと推測される)
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以上だが、面白いのは、ロムスルは王になっても権力を独占しようとしなかったことだ。
彼は国政を、王、元老院、市民集会の三本柱で支えるという制度を定めた。
ローマの王は市民全員が参加する市民集会での投票で決められる。
王は終身制であったが、他国と違って王の子孫や血縁者が自動的に王になるのではない。
あくまでもローマ市民の同意がなければいけないということにした。
さらに、市民集会は王の政策に承認を与えるという権能も持っていた。
このように王の権利はかなり制限されたものになっていた。その王の政策の助言として元老院
創設された。現代の民主政体では国家権力を司法、行政、立法の三権にわけ、それらがお互いに
チェックしあうことで、権力の暴走を防ごうとしている。ローマの制度は現代式の民主制度では
ないにしても、国家権力の三分割という点で似ている。形式上は王政であっても、その王は
民集会によって選出されるので、ローマ市民の意識は「王の国」ではなくて「我らが国」であった。
だからこそ、彼らは戦争の連続にも耐えられたし,戦意も衰えなかった。
現在の日本より政治体制と大して変わりはないでないか?
いや、皇族ー王政が選挙という面でローマのほうが?
人間性という面で、千年経っても変わっていない?        ー つづく
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2005年04月21日(木)
1479, 『知りたいことがなんでもわかる 音楽の本』-1
クラシック、ジャズからワールドミュージック、日本のポップスまで、幅広く網羅した、
音楽の基礎などが書いてある本である。 ほぼ全てのジャンルの歴史が詳しく分りやすく書いてある。
入門書に留まらず歴史的な考察も入っている。一冊にこれだけ音楽の体系をまとめてあるのに感心した。
この一冊で、音楽の世界を鳥瞰したような気分になれる。
「人生を肯定するもの、それが音楽」というが、どん底の時に何度も音楽で救われたことがあった。
むしろどん底の方が、音楽を受け入れることができるようだ。
音楽の奥底から感じ取られる作曲家の気持ちが通じやすくなるためだ。
ボーズのステレオを買ったのをキッカケに、音楽の世界に急に興味をおぼえ始めたに過ぎないが、
先ず知りたいのが歴史と分野の体系であるから、この本はタイミング的にみてもベストであった。
これまでに、知識としてクラシック、ポピュラー、世界の民族音楽の三分類と、
・クラシックではバロック、古典派
・ポピュラーではブルース、ジャズ、フォーク、ロック
・世界の民族・地域音楽として、アルゼンチンタンゴ、スペインのフラメンコ、
 ロシア民謡、イタリア民謡、・・・位のものであった。
それが、この本では解りやすく、時系列と分類を鳥瞰できるように纏めてあった。
ー次回から、具体的に、それぞれの音楽の言葉の意味(ジャズとは?クラシックとは?とか)
をまとめてみる。                        つづく
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2004年04月21日(水)
1114, 「ライフ・レッスン」 ー5
ー力のレッスン
・ほんとうの力はその人の社会的な地位、銀行の高額の預金残高、華麗な肩書きなどから
生まれるのではない。それは自己の内なる真正さ、つよさ、誠実さ、いさぎよさから生まれる。
どんな人にも内奥には宇宙の力があるのだということに、わたしたちは気づいていない。
一粒のタネがたくさんの花を咲かせ、毎日、太陽を大空をわたっていくのをみて、そこに力を感じ取る。
・感謝をする人は力のある人である。感謝が力を生み出すからだ。
世にある豊かなものはなんであれ、いまあるものに感謝する気持ちに根ざしている。
真の力、真の幸福、真の幸福は、感謝という高度の技術の中にみいだされるものだ。
いま与えられているものに対する感謝、
ものごとがそのようにあることへの感謝、
自己が自己であることへの感謝、
生まれてきたときに自分がこの世界に持ち込んできたものへの感謝。
自己の唯一無二性への感謝。-たとえいまから100万年経ったとしても
  自分とまったく同じ人間は現れない。
  自分と同じように世界を眺め、同じように反応する人間はいない。
感謝の種は尽きない。
「感謝の筋肉」を鍛えたことがない限り感謝をすることはできないのだ。
「もっと」というゲームをやめて「もう足りている」というゲームをはじめよう。
・人間は内部に大きな力を持っているが、その使い方には無知同然である。
真の力は、真の自己を知り、世界のおける自己の立場を知ることより生まれる。
ー感想
力のレッスンに感謝ーありがとうーがあるとは思ってもみなかった。
しかし考えてみれば、内奥の力は今あるものに対する感謝・気づきから
出発することを考えれば至極当然のことである。
「感謝の筋肉を鍛える」という言葉も心にのこる。
感謝は長年のトレーニングが必要ということだ。
毎日「ありがとう」という言葉を繰りかえすのも、
レーニングで感謝の筋肉を鍛えあがていることになる。
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2003年04月21日(月)
747, 散る桜残る桜も散る桜ー2
 ー雨中の花見
 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。毎年のこの時期の恒例の一人花見である。
もう十年以上続いている。他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年である。
季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。
今年は例年並であったが、満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。
 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨になり、
丁度悠久山の参道に到着したと同時に大雨になってしまった。
いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。
それでも、いろいろな団体がテントの中で「やけ花見?」をしていた。
 雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。
それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。
最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。
その時に早朝、悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。
「自分はこの近くに住んでいるが、これだけの桜は初めてだ!」という。
それだけすばらしい桜だったのを憶えている。
 ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。
参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。もう50年も前のことだ。
 花見こそ一期一会である。吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。
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2002年04月21日(日)
383,チンパンジー
TV のドキュメントや本などでチンパンジーの生態の研究が面白い。人間そのものである。
まずはその社会、ボス争いが面白い。彼らの社会は厳格な序列が決まっていて、常に
その力関係の争いと緊迫が漂っている。特にボス争いが熾烈である。また2番手3番手の力バランスが、
人間の政争とそっくりである。鼻が詰まった時など鼻の穴に小枝を入れ、くしゃみを誘発したりもする。
蟻の穴に棒を入れ蟻を抜く行為もする。ボスのいない隙に浮気をしたりもするし、子供期の遊びと
虐めも人間とほぼ同じ。嫁いびりや集団リンチなどもある。京都大学の霊長研究所の代々の名物教授が、
数十年にわたりその研究を続けている。その内容がいろいろ出版されている。
またTVでそのドキュメントを数年に一度づつ放映している。今アメリカの研究所で、チンパンジー
一番人間に近いボノボというチンパンジーの研究が進んでいる。数回そのドキュメントを見た。
言葉の研究やゲームの姿を見ていると、「人間との差は何処にあるのだろう?」と考えさせられる事がある。
日本でもアイコという雌チンパンジーとその子供の研究がすすんでいる。今ではヒトを
「第三のチンパンジー」と呼ぶべきという動物学者も出てきている。
人間は狂ったチンパンジーパンジー(猿)というが、言葉を持った猿の欲望の無限の拡大のなせる業か。