つれづれに

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Youtube
http://www.youtube.com/watch?v=FWgU9pft8Ws

 二日目の信濃川の長岡大橋と大手大橋と土手の道路からの写真。
4時に起きて随想日記を書き上げ、6時に家を出るパターンが始まった。
少し寒いが、それでも早朝のポタリングは気分爽快である。
さすがに、雨が降りそうな中で、チャリも人も殆ど見かけない。


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1811, ずっとやりたかったことを、やりなさい-3
2006年03月19日(日)

空想上の子供をイメージで作り、その子供のために特別な時間をとって、二人だけのデートをする。
その子供のために特別指導をする。私のライフワークにしてきた、秘境旅行がそれに似ている。
世界の端を点?で埋めていくストーリーをたて旅行していく。上野のスカイライナーを乗ったと同時に、
別世界の子供になる。そして、帰ってきてスカイライナーに乗ると同時に元の自分に戻る。
これは年二回・平均10日間の私にとっての違ったカタチのアーチィスト・デートである。少し違うか?
20年間続けてきたウォーキングもアーチィスト・デートか?
まずはアーティスト・デートとは何かを要約してみる。
 ーアーティスト・デートー
「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており、
今までの経験や年齢等に関係なくアーティストとしての創造性を秘めている。
そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが)その才能にアクセスする方法がある」
ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家と
いった俗にいう「アーティスト」だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる
「創造性」の開花をいっている。その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。
特にクリエイターの方々(デザイナー、各種コーディネーター、ライター)には参考になる方法である。
机上の空論ではなく、才能開花のための実践的なトレーニング法が12週間という具体的なプランに
落としこまれた、レーニングプログラム。本を読みすすめていきながら書かれている通りに、
一週間約30ページずつ、作業を進めていけばよい。
そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と「アーティスト・デート」。
先回はモーニング・ページを紹介した。今回は「アーティスト・デート」である。
  ー本文から要旨を抜粋してみる…
《アーティスト・デートとは具体的に何なのか? それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、
あなたの創造性の象徴である「内なるアーティスト」の育成に専念することだ。
もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、あらかじめ日時を指定しておく
デートであり、他人の進入を禁じた時間だ。「アーティスト・デート」には部外者を同行させてはいけない。
行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、つまりあなたの「想像する子供」だけだ。
恋人も、友人も、配偶者も、子供もだめ-どんな肩書きの人もお断りだ…》
要約すると
「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」。  
 * 私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に「アーティスト・デート」である。
《 怒りは耳を傾けてもらいたがってる。
 怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。
 怒りは敬意を払ってもらいたいのだ。というのも、それは心の地図だからである。
 怒りは私たちの限界がどこにあり、私たちがどこに向かいたがっているかを教えてくれる。
また、自分が現状に満足できなくなっていることを知らせてくれる。
・・・ 怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。
    怒りは友達である。
    素敵な友達でも、やさしい友達でもないが、きわめて誠実な友達だ。
    それは私たちが裏切られたときや自分自身を裏切った時、
    かならず知らせてくれる。
    そして、自分の興味に従って行動するときであることを告げてくれる。
    怒り自体は行動ではない。行動への招待である。》
《アートとは、みずからを社会にさらす行為である。
 アートは物事に光を当て、私たちを照らし出す。
 そして、私たちの中に残っている暗闇に一条の光を当て、「みえるでしょう?」と語りかける。
 あるものを見たくないと思っている人たちは、それを見せる者に怒りを覚え、徹底的に糾弾する。》
《真摯な表現はクロゼットを開け、地下室や屋根裏に新しい風を送り込み、癒しをもたらす。》
「違った別人格の子供を内に持ち、その子供のために課題を与え二人だけの時間を持って、育て続ける」
ということ。それはライフ・ワークには待っている自分とどう違うのか? と問われれば、
「それをもっと合理的に内なる指導者の目をクリアにしなさい」ということか。
                 
 ・・・・・・・
 2005年03月19日(土)
1446, 小学校中退、大学卒業 -2
花柳幻舟の文章の中に、実際に血みどろになりながら、極限を乗りこえようとする
魂の叫びを感じ取ることができる。言葉の中にウソも虚飾も全く感じない深い心の叫びがある。
学問に対しても、その本質を求める気概が正直に述べられている。自分を日本のインテリと、
お述べになっている何処かの教授より学問の意味・真髄を実感しているのが解る。
以下は、昨日のつづきである。
ーー
一日20時間の猛勉強をつづけ、塾入学6ヶ月には、司法試験の模擬試験で優秀者の中に堂々と並んだ。
一橋、中央、東大等法学部現役学生を抜いていった。アルファベッドもろくに読めない小学校中退の、
しかも人生の折り返し地点を過ぎた私がある。人間、やったらできる、それまでできなかったのは、
私がやらへんだけかっただけや。集中力は全てを可能にすると実感した。
学校という、地域という排他的の中で、私ははじき出され、私の読み書きは奪われてきたのである。
私にとっては恐怖の学校と先生に必死の思いで対峙した。
ついに私は、学問と学校は違う、教養と学歴は違う、無知と無学も違うということを心底知った。
私は学校と学問を一緒くたんしていたのだ。
学校は、教育の現場は、今も排他的で差別的だが、学問は素晴らしい。
学問は、人間に勇気と希望、物事の本質を見せてくれる誰にも開かれた世界だ。
私の大学卒業論文は、誤報と伝聞を繰り返すメディアによってつくりあげられた虚像化された
花柳幻舟」という一人の創作舞踊家の、デビュー当時のいびつな加熱な報道を検証し、
いまや巨大権力といわれているメディアの‘光と影'の深層に踏み込んだものである。
卒業論文の評価を、副学長が次のように言ってくれた。
「こんな面白い卒業論文があってもよいんじゃないか」と。
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2004年03月19日(金)
1080, フランチャイズ・ショー -5
・一番印象的であったのが「MBE]という会社である。
「メールボックス・エトセトラ」の頭文字の略である。
 MBEのサービスは、
 Document,
 Information,
 Logistic
の大きく3つのカテゴリーからなるサービスを中心に、それぞれのサービスをリンクさせながら、
ビジネスや暮らしに欠くことのできない”必要”に対するサービスを開発・提供している。
各事務所や、SOFOなどのサービス機能の代行といってよい。面白そうな反面、9㌫の
FC料金が高すぎる。といって、この不景気にあればこそ便利な機能である。
1DKマンションの一角にコンビニを入れるのと同じように、
SOHO専門ビルの一階にセットとするのによいだろう。
・いま一つ託児所のフランチャイズも面白い。
立ち上げさえしてしまえば、後はノウハウは無いと堂々と言ってのけていた。
絞っているのが1^3歳児で、一年未満と夜間はカットがポイントだという。
成功確率は9割以上だという。
平均30人が定員で、損益分岐点の数字が十数人だという。
大きなショッピングセンターなどの商業集積の近くが面白そうである。
・今回のFCショーには出てなかったが、衛星予備校も面白そうだ。
場所と大学院でも出た人をセットをすれば誰でも可能である。
こういうネットの時代だからこそフランチャイズは受け入れられるのだろう。
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2003年03月19日(水)
714, 難関ー困難性
 学生時代読んだ本に「困難に出会ったら、チャンスと思いなさい。
それを躓きの石にするか、土台の石にするかは貴方の意思できまります」という言葉があった。
その時これから生きていく人生のキーワードでないかと思った。
事業を立ち上げる目標を掲げていたので、この言葉がストンと頭に入ったのだろう。
 そして早速に「修行と事業の立ち上げ」で常に壁が立ちふさがっていた。今日止めてしまおうか、
放棄しようかという時に「土台の石、土台の石、土台の石」と念仏のように繰り返していた。
他にも「困難性は宝の箱である、そこには必ず鍵穴がある。キーを捜せば必ずある。
キーさえ見つかれば宝が手に入る」という言葉もあった。
また「どんな大きい岩でも筋がある、その筋を叩けば必ず割れる」ともあった。
若い時から事業を立ち上げてきて、段々この意味が実感できるようになってきた。
「次々くる困難のウエーブを乗りこなすことが事業そのもの」と解ってきた。
そうなると、困難に当たることがむしろ面白くなってくるのだ。
一づつこなしていくうちに、どの辺が最大の困難性かも解ってくる。こうなると、
ゲームになってしまうのだ。こなしていることが脳の奥のほうで面白くなってくる。
若い人が、何かに挫折して断念をしているのをみると気の毒に思うことがある。
精神論そのものになってしまうが、あと一ミリ一センチのところに秘密があるのにと
つくづく顔(ーー゛)を見てしまう。自分で知識を捉え、それを経験してみなくては解らないことだ。
成功体験とはそういうものである。小さい成功体験を、徐々に大きくしていくしかない。
最後は成功体験である。それは困難の乗り越え経験である。
それを方法まで、手順になるまで経験で身につけるしかない。
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2002年03月19日
旅行中につき書き込みなし
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[ 薬物追放 ] ☆☆   

2人の男が覚醒剤で捕まりました。
そして裁判にかけられましたが、深く反省している2人に対し、裁判長は温情判決。
「刑務所には入らなくていいです。
その代わり街に出て、危ない少年少女に薬物の恐ろしさを話して来なさい。
その子たちが永遠に薬物手を出さないよう、よく説得して来なさい」
3日後、2人は裁判長に結果報告にきました。
まず1人目。
「何人に説得して来ましたか」
「はい。私は36人の少女に説得して来ました」
「それはすばらしい。どうやって説得しましたか」
「絵を使いました。これなんですけど・・
○ o この大きな円は、クスリを使う前の脳。
そして小さな円は、クスリを使った後の脳です。
どの子も、クスリなんかやってはいけないと納得しました」
「なるほど。よくできました。では2人目のあなたはどうでしたか。
何人に説得して来ましたか」
「はい。僕は298人の少年に説得して来ました。
どの子も、これからは絶対法律を守ろうと言っていました」
「それはすばらしい。どうやって説得しましたか」
「僕もやはり絵を使いました。これなんですけど・・
o ○ 刑務所に入る前のあそこと出るときのあそこ! 」