2013年の桜

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=o0KI4soyJLg

 長岡の桜、今日が満開。 今週末が花見でにぎわうことになる。
福島江と栖吉川の土手の桜。 明日からは天気が良ければ悠久山の花見。



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1111, 「今時の若いものは!」
2004年04月18日(日)
 エジプトの遺跡にも「今時の若いものは・・・」と書いてあったという。
数年前から、数人の知人が会社の後輩に対して「今時の若いものは!」と、
批判的にいっている言葉が気になった。年寄り臭い嫌な響きがあった。
若い人にも個々それぞれある。この言葉は自分の価値観が若い人の変化を受け入れられない心理から
出ている。「それにしても、今の若いものは!」という言葉が出てきそうだが。
一年前、アメリカがイラクへの侵攻から、若ものの間でイラクが究極の旅行先としての
ターゲットになっているという。今回のイラクの人質騒ぎも、その類の範疇でしかない。
ボラティアの女性だけが救いであったはずが、??を吸いにいく丁度よい名目?で、
NPOを利用してだけ?という疑惑も浮かびでてきた。18歳の坊やも、共産党一家の
パフォーマンスでしかなかったのか。といって、彼らには彼らの正義があったはずである。
インターネットの検索で調べたら、私が書いた文章より、内容の濃いものでてくるから困ったものだ?
しかし、このテーマを考えたらこそ、より深く見えてきたこともあるが。
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  演題:「近頃の若者」   養老猛
この講演は平成10年6月に鎌倉芸術館小ホールにて行われました。
その時の講演の録音テープをおこして原稿を作成し、養老 孟司先生に御了解を得て、
このホームページに掲載しています。
「近頃の若者」という題をいただきましたが、私ももう相当な年になったのでこの題が
ちょうどいいのではないかと思われたのではないかと思います。
「今時の若い者は…」というのは一番古くは、エジプトのパピルスに書いてあるといいます。
ですから紀元前の頃から年寄りは若者のことを「近頃の若い者は…」という習慣というか癖があったようです。
自己紹介いたしますと、私は1年だけをのぞき、小学校からずっと学校におりまして
卒業してからは教師になり、東京大学に57歳までおり、58歳からは北里大学におります。
ですから仕事では若い方とお付き会いするというのがほとんどでございました。
戦後50年を過ぎましたけれども、この半世紀で世の中が相当変わりました。
その間に若い方もずいぶん変わってきたというのは当然でございます。私が小学校に
入った時というのは戦争中でございまして、1年生の時が昭和19年でした。
ちょうど東京で空襲が始まった頃です。
その頃病院に入院したことがありましたが、ご存知のように病院の食事というのはひどいものですが、
そのひどいのが戦争中でしたから一層ひどいものでした。その時代、親は食べていくことで精一杯。
子供たちは青天井で、学校が終わると川へ行って魚を捕ったり、空き地で虫取りをしたりの生活でしたので、
学校は大変ありがたいところでした。私がまず最初に「近頃の若者」と違いを感じたのは、団塊の世代でした。
団塊の世代の人たち(昭和21年~25年生まれの人たちの事)は何でもみんなでやるという世代で、
戦後の典型的民主主義教育を受けて育った人達です。
私たちの世代は(私と同い年の人というと橋本龍太郎美空ひばり江利チエミ雪村いずみさん
などですが)自分は自分、人は人という個人主義的世代で、自分自身で決めればよいと考える私と、
団塊の世代の人達は合わなかったのです。
昭和42年に東大で助手になり昭和52年に教授になりましたが、その間大学紛争の後始末に
明け暮れたという感じでした。
次に非常に驚かされたのがオウムの世代であります。
よく宇宙人と言いますが、ある日、解剖の実習をしていましたら、ある学生が突然
「先生、尊師が水の底に1時間いる実験をするので、一緒に見に行って証人になってください。」と言います。
「何をやっているのか」と聞くと「ヨーガをやっている」と言い、良いことがあったか聞くと、
「食欲や性欲がなくなった。オウムでは空中浮遊等も日常的だ。」と言う。まったく愕然としました。
私の講義の中では「血液を5分間止めると人間の脳は回復不能である」と教えています。
彼らの頭の中はどうなっているのだろうか。
現在起っている世の中の事と超常現象が頭の中で同時並行に走っていて、現実の世界と
そうでない世界の区別が無いのです。
私はこのように頭の中が何重にもなっていいる学生に、私が本音で教えると学生にどのような
影響を与えるのかとても理解できないし、また試験で口頭試問をしても本人が「本当は」
どう思ってるのかとうてい信用できないと思いました。
自分にはこのような学生を教えることはできないと思い、東大を辞めてしまいました。
今は、北里大学で教えていますが、医学部ではなく一般教養なので、学生にどう聞いて
もらっても良いし、学生にとって私はテレビの画面であって、学生が自分のことをやりながら
チラチラとこちら(テレビ)を見て、参考になれば聞き、つまらなければ友達と話をし、
丸々損にはならないというぐらいに思っています。そう思ってやっているとこちらも気が楽で、
「俺はテレビだからな。」と学生に断って教えております。それが今の学生であります。
最近になってオウムの世代の若者のことが少しずつわかってきました。その世代の若者は、
「知識は全て自分の外に蓄えるものである」という風になったのであります。
知というものはコンピュータや本や先生の頭の中に入っているものだ、マニュアルを見れば
なんでも出来ると思っている。CD―ROMというものがありますが、コンピューターの中に
蓄えられた知識を必要な時にとってくればいい。知は自分の都合で自分の外から取ってくるもの、
すべての知がそうなってしまったのです。
子育てもそうなってしまったのではないでしょうか。けれども子育ては「ああしても、こうならない」
ことだらけで、甘いものを食べさせなければできない「虫歯」でさえ、外でこっそり甘いものを買って食べて
しまえばダメです。今の世の中は「ああすれば、こうなる。」で動いていますが、そういう風にやっても
そのつもりがないのに不景気になるし、子どももこう育てたいと思っても、思い通りにはいかないのです。
私が東大出版会の理事長をしていた頃、「知の技法」という本が東大出版会始まって以来と
いうぐらい売れました。その時はなぜ売れているのか分かりませんでしたが、今は分かります
「知は技法になってしまった」のです。技法というのは、ノウハウということです。
知のノウハウということ、つまりマニュアルであります。
こうしたい時はどうしたらいいのかがマニュアルを見れば、理も非も無くわかるのです。
私が育ってきたときの「知」というのは、そうではなかった。
私たちの世代にとって「知識」とは、論語に「あしたに道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
と書いてあることに表されるように、自分が変わるということは、それまでの自分が死ぬということなのです。
そのことの繰り返しなのです。「知る」ということはそれくらいガラッと自分が変わることなのです。
もっと具体的な説明をすれば、「癌の告知」というものがそれに近い面を持っています。
自分が癌であるかどうかを知るということは、それまでの自分が変わってしまうということを意味する。
今から50年位前の戦時中は二十歳前後の人でも死を覚悟していました。
いまでは、年寄りでも未来の事は考えているのに自分の死のことは考えていないと思います。
仏教で言う生老病死が家庭から消えてしまっています。
現代においては9割の人が病院で生まれ、病院で死を迎えます。
人間の抱えている自然が隠れてしまい、非常に多くの人が自分が死ぬとは思っていないのです。
日本では勉強することはマニュアルを頭に入れることだと思っています。
知るということが軽く扱われています。「知る」ということは恐ろしいことなのです。
技法でない知に吸い込まれてしまった一部の人がオウムであります。
近頃の若者は全てのものが頭の中で並列に並んでいます。

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2003年04月18日(金)
744, まずは一日一図から  -2 
 これを実行して10日が経つ。三日坊主と思っていたが、今もしっかりと続いている。
始めたら面白いのだ。一番面倒で避けたい思考が面白いのだから、大変な習慣であり収穫である。
この歳で色いろのことが解り始めている、この鈍さも実感する。 ポイントは
・初めに漫画を中央に小さく書き込み、
・それに、漫画の「声の噴出し」を書いてしまう。
・そして漫画の上にテーマを書きこむ。
・「噴出し」に思いついたことを気楽に書き込んでいく。
 漫画の人形を書いたケースの場合、自分の分身と思ってしまう為か、
頭の中から色いろなことが浮かび上がってくる。
「半分遊び気分で問題の追及」を、結果としてしてしまう。
「左手を上に挙げ、右手を腰に当てている小さな人間の絵を中央に描いて、
左右に三づつ声の噴出しを書き込む」と、どういう訳か難しい問題でも、気楽に考えられるのだ。
 読書法で10~100倍の速度が可能という本が多く出版されている。
私の場合、その方法を身につけて10倍以上の読書力になった。それもこの1^2年である。
しかし、「一日一図」を始めてわずか10日で、10倍の思考力が増えた?ようだ。
その程度の頭脳でしかないのが、事実だ。
以前から天才のノート法とかいう本を読んで、色いろ工夫していたが「毎日一図の習慣と、
漫画を中心に描いてから、埋める方法」がよい。
 随想日記を書き始めて、文章力と文章量はそれまでの十倍に増えた。
そうすると、「読書力と文章力と思考力」がこの数年で10倍になったことになるが、
集中力がそれだけ増えた事は間違いない。
これらの方法は過去からいくらでも在ったのだから、今になってやっと気づいたに過ぎない。
この随想日記を続けてきたことが、こういうノウハウを身につかせているいるのだろう!
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 2002年04月18日(木)
380, 姉正子さん
姉正子が亡くなって2ヶ月すこし経つ。
去年の6月に来て,3時間半なにを話したか?
大体がこんな内容であった。
・自分の生い立ちー声楽のコンクールで、中沢桂に高校時に負けたことが一生の分岐点であった
・高校しかいけなかったハンデキャップが一生ついてまわったこと
・倒産時に私に助けてもらったのが、地獄に仏であった
・今回自分はセンガンでないが、主治医がセンガンと書いてくれた為 保険が全額降りた。
・いつもこの家に来ると、肩に重い何かが被さるが今回はないのが不思議だ
・両親の思い出、今までの思い出
・なにがあっても自分は生きぬくーEM 菌を飲んでいるので順調
・病気の状態ー入院の後先の話

彼女にとって、「もしかしたらこれが最後の実家帰り」
という気持ちがあったのだろう。
彼女にとってここは(自宅)やはり実家なのだ

この内容から私なりの彼女の心理分析をすると

・この長岡の街で、この世界を出ることができなかった一生であった。
・やはりやってはいけない事?をしてしまった無念、後悔。
・両親に対する恨みと、反面後悔。
・病気の恐怖に対しての自分の気持ちの説得ー自己詭弁

一昨年の手術の前日の20時過ぎか電話が鳴り、「実は自分は肺がんで明日手術。
最後の電話をやはり貴方に電話をしてしまった。これか