つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=yjYTEFHD4gY

 ボストン爆弾テロ。
何か嫌な予感をさせる事件である。まさかと思っていた北朝鮮
日米韓との全面戦争の可能性が出てきた。何でもありの様相である。
 明日の随想日記のテーマになるが、どうなることか。
 
ー 明日の下書きだが、コピーしておきます。(明日は、ほぼ同じ内容になるが・・) ー
  * ボストン爆弾テロについて
 ボストン爆発テロ、北朝鮮の関与を誰もが思い浮かべただろう。
アメリカの反政府の団体という仮説も立つが、北の首都平城でマラソンが行われた直後、
ボストンマラソンのゴールの、多くのカメラの中で、二つも爆発は、脅しの効果として抜群。
ボストンマラソンといえば、世界で有数の権威ある大会。そのゴールを狙うとは大胆。
それもケリー国務大臣の因縁あるボストンで・・・ 見せしめ、としても危険すぎる!
 今のところ、誰も北の関与を口に出さない。だから恐ろしい。
このタイミングから見て、関与の可能性は高い。黙って見過ごすか、全面戦争の切欠になるか? 
関与しなくとも、北の軍部は震え上がっているだろう。
あれだけ全面戦争を騒いでいたのだから、この程度のことは当然か。 覚悟があってだろうが。
この数日が境目になるか、数ヶ月後か、全面戦争は? まさかと思っていたが!
これで北はミサイル発射実験、やりづらくなった。 でも、やってくるだろう。これで、 
軍事的に一触即発になった。 しかしアメリカも軍事産業もあり、訳の分からない国。
さらにシリアもイランも、アメリカの矛先を北に向けたい思惑もある。CIAが北の仕業にして、
攻撃の口実を作り上げているかもしれない。 アルカイダビンラディン殺害の復讐のため、
北と見せかけて戦争のけしかけの可能性もある。どの切り口も戦争の方向、恐ろしい限り。
 

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1473, 指桑罵槐(しそうばかい)
2005年04月15日(金)

ある知人が中国人の国民性を一言で表している表現としてとして、教えてくれた言葉である。
問題になっている中国のデモは明らかに中国政府の政治的な意図が読み取れる。
日本も中国人の何時もの手法として、ただ蔑視を決めつけている状態といってよい。
中国内で起こっている暴動の目を逸らそうという意図と、尖閣列島問題などに対する駆け引きが目的である。
チャイナリスクという言葉まであるが、都合が悪くなると問題を摩り替てしまおうとするのは、
いま始まった問題ではない。
15年ほど前、中国に行ったとき現地のガイドが何げなく「文化大革命のときは、地方の村に行くと
死体の山があちこちにあった。2千~3千万ほどの人が虐殺をされました]と、平気で言い放ったのを聞いて、
思わず耳を疑った。まだ今ほど国内の開放が進んでない時のことである。中国とは、そういう国である。
いや共産主義か。現在もそうだが日本のマスコミは中国の入国拒否を恐れて真実を報道しない。
都合が悪くなると、60年以上前の中国侵略と虐殺を言い立てる。すでに17回も陳謝させているのに。
以下は指桑罵槐を検索で調べた内容である。
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指桑罵槐
ー桑(くわ)を指さして槐(えんじゅ)を罵るー
桑は、蚕の食べる桑の木のこと。槐は、えんじゅの名で知られ、街路樹や庭木として植えられる喬木を指します。
つまり、似ても似つかないものどうしのことです。本当の怒りの対象とは全く違うものを攻撃する、
という意味だといいます。「鶏を指して犬を罵る」というのも同じです。
中国人は当事者を直接批判することはほとんどなく、この「桑を指さして槐を罵る」というやり方をするという。
ある相手を攻撃しているように見せているけれど、実は別のところにいる人を批判していることになっている
というのです。中国が激しく批判などしてくる問題があったなら、マに受けて腹を立てるのではなく、
彼らが真に攻撃したいのはどこなのか、誰なのかという視点で思いを巡らしてみるのがよいらしい。
中国産冷凍ホーレンソーから基準を超える残留農薬が検出され問題になったことがあるが、中国当局は記者会見で、
「日本の野菜に関する現在の安全基準が非科学的で不合理なところに問題がある」と、逆に日本の検査手法を
非難してきた。指桑罵槐で読み解けば、中国国内の検査方法や検査担当者たちを非難している、と見るべきなのだろう。
「言いたいことがあるなら正面切って言ってこい」とか、「陰でこそこそ言ってないで本人に言いなさい」など、
正々堂々を良しとする日本のメンタリティーとは違った面があるようです。

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2004年04月15日(木)
1108, 西武鉄道・堤会長の辞任
「西武の堤義明会長が辞任!」とニュースで報道していた。
随想日記で専務が逮捕された時「お笑い西武鉄道」という文章を書いたが、所詮は悪口でしかないと、
掲載を止めた。しかし辞任ということで、ケジメをつけたということで書く。
西武の森元監督が講演会で、彼のことを「超ワンマンで、西武の試合の采配に対して、
口うるさく電話がくる」と言っていた。監督にとって大きなプレッシャーだったとか。
テープだけはとらないようにと講演前に言っていたのは、堤を恐れていたのだろう。
西武鉄道の専務が逮捕された時「彼が知らないわけがない!」と誰もが思ったはずである。
逮捕されないだけよかったのだろうが、やはり辞めて当然である。歴代の首相が就任をすると、
3億の祝い金を払っている?という話を聞いたことがある。一つの時代が終わった事件である。
堅実経営で、バブルにもたいして踊ることなく西武グループをここまで率いた力は大である。
最後をまっとうすることの難しさをつくづく感じる。
もっとも、辞めるのは本社の会長だけで他はそのまま留まるというから、カタチだけなのだろう。

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2003年04月15日(火)
741, デフレと対策 -2
ー 前にもこのテーマで書いたが、今一度書く。
 今の日本はデフレである。しかしそれでもアメリカの物価より物価は実感として、2倍3倍高い。
それが修正過程に入っているだけである。戦後の実質社会主義制度による統制物価が、その崩壊と
グローバル化で世界的な物価への平準化プロセスに入っているだけである。 家具のニトリにしても、
イタ飯屋のサエゼリアやマクドナルド、100円ショップが好調なのは、グローバルな物価の追求を
実践をしているためだ。
 世界的な物価に下がるまでデフレは続くのが当然である!それで恐慌になっても仕方がないことだ。
ジタバタバタしないで、このデフレの中で自分を変えるしかない。政治頼みや批判をしても、
仕方がないのは自明の事。やるべき事をキッチリやってそれで駄目なら退場するしかない。
やるべき事もしないで仲間内で愚痴をいいあってもどうにもならない。
 先日の日経流通新聞に、箱根の湯本の二番目に古い、370年の歴史を持つ温泉旅館の
『一の湯』が一面トップ記事で出ていた。半値から三分一のプライスー一泊二食つきで6800円を
うちだして、低価格旅館グループを拡大しているという内容であった。
親父が高級旅館をつくってしまったが高プライスの為に不振になった。
座して死を待つよりよいだろうと、25000円から9800円に期間限定で、この値段に下げたら、
お客が殺到した。それで延長延長で、この値段を固定にしたとか。その代わり徹底した合理化を図ったという。
最近は一泊4500円の旅館も始めたとか。潰れた旅館を買い取れば、これも可能になるだろう。
こういうのを「高級を高度に切り替える」という。
 銀座のクラブも三分の一以下で、商品価値を落とさない店が好調だと先日このコナーでかいた。  
昨日いって来た京都は深夜にバスに乗って、宿泊なしで翌日の深夜に帰ってくるパックさえ出来てきている。
これで京都に一万円でいってこれるのだから、価値がある。凄い時代である。

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2002年04月15日(月)
377,「知ったかぶりをするな」
「到知」という雑誌に出ていた文章で、今でも強烈に残ってる言葉だ。誰かに聞かせたい言葉でもある。
ーその人が社命をかけて、ニューヨークにセールスに行った。ある製品を売り込まなくては、
会社が潰れる瀬戸際である。
まともに英語も話せず、どのセールスも上手くいかない。英会話さえ出来れば何とかなるが、その時間もない。
どうにもならず、公園で途方に暮れ泣き出してしまった。
その姿をみて近くの老人が事情を聞いてくれた。その人は事情を聞いて「よし解った。明日からここで
英語の特訓をしよう。ただし条件がある、けして知ったかぶりをするな。わからないことは正直にいえ」
それから公園で英会話の特訓が始まったそして数ヶ月もしないうち、英語がだんだん話せるようになった。
そしてセールスを始めると、見る見るうちに上手くいくようになった。以上である。
この話の中に多くの教訓がある。
・ぎりぎり追い詰められた状況ーゼロからの出発になった。
・その老人がかなりのレベルの人であった。
・本当にそれが必要であった。
・真剣なぶつかり合いになった。
実際事業の立ち上げは、この状態からの出発といってよい。
赤裸々の対話の積み重ねである。それもぎりぎりの。
いつでも立上げはそうであった。みしらずの人を集め、どうなるか判らない事を始めるのだから。
しかし新しい事業を興す時は、そのほうがいい。
真っ白から始められるからだ。ゼロからの出発は、新しい材料で始めるほうがいい。